4.5.二人の旅路
それからというもの、エリカレスはホウセの師となった。
彼はホウセに、言葉によって発動する呪文魔術を教えた。
「呪文をどう唱えるかは自由だ。自分の気持ちが乗る言葉でやるといい。効果の複雑さを求めると厳しいが、即効性と応用の効かせやすさは戦闘向きだ」
また、図形と文字によって発動する紋様魔術を教えた。
「紋様は印章を作らない限り、即効性はないに等しい。印章にしても、多数を持ち歩くわけにも行かないから、応用を効かせづらい。だが時間さえかけられるなら、呪文より紋様が効果的な局面も多い」
自衛のような戦いについての心得も、ある程度は教えた。
「人間が相手なら、とにかく逃げる。できるだけ呪文が使える距離は確保して、どうしようもない時だけ魔術を使う。悪魔が相手の場合は……働き悪魔はともかく、“戦士”は形態が多様すぎて、急所も様々だ。その上痛みに怯むことがほぼない。逃げられないなら、急所など関係ないような強力な呪文で、一気に殺すしかない」
エリカレスは悪魔だったため、人間が自身のために扱う戦闘術などを直接教えることはできなかった。
そもそも、彼自身は魔宝の作り手であって戦士ではないため、本格的な戦い方を知らなかった。
エリカレスは逆に、ホウセから教えられることもあった。
例えば、食事だ。
水があれば生存が可能な悪魔は、人間が必要とする食料が分からない。
料理の文化もないため、エリカレスは悪魔に滅ぼされた街などを巡って文献を集め、理解に努めていた。
無論、マフの人間たちは自分達のための食事を自分で作っている。
そこに相伴に預かれば料理を体験することもできるだろうが、さすがにマフでそれをやれば噂になってしまう。
ある日エリカレスが、ホウセが地下工房で作った料理を、強引に自分の口の奥へとねじ込んだ。
その様子を見て、ホウセがうめく。
「無茶して食べることないからね……?」
「大丈夫だ。味わうことも血肉にすることも出来ないだけで、有害さは一切ない」
即答するエリカレスが、口に入れた食べ物を即座に飲み込んでいるのは明白だった。
ホウセがそれを見て、苦々しげに指摘する。
「全然噛んでないじゃん……」
「わかった。もっと口腔内で破砕してから投入しよう」
「生理的に出来ないことをするなっつってんの!」
「人間への理解を深めるためだ」
「じゃあ私もあなたの真似して、水だけ生活をやってみようと思うんだけど」
「それはダメだ!」
「私が言ってるのもそれと同じことでしょ!?」
奇妙な関係だった。
悪魔と、人間。
滅ぼさんとする種族と、滅ぼされつつある種族。
極めて非対称的でありながら、対等であろうとする関係。
エリカレスはホウセから人間を学び、ホウセはエリカレスから悪魔というものを学んだ。
もっとも、エリカレスの思想の特異さを考えれば、彼から悪魔なる種族についてを学ぶことの有効性には、疑問符がつくが。
そんな日々が続いてから2年余りが経ち、エリカレスの研究に一つの区切りが訪れた。
マフから離れた、彼のもう一つの地下工房にて。
「赤縫――変異!」
エリカレスが呪文を唱えると、工房の床中を覆い隠していた赤い布が、彼の身体へとまとわりつくように殺到した。
赤い布は変形し、固化し、外殻のような形に落ち着いていく。
体を包む暖かな感触に、彼は作品の、ひとまずの完成を感じた。
様子を見ていたホウセが、尋ねる。
「それ、鎧?」
「あぁ、鎧だ」
「でも何に使うの?」
エリカレスは彼女の疑問にすぐには答えず、問い返した。
「……以前君に、こんな事を言ったのを覚えているか。
どんな悪魔も知らない秘密を教える、と」
「ごめん、半分忘れてた。これがそれなの?」
「半分は当たりだ。これを使って、その秘密を見に行く」
「今から?」
「いや。その前に……君の分も、これを作っておきたい」
「私の分?」
「そうだ。必要になる。今度は君にも手伝ってもらう。なかなか骨が折れると思うが、いい経験にもなる」
「えぇー……先に秘密教えてよぉ」
「すまないな。だが、魔宝作りというのも楽しいぞ」
エリカレスはそれから半年の間、更にホウセに技術を教えた。
魔術紋様を用いた魔宝の作り方について、彼女はより上達した。
半年後、それは完成した。
「赤縫、変異!」
ホウセの呪文と共に、真紅の大布が変形する。
彼女が、自身で身にまとう鎧。
デザイン自体はエリカレスの物と大差はなく、色合いが若干異なる程度だ。
大きさは彼女の身体に合うようになっており、今後彼女の背が伸びるなどしても、変形時に鎧の側が追従するようになっていた。
手や足の着心地を確かめながら、一通り動く。
頭の部分だけ鎧を解除して、彼女はため息をついた。
「……感無量――ってやつかな」
それを見ていたエリカレスも、彼女を褒めた。
「俺も手伝ったとはいえ、よく頑張ったな。ホウセ」
「うん!」
素直に喜ぶ彼女に、エリカレスは工房の奥へと入り、戻ってきた。
「ついでといってはなんだが、これを贈ろう」
ホウセが彼から手渡されたのは、槍だった。
穂先から石突まで、鎧と同じ、真っ赤な色をしていた。
彼は既に、自分の分の槍も作っていた。
自力で空を飛ぶ悪魔というのもそれなりにいるが、エリカレスはそうではなかった。
二人は赤い槍を携えた、赤い鎧の、悪魔と人間――ということになる。
「鎧だけでは徒歩になるからな。その槍は魔術に応じて、空を飛ぶ機能を持たせてある」
そう聞いて、ホウセが疑問を浮かべる。
「飛ぶって……何で?」
「鎧を作るのに夢中で忘れていたかもしれないが……どんな悪魔も知らない秘密を教える、と言っただろう? 空を飛べた方がいいんだ」
「そんなに遠いとこに行くの?」
「あぁ。俺が行こうとしているのは、遠くで生き残った人間の国だ」
ホウセが、目を丸くする。
平穏の魔術を施されていた頃からは、想像もつかない感情の起伏だった。
「人間の国って……マフ以外に、人が生き残ってるところがあるの!?」
「長いこと調べてはいたんだがな……今はまだ、その可能性が高い、というだけだ。これからそれを、確かめに行く」
エリカレスは鎧の凝結を解除して、大布に戻す。
そして微笑む。
「君と二人でな」
そして二人は、旅に出た。
まずたどり着いたのは、アウソニア。
人口1万人の、地底の国だ。
人工太陽の力があるとはいえ資源不足は厳しい。
上から下まで、国民は喘いでいた。
そこに訪れる、二人の赤い鎧。
それを見つけた住民が、武器を持った兵士を呼んで、取り囲む。
「誰だ!」「悪魔か!?」
エリカレスは、内心では歓喜していた。
やはり、人間はマフ以外の土地でも生き残っていたのだ。
すぐにも鎧を脱いでしまいたいところだったが、彼は悪魔だった。
140年ほど前に、人間を地上からほぼ根絶やしにした種族の、一員だった。
人間とあまり変わらない形態のため、鎧を着ていれば誤魔化せる。
とはいえその下は、顔ですら見せるわけにはいかなかった。
彼は人間たちに、顔を隠して名乗った。
「はじめまして。俺はエリカレス。外の世界から、ここへとやってきました。
地上に生き残った人々を探して、旅をしています。
こちらは、弟子のホウセ」
当然だが、アウソニア人たちの反応は、芳しくなかった。
「信じられるか……?」「悪魔じゃないのか!」「俺たちを騙そうとして!」
彼らは、アウソニア人たちがこの地底に逃げ込んで以来、恐らく初めて迎える来訪者のはずだ。
不信を覚えるのも、無理はない。
「……ホウセ」
「うん」
ホウセが、鎧の変形を解除した。
4年ほど経って、やや背の伸びた黒髪の少女が、姿を見せる。
彼女は右手を掲げて名乗った。
「ホウセです。人間です!」
「そっちは!」
「今、見せます」
兵士の問いに応えて、エリカレスも鎧を変形させた。
鎧の中に記述された魔術紋様が、彼の輪郭を人間のそれへと変化させる。
鎧の力で、エリカレスはやや年かさの、人間の男へと変身した。
黒髪の、ホウセの父親といっても通用しそうな外見だ。
(人間を知り、助けようとするが故に、騙さなくてはならない……)
エリカレスは矛盾を感じつつも、嘘をついた。
「私も、人間です。嘘偽りはありません」
「……本当に……!?」「外の世界で生き残った人間が……!」
「我々がどこから来たのかは、まだ言えませんが……他にも生き残った人々の居場所について、手がかりを掴んでいます」
「なぜそれを調べている?」
「分断された人間の世界を、再び繋ぐためです。地上には悪魔がいるため、直接行き来は出来ない。転移の魔術紋様の技術も失われているとなれば……誰かが行き来して、情報を伝えなくてはならない」
アウソニアの人々は、エリカレスとホウセを信じてくれたようだった。
彼らは短時間滞在すると、すぐにアウソニアを離れ、次の候補地へと向かった。
次は、アールヴの国、アールヴィルだった。
人間が逃げ込んでいるかと踏んでいたが、アールヴたちは頑なだった。
変身を看破されそうにもなったため、二人は急いで離れた。
その次が、トラルタ。
霊峰と呼ばれた山の中に存在する異空間。
悪魔の侵攻時、その中へと逃げ込んだ人々の築いた国だった。
狭いアウソニアと違って内部には空と、広大とまでは言えないが土地があった。
資源不足には悩んでいないはずだったが、統治には大きな問題があった。
治安が良いとはいえず、貧富の差も大きい。
何より、トラルタのある異空間自体が、そこの先住者であるネッキーと呼ばれる種族を追いやって奪ったものだったことが、エリカレスには衝撃だった。
追いやられて異空間の隅に住むようになったネッキーたちから、直に聞いたのだ。
エリカレスは人間の善性に疑問を抱きつつも、ホウセと共にトラルタを後にした。
そして、メイエ。
広大な沼が広がるそこでは、人間たちが霊魂だけで生き残っていた。
正確には、沼を構成する魔術の作用を持つ液体に、周辺地域で死んだ人々の意識が乗り移っていたのだ。
人々の意識は生き続けており、時間の経過も記憶していた。
心の声を交え、情報交換を行うこともできた。
エリカレスは彼らを確かな人間と見なし、惜しみつつも別れた。
最後が、ウィッシェルだ。
高空に位置する、驚くべき浮遊都市。
人口は500万を数え、工業技術においても魔術においても優れていた。
そもそも悪魔が地上を蹂躙した際に被害を受けておらず、悪魔を敵と見なしていなかった。
同時に地上の被害についても、一顧だにしていなかったが。
彼らと同じ視点に立つことは難しいと感じつつも、エリカレスはその地を去った。




