3.12.不可視の悪魔
アールヴたちは、アールヴィルの守りを固めていた。
森の東の入口付近は硬化の魔術紋様を施された防壁で固められ、武器が集められた。
アールヴは寿命の長い種族だ。
しかしここ150年ほどは、実戦を経験していない。
150年前には、魔術の宝物を渡すことで、悪魔との戦争を避けてもいる。
現在アールヴィルの東に布陣している程度の軍勢ならば、何とか持ちこたえることもできるだろう。
だが、その後魔王が総軍を率いて報復に来たら?
恐怖と不安が、アールヴたちにまとわりついていた。
それでも深夜にも関わらず多くのアールヴたちが働き、悪魔たちの攻撃に備えていた。
一方、アールヴィルの中心に位置する宮殿では、女王ムアを始めとする首脳陣が指示を下していた。
部下たちの報告を受けつつ、問題に対応させ、あるいは方針を修正する。
ただ目下、問題が一つあった。
「僕も戦います! クロナを守る戦いを、人間の友人たちだけに任せてはおけません!」
ムアの息子、トレッドだった。
人間の娘に惚れて冬眠保護から目覚めさせ、今回の騒動の原因を作った男でもある。
まだ若く、青かった。
その陳情を、女王は却下した。
「駄目だ。あなたの戦闘への参加を禁止する」
母親にそう言われて、彼は他のアールヴたちの目がある中で尋ねた。
「なぜです!? 僕があなたの息子だからですか!?」
「そうでもあるが、そればかりではない……」
女王はこめかみに青筋を浮かべ、やや声を張り上げた。
「そもそも、インヘリトに行くのが避難民だけでは問題がある。それを送り出したアールヴの代表者が一人もいないのでは無責任であろうが」
「それは、母上が行かれれば――」
どうしても戦いたいのか、トレッドが食い下がろうとする。
女王ムアはそれを遮って、できる限り噛み砕いて説明した。
「私はアールヴ全体の指揮をせねばならん! 他の者も忙しい! 名代としてすぐに行けるのがあなたくらいなのだ! 分かれ!」
「は、はい……」
彼女の迫力に押され、トレッドが言葉を失う。
それを、同席していたファリーハが声でフォローした。
「クロナさんも避難民ですから、あなたが付いていた方が安心でしょう」
「そ、それは……そうかも知れませんね……」
悪人でも無能力でもない息子だったが、若さゆえか視野狭窄に陥りがちなのが欠点だ。
ムアはそんな思いから来るため息をこらえ、改めてトレッドに指示を与えた。
「トレッド、あなたはすぐにでも準備をして、インヘリト王国へと転移するのです。当地の人々に事情を説明し、避難民たちの立場を守りなさい」
「はい……! 女王陛下に置かれましても、相手は悪魔。どうかお気をつけください」
彼はそう言うと、いそいそと会議場を退出していった。
「私も、王子殿下をインヘリトに紹介しないとなりませんので……失礼します!」
ファリーハも、その後を追う。
彼女は会議場を出てトレッドに追いつくと、気になっていたことを尋ねた。
「トレッド殿下」
「はい?」
いざ話しかけてみると、少しばかりためらわれた。
だが、ファリーハは思い切って切り出した。
「その……クロナさんのこと……愛していらっしゃるのですか?」
「はい、愛しています」
歩みも止めず、即答だった。
彼はその質問が気にかかったか、逆にファリーハに質問してきた。
「何か気になることがありましたか、ファリーハ殿下」
「…………」
答えづらい。
しかし、先に質問を浴びせたのは彼女からだった。
気後れしながらも、答える。
「その……考えてみると、私はそういう恋っていうものを、したことが無かったかなって」
会ったばかりの彼の人格について、そこまで知っているわけではない。
それでも、彼は自分が愛している人間の娘のために、女王に逆らって戦いに行きたいと志願していた。
それをさせたのが恋や愛情というものなのだとしたら、それは、ファリーハにとっては未知のものだった。
トレッドはなおも歩き続けながら、視線を前方へと戻しつつ、語った。
「もしかしたら、気づいていないだけかも知れませんよ。すでに誰かに恋をしていて、それを意識できていない。とか」
「そうでしょうか……?」
彼女は自身について、旧世界奪還のために全てを賭けて生きているつもりでいた。
だが、自分が気づいていないだけで、それが全てでないのだとしたら?
「…………」
わからなかった。
雑念で心を乱されるのでもなければ、今は問題ないだろう。
ファリーハはそう判断して、トレッドと共に冬の館へと向かった。
眠り始めてから、1時間ほどが経っただろうか。
ディゼムは全身に走った小さな振動とともに、目を覚ました。
鎧の中だ。
プルイナが彼に呼びかけるのが聞こえる。
『ディゼム、起きてください』
建物が揺れたわけではないようだ。
彼女が、鎧の内部に振動を掛けたらしい。
「……悪魔か」
『群全体でこちらに向かって移動を始めました。既にファリーハと女王ムアには報告済みです』
「あぁ、くそ、全然寝れてねぇ」
それ以上抗議するより先に、エクレルが白い鎧から通信を入れてきた。
『でかいやつがいる。魔術で巨大化した手合いだろうが』
「急ごう。僕が先行する。君は悪いけど、ホウセを起こしてから合流してくれ」
「えっ」
ディゼムにそう告げると、アケウと白い鎧は、宿舎の窓から外に出ていた。
スラスターを噴射し、そのまま飛んでいってしまう。
「おい!?」
ホウセは隣の部屋だ。
彼らと異なり鎧が起こしてくれるわけではないため、眠ったままだろう。
『ディゼム、別に彼女の寝顔を観察する必要はありません。外部スピーカーで起こせばいいのです。早く』
「う、うるせえ!」
彼はぎこちない動作で隣室の前まで行き、扉を開ける。鍵はかかっていない。
そして暗がりに向かって、外部スピーカーを大音量で作動させた。
「お、おい! 起きろホウセ!!」
「んむぅ」
それなりに音量を大きくしたはずだったが、ホウセは寝返りを打っただけだった。
『……水を噴射します』
プルイナは黒い鎧の右手を掲げて、ホウセの眠っているベッドの方向を指さした。
指の先端の多目的射出孔から、びしり、と高速で水鉄砲が発射される。
「…………!?」
『ホウセ、悪魔が攻めてきます! 起きなさい!』
「ふ!? あ!?」
水をかけられたホウセが、毛布を跳ね除けて飛び起きる。
ディゼムは急いで撤収し、アケウの出ていった窓から彼の後を追った。
残されたホウセは、ベッドを降りて呪文を唱えた。
「赤縫変異……!」
真紅の鎧をまとい、真紅の槍を担ぎ、宮殿の外へと急ぐ。
緊急事態のため、深夜にも関わらず宮殿には多くのアールヴたちが集まっていた。
悪魔の襲撃に、備えなければならない。
ホウセは意識を集中した。
「――――っ!」
真紅の鎧に備わっている、悪魔の探知能力が発動する。
鎧が、彼女の心の中をざわめかせるような働きをして、その気配を教えてくれる。
これが無ければ、生き残った人類のコミュニティの間を連絡役として行き来することは不可能だっただろう。
悪魔は、どこだ。
すると、廊下を出たところで、背後から強烈なざわめきが襲いかかった。
「っ!!?」
真紅の槍を構えて振り向くと、そこには何もない。
だが、ホウセは顔面に大きな衝撃を受けて吹き飛ばされた。
姿勢を崩されつつも跳ね起きて、衝撃の来たであろう方向へと真紅の槍を構える。
何かがそこにいたはずだ。
だが、
(見えない……!?)
見えないが、真紅の鎧がざわめきを伝えてくる。
彼女の前方に、確実に悪魔がいる。
耳に、虚空からの声が聞こえた。
「やはり隠れていたな。赤い鎧」
真紅の鎧の伝えてくるざわめきが大きい。
それは眼前に不可視の悪魔が存在し、しかも強力であることを意味する。
声は続く。
「その鎧、渡してもらおう」
聞き覚えのある声だった。
女王との謁見の最中に音もなく現れた悪魔がいたが、それか。
無音で現れ、消えていたが、あれは魔術による隠形だったということか。
確か、ヒュメノと名乗っていた。
ホウセは首に巻いた通信機を起動して、ファリーハへと連絡した。
「ファリーハ、聞こえる……!?」
『ホウセ、何かありましたか?』
「宮殿に悪魔が入り込んだ! 姿の見えないやつ!」
『分かりました、避難をいったん――』
連絡は、そこで中断せざるを得なかった。
急にざわめきが、こちらに飛び込んできたのだ。
声とともに、気配が高速で迫る。
「その鎧と槍を、取る!」
「く――!?」
今度は、真紅の槍での防御が成功した。
しかし直後に横合いから、彼女の腰付近へと打撃が加わる。
吹き飛ばされながら、ホウセは胸中で悪態をついた。
敵の姿が見えないままでは、話にならない。
(くそ、何とか捕まえないと……!)
呪文を唱え、魔術を行使する。
「長く、伸びよ!」
受け身を取りながらも真紅の槍を鞭へと変形させて、風を切らせて振り回した。
5メートル近い長さの鞭が縦横無尽に旋回するが、悪魔の気配が細かく動き、当たらない。
次に彼女は真紅の鞭を振り回しながら立ち上がり、呪文を唱えた。
「深く、霞め!」
すると彼女の周囲に、急速に気体が発生し始めた。
魔術で生成された霧だ。
それは爆発的な勢いで広がり、周囲を白く覆い隠していく。
ホウセは真紅の鞭を槍へと戻し、足早に動いた。
(こっちからは元々見えないけど、相手からも見えなくなったはず……逆にこっちは、鎧の探知で相手の居場所が大まかだけどわかる!)
それを頼りに戦うしかない。
今のところ、悪魔の気配は前方の一つだ。
仲間や手下のいる様子はない。
姿を消す魔術に頼って、単独行動が可能だと踏んだか。
幸い、狙われているのは彼女の槍と鎧のようだ。
嬉しくはないが、転移中の避難民たちから狙いがそれるなら、それもありだ。
ホウセは意を決して、悪魔の気配へと突進した。




