3.18.魔軍の接近
夕方に差し掛かった頃。
アケウは検査を終えて、白い鎧から開放された。
鎧の装甲が開き、外へと出る。
「ふう……」
『ご苦労だった』
場所は、宿舎で彼が眠っていた部屋と同じだ。
エクレルは白い鎧をアケウから分離して再結合させると、彼に告げた。
『眼球の機能や視神経には、全く異常が見られない』
「そうか、良かった」
安堵して、胸をなでおろす。
『問題は、水晶体の主成分タンパクに変異が見られることだな。屈折率自体は同じだが――』
「あぁ、あの、ごめんエクレル。そういうのはちょっと、分からないよ」
アケウに止められて、彼女は素直に表現を変えた。
『簡単に言えば、お前の眼は魔力とやらを集中させることで、本来見えない――当機にすら検出できないものが見えるようになったということだな』
「魔力とやらって、分からないの?」
『当機もプルイナも、魔力と呼ばれている力を計測することができない。熱や圧力が集中していれば、それを頼りに間接的に計測することはできるが……これは完全に、この世界の人間であるお前たちにしか分からないものだろうな。強いて言えば、女王ムアがお前を2週間もの間、強力な魔術の領域に閉じ込めていたことと関係があるかもしれないが』
「そうか……」
主観時間で2週間寝たきりの状態だったことを思い出し、アケウはつぶやいた。
『ただ、お前が当機を着装している時、お前の眼は当機がセンサーで処理した映像を見ている。実物を見ているわけではない。だから、当機の兜を被っている時にその目の力が使えるかどうか、今のところ不明だ。
あるいは、その力を使いたければ、兜だけは脱ぐ必要があるかもしれん。当然だが、戦闘中にそれは極めて危険だからな。その力は慎重に使え』
「……分かった」
アケウがうなづくと、今度は逆に、エクレルが質問してきた。
『名前はどうする?』
「え? 何の」
『当機のセンサーでも捕らえられなかった悪魔のステルスを見破った、お前のその眼の力だ』
「えー……いきなり言われても、ちょっと」
困っていると、それを予想していたのか、エクレルが提案した。
『お前に案がないなら、当機はこれを、魔眼と名付けようと思う』
「悪魔を見破る眼、ってことだね。いいんじゃないかな」
『そうだろうそうだろう。名付けに困ったら当機を頼るといい』
何故か得意げな声を出す、エクレル。
そこに、ディゼムたちが帰ってきた。
後ろにはホウセもついてきている。
「おう、お疲れ」
「お疲れさま」
「なぁアケウ。お前のあれが魔眼なら、俺のやつは何て名づける?」
黒い鎧をまとったまま、ディゼムが話を続ける。
アケウとエクレルの話を、聞いていたらしい。
「まー今のところ、手にしか集中できねえから……魔手とかか?」
「何か、悪そうな技に聞こえる……」
拳を握って開く仕草をするディゼムに、ホウセが疑問を投げかける。
プルイナが、外部音声で彼に提案した。
『実はもう仮名をつけています』
「どんなだ?」
黒い鎧は着装を解除してディゼムから離れると、白い鎧同様に部屋の隅で再結合した。
そして、表明する。
『魔拳です』
「………………」
『魔拳です』
「いやそれは分かったんだけどな。何か……アケウのと比べて微妙に子供っぽくねえか?」
『とてもかっこいいと思うので、ぜひ採用してほしいのですが』
「何でそんなに強く推してくんだよ……まぁ、いいけど」
『では正式名称ということで』
二人のじゃれ合いが終わるのを見計らって、アケウはディゼムに声をかけた。
彼が外出していた理由は、エクレルから聞いている。
「ところで、ディゼム。ごめん。良くないことを任せちゃったみたいで」
「あぁ、まぁ……気にすんなよ」
恥ずかしげに目をそらしつつ、ディゼム。
「お前の方こそ眼の検査は……いや、大丈夫みたいだな」
「心配かけたね。ありがとう」
椅子に腰掛けたホウセが、興味ありげに二人へ尋ねる。
「男の友情? ってやつ?」
ディゼムとアケウは、それぞれに答える。
「えーと、まぁ……強いて言やぁ、そうかもな」
「僕は親友だと思ってるけど」
アケウの答えを聞くと、ディゼムは目をそらした。
「よせよ恥ずかしい……」
「ふーん」
そんなものか、とホウセ。
彼女は今度は部屋を軽く見回して、誰にでもなく訊いた。
「ところでファリーハは?」
『一時的にインヘリトに戻っています。簡単な報告と、トレッド王子と避難民たちの措置について打ち合わせするためだそうです。予定通りなら、明日にはまたアールヴィルに来るそうですよ』
「だってー。良かったなアケウ」
黒い鎧からプルイナが答えると、ディゼムはにやけてアケウに話を振った。
「何だよ……別に僕は何とも――」
「本当かー? 本当に姫様のこと、いてもいなくてもいいとか思ってんのかー? ひでーやつだなぁ」
「えー何、もしかしてアケウ、ファリーハのことそういう目で見てるの? 魔眼使ったらダメだよ?」
「つ……!? 使うわけないだろ!? やめてくれよ二人とも!」
それぞれに仕事を終えて、一日が終わりつつあった。
花咲く山々に囲まれた、魔王の城。
その中心に位置する、大典の間。
積み上げられた“石”の上には、透き通った卵のような形をした、魔王の玉座がある。
その中では、魔王の本体が、今も生まれるその時を待って、じっと浮かんでいた。
その肉体には、膨大な魔力が蓄積されている。
いずれ生まれ出て、地上の主となる時まで。
魔王ワーウヤードは、眠り続けるのだ。
――それは、それとして。
魔王ワーウヤードは、怒られていた。
「なぜまた“影”をお出しになるのですか! アホですかあなたは!!」
「し、仕方ないではないか……」
玉座から離れたところで、魔王(の“影”)はうつむきながら正座をしていた。
彼女を叱りつけているのは、銀色の悪魔ヌンハーだ。
魔王(の“影”)は、おずおずと言い訳を述べた。
「前の余の“影”を消した鎧どものことは話しておきたかったし……それにまだ余は生まれていないから退屈なのだ。外で遊びたいではないか」
「それで異世界の鎧に“影”を殺されておれば、世話はありません! 自業自得です! なのに性懲りもなく、お心得違いも甚だしい!!」
金色の魔王(の“影”)が、配下の銀色の悪魔にがみがみと説教を食らっている。
そう、“影”だ。
魔王はまだ玉座から生まれてすらいない状態でありながら、“影”と呼ばれる分身を生み出し、玉座の外部で活動させるという能力を持っていた。
本人は“玉座”の中で魔羊水に浮かんでいる状態だが、魔王は自らの操っている“影”と思考や記憶を共有する。
ただ、不用意にそれを使用すると、ヌンハーを怒らせた。
「そこまで怒ることもないのではないか……?」
「いいえ怒ります! “石”は貴重なのです! あなたのお母上が、恐れながらお使いになりすぎたので、数が限られているのです! なかなか増えない!」
「だ、だから余がこうして手ずから“影”を出して、探してこようかなぁと――」
「これだけ悪魔たちが世界中を探しても、今や産地はマフだけなのです! あなたのお持ち帰りになるであろう“石”の期待値は、ハッキリ申し上げて0!! あなたが“影”を作られる際に減る“石”の方が多い!! 差し引きマイナスなのです!!!」
「うぅ……!」
金色の美貌が、悔し涙に歪む。
ヌンハーの叱責は、まだ続いた。
「ですからお生まれになるまでは、もう余分な力をお使いにならないように! くれぐれも、です!!」
「もうよい!!」
魔王は正座をやめて、飛び跳ねるように立ち上がった。
ヌンハーを睨みつけて、金色の尻尾をびしばしと床に叩きつける。
そして、啖呵を切った。
「もうよいわ! 知らぬ! ていうか二度と帰らぬわ!! ヌンハーのアホタレめがぁ!!!」
彼女は猛烈な速度で駆け出し、玉座の間から飛び出ていってしまった。
銀色の悪魔ヌンハーはそれを見届けて、ため息をついた。
「……しまった」
「まぁ、前回も同じことをおっしゃって痛い目をご覧になったのだ。さすがに反省なさっておいでだろうさ」
彼の足元に、鉄錆色の悪魔アリフバが転がってきて、そう言った。
額から角の生えた首だけという形態だったが、先代から魔王に使えている、唯一の悪魔でもあった。
「そうではない……説教に気を取られて、どこに“影”を飛ばしておいでだったのかを聞きそびれてしまった」
「ふむ。“影”を討ち取った人間と思しき連中か。恐らくだが、以前現れたという鎧の一行かもしれぬな」
ヌンハーはアリフバを見下ろすと、尋ねた。
「その鎧の消息はどうだ?」
「追っていた隠形のヒュメノの軍団が消息を絶った。アールヴィルのすぐ近くだ」
「動ける軍団は?」
「剛拳と雷獣が近いな。2日の距離にいる。マフには洞観もいたな」
「魔弾と嵐龍はどうだ?」
「暇を弄んでいるが……今からでは合流には4日ほどかかるぞ」
アウソニアでは呪詛のペレグの軍団が大きな被害を受け、アールヴィルでは軍団を一つ失った。
見過ごす訳にはいかない痛手だ。
アールヴィルにまだ鎧がいるという確証はないが、この際、アールヴごと潰してしまうのがよいだろう。
隙を見て逃げられる危険を考えても、戦力を多く集めておくに越したことはない。
魔宝の回収など、二の次だ。
「構わない。それで行こう」
ヌンハーは指示を送ると、衣をたなびかせて大典の間から出ていった。
ファリーハの仕事は多かった。
王家や政府にアールヴの王子トレッドを紹介し、アールヴとの国交について協議した。
アールヴィルの避難民たちに用意する住居については、保健福祉省や民間企業に委ねた。
また、引き続き旧世界で遭遇した悪魔についても、簡単な報告を行った。
それらを1日半の強行軍で終わらせて、彼女はまた、ビョーザ回廊へと来ていた。
魔術紋様による転移の“駅”としての稼動が始まっている場所だ。
そこでは既に、アウソニアおよびアールヴィルとの間の転移が可能になっていた。
旧世界の探査を進めるために、アケウたちが待っているアールヴィルに向かう――その前に。
ビョーザ回廊の近くには、アールヴィルからの避難民のキャンプが臨時で設置されていた。
以前、異世界の鎧たちが道を整備するついでに森を切り開いた、あの場所だ。
無数のテントが張られ、避難民たちが昼食の準備に取りかかっている。
ファリーハはそこで、恋人同士が1日半ぶりに再開するところを見ていた。
「クロナ!」
「トレッド!」
アールヴの王子と、避難民の娘が抱きしめ合い、再開を喜んでいる。
なぜトレッドがここにいるのかといえば、彼女に逢うためにファリーハの馬車へと便乗を頼んだからだった。
(完全に私用だけど……まぁ、このくらいなら)
アールヴィルでの戦闘は完全に予定外だったが、こうして避難民たちを救うことができた。
それを思えば、苦労をした甲斐はあったといえるだろう。
苦労をしたのは、もっぱらアケウたちだったというのが、心苦しい点ではあるが。
恋人たちが、ファリーハに礼を言う。
「改めて、ありがとうございました。ファリーハ殿下……!」
「悪魔におびえず、こうやって互いに目覚めたまま一緒にいられるなんて、夢のようです……本当に、ありがとうございます!」
感極まったかのように、トレッド。
「そう言ってもらえて、私も晴れ晴れしく思います。まだまだ苦労をかけるかと思いますが、どうかご協力ください」
「がんばります!」
そう宣言したのは、クロナだ。
――そう。
自分たちは、正しいことをしている。
幸せを掴むために困難に立ち向かう彼らを見ていると、そう確信できる。
ただ、そうした恋人たちの情熱を目の当たりにして以来、自分の中でささやかな疑問が生じていた。
(幸せ、か……)
彼女の幸せとは、何だろうか?
今までは躊躇なく、旧世界を悪魔から取り戻すことだ、と胸を張れたはずなのだが。
「では、私はここで失礼します。お二人とも、お元気で」
ともあれ、ここで悩んで答えの出る疑問でもないことも確かだ。
インヘリトでの成果を女王ムアに報告するため、彼女は再びアールヴィルへと向かった。
そして、冬の館に設置された“駅”から、仲間たちの待っている宮殿の宿舎へ。
「お待たせしました。あれ、会議中ですか?」
宿舎の部屋には、アケウ、ディゼム、ホウセ。そして鎧たちが揃っていた。
部屋はカーテンを締め切って暗くしてあり、黒い鎧が壁に画像を投影しているところだった。
よく見れば、何があったか、鎧を除く全員が神妙な表情をしている。
白い鎧から、エクレルが音声を発した。
『戻って早々すまないな、ファリーハ。悪い知らせだ』
「……聞かせてください」
手荷物を置いて、彼女は尋ねた。
壁に投影された画像に、丸や矢印が加わって強調される。
文字を見るに、アールヴィル周辺の地図を示しているらしかった。
『周辺を警戒させていたドローンからデータが来た。アールヴィルにまた、悪魔の軍勢が迫っている』
「多いのですか?」
『やや遠いものも含めれば、今回の4倍以上いる。完全に嗅ぎつけられたようだ』
アールヴィルを示す小さな点が、複数の赤い凸印に囲まれている。
「ここで迎え撃った場合、勝算はありますか?」
『ゼロだ。遅くとも2日以内に総攻撃を受けて、我々はアールヴたちとともに全滅する』
彼女の言う通り、悪い知らせだった。
ファリーハは、少し深く息を吐いて、再び尋ねる。
「それは、戦い方を変えれば勝ち目もある……ということですね?」
今度はプルイナが、黒い鎧から答えた。
『その場合、陽動をかけます。アールヴィルから離れて、敵に全力で仕掛け、敵の目を引き付けながら離脱する作戦です。以前アウソニアでやったことに似ていますが』
「敵を引き付けたあとは?」
『ホウセによれば、逃げ込み先の当てがあるようです。そこへ逃げ込み、敵をやり過ごします』
『指揮官はお前だ。判断を任せる』
「アールヴィルを守るには、それしかなさそうですね。やりましょう」
ファリーハは即断した。
旧世界の悪魔たちが、本格的に彼女たちへと牙を剥き始めたらしい。
戸惑っている時間は、なさそうだった。
お疲れさまです。これにて第3章終了です。
隠形の悪魔を退けたものの、アールヴィルに悪魔の大軍勢が迫る。
アールヴたちを救うため、敵を引き離す囮作戦を試みる一行だったが、その隠れる先、行く先は、何故かことごとく悪魔たちに暴かれてしまう。
追い詰められた彼らが逃げ込む先となったのは、ホウセの故郷にして、悪魔が人間を飼育しているという忌むべき都市だった――次章、『意志、継承』。
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