3.9.悪魔の来訪
ファリーハは、思い切って女王に尋ねた。
「伺いたいことがあります。ならばなぜ、人間がアールヴの国から、王子に伴われて逃げようとしていたのですか?」
女王は少しだけ間を置いて、答えた。
「……彼女は生き残りで、我々が保護している」
「人間の保護は、悪魔がアールヴを攻撃する口実を与えるのではありませんか?」
「だからこそ、眠らせ、隠しているのだ。その娘にも、すぐに眠りに戻ってもらう」
それでようやく、納得が行った。
何らかの措置で人間を眠らせたまま、人数はわからないが、匿ってくれているのだろう。
この場にクロナと呼ばれた娘がいることからも、眠りは解くことのできる安全なものだと見ていいはずだ。
ファリーハは考え続けた。
(それを何とか、交渉の糸口に……)
だが、そこを指摘する前に、別の声が問答を遮る。
「ダメです!」
トレッド――アールヴの王子だった。
女王は眉をひそめ、彼をたしなめる。
「王子、私はいま客人と話している」
「関係ありません!」
中断は困るが、ファリーハとしては王子の弁にも興味があった。
女王が王子をここから排除などするのでなければ、彼の主張を聞いてみるのもいいだろう。
「確かに冬の館なら人間たちを永遠に保護しておけるでしょう、ですがアールヴの寿命にも限りがあります! 僕はクロナを愛している! 死ぬまで彼女の寝顔を見るしかできないなんて、納得できません! 生きているうちに一緒になれないのであれば、冬眠保護に何の意味がありますか!」
感情をあらわに熱弁するトレッド。
その勢いに、ファリーハは面と向かっていないにも関わらず、やや怯んだ。
アールヴが人間を冬眠させて保護しているという重大な事実が明らかになったにもかかわらず、それについて質問できる空気ではない。
王子に対し、女王はすぐさま声を張り上げた。
「私情のために絶滅危惧種を危険に晒す愚かさが、まだわからないか! 現にあなたは、荷物も少なく夜間に国を出奔し、人間の娘を狙った悪魔に襲われた! たまたま客人が助けに入らなかったら、あなたは死んで、悪魔たちがアールヴィルを全て調べさせろと要求してきたことだろう……悪魔が、いやもしかしたら、魔王が軍勢を率いてそうしてきたら、我々にそれを完全に拒絶することが、できると思っているのか!」
「……!」
女王の難詰に、トレッドはうつむいて呻いた。
彼女は先程こそ体面を重んじた表現をしていたが、アールヴにとってもまた、悪魔は恐るべき存在ということなのだろう。
トレッドのすぐそばにいた、クロナと呼ばれていた人間の娘が、彼の袖を引く。
「もういいよ、トレッド……ほんの3日間だけど、あなたと過ごせて嬉しかった。きっとまた……会えるよ」
「きっとじゃ、ダメなんだ……だから危険を覚悟で逃げたのに」
「それ!」
ホウセが場の空気を無視して、王子に話しかけた。
「危なかったのは女王様の言ったとおりじゃない。どこに行くつもりだったの?」
「……アウソニアだ。君が言ってた、人間たちの地下都市に……匿ってもらうつもりだった」
「げ」
どうやら以前ここを訪れた際、王子に異国のことを話したらしい。
責任を感じたのか、ホウセは言葉を濁した。
「まさかあんなに離れたところに行こうとするなんて思わないって……」
危険を承知で、それでもそこに踏み出すほどに切羽詰まっていたのか。
寛大にもそれらのやりとりが終わるのを待ってくれていたのか、女王が再び口を開く。
「ともかく、あなたを助けるために、ホウセたちの一行は悪魔を1人殺している。埋められた死体がもし見つかったら、悪魔たちがここに立ち入りに来ないとも限らない。明日の朝、クロナの冬眠の準備が済むまで猶予を与える。それまでに別れを済ませなさい。話は終わりだ」
威圧するように告げて、女王ムアは流れを打ち切るつもりのようだった。
彼女が踵を返そうとしたその時、入室してくる者がいた。
「お取り込みのところ失礼いたします! 女王陛下!」
軽装の、アールヴの兵士だった。
急いで走ってきたのか、息を切らしかけている。
「あ、悪魔が! 悪魔がお目通りを求めております! いかがいたしますか……!?」
「――!?」
謁見室に衝撃が走る。
同時、女王は顔色を変え、何事かを唱えた。
「ここに、帷を!」
その瞬間、謁見室にいた各自の視界から、女王と、伝令に来た兵士以外の姿が消える。
同時、ディゼムとアケウの腕の中から、それぞれの鎧の兜がすぽりと抜け出して、強制的に頭にかぶさった。
「…………!?」
ディゼムは少し驚いたが、プルイナが音声で説明した。
『ディゼム。現在何らかの手段で、電波的・光学的な観測が妨害されています。発言内容からするに、女王の魔術なのでしょう』
「いやお前、みんな完全に消えてんじゃん……それどころか自分の手足すら見えねえんだけど」
『超音波による反響定位では、全員の存在が確認できます。視覚的な妨害の他に異常はありません。見えなくなっているだけです』
プルイナの説明で、ディゼムはやや落ち着きを取り戻せた。
すると今度は、頭の中に直接、女王らしき声が聞こえてくる。
(悪魔が来る。私の魔術で、この場の人間たちを悪魔の目から隠した。動いてはならない。声も出さないように)
「…………」
『ディゼム?』
この時、機械であるプルイナとエクレルには、女王の声が届いていなかった。
ただ、それぞれ鎧の内部で着装者の脳が、音声に似た何らかの情報を処理したことを検知していた。
『ディゼム、応答してください。何かありましたか?』
それを聞き、不安を感じるディゼム。
(プルイナのこの声……外に漏れちゃいねえだろうな……?)
彼は状況こそ理解したものの、言われたとおり、むやみに動けずにいた。
だが、プルイナが再度呼びかける前に、謁見室に何者かが姿を現した。
不意で、唐突だった。
それは視界に、虚空から浮き出てきた――ように見えた。
「………………」
悪魔だ。
体格は人間やアールヴより、二回りほど大きい。
二腕二脚で人間に近い印象だが、全体としては白い虫を思わせた。
腕や脚からは半月状のヒレのようなものが生えており、衣服のように見えなくもない。
特に肘から先のヒレは刃物のようになっており、縁が木の葉のようなぎざぎざを描いている。
逆三角形の頭部、その上部から2本の角のように生えているのが、目のようだ。
それをくりくりと動かしたかと思うと、その悪魔は言葉を発した。
「こんばんは、アールヴの女王ムア。私は魔の戦士、ヒュメノ」
言葉だけで、会釈や手振りといった動作はなかった。
女王はそれに対し、挨拶を返す。
「……こんばんは、魔の戦士ヒュメノ。用件を聞こう」
ヒュメノと名乗った悪魔は、静かに続けた。
「この近辺で、魔の戦士が一人、殺された。心当たりはないか?」
「ない」
女王の回答は早かった。
悪魔も特に間を置くことなく、
「少し聞き方を変える。ここから南に大きく離れた地で、人間と、人間が操っているらしい鎧が目撃された。黒い鎧、白い鎧、赤い鎧だ。彼らはその時、魔の戦士を殺した。今回もそれらの仕業ではないかと考えている。黒、白、そして赤の鎧だ。見てはいないか?」
「見ていない」
女王は再び即答した。
ディゼムにも、悪魔の言っていることは理解できた。
既に悪魔たちに――多寡は不明だが――異世界の鎧のことが知れ渡っているのだろう。
だが、アールヴの女王ムアは、嘘をついてまでしてこの場の彼らを庇ってくれている。
そっけない言葉と裏腹なこの姿勢は、何を意味しているのか?
悪魔が、女王の返答に反応した。
「そうか」
悪魔は口の中から、握りこぶし2つ分ほどの大きさの物を露出させた。
よく見るとそれは、巨大な赤い宝石だった。
本来であれば見事な輝きを放っていたことだろうが、今は無残にも悪魔の体液にまみれていた。
それを見て、女王が目を剥き、絶句する。
「それは……!」
「女王は私を騙した。その代償として、これを取っていこう」
悪魔はその大きな宝石を、再び口の中にしまい、飲み込んだ。
「それでは、さようならアールヴの女王。私は騙されるのが大嫌いだ。また来る。その時までに、心を変えておけ」
「待ちなさい!」
一方的に告げると、悪魔ヒュメノは大気に溶けるようにして消えた。
女王の制止も、謁見室に虚しく響いただけだった。
女王が思念で要請したこともあったが、そこにいた誰もが沈黙していた。
「…………」
目を伏せつつ、女王が口にする。
「…………悪魔は去った。もう動いてよい」
魔術が解除されたようだ。
見えなくなっていた一行の面々が姿を現し、ディゼムは安堵した。
『視覚上の異常はなくなりました。女王が魔術によって、悪魔の視界から我々を隠蔽していたようですね』
「すげえなアールヴってのは……」
『我々にも熱電・色覚迷彩がありますが、一瞬で他者にまで施すことはできません。驚くべき技術と言えるでしょう』
彼らの所感をよそに、女王ムアは衣を翻し、部下たちに命じた。
「冬の館へ行く!」
彼女はそのままファリーハの前へと来て、
「王女一行にも、来ていただく」
「是非」
ファリーハもそれに、即答した。
そこに今度はトレッドが近づいてくる。
「僕も行きます……!」
「当然です。クロナも連れて来なさい」
女王ムアは王子に命じると、謁見室の出口に向かって足早に歩き始めた。
ファリーハの率いる一行、ディゼムとアケウ、ホウセ、およびそれぞれの鎧。
そしてアールヴの王子トレッドと人間の娘クロナは、それぞれ女王の後について、謁見室を出た。
途中、アールヴの兵士が、女王へと報告する。
「陛下! ご報告いたします!」
「“赤い海”のことか?」
「はい。宮殿の保管庫から突然、消失しました。鍵は全て、魔術で解除されたようです」
「分かった。今は館の地下の状態を知りたい」
「は! このままおいでください」
兵士は方向転換し、女王を先導し始めた。
冬の館と呼ばれる場所は、宮殿のすぐ近くにあった。
到着すると、他のアールヴたちが女王を出迎えた。
「女王陛下、ようこそ冬の館へ」
「ああ」
館と言いつつ、それはさして広くもない平屋だった。
だが、内部に入り、建物に不似合いな広い階段を深く降りていくと、様子が変わる。
階段を降りた先には、やはり地上部分に不釣り合いな、大きく重厚な扉が待っていた。
アールヴの兵士たちが扉を開くと、そこにはかなり大きな空間が広がっているのがわかる。
女王が、口にした。
「もはや隠し立てしても詮無いこと……ここが冬の館だ」
ファリーハが、感嘆したかのように声に出した。
「……何と」
無骨な石柱の立ち並ぶ、大広間。
そして石畳の床には、透明な素材で作られた棺が整然と並べられていた。
棺の中には、人間が横たわり、多くが内側から棺の蓋を叩いている。
「何なんだこれは!」「冬眠中じゃなかったのか!」「出してくれ! このままじゃ狭くてたまらん!」
それらは全て、生きた人間だった。




