3.15.時間の加速
白い鎧の装甲の結合が、解除された。
鎧はバラバラと剥がれ落ち、内部のアケウの姿があらわになる。
呪いの魔術ではなかった。
呪いであれば、装甲の表面に描かれた魔術紋様が無効化している。
エクレルは即座に装甲を再着装させようとするが、悪魔の動きの方が早かった。
「――――ッ!!」
悪魔の腕についていたヒレ状の器官が、アケウの胸郭に深々と突き刺さる。
実際には悪魔は再び透明になっているため、他者からは、アケウの胸がばくりと裂けたように見えた。
やや離れて戦いを見守っていたファリーハと女王ムアが、それを目撃していた。
その腕に赤い血が付着したため、悪魔が離れたのが分かる。
胸部から鮮血が流れ落ち、アケウは後ろ向きに倒れた。
「……っ!?」
それを見ていたファリーハは、思い出していた。
彼らに対し、死ぬかもしれない、などと言っていた自分の言葉を。
ディゼムを残し、アケウをこちらに引き返させた自分を。
だが目の前で、自分の采配の結果、彼が死ぬ。
そんな光景は――想像していなかった。
「このぉッ!!」
下がっていたホウセが、いつの間にか素早く駆け寄り、槍を伸ばす。
「風よ、濯げ」
悪魔の魔術の作用で、アケウの血液がその体表から消え去る。
ホウセは再び姿が見えなくなった悪魔に挑み、気配を頼りに戦うつもりのようだった。
真紅の槍を振り回し、時に攻撃らしきものを受け止める動作をしながら、彼女はその場を離れる。
その隙に、白い鎧は再びアケウの身体を覆い隠し、結合した。
幸い、結合を解除する魔術の効力時間は長くないようだ。
「アケウ!」
ファリーハは、思わず走り出していた。
やや距離があったが、瓦礫の散らばる宮殿の通路を、彼に向かって駆ける。
「アケウ!?」
白い鎧に駆け寄ると、エクレルが音声を発した。
『ファリーハ。落ち着いて聞いてくれ。アケウは心臓にかなりの傷を受けて治療中だ。全力を尽くしてはいるが、もし助からなかったら……すまない』
「そんな……!」
思い上がっていた。
ファリーハは、そんな事を考えていた。
自分のことを、旧世界奪還のためなら非情に徹することができる人間なのだと、思い上がっていた。
しかし、違った。
彼女は実際には、親しい部下が死ぬかも知れないとなれば、こうも動揺する――弱い女なのだと。
ファリーハはそうした考えを必死に振り払い、エクレルに告げた。
「今、魔術で治療ができる人を探して連れてきます」
『待て。以前ホウセがお前の傷を治療しているのを見たが、あれは傷口を内部から縫合しているのに近いようだ。人工心肺もない状態で、心臓の損傷を縫合するのは危険すぎる。ここは当機に任せてもらいたい』
そこに、声をかける者がいた。
「ならば、私が力を貸そう」
アールヴの女王、ムアだった。
部下たちに伴われ、堂々と歩いてくる。
『女王ムア……力とは?』
エクレルが尋ねると、女王は両手を掲げ――
「鎧よ、治療が終わるまでは時間がかかることだろう。それまで動いてはならない。いいな……!」
それを白い鎧の上へと差し出し、唱えた。
「彼に、時間を!」
『何……!?』
突然、白い鎧のセンサーが異常を示した。
女王ムアも、ファリーハも。
いや、鎧の外部の全ての物体の動きが、止まっている。
――正確には、そうではなかった。
完全には、止まっていない。
やや離れて戦っているホウセの動きから、白い鎧の外部の空間においてのみ、時間の流れが遅くなっているのだと分かる。
その倍率は推定で、1万倍以上。
ただ、それ以外の点において、異常はなかった。
アケウの心肺機能の代替、心臓の傷の縫合、細胞の賦活化も、問題なく続いている。
『これは……魔術の力か? 時間すら操るというのか!』
ムアの言葉と周囲の様子から推測して、アケウと白い鎧の時間の流れを早め、治療を間に合わせようということなのだろう。
これならば、白い鎧の医療機能だけでは2週間かかるところを、外部から見れば2分と経たずに終わらせることができるはずだ。
無論それは、彼女たちがこの場を動かず、主観時間で2週間以上過ごさなければならないことを意味したが。
考えてみれば、避難民たちにかけられていた冬眠の魔術とは、この魔術の効果を逆転させたものなのかもしれない。
エクレルは、内部のアケウの治療に専念した。
『………………――』
そして、主観時間で2週間が経過する。
アケウの傷が完全に癒えた段階で、彼女たちは動き始めた。
「これで、やっと……!」
外部では、2分程度の時間しか経っていないはずだ。
しかし彼にとっては、2週間ぶりに体を動かすことになる。
エクレルの措置で体に異常こそ来さなかったが、それでも身体を自由に動かせることは喜ばしいことだった。
上半身を起こすと同時に魔術が解けたか、周囲の時間の流れが元に戻る。
いや、彼女たちの加速していた時間が、正常になったというべきか。
それに気づいたムアが、アケウたちに尋ねる。
「白い鎧よ、傷は治ったな?」
「はい。ありがとうございました……!」
白い鎧と共に立ち上がり、アケウは女王に礼を言った。
「我々にまだ、できることはあるか?」
魔術での疲労によるものか、彼女は青ざめていた。
「我々では、もはやあの悪魔を駆逐することはできないだろう。ホウセもあなた方も、苦戦している。どうすれば、あの悪魔に勝てる?」
白い鎧から、エクレルが答える。
『武器の製造が終われば、あるいは』
「あの機械か……わかった」
彼女は頷くと、両脇から部下たちに支えられながらその場から離れていった。
エクレルは彼女の意図を推察し、
『まさか……!』
「ホウセ、聞こえる?」
エクレルが女王を呼び止めるより先に、アケウが通信で、ホウセに呼びかける。
彼女はそこかしこが崩れた宮殿の中で、なおも防戦しているようだ。
「今から援護する!」
『ちょっ……ダメだって! また鎧剥がされるよ!?』
「気をつける!」
ホウセの意見を聞かず、アケウは白い鎧の背部のスラスターを噴かせ、援護に向かった。
ファリーハはそれを止めようとするが、間に合わない。
「あっ、アケウ……!?」
右手が、虚空を掴む。
それを引っ込めて、ファリーハは息を呑んだ。
ディゼムもホウセも、戦っている。
死なないで。行かないで。
などとは、言えなかった。
通信によれば、アケウは重傷を負ったが、女王ムアの協力で回復したらしい。
懸念の一つは払拭されたが、ディゼムの状況は変わっていなかった。
「うぉらァッ!」
スラスターで強引に軌道を変え、悪魔に鉄拳を叩き込む。
悪魔は魔力の籠もった拳で頭部を砕かれ、絶命した。
黒い鎧はスラスターによる高速飛行を止めず、動き続けている。
対するは、強化の魔術の作用で大地を音速で走り回る、悪魔たち。
空を飛ぶ悪魔たちは、やはり音速で、ディゼムたちを翻弄していた。
大気中での高速運動を続けたためにエネルギーが低下し、それに伴い黒い鎧の運動能力も逓減しつつある。
(ちくしょう、その割に全然数が減らねえ!)
プルイナが状況を報告する。
『ディゼム、このままでは悪魔たちがアールヴィルに到達します』
「分かってる!」
『攻撃に使える物質資源も残っていません。大気からの吸収にも限度があります』
「何とかその辺の土か、敵の悪魔をあの、フロなんとかで吸収して……」
『大きな隙ができるうえ、大規模な辺縁収奪は装甲の強度を低下させます。あの速度で衝突を受ければ、装甲が損傷して内部のあなたも重傷を負うでしょう』
「このままじゃジリ貧だぞ!」
悪魔の群れは、ディゼムたちが飛び道具を使ってこなくなったことに気づいたようだった。
悪魔たちは彼らを無視して、アールヴィルへと突進していく。
やはり悪魔たちの主な目当ては、避難民のようだ。
「クソ、待ちやがれ!!」
『ディゼム、エネルギーが低下しています。敵はアールヴたちに任せて、一度着地して土壌を分解吸収しなければ――』
「……!」
もはや、突破されたも同然だった。
悪魔ヒュメノの対処で手が塞がっているアケウとホウセに、これ以上の悪魔たちをさばき切るのは難しいだろう。
アールヴや避難民たちに、犠牲が出る。
諦めなくてはならないのかと思えたその時、プルイナは異常データを取得した。
アールヴィルに設置した、自己複製プリンターからの信号だ。
『自己複製プリンターの残り時間が――減少している……?』
驚くべきことだった。
追加武装の完成まで、本来ならあと9時間50分12秒、必要なはずだった。
その残り時間が、なぜか凄まじい速度で短縮されていく。
残り4時間、2時間、30分――計算やカウントの異常ではない。
自己複製プリンターの周囲の時間に、異変が起きているのだ。
離れた位置にいた鎧たちには知る由もなかったが、それは魔術の作用だった。
「むぅう……!」
魔術の反作用にうめく、アールヴの女王ムア。
宮殿に残された自己複製プリンターに対し、彼女が時間加速の魔術を使用しているのだ。
魔術はプリンター全体に作用し、範囲内の時間を数万倍にまで加速している。
残すところ、あと10分、10秒――ゼロ。
武装の製造が完了し、電子音が完成を知らせる。
プルイナとエクレルに対し、その通知が同時に届いた。
『――!!』
何かの間違いの可能性も疑った。
だが彼女たちは、即座に射出命令を送った。
『緊急射出――!』
それぞれの鎧から信号が送られると、自己複製プリンターの横扉が高速で開き、そこから追加武装を収めた2人分のコンテナが外へと飛び出す。
「!?」
ムアは驚いて転倒し、彼女の動転で魔術が解除された。
外殻の各所に設けられたスラスターが推力を吐き出すと、コンテナは垂直に上昇し、そして異世界の鎧の元へと飛行を始めた。
彼女は夜空を見上げながら、額の汗を拭う。
「あ、あれで良かったのか……?」
ムアが部下のアールヴたちに助けられて立ち上がった時には、既にコンテナは見えなくなっていた。
彼女はすぐに、部下に支えられてその後を追った。




