1.3.着装者の危機
召喚の儀式の会場を襲撃した、魔王を名乗る者。
それが無事退けられた、翌日のこと。
場所は移って、高級官舎の空き部屋。
家具調度のたぐいは一通り揃っているが、今は使われていなかった。
そこでは、初学者向けらしき、歴史の講義が行われていた。
「今から150年ほど前のことです。世界の全土が、地下から現れた悪魔と呼ばれる種族の攻撃を受けました」
講釈をしているのは、召喚の儀式を主導していた王女、ファリーハだ。
長い銀髪を後頭部で縛り、眼鏡をかけていた。
今は式典用のドレスではなく、簡素な官服を身にまとっている。
「人類はこれに対抗する力を持たず、またたく間に世界の全土から絶滅しかけます。最後に唯一残ったのが、現在われわれがインヘリト王国と呼ぶ、この小さな島国でした」
一方、聴講者に相当しそうな人物は、同じ部屋にはいなかった。
いるとすれば、黒と白の全身鎧が、部屋の中央に直立姿勢で飾られていることくらいか。
「それから150年、王国はこの島で生き延びてきました。元の世界の奪還を目標に掲げつつ、地道な召喚魔術の研究を重ねて……昨日ようやく、計画が本格的に動き出しました」
王女が言葉を区切ると、黒い鎧が兜の眼の部分をちかちかと明滅させ、言葉を発した。
プルイナと名乗る、落ち着き払った女の音声だった。
『それが、召喚の儀式というわけですね』
「そうです。なぜか魔王などというものまで、やってきてしまいましたが」
黒と白、その2つの鎧こそが、聴講者だった。
昨日の召喚から一夜明け、ファリーハは異世界からの来訪者に事情を説明していた。
彼女が召喚事業の責任者であり、異世界から召喚された、意思を持つ2領の鎧を預かる立場にあるためだ。
本来であれば当日に、大聖堂の別室で行うはずだったことだ。
しかし異世界から召喚した救世主が無人の鎧であったこと、魔王の“影”による襲来などで予定が狂った。
召喚の成功を記念して祝賀会などが行われるはずだったが、こちらも大聖堂が損傷したため中止になっている。
結果として、彼女は2領の鎧を前にして、自国の歴史を説明しているのだった。
白い鎧が、眼光とともに言葉を発した。
『一方的に呼んだにしては、こちらに命令を強制する手段を用意していないようだが……もしや、我々が帰りたいといえば帰してくれるのか?』
こちらは鈴の鳴るような透き通った声だ。
ファリーハがそれに答えて言う。
「希望とあらば、そうしなければなりません。ですが、あなた方は我々の計画に必要なのです。あなた方は、魔王を倒してくれました。残る悪魔たちから地上を奪い返してくれる存在があるとしたら、あなた方以外に考えられない。だからこそ、あなた方が選ばれたのです。なのでどうか、どうかお力添えを、お願いします……!」
黒と白の鎧に、彼女は深々と頭を下げた。
後頭部に束ねた銀髪が、ばさりと肩から落ちる。
白い鎧――エクレルが、尋ねる。
『帰る手段は実在するんだな?』
ファリーハは少し迷ったが、顔を上げ、正直に答えることにした。
「あります。呼んだ時の逆をすればいいのですから、大聖堂にまた、大型の立体魔法陣を描画して、送還術として発動します。あなた方は、元の時間と場所に戻ることができます」
黒い鎧――プルイナが、更に尋ねる。
『実際に可能なのですか?』
「送還術によって異世界に送り込んだ魔術師を、召喚によって連れ戻す実験で確認済みです。あなたがた程度の質量であれば、数秒の誤差で元の世界、元の時間に戻れます」
『それはどの程度のコストがかかる作業ですか? 例えば、今すぐに可能なのですか?』
「あ……それはちょっと、お金がかかりすぎて……難しいです。あなた方を召喚した際は、魔術省の本年度の予算の半分を使ったので……最低でも来年分の予算審議で、同等の額が認可されないと」
『我々が成果を挙げないことには、認可されない可能性が高い。ですね?』
「……そうです」
『では、成果は約束しましょう。我々はあなたがた、この世界の人類の安寧を確保する』
黒い鎧――プルイナがそこまで言うと、白い鎧――エクレルが後に続いた。
『その結果が確認されたら、我々を元の世界に送還する。そう約束しろ。まぁ、お前一人が今ここでそれを決める、というわけにも行くまいが』
「…………」
印象としては、不自然なほどの好条件だった。
鎧たちの意見は、ファリーハたちに対してあまりにも都合のいいものだ。
彼女はそれがにわかには信じがたく、少しの間、何も言えずにいた。
まさか、翻訳の魔術に誤作動がある?
あるいは、欺かれているのではないか?
だが、ファリーハはすぐに気を取り直し、礼を述べた。
「ありがとうございます。ただもう少し、我々の状況について補足したいのですが……」
『その前に、訂正しなければならないことがあります』
「……? 何でしょう」
尋ねる王女に、エクレルが白い鎧から答えた。
『あの“魔王”自らが戦闘中に証言していたことだが、あれは本人ではないようだ』
「え……?」
『魔王ワーウヤードを自称する、攻撃性の高い生物らしきもの。本機はその音声を録音しています。再生しますので、聴いてください』
プルイナがそう言うと、黒い鎧から音声が流れ始めた。
声の主は、どちらの鎧のそれとも異なっていた。
『これは“影”に過ぎぬ。本物の余が、遠く離れた地で見ている夢のようなもの。それで殺せるとあらば、予言の戦士、恐るるに足らずか』
「……影……!?」
ファリーハは驚き、また戦慄した。
魔王の姿かたち自体は避難しつつも目にしていたが、声までは聞いていない。
「……本当に……魔王の声なのですか!?」
『お前たちは避難していたから、魔王――いや、本人ではないらしいが、その肉声などほとんど聞いてはいないだろう。信じるかどうかは任せる』
「…………!」
魔王が、死んでいない。
ファリーハは、それを王国に伝えなければならないことについて、衝撃と落胆を隠せなかった。
黒い鎧の方は淡々と、言葉を続けてきた。
『そちらで話し合わなければならないことも多いでしょう。話し合いの結果は、できるだけ早く教えてほしいところですが』
「えぇ……そうします」
うなだれそうになりつつも、うなづく。
しかしその時、あまりにも不意の出来事が起きた。
黒い鎧と白い鎧が空中に浮き、何もない壁に向かって突進、破壊したのだ。
小さな破片とほこりが舞い飛ぶ。
「えぇー……!?」
鎧たちが壁に開けた穴を見て、ファリーハは言葉を失うしかなかった。
ディゼムは、異世界から呼ばれた黒い鎧に選ばれ、魔王の“影”を撃退した。
アケウもまた、同様の白い鎧に選ばれ、黒い鎧と力を合わせた。
実際には鎧に着られていた状態だったとしても、王国からはそう扱われていた。
ただ、彼らを英雄として祝賀会が催されたわけではない。
実際に彼らを待っていたのは、軟禁のような待遇だった。
拘束こそないものの、官舎の一室を使用して、彼らは閉じ込められている。
ディゼムとアケウで、別々の部屋さえ用意されていた。
協力して、脱走などをしないようにという措置かもしれない。
事情や容疑などは説明されていなかったが、召喚によって得られた王国の財産を無許可で使用した、といったあたりだろうか。
(……まぁ腹は立つが、理解できねえってことはない)
ディゼムは今、高官用の広い部屋でたった一人、魔術省の役人から尋問を受けていた。
真新しい机を挟んで、50代ほどか、年かさの魔術師が尋ねる。
「早速だがまず、所属と姓名、階級を確認する。認識票は持ってるな?」
「へい」
ディゼムは胸元から、鉄板に刻印された身分証を取り出した。
魔術師は節くれだった指でそれを受け取って確認すると、
「次、所属と姓名、階級を一通り声に出して」
魔術師は、上質の紙にペンを走らせながら尋ねた。
その様子を眺めつつ、ディゼムは答える。
「インヘリト王国陸軍、第2歩兵大隊、ディゼム・タティ2等兵」
ざらざらと強い筆圧でそれを書面に書き込みながら、魔術師は続けた。
「年齢は」
「20歳」
「出身地」
「フューダリア」
「家族構成」
「祖父母が一人ずつ」
「ご両親は?」
「父親は死んで、母親はバックレました、俺も顔は知らね――ってか、ンなこた陸軍省に訊いてくんないスか……」
ディゼムは問答をさえぎった。
文書を調べれば書いてあることを、わざわざ質疑の形にする意味などあるのか。
魔術師は彼を睨みつつ、告げる。
「本人の意識と存在が、“着る前”と変わっていないかどうかを知る必要がある」
「意識と……なに?」
聞き返すと、魔術師は子供にでも説いて聞かせるように、声を低くした。
「……まぁいい。こんな伝承は聞いたことあるか?
邪精のたぐいが、人間の子供をまがい物とすり替えて盗む。
名将の鎧を借り受けた若い戦士が、本来の主人以外を認めない鎧の呪いで初陣で死ぬ。
行方知れずから戻った男が、自分の名前も言葉も全て忘れていた――」
「な、何の関係があんスか、それ……」
戸惑いつつ疑問を口にするディゼムに、魔術師は答える。
「お前が着たありゃあ、異世界から喚ばれた、誰も知らない謎の鎧だ。つまりは、どんな魔術の仕掛けがあるか分からんわけだろう。極端な話、俺たちはお前が本当に人間のままなのかを確かめなきゃならねえ。鎧に何か変な真似はされちゃいないか? 本当に生きてるのか? 別のモンとすり替わったりしちゃあいないか? ってな」
鉛筆の尻でこつこつと書面を叩きながら、魔術師。
ディゼムはその真剣さに押されて、うめく。
「好きで着たわけじゃねーんスけど……」
「誰も取って食おうとは言ってねえんだ。兵隊だったら、開放されたきゃ従え」
「……へい」
不承不承、ディゼムは従った。
魔術師の次の質問は、彼が儀式の会場の警備に配属された日付についてから始まった。
それは延々、今日になって鎧が召喚され、彼がそれを着て戦うまでに及ぶ。
しばらく続いて、3枚目の書類が記入欄を使い切った頃、話の終りが見えてきた。
「――それじゃあ、結局最後まで、戦いは全部鎧任せだったってことか」
「トンでもない力だったんだからしょうがねえでしょ……無理に逆らってたら身体中の関節全部、ブチ折られてたかも知れんし……」
頬杖をついて愚痴を吐くディゼム。
ふと、そのどこを見つめるでもなかった視界に、何かが飛び込んできた。
「…………?」
空中に不意に現れたその物体は、ぼて、と部屋の床に落ちる。
全体的に丸く、一箇所から紐のようなものが伸びていた。
しかもその先端がぢぢぢ、と火花を散らしながら燃えている。
「ば――!?」
魔術省の高官用官舎の2階、2箇所で同時に爆発があった。
爆弾は魔術で転送されてきたと見え、窓などから投げ入れられた形跡はなかった。
部屋の中にいたディゼムと尋問官、同じくもう一つの部屋にいたアケウとその担当の尋問官は、4名とも無事だった。
強引に壁を破壊して突入してきた黒い鎧と白い鎧が、その内部に爆弾を封じ込め、そのまま爆発させて処理したためだ。
ディゼムは目の前で起こった出来事についての感想を、思うまま口にした。
「びっ……くりした……」
黒い鎧からプルイナが、何事もなかったかのようにディゼムに確認する。
『無事なようですね、ディゼム』
「お、お前……すごいね……」
『あなた達のいる部屋は、念のため常にスキャンしていました。管理者には申し訳ありませんが、最短ルートで処理しました』
ディゼムは壁に開いた大穴を眺めながら、礼を言った。
「いや……また助けられちまったな。ありがとう」
『本機の使命を果たしたまでです』
反対側の壁には、白い鎧によってもう一つ、大穴が空けられていた。
そちらからは、アケウと白い鎧が歩いて出てくるところだった。
3つの部屋の中央にいたディゼムは、自分のいた部屋を貫通されたことになる。
すでに宿舎の担当だった警備兵なども駆けつけて、現場の保全に当たっていた。
『それより、ファリーハ』
壁に開いた大穴から恐る恐るこちらへやってきた王女に、黒い鎧が声をかけた。
『これらの爆弾は、それぞれの部屋に一瞬で現れたかのように観測されました。物体を遠隔転送する技術があるということですか?』
「おそらく、転移の紋様魔術ですね。こうした施設には転移を妨害する紋様が施してありますが、それを貫通できる高性能な塗料で紋様を描いたようです」
『その高性能の塗料と、この爆弾の出どころに心当たりは?』
黒い鎧が自身の右足首の関節を外し、靴部分を掴んでひっくり返す。
逆さにして振ると、爆弾の破片がからからと机にこぼれ出てきた。
それを見て、ファリーハが答える。
「私の知識では何とも判断できませんので、魔術省の捜査部署が到着してからになりますね……今、遠話で手配します」
彼女は懐から手帳を取り出し、ページをめくった。
紋様が一面にびっしりと記してあるページを開いて、ペンを取り出す。
そして、紙面に1画を書き加えると、紋様がほのかに光った。
ファリーハが、紋様に向かって話しかける。
「あー、もしもし、魔術大臣? お忙しいところ申し訳ありません……」
ファリーハと魔術大臣の遠隔での話し合いの末、ディゼムたちは別の場所で保護されることとなった。
今度はより厳重な魔術防護が施された、王族の邸宅だった。
歩いて数分の距離にあり、ディゼムたちも徒歩で底に移動することになった。
警護の魔術師二名を従えて、ファリーハが宣言する。
「魔術省と警察がそれぞれ捜査してくれています。我々はその間、話し合いや準備を進めます」
「ところで、あの、姫様」
おずおずと切り出すディゼムに、ファリーハが応じる。
「何です、ディゼム」
「俺たちまだ……この鎧着てなきゃだめスか」
ディゼムもアケウも、それぞれ全身に鎧を身に着けていた。
魔王の“影”と戦った時同様、ディゼムが黒、アケウが白の鎧の中にいる。
王女は即答した。
「ダメです。魔王と戦った翌日にこれです。異世界の鎧と契約した、あなた方を狙った犯行と見るべきでしょう」
『ファリーハの意見に賛成です。同じようなことがあった時、着装者を守りきれる保証がありません』
黒い鎧――プルイナも王女に同調した。
「し、しかしこれで四六時中はちょっと……」
今度は、アケウも抗議に加わった。
食事や睡眠といったことを考えると、到底容認しがたいことではある。
だが、白い鎧――エクレルの答えは違った。
『食事も睡眠も排泄も、この中でしてしまって構わんぞ。睡眠は快適に可能だし、排泄物は回収してエネルギーなどの資源に転換する機能がある。食事も――』
「い、いやそれは……たとえそれができるとしても、トイレの中で寝たり食べたりはしたくないっていうか」
『失敬な、衛生対策は万全にしてある』
「気持ちの問題だよ……」
そもそも彼らは、鎧の下には軍服を着ていた。
そのまま用足しなどしたくはない。
アケウが鎧の中で口ごもるのを見てか――実際には全身に鎧を着ているので、外から表情は視認できない――、ファリーハが意見を変えた。
「うーん……さすがにちょっとかわいそうですね。私の家についたら爆弾を送りつけられる危険はなくなると思うので、その時は、着装を解除してあげてください」
『ではそうしましょう』
『了解した』
王女の指示に従う鎧たちの様子を見て、ディゼムは愚痴をこぼした。
「お前ら、俺とアケウの契約者なのに姫様のいうことは素直に聞くのかよ……」
『反逆しても構いませんが……しますか? 反逆』
「そういうことを言ってるんじゃねえ!」
『それならば問題ないでしょう。本機はあなたが王女に従う前提で話しています』
「人の心のわからんやつだな!」
言い合っている間にもう少し歩き、一行は足を止めた。
こざっぱりとして真新しげな、大きな一軒家の前だ。
「さて、ここが我が家……というか、王家の人間が官公庁で職に就く時などのために用意された王族用の宿舎で、仮住まいなのですが……当面はここを拠点に、計画を進めたいと思います。ここなら、爆弾を送り込むような魔術も確実に届きません」
「殿下、計画というのは……?」
「あぁ……失礼。鎧たちには既に説明していましたが」
尋ねるアケウに、ファリーハは答えた。
「我々が150年前、悪魔によって奪われた世界を取り戻すための企てです。
私を含めた関係者は、旧世界奪還計画と呼んでいます」




