4.2.偽りの罠
アールヴィルの東の空。
ディゼムたちは、音速に近い速度でそこを飛行していた。
まず目的は、集結しつつある悪魔たちの軍勢を、混乱させること。
軍勢の数は、下級悪魔を含め、およそ4万人。
アールヴィル近郊で交戦した軍団の数が、下級悪魔を含めて1万人だった。
その4倍となれば、直接戦闘で打ち破れる数ではない。
軍勢の95%を占める下級悪魔ならば、武器弾薬の補給が間に合えば殲滅も可能だ。
だが、残りの中級以上の悪魔の数が、推定で2000人を超える。
これが、深刻な脅威だった。
鎧の装甲や機能で防御ができない様々な魔術を使い、しかもその戦力は機械による偵察では読み取れない。
先日のアールヴィルでの戦闘でも敵の指揮官と思しき悪魔が、鎧の装甲の結合を阻害し、着装者から脱落させてしまう魔術を使用していた。
プルイナたちも魔術紋様を用いて敵の魔術からの防御策を実行していたが、対呪詛では結合阻害に対し効果がないなど、効率が悪かった。
「今にして思えば多分あれ、鍵開けの魔術の応用だと思うんだよね。施錠強化の魔術紋様で対抗できると思うんだけど」
とは、ホウセの弁だ。
だが、そうだとしても、対応するべき未知の魔術の種類が多すぎる。
魔術の種類に対し、鎧の装甲表面に描ける魔術紋様の数が足りない。
そうした理由で、とにかく、中級以上の悪魔との積極的な交戦は避けるべし。
彼ら――特にプルイナとエクレルの結論だった。
まともに多数を、同時に相手にしてはならない。
できる限りの火力を撃ち込んで、最も数が多い下級悪魔たちの足並みを乱す。
その混乱によって、中級以上の悪魔も足止めする。
悪魔たちの目を引きつけたあとは、アールヴィルから離れ、姿をくらます。
先日アウソニアで行った戦術と同様のものだ。
ただし、今度はアールヴィルに戻るのではなく、ホウセが提案したポイントへと退避する。
アールヴィルが地上の都市であり、アウソニアのような恒久的な隠蔽設備を備えていないためだ。
プルイナが、通信を介して発言する。
『懸念は、ホウセのいう“隠れ家”が、本当に退避施設として機能するかどうかですね』
首元の通信機を介して、ホウセが主張した。
「大丈夫、私が今まで途中休憩に使ってた所だから! 絶対見つからないようになってる!」
真紅の槍にまたがったホウセは、鎧の一部をリボン状に分解し、保護セルを吊り下げていた。
前回ファリーハを移送するために使用したコンテナを、棺に近いサイズにまで縮小したものだ。
内部には彼女が立ったまま納まっており、窮屈さをこらえていた。
なぜ縮小したかといえば、戦闘に巻き込まれて被弾する可能性を少しでも減らすためだ。
ファリーハは保護セルの内部から、通信機でホウセに尋ねた。
「疑っているわけではないのですが……そこは今も健在なのですか?」
「最後に使ったのは……3ヶ月くらい前か。多分大丈夫!」
「正直不安です!」
「じゃあインヘリトに戻る?」
「あなた方が悪魔をアールヴィルから引き離したあと、私を迎えに来てくれるとして……何日かかるかわかりませんからね。申し訳ありませんが、悪魔をアールヴィルから引き離してやり過ごしたら、次の目的地に案内してもらいます」
「トラルタが最寄りだけど、正直オススメはできないっていうか――」
そこに、プルイナが中断をかけた。
『そろそろ戦闘を仕掛けます。ホウセはファリーハを守って、隠れながら目的地に移動してください』
『わかった』
進行方向左側の集団を攻撃する、ディゼムの黒い鎧。
右側を担当する、アケウの白い鎧。
そしてファリーハの入った保護セルを抱えたホウセの真紅の鎧。
3つの影は空中で分散し、別々の機動に入った。
完全武装の状態で、飛行を続ける黒い鎧。
XPIAS-6ディグニティ、重兵装モードII。
武装や増加装甲でシルエットの肥大した機体を制御するプルイナが、ディゼムに呼びかけた。
『ディゼム。攻撃開始の前に、あなたのコンディションが気がかりです。一昨日から、有意な低下を見せていました』
「俺に分かるように言えって」
『止むを得なかったとはいえ、抵抗できない悪魔たちを多数殺したことで、心に傷を負っていると判断しています』
「……放っとけ」
『戦闘においては危険です。ですので、出発前から独断で治療薬を投与しておきました。そろそろ血中濃度が高まってくる時間です。簡単に言えば、気分が晴れてきます』
「ふざけんなお前!? クスリで人の心をどうこうしようなんざ――」
『適切な薬物治療は善です。あなたに元気が戻ってきたようで、本機は嬉しく思います』
「ちくしょう、覚えてろよ……!」
『はい。攻撃を開始します』
黒い鎧は、レーダーで捉えていた地上の敵軍に照準した。
『AGM照準完了』
「発射」
ディゼムの操作で、発射機から20発の誘導ミサイルが飛び出した。
低木の密生した平原を進む悪魔たちに、超音速の牙が突き立つ。
超小型純粋水爆の弾頭から発生した大爆炎が、灌木や土砂、そして悪魔たちを空中に撒き散らした。
『着弾確認。加害数、およそ500』
彼が攻撃する集団はおよそ1万。
ミサイルでは全てを撃ち尽くしても足りない数だ。
爆炎を物ともせずに進軍する悪魔。
その中から、飛行が可能な悪魔が複数飛び上がるのが見えた。
ミサイルの残弾は60。
黒い鎧の捉えた敵影は、およそ80。
『AGM、更に照準。発射準備完了』
「発射」
再びミサイルが発射され、今度は空中を飛行する悪魔たちに襲いかかる。
魔術で迎撃したらしい者もいたが、大半は命中し、空中に無数の巨大な火球が炸裂した。
狙い通りだ。
下級悪魔は全て似たような姿かたちをしており、飛行能力はない。
飛行できる悪魔は、自動的に中級以上――警戒すべき、魔術を扱う戦力だと確定する。
『着弾確認、加害数、推定45』
ミサイルを免れた飛行する悪魔たちが、黒い鎧を狙う。
『未対策の魔術が来ないことを祈りましょう。ERR、射撃可能』
黒い鎧はスラスターを縦横無尽に噴かせて機動しつつ、別の武装に電力を送った。
ディゼムが引き金を引くと、両手に携えた電磁加速銃が、弾体を吐き出す。
極超音速で飛翔する弾体が、悪魔を捉えて粉砕していった。
予備を含めて3000発近い残弾が、勢いよく減少していく。
無論、これを全弾使い尽くしても悪魔の群れを全滅させることはできない。
一方、ミサイルやレール・ライフルを免れた少数の空飛ぶ悪魔は、黒い鎧に向かって魔術を当てようと接近してくる。
魔術の射程に入らないよう、プルイナは複雑な軌道で黒い鎧を飛行させた。
だがその時、
「糸よ、伸びよ!」
地上の悪魔たちが一斉に、同じ魔術を行使した。
地上から伸びた細いロープのようなものが空中で寄り集まり、巨大な網を形成した。
巨大な網はそのまま、黒い鎧を捕らえようと動く。
「捕まえようってか!」
『回避しますか?』
「いや――」
ディゼムは空中へと伸ばされた網へと突撃すると、スラスターの推力を全開にした。
網は黒い鎧を包み込み、引きずり落とそうとするが――
網は地上の悪魔たちと繋がったままだった。
悪魔たちはスラスターの推力に負けて、空中へと引きずり出される。
ディゼムは魔力の網を逆に掴み取り、空中で大旋回させた。
「オラァァァッ!!」
互いに衝突し、絡まり合う悪魔たち。
ディゼムはそのまま地上へと高度を落とし、振り回している魔力の網に、下級悪魔たちを巻き込む。
そして回転したまま移動して、絡め取られて塊になった悪魔たちを、他の悪魔たちに向けて叩きつけた。
「どうだ!」
魔術の集中砲火を受けないように、再三、離陸しようとすると、
『引っ張られています!』
「ッ!」
ディゼムの叩きつけた悪魔たちの塊は、受け止められていた。
身長は4メートルほどの、比較的大型の悪魔によって。
全体的には人間に近い形状だ。
ただし両腕が異常に肥大しており、胴体よりも太い。
悪魔はその巨大な右腕で、塊になった悪魔たちを固定している。
黒い鎧が網を引いても、びくともしない。
「クソッ、全然動かねえぞアイツ……!」
黒い鎧の推力でも持ち上げられないところを見ると、とてつもない重量であることが推定できた。
『推定質量、7000トン以上。沈み込まずに地面を歩いているのは魔術の作用と思われます』
「今までの傾向からして、あいつが隊長だか、軍団長だかってところか……?」
『不明です』
剛腕の悪魔、とでも呼ぶべきか。
悪魔は魔力の網を使い、スラスターの推力に逆らって黒い鎧を引き寄せていく。
ディゼムは近傍で同様に戦闘しているであろう親友に、通信で尋ねた。
「アケウ! そっちはどうだ!」
『ディゼム! すごく速いやつが出てきて……今の装備だと、ちょっと手こずりそうだ!』
それを聞き、ディゼムはつぶやく。
「んじゃ、潮時だな……!」
『了解しました』
プルイナが辺縁収奪装甲の作用で、鎧にまとわりついた魔力の繊維を剥がす。
魔力で生成されたものとはいえ、物質化していれば効果があるようだ。
『敵を撹乱しつつ、ホウセと合流します』
「ああ!」
黒い鎧は、邪魔な敵をレール・ライフルで攻撃しつつ、東に向かって後退した。
離れたところで戦闘を行っていた、アケウと白い鎧も同様の行動に出ていた。
悪魔たちはそれを追うも、空を飛べる戦力が半壊している。
地上戦力だけで、彼らを追わねばならないはずだ。
ディゼムとアケウは通信機と保護セルの座標を頼りに、先行しているはずのホウセを探した。
差し込む光も乏しい、深い森。
生き物の立てる音も少ない、静かな空間だ。
そこに、スラスターで空気と枝葉を乱暴にかき分け、降りてくる者がいた。
増加装備で肥大した、黒い鎧と、白い鎧。
その内部で、ディゼムとアケウは、木々の向こうに探している姿を見つけた。
ホウセだった。
鎧は着ていない。
真紅の槍だけを手に持って、振っていた。
彼女は通信機ごしに、やや小さな声で彼らを迎えた。
「お疲れー」
彼らはそのまま、ホウセの前方に着陸する。
増加装備の質量が大きく、二人の鎧はくるぶしのあたりまで土に埋まった。
舞い上がった土埃や腐葉土が収まると、ディゼムは尋ねた。
「悪魔は撒いてきた。ここが隠れ家……? なのか?」
アウソニアの時のように、魔術などで偽装された出入り口があるのか。
白い鎧の兜を外して、アケウが周囲を見回した。
「ていうか、殿下はどこ?」
訊かれたホウセは、嘲るような笑みを浮かべて、
「はははっ! かかったね!」
そして、手にしていた槍を地面に突き立てた。
「――――!?」
ディゼムたちの左右の地面から、巨大な顎が飛び出す。
それは一瞬で閉じて、彼らを飲み込んでしまった。




