4.4.彼女の名前
ホウセは頭頂部を押さえて、悲鳴を上げた。
「痛ったーい!?」
「やかましい! 何が『かかったね……!』だ! 本気で悪魔の罠かと思ったんだぞ俺は!?」
その隣にはディゼムが、拳を握ったままたたずんでいた。
怒っている。
ホウセは痛む頭頂をさすりながら、蛮行に抗議した。
「ていうかグーでぶった! グーで!!」
「当たり前だバカ! 下手したらお前、誤認で発砲してたかも知れねえだろうが!?」
場所は、ホウセの隠れ家。
彼女が地上の各地に生き残った人類のコミュニティを巡回する際、途中休憩をする拠点として使っている場所だ。
魔術の仕組みで出入りをするようになっており、入る際は真紅の槍を鍵として、巨大な顎を模した扉が、入場者を地下深くへと収容する。
扉には歯を模した飾りもついているため、捕食されるようにしか見えない。
悪趣味と言われれば、全く否定できないのだが。
ホウセはなおも、弁明した。
「いやその、ちょっと遊び心っていうか、からかってみたくなったっていうか!」
「冗談じゃねえわ! 陽動した悪魔の大群をやり過ごそうって作戦の、まだ途中なんだぞ! 遊び心だかなんだか知らんが、いらんもん出すんじゃねえ!!」
「まぁまぁ、ディゼム……その辺で」
アケウが、二人を仲裁する。
「フン」
ディゼムは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
そこには、一行の全員が揃っていた。
ディゼムとアケウ、ホウセに、ファリーハ。
ディゼムたちのそれぞれの鎧とその増加装備、そしてファリーハが収容されていた保護セル。
ホウセが一行を導いた“隠れ家”は、これら全ての人員と装備を収容可能な広さがあった。
内装は、何らかの工房といったところか。
木材で補強されたむき出しの土の内壁。
床だけは整然と、石畳が敷き詰められていた。
複数の古びた作業机と、その上に転がる調合器具。
寝具や調理台、そして魔術紋様のキャンバスと思しき石版などがあった。
椅子に腰掛けて言い合いを見守っていたファリーハが、つぶやく。
「あとは、悪魔たちが私たちを見失って、解散してくれることを祈るしかありませんね」
「エクレル、悪魔たちの様子はどう?」
尋ねるアケウに、エクレルが白い鎧から答えた。
『少数残った飛べる悪魔を先行させて、我々の後を追っているな。全力で引き離したから、遅れているが……あの大群全体がアールヴィルから離れているのは間違いない』
「誘導は成功かな」
『今のところはな。アウソニアでの悪魔たちの挙動を見るに、この付近までは追ってくるだろう。もしアールヴィルに引き返しそうな動きがあれば、ここから出撃して再び目を引きつけることもできる』
続いて、黒い鎧からプルイナが報告する。
『ドローンの稼働限界が近づきました。4機中2機を帰還させます。ホウセ、ドローンがここに接近したら知らせます』
「回収ね。わかった」
ホウセが気軽に請け負う。
工房の作業机に並んでいる調合器具を眺めていたディゼムが、彼女に尋ねた。
「ていうかよ……ここ、一体何なんだ? 魔術の仕掛けもあるし、何かの工房みてえだし。口ぶりからすると、お前が作ったわけじゃないんだよな?」
「私を殴るような男に教えたくなーい」
半眼でそう言い放つ彼女に、ディゼムは頭を下げる。
「……殴ってごめんなさい」
「えっそんなすぐ謝る……? そんなに私のこと知りたい……!?」
わざとらしく口元を抑える彼女に、今度はディゼムが半眼になった。
「大事なことだと思って訊いてんだ。いい加減茶化さないでくれよ」
「……ごめん」
真剣なディゼムを見て、ホウセも謝る。
その場の全員から目を背け、彼女はつぶやいた。
「そうだね……そろそろ全部、話してもいいかも。でもさ」
作業机に手を付きつつ、仲間たちに視線を向けるホウセ。
「それで引いたり、今までの態度を変えたりしないって、約束してくれる?」
最初に口を開いたのは、アケウだった。
「……話しにくいことなんだよね。あまり気安く請け負いたくはないけど……今まで何度も助けてくれた君のことだ。僕は約束する」
次に、椅子から立ち上がって、ファリーハ。
「生き残った人類同士の連絡を維持してくれているのはあなたです。それを信じて、私も約束します」
ディゼムも頭をかきつつ、ホウセの目を見て告げた。
「……二人の言う通りだ。俺も、ガラじゃねえかも知れねえけど……それでいいなら約束する」
「…………!」
彼女は真顔で口元を抑え、すん、と鼻を鳴らす。
「ありがと……それなら、話すよ……」
そこに、隠れ家の隅から、黒い鎧と白い鎧が加わった。
『何となく話に割り込めずに遅れてしまいましたが、本機も加わって大丈夫ですか?』
『当機の約束でいいならするが』
「ごめん、忘れてた。ありがとう!」
彼女は隠れ家の広間の中央まで歩き、そこで一同を見回す。
「その代わり、まずあなたたちの過去も順番に話してもらうから」
ホウセは目元を指でこすりながら、そう言って笑った。
「それを聞いたら、その後で私の番。ってことで」
魔術紋様での転移を終えると、そこは別の部屋だった。
エリカレスが、説明する。
「ここが、俺のもう一つの工房だ」
少女の周囲には、複数の作業机と文献の棚が置かれていた。
作業机には調合器具や様々な道具。
部屋の隅には、魔術紋様のキャンバスになるであろう大きな石版があった。
よく分からない、というのが正直な所感だった。
エリカレスは彼女の目を見て、説明を続ける。
「俺はここで、人間を材料にしない魔宝と、魔術紋様の研究をしている」
「人間を使わない?」
「あぁ。悪魔は、人間を“石”にして喰らうことで力を増す。人間を材料にすることで、強力な魔宝を作る。だが、その欲で、地上から人間を狩り尽くした……。
慌てて作ったのが、あのマフだ。人間についてろくに知りもせず、自分たちが家畜として管理できると思って――いや、すまない。本題はそうじゃなかった」
彼は作業台の上にある赤い篭手を手に取り、掲げた。
「この篭手をよく見ているんだ」
それを彼女に見せるように腰を落とし、エリカレスは唱える。
「明かして、広がれ」
すると、赤い篭手が、一瞬にして大きな布を思わせるものに変化した。
軽やかな布のように広がったそれは、ふわりと少女にかかる。
エリカレスは、彼女に告げた。
「それをよく見てみろ」
少女が軽く目を凝らすと、不思議なものが見えた。
それは布ではなく、細かな図形や文字の集合体だったのだ。
「小さな絵や文字が描かれているだろう。魔術紋様だ。さらに、高密度・高情報量の魔術紋様を道具に変形させたのが、魔宝だ。この字を書くためのインクの材料に、悪魔は人間を使っている」
少女が、青ざめる。
「じゃあ、これも……!?」
「さっき言っただろう、人間を使わない、と。図形の構成を洗練させて、より緻密に描くことで、人間を使わない塗料でも十分な効果を得ることができる。この篭手はその、試作品だ」
エリカレスはそう言うと、再び呪文を唱えた。
「秘めて、閉ざせ」
赤い布は、篭手の形に戻った。
それを見た少女が、小さく息を吐く。
「じゃあ、私を連れてきたあの悪魔には……」
「人間を使っていない、純粋な顔料から作った魔宝を渡した。自信作だ。あいつも満足しているそうだよ。騙しているのは、悪いがな」
皮肉げに笑う、エリカレス。
背の高い彼の顔を見上げる少女の名を、呼ぼうとする。
「フレ――」
だが、考え直す。
不自然に感じたか、彼女が尋ねる。
「何?」
「いや、やはり肉は、ちょっとな。この前は断られたが……いい名を考えてあるんだ。いいか?」
「聞くだけなら」
視線を逸らして、そう答える少女。
エリカレスは改まって、提案した。
「ホウセ――でどうだ。かつて悪魔に抗って戦ったという、強い人間の魔術師の名だ」
「ホウセ……ホウセ」
彼女は、何度か噛みしめるようにその名をつぶやく。
顔を上げて、少女が返答した。
「うん、いいかも」
「なら決まりだな」
強く――あるいは、善くあることを願って、名を命ずる。
名付けとは、そうした行為であって欲しい。
エリカレスは胸中で安堵しながら、彼女の名を呼んだ。
「ホウセ」
そして再び、提案する。
「君にはこれから、俺の知る魔術の全てと――どんな悪魔も知らない秘密を教えたい。広い、外の世界のことだ。興味はあるか?」
ホウセはエリカレスの目を見て、うなづいた。
「うん、見たい」




