4.1.悪魔の習性
かつて人間たちが切り開いた穀倉地帯は、150年を経て、再び森に戻っていた。
その森の中を、枝葉も厭わず、蜘蛛の巣も払わず、前進する者たちがいた。
悪魔だ。
“剛拳”の悪魔プグナン、“雷獣”の悪魔チミスタの軍団。
彼らは遠話の魔術による司令を受けて、アールヴの国へと軍を進めていた。
人間の軍勢と違うのは、必要な食料が水だけだということ。
悪魔は水と、自然に存在する微弱な魔力だけで生きることができた。
川や海といった水系さえあれば、どこまでも突き進むことができる。
加えて身体も強靭で、弱い銃弾では下級悪魔ですら傷つけられない。
更には睡眠すら必要とせず、昼夜を通して移動が可能だ。
――そうした悪魔の脅威を、遠方からドローンのカメラが捉えていた。
1基の二重反転プロペラの下に、細長い筒状のボディをぶら下げたタイプだ。
ドローンは通信で、更に遠方にいる母機とデータをやり取りしている。
――その離れた場所、この部屋の隅にたたずんでいる黒い鎧が、母機だった。
人間の全身をくまなく覆い尽くす、漆黒のフルプレートアーマーのような姿。
この世界の人間たちは、彼女をもっぱら“黒い鎧”と呼んでいた。
そしてその制御人格の名を、プルイナといった。
プルイナは、落ち着き払った女性音声を発して報告した。
『悪魔部隊、接近中。あと1日ほどでアールヴィルに到達します』
「……数はそのままか?」
彼女の報告に、すぐそばにいた黒髪の若者が尋ねた。
黒い鎧の着装者、ディゼムだ。
普段は粗野な雰囲気を漂わせているが、今はやや、表情に力がない。
プルイナが、ディゼムの問いに答える。
『はい。約2万を維持。ただし西からも1万規模の部隊が2集団、接近しつつあります』
『このまま合流してから、確実に押し潰そうという腹づもりだろうな』
プルイナの発言を補足したのは、鈴の鳴るような音色の女性音声だ。
名を、エクレル。
部屋のもう一方の隅にたたずんでいる、白い鎧の制御人格だった。
ディゼムは、鎧たちに尋ねた。
「2万と1万と1万で、4万か。ガンマ・ガンで薙ぎ払うことはできねえのか」
その質問に、黒い鎧からプルイナが答える。
『ガンマ・ガンはエネルギー最大の状態でおよそ20発撃てますが、敵軍のこの密度だと、1発あたり200人を消滅させられるかどうかですね。20発撃てたとして4000人。その後はエネルギーが極度に低下して、戦闘力が減少します』
「そうか……」
『今作っている新装備の方が、エネルギー消費も少なく効率がいいぞ』
白い鎧から、エクレルがそう補足した。
『それももうすぐ完成だ。でき次第出発したいのだが』
「殿下は……まだみたいだね。ちょっと様子を見てくるよ」
彼女にそう告げたのは、白い鎧の着装者の青年だ。
エクレルは白い鎧の中から音声を発し、彼の名を呼んだ。
『アケウ、ファリーハに会いたいのはいいが、ちゃんと急げと催促してくるんだぞ』
「わかってる……茶化すなよ!」
赤毛の青年は白い鎧に抗議すると、宿舎の部屋を出て、宮殿の地下牢へと向かった。
アールヴィルの宮殿にある、地下牢。
ほとんど使われていないにも拘わらず手入れがされているのか、こうした場所に特有のカビ臭さがない。
地下ゆえ日差しはないが、魔術紋様を用いた照明が隅々まで届いている。
今、そこでは尋問が行われていた。
「では、尋ねます、魔の戦士よ」
尋問されているのは、悪魔だった。
先日捕獲された、下級の悪魔。
太い鎖で、一抱えほどもある大きな柱に縛り付けられていた。
全身がガラスのように透き通っているが、屈折率が空気と違う上、内臓は見えるために容易に視認できる。
ファリーハはその悪魔を見て、質問を口にした。
「魔王は今、どこにいますか?」
「しらない」
悪魔は短く、そう答えた。
それに対するファリーハは、人間だった。
眼鏡をかけた、碧眼の娘。
今は魔術省の官服を羽織り、長い銀髪を、太いリボンで後頭部に束ねていた。
彼女は落ち着いて、角度を変えて質問した。
「では、魔王を知っていますか?」
「しってる。まおう」
ファリーハは一国の王女にして、魔術師でもあった。
この下級悪魔は、本来なら鳴き声のようなものしか発しない。
その言葉が理解できるのは、魔術師である彼女の翻訳の魔術の力によるものだった。
ファリーハはまた、質問した。
「魔王とは、誰ですか?」
「まおうは、まおう」
「魔王は、どこですか?」
「しらない」
「他の魔の戦士を知っていますか?」
「せんし。せんしは、せんし」
「あなたは、誰ですか?」
「わたしは、わたし」
「………………」
ファリーハは額を抑え、小さなテーブルの横の椅子に腰を下ろした。
やや憔悴した様子で、つぶやく。
「……なぜこうも、話が通じないのでしょうか……」
悪魔は単眼をキョロキョロさせて、時々身動きを見せた。
彼女の言葉に反応した様子ではない。
「下級悪魔がそういうものってことでしょ。もう3人目。もう一回ぶん殴る? やるけど」
ファリーハの席の反対側に座っていた黒髪の娘が、そう口にした。
腰まで伸びた真っ赤なマフラーを、2本も首に巻いている。
「いえ、同じことでしょう……意図的な態度ではないのかも。ねぇ、ホウセ」
目元を押さえていた手を下ろして、ファリーハは彼女の名を呼んだ。
「何とかもっと強い悪魔を生け捕りにしてはもらえないでしょうか」
「無茶言わないでよ……それに、あなたに今日以上の拷問ができるとは思えないけど」
ホウセは、苦々しげに答える。
ファリーハはそれを認め、うなだれた。
「そ、それはそうですが……」
悪魔に対する敵愾心こそあれど、ファリーハの感性は良家の子女のそれだ。
両親から厳しく育てられてきたとはいえ、悪魔を拷問するなどという行為に備えた教育など、受けているわけがない。
「まぁ、あなたが悪魔の指を切り落とすなんて言い出してたら、私もドン引きしてたと思うけどね」
ホウセは軽く笑うと、椅子から立ち上がって呪文を唱えた。
「赤縫変異!」
呪文と共に、ホウセの首に巻き付いていた2本のマフラーが変形する。
1本は、彼女の身体を覆い尽くして真紅の鎧となる。
もう1本はまっすぐに伸びて、真紅の槍となって彼女の手に収まった。
その姿は、槍を携えた真紅の騎士とでも呼ぶべきか。
魔術の力で作られた魔宝であり、黒い鎧や白い鎧と異なり、制御人格などは存在しない。
ホウセはその状態で、鎖に縛られた悪魔に近寄る。
「ていうか、アールヴたちも言ってたよね。こいつら伝令能力もあるって」
「ええ。中級以上の悪魔たちは人語すら話せますし、本来なら下級悪魔であってもまともな話ができなくては、おかしいのですが……」
ホウセは捕縛された悪魔の頭頂部に触れながら、ぼやく。
「それが何でこうなっちゃうんだか……プルイナとエクレルも匙投げちゃうし」
本来であれば、伝令ができるような悪魔たちのはずなのだ。
下級であろうとある程度は情報というものを持っていて、尋問や拷問などでそれを聞き出すこともできるだろう――というのが、彼女たちの考えだった。
だがそれは、どうやら間違いらしい。
ファリーハは、小さなテーブルに突っ伏していた。
そこに、ふと。
「殿下、ホウセ」
地下牢に、アケウが姿を見せた。
彼はくたびれたファリーハの様子を見て、状況をおおよそ察したようだった。
「尋問の進捗は……芳しくないようですね」
「お恥ずかしながら……何の成果も得られていません……」
ファリーハがテーブルに顔を伏せたまま、悔しげにうめく。
それを労るように、アケウ。
「残念ですが、悪魔が多数近づいています。尋問は切り上げて、移動したいとエクレルが」
「……仕方ありませんね」
彼女は顔を上げて立ち上がると、ホウセに声をかけた。
「ではホウセ、すみませんが槍を貸してください」
「え、いいけど。何する――」
「えぇぇぇい!」
槍を受け取るやいなや、ファリーハはそれを振り上げて、鎖で縛られた下級悪魔へと突き刺しにかかる!
が、両脇からアケウとホウセによって、寸前で止められた。
「殿下!?」
「何やってんの!!」
両側から腕を拘束された王女は、右手に真紅の槍を握りしめてわめく。
「離してください二人とも! あなた方にだけ汚れ仕事をさせておいて、私だけ手を汚さずにいるなどと!!」
「だからといって、お止めください!」
「危ないから!」
汚れ仕事とは、ディゼムが生き残った下級悪魔を殺したことや、ホウセが尋問の際に下級悪魔に暴行を加えたことを指しているのだろう。
しかし、真紅の鎧の膂力には勝てず、槍を取り上げられた彼女はホウセによって、興奮しながら引きずられていった。
実際には、実戦の経験などもないファリーハが無理に悪魔を殺そうとすれば、手を滑らせて自分が怪我をする恐れすらある。
引き止めて、正解だろう。
残されたアケウは、拘束されたままの悪魔の正面に立って、改めてその姿を観察してみた。
ガラス質を思わせる身体に、透けて見える内臓と、単眼、くちばし。
アールヴたちによれば、こうした下級悪魔ですら、開放すれば人間を殺そうと試みるという。
あるいは仲間に合流し、人間の居場所を共有するのだという。
翻訳の魔術を使ってもまともな受け答えすらできない存在が、どのようにして?
それは、謎だった。故に、実感も湧きにくい。
(彼らは過去に無数の人間を殺して、僕たちも彼らの仲間を大勢殺してしまったけど……三人くらいなら逃してやっても……)
そうした気持ちが、アケウの胸中で鎌首をもたげた。
彼とて、好きで悪魔を殺すわけではない。
だが、理性では分かっていた。
用が無くなったなら、殺さなければならない。
人間にとって悪魔とは、今はそうした存在なのだ。
「……ごめん!」
アケウは下級悪魔に頭を下げると、地下牢から立ち去った。
気のせいだろうが、少しばかり足が重かった。
まだ、朝と呼べる時間帯だった。
アールヴの女王ムアは、宮殿の前の庭にいた。
彼女は人間たちの一行と別れて、彼らの飛び立った東の空を見上げていた。
彼女はその先行きを思いやり、唱えた。
「異種族の友人たちよ。あなた方の心が強く、健やかであることを願っている」
まぶしい太陽に向かって、輝点が空を流れていく。




