4.3.魔宝の作り手
「おい、エリカレス!」
彼は、名を呼ばれた。
もうすぐ、日が沈むというのに。
悪魔エリカレスは嫌々ながら、工房の前に顔を出した。
垂れ幕をどけながら、尋ねる。
「何だ?」
「何だってお前……」
工房前にいたのは、知った顔の悪魔だった。
巨体を揺らして、のっそりと入ってくる。
悪魔はくちばしを開いて、エリカレスに説明した。
「お前のとこに来て、魔宝作り以外を頼むやつがいるか? 素材が回ってきたんだよ。ほら」
悪魔は、縄で繋いだ人間を引き連れていた。
幼い、人間の娘だった。
外傷などはなく、表情も平静だ。
エリカレスはその娘を見て、何かを感じた――ような気がした。
そのせいか、自分の仕事がますます厭わしく感じられて、うめく。
「今はそういう気分じゃないんだ」
「相変わらず変わってるなお前は……そう言わずに頼むよ」
彼の知識に照らし合わせるなら、彼女はおよそ7~8歳ほど。
この年頃の子供など、従来なら材料として用いるものではない。
もっと成熟した状態で連れてこられるのが、普通だった。
それを見て思ったままを、口にする。
「素材にしては、ずいぶん小さいじゃないか」
「仕方ないだろう。よく分からんが、人間が減っててな。ようやく回してもらえたのが、これってわけだ」
悪魔は肩をすくめた。
「…………」
同じ悪魔でも、エリカレスはマフの人間が減っている原因を知っていた。
病というものだ。
それも、死病。
エリカレス自身を含め、悪魔という種族は、人間が患うような病とは縁がない。
縁がない。そして、対処方も知らない。
人間たちの間で死病が広まっていても、大多数の悪魔は手立てを持たないのだ。
魔術で人間に疾病症状を起こすことは出来ても、治すことができない。
そもそも、その気もない。
エリカレスは人間たちの病を治したいと思っていたが、そのために知識を持たない点では他の悪魔たちと同じだった。
悪魔が、エリカレスに言う。
「ようやく回してもらえた素材だ、頼むよ」
人間が減っているなら、せめて増えるまで待つ。
その程度のこともできないのか?
そんな胸中の意見を、口に出すことはなく。
エリカレスは差し出された縄を受け取ると、釘を刺した。
「……出来には期待するなよ」
「そう言うなって。お前の作る物なんだから、期待もするさ。これでも血統は保証付きなんだぜ? 頼んだぞ」
悪魔はそう言うと、工房を離れていった。
どすどすと無造作な足音が、遠ざかっていく。
エリカレスは、預かった人間の子供を注視した。
手首を縄で縛られた、不思議そうな表情の女児。
血統が良い、とは、“石”や魔宝の材料として優れているということだ。
それは同時に、人間の魔術師として訓練を積めば相応の使い手になるだろうことも意味していた。
もっとも、このマフにいる限り、そのような未来はあり得ないのだが。
「――――!」
その時、エリカレスの中で形になりつつあった考えが、はっきりした輪郭となって浮かび上がった。
あるいはそれは、運命と呼ぶべきものだったかもしれない。
彼女の束縛をゆっくりと引っ張りながら、告げる。
「…………来い」
その娘を連れて工房の地下へと入ると、エリカレスは彼女に尋ねた。
「名は?」
「フレシュ」
肉。
マフで生まれる人間は、生まれてすぐに親から引き離される。
その後、教育役の人間に預けられ、他との区別のための名前をつけられる。
名付けは杜撰で、人間としての愛着や尊厳とは程遠いものばかりだ。
悪魔にとって人間とは、いずれ“石”や魔宝に変えるための、家畜でしかないのだ。
エリカレスは再び尋ねた。
「自分の名は好きか?」
「……わからない」
当然ながら、娘は“平穏”の魔術を施されている。
人間から恐怖や怒りといった感情を取り除く魔術だ。
これがあるために、マフの人間たちは自分たちが魔宝に加工されると知っても平静を保っている。
人間を家畜にするにあたって、都合の良い魔術だ。
まずは、平穏の魔術を解除する。
エリカレスは念じて、呪文を唱えた。
悪魔の血液が活性化し、開放された力が魔術となって自然界へと顕現する。
「縛めよ、解けよ」
エリカレスの魔術が、人間の娘に施された魔術を打ち消した。
すると、どこか遠くを見ているようだった彼女の目線が、眼の前の悪魔へと焦点を結び始める。
「…………!!」
平穏の魔術は、感情の波を強制的に鎮めているだけにすぎない。
自分が魔宝の材料にされて死ぬと、彼女は知っているはずだった。
平穏の魔術が解除されたなら、抑制されていた怒りや恐怖が湧き上がり、彼女を動かすだろう。
念のため、口に出して問う。
「おい、魔術は解けたか?」
「……!?」
彼女は弾かれたように、後ろへと駆け出した。
「おい、待――」
その手首から伸びていた縄を掴み、エリカレスは彼女をその場に止めようとする。
が、思ったより勢いが強く、彼の手から縄が抜けた。
彼女は周囲を素早く見回すと、机の上に転がっていた細身のナイフを掴んだ。
口に咥えて、手首を縛る縄へとその刃先をあてがう。
「んんッ!」
少女が数秒ほども力むと、縄が切れた。
そのまま、咥えていたナイフを手に握り、構える。
刃は、エリカレスに向けられていた。
「あ……悪魔っ!」
絞り出すような声。
エリカレスは両手を小さく挙げて、彼女に語りかけた。
「よく聞け。俺は君を、材料にしたりはしない」
「嘘つき!」
「本当だ」
努めて冷静に説くが、無論、少女に届くはずがない。
「これだって、私たちを材料にして――」
「そのナイフの材料はただの鉄鋼だ。君たちが思っているほど、悪魔は何でも人間を材料に使ってるわけじゃ――いや、すまない。それは違うな。そういう問題じゃない」
「悪魔ぁっ!」
人間の少女が、ナイフを構えて突進する。
切るか刺すかの意図も曖昧で、稚拙な構えだ。
縄を切る際に誤って傷つけたのか、手首から血が流れていた。
エリカレスはその一撃に向かって、躊躇なく手の平を突き出す。
人間の子供の力で鋼鉄のナイフを突き立てた程度では、悪魔の皮膚を貫くことはできない。
ぐりん、とナイフは弾かれ、少女も転倒した。
その体を受け止めて、立ち上がるのを助ける。
逃げようとする彼女の両肩をしっかりと掴んで、エリカレスは口を開いた。
「フレシュ、だったな。驚かせてすまない。聞いてくれ」
少女はすくみ上がりそうになりつつも、話を聞く気になったようだった。
彼は、続けた。
「俺はエリカレス。君たちのいう悪魔だ。このマフで君たちを飼育し、収穫している種族の一人だ。
そして俺は、人間を材料にして魔宝を作っていた。
他の悪魔たちに頼まれて……できるから、やっていた。
だが今日で終わりだ。俺はもう、人間を使った魔宝を作らない」
「……本当に? 何で……?」
彼女の言葉には、疑問が滲んでいた。
当然だ。
エリカレス以外にも、悪魔には魔宝の作り手がいる。
この地上に誕生した時から、悪魔たちは人間を“石”として喰らい、魔宝の材料として消費し続けてきたのだ。
彼女自身はそんな歴史を教えられていないはずだが、幼いとはいえ悪魔たちが人間を食材や素材としてしか見ていないことは理解しているはずだ。
言葉だけで、信じられるわけがない。
「この程度で、信じて欲しいとは言えないが……」
エリカレスは、足元に落ちていた鋼鉄のナイフを拾い上げる。
びくりと動揺する少女から数歩離れて、彼は左手でナイフを握り。
「ふんっ……!」
「!?」
そして自分の右手の平へと、全力で突き立てた。
少女はそれを、驚愕の目で見つめていた。
鋼鉄のナイフであっても、悪魔の力で突き立てたならば、(個体にもよるが)自身の皮膚に傷をつける程度のことはできる。
そして、刃先は欠けて刀身も歪んでしまったものの、それでもナイフはエリカレスの右掌を貫くことができた。
エリカレスは血の滲む己の手を見て自嘲しつつ、彼女に陳謝した。
「すまないな。悪魔は、人間でいう痛みというものを、ほとんど感じないそうだ。俺も、同じだ」
痛みに怯むということがないため、よって人間の痛みに共感しない。
エリカレスは、それをもどかしく感じる特異な悪魔だった。
「だが、せめてそういった心を知りたいと思っていることは伝えたい。色も匂いも何もかも違うが、それでも俺たちには血が流れている」
痛みや苦しみへの共感を示すことができるとすれば、精々がこのように、血を流してみせることくらいだ。
それが、切ない。
歪んだ鋼鉄の刃を抜くと、傷からゆっくりと、彼の青黒い血液が流れ落ちる。
人間の娘は、その光景を凝視していた。
「…………!」
彼女の手首は、さきほどの小さな傷口から赤い血がにじみ出ている。
「フレシュ。もう一度訊きたい」
自らの血にまみれて壊れたナイフを机に置くと、エリカレスは少女に尋ねた。
「自分の名は好きか?」
「嫌い」
「なら、俺が新しい名をつけたい。いいか?」
「イヤ」
ある程度は警戒が緩んだのか、彼女はいずれも即答してきた。
「……まぁいい」
少女はまだ、彼を睨んでいた。
「しばらく地下に隠れていろ。必要な面倒は見てやる」
止血のために、包帯を探さなければならない。
通路を塞いでいる少女を怯えさせないよう、ゆっくりと歩み寄る。
「君も手から血が出てるだろう。包帯を取りに行くだけだ。心配するな」
すれ違いざまに、血のついていない左手で、彼女の頭を優しく撫でる。
理由はわからないが、エリカレスは何故か、そうしていた。




