3.2.次の目的地
ファリーハたちが旧世界から帰還したことで、インヘリト王国にはいくつもの情報がもたらされた。
まず、地上に生き残っていた人類の国が、インヘリトだけではなかったこと。
そして、細々とではあるが、それらを繋ぐ連絡が維持されているということ。
そうして得られた様々な情報は、議論も引き起こした。
生き残った人類同士のネットワークへ、インヘリト王国が加わるべきや否や?
そうした国々に対し、旧世界奪還計画への協力を求めることができるのか?
議論は、とても短期に決着しそうにはなかった。
また、魔王による再攻撃の懸念も、依然としてあった。
転移の紋様によって外国と行き来できるようにするということは、転移妨害の結界を解除するということでもある。
魔王やその軍が、転移の魔術で直接乗り込んでくる危険が高まるのだ。
ファリーハの帰還のために一時的に結界を解除したが、現在はまた展開している。
これを今後はどのようにするべきか?
旧世界奪還計画も、修正・縮小が検討された。
探査隊の壊滅によって、旧世界には予想以上に強力な悪魔が跋扈していると判明した。
軍事力を以て橋頭堡を構築するのは、時期尚早ではないか? という意見が強まった。
だが、悪魔たちや旧世界の状況が不明なままでは、何を計画するにせよ見通しが立たない。
よって、新たな修正計画が提言されることとなった。
具体的には、2つ。
1つは、異世界からもう一度、別の救世主を召喚して戦力にするというもの。
もう1つは旧世界に、今度はより少数の使者を送り込むこと。
悪魔との直接対決をできるだけ避けつつ、情報を集めながら残存する人類のコミュニティと接触・交流を図る。
そして可能であれば魔術紋様と鎧がもたらした超空間通信機によるネットワークを構築し、連絡を維持しようというものだ。
ファリーハは、いずれにも同意し、志願した。
召喚については、臨時の予算が承認されるということでもあるし、魔術省としても国益に貢献した実績が増えるのは喜ばしいことだ。
旧世界への再派遣については、大規模な軍を送る計画は先送りになったものの、少人数からなる使節の一員として、王女である彼女が適任者であることは間違いない。
彼女はアウソニアから帰還した翌日、官舎の自室に人を集めた。
黒い鎧とディゼム、白い鎧とアケウ、そしてホウセ。
彼女は全員が集まると、説明した。
軍隊を送る計画は一度白紙になったこと。
それが再度の召喚の儀式の実施と、魔王の居場所を探りつつ、他の残存する国々と接触を図るという方針に代わったこと。
旧世界への旅のメンバーとして、自分が立候補したこと。
そこまで述べて、ファリーハは続けた。
「次の旧世界探査では、当初から私も隊の一員として参加したいと考えています。つきましては、あなた方に引き続き、同行してほしいのです」
「はい、是非」
「いいよ」
「給料出んならやります」
返答は、アケウ、ホウセ、ディゼムの順だった。
黒い鎧からプルイナ、白い鎧からエクレルが、それに続く。
『本機は特に異存ありません。妥当な方針転換だと考えます』
『当機も同意だ』
「感謝します。ディゼムの発言については、無論、給与に加えて魔術省から手当が出ます。では……」
ファリーハは彼らに頭を下げると、ホウセの席を向いて口にした。
「早速ですが、まずは連絡係として、経験豊富なホウセの意見が聞きたいのです」
「うんうん」
「残っている人類のコミュニティについての詳細と、その中から次の目的地について、候補を挙げてください」
そう言われ、彼女は指を折りつつ、地名の候補を挙げていった。
「えーと、近い順にアールヴィル、トラルタ、メイエ、ウィッシェル――」
彼女は空中に視線を泳がせて、少し迷ったような間を置いた後。
「次に行くなら、アールヴィルがいいと思うよ。アールヴの国だけど」
「アールヴって……そもそも実在すんのかよ」
テーブルを挟んで、ディゼムがぼやく。
プルイナも、それに同意した。
『アールヴとは、伝承上の種族と聞いています。
いわく、アールヴの寿命は極めて長い。
いわく、アールヴの外見は極めて美しい。
いわく、アールヴは人を惑わし、弄ぶ。
……実在するのだとしたら、人間でも悪魔でもない、第三の種族となりますね』
「実在するの!」
ホウセはテーブルに手をついて、そう主張した。
「まぁ、だから正確には人間の国じゃないんだけどね。アールヴから悪魔を攻撃することはないし、なぜか悪魔もアールヴを攻撃することはない」
ディゼムの後ろに佇む黒い鎧から、プルイナが疑問を発する。
『奇妙ですね。悪魔は旧世界から人類を駆逐したと聞きます。アールヴをそうしなかった理由は何なのでしょうか?』
「わからない。アールヴが悪魔と取引してる様子はなさそうだったけど、攻撃されない理由は教えてもらえなかった。アールヴの魔術は強力だし、それを警戒してってことも、考えられなくはないけど」
答えるホウセに、今度は同席しているアケウが尋ねた。
「なんで君は、そんな種族のところにまで連絡に行ってたの?」
「人間に似てる種族だし、人間に敵対的ってわけでもないから、そこに人間が逃げ込んでるかもしれないなって思って」
ホウセは数秒ほど言葉を区切って、続ける。
「結局、人間を匿ってくれてるのかは分からないままだったけど……その後も一応、定期的に巡回はしてた。新しく人間が迷い込むようなことがあったら保護しておく、とは言ってくれてたんだけど」
『友好的でもあり、怪しくもあるといった様子ですね』
「まあ、そんな感じ」
プルイナの意見を、ホウセが肯定する。
そこまで聞いて、同じテーブルに就いていたファリーハが、わずかに身を乗り出した。
「アールヴたちがあなたに隠していることがある、と?」
「断言はできないよ? でも立入禁止のところがあって、何があるかも教えてくれなかったから、そこにもしかしたら……とは思ってる」
『ひどく怪しいな。こっそり入ってみたりはしなかったのか?』
アケウの後ろに佇む白い鎧から、エクレルが尋ねる。
「命の保証はできないとまで脅されちゃね……宿を貸してくれたりはしたから、争いたくはなかったし」
「そちらも謎、ということですね。可能であればそれを開示してもらうのも、目的の一つに加えましょう。あ、ホウセ。他に候補地はありますか?」
ファリーハがうなづいて、再度ホウセに尋ねた。
「アウソニアから一番近いのがアールヴの国だから、まずはそこがいいかな。ほかはちょっと遠いけど、後でどういうところか大まかには説明するから」
『では方針は決まりか?』
エクレルが、ファリーハへと確認する。
「そうですね。今のところは、アールヴたちにアールヴィルを拠点として使わせてもらう、可能であれば転移の魔術紋様も設置させてもらう。そしてこちらも可能ならば、秘匿しているものが何なのか明かしてもらう。これをした上で、アールヴィルから次の人類の集団の所在地へと移動し、同時に魔王の居場所の探索を進めることとします」
『目的は了解しました。あとは追加の人員の選抜と、日程の調整だけですね。我々はいつでも行けますが』
「ちょっと休ませてくんねえ!?」
プルイナに対し、ディゼムが陳情する。
『本機もそれを提案します。XPIAS-6はともかく、着装者には休息が必要です』
「そうですね。私も自分の不在の間についての段取りや手続きがしたいので、その期間は休みましょう。たまに用事に駆り出すことはあるかもしれませんが」
プルイナに同意する、ファリーハ。
その彼女に、アケウが手を挙げて尋ねた。
「他に参加する人員はどのくらいになりそうですか?」
「アウソニアからそこまであまり多くの人員を連れて移動するのは危険ですから、人数は抑えたいところです。ホウセは案内人、アケウとディゼムには鎧たちとともに護衛についてもらうとして……政治的な交渉と、転移の魔術紋様の作成ができる人員が必要ですよね。それならば、適任者は私だと思います。好奇心ももちろんありますが」
(まぁ実際、度胸もあるし、でかい紋様もすぐ覚えちまったし……自分で言うだけのことはあるよな)
主張するファリーハを見て、ディゼムはそんなことを胸中で思っていた。
彼女は自分の手を組んで、自信ありげに宣言する。
「転移の紋様の理論もしっかり学びましたから、次からは私一人でも描けますよ」
「え、じゃあもしかして、この4人と鎧たちだけでアールヴィルに行くってこと?」
そう言って、ホウセは手振りで自分を含めた一同を指し示す。
ファリーハはそれに応じて、
「そうなりますね……反対意見などはありませんか? 些細な事でもいいので」
「うーん……人数はもうちっと欲しい気がすんですけど、危険ってのも分かるからなぁ……俺は特に思い浮かばないス」
ディゼムは素直に、思った所を発言した。
ファリーハは次に、対面のアケウに尋ねる。
「アケウは?」
「強いて言えば、危険ですから、殿下にだけはインヘリトに留まって頂きたいのですが」
「それだけはだめです」
アケウは誠実に心配してそう言っているはずだが、王女はにべもない。
声には出さずに、ディゼムは懸念した。
(やっぱこの姫様、権力を私物化してねえか……)
彼の心情をよそに、ファリーハは更に主張した。
「大人数で押しかけるよりは、アールヴたちから警戒されずに済みそうだとも思っています」
「アールヴが転移の紋様を描かせてくれるかどうかわからないから、そこがちょっと不安かな」
ホウセの懸念に対し、ファリーハが意気込む。
「そこをどうにかするのが、私の役目です。まずはやってみなければ」
「わかりました。では……いつ出発しましょうか?」
説得を諦めたらしきアケウが、彼女に尋ねた。
王女は答えて、
「召喚事業が終わって、私が同行できるよう段取りが付いてから……ということになりますね。具体的には……」
ファリーハは指折り数えながら、続けた。
「召喚には、前回の蓄積がありますから、大聖堂の破損箇所を避けて文様を描くのに、1週間もあれば十分ですね。何が召喚されてくるかわからないという不確定要素はあるにせよ、まずはそれだけ見ておきます。旧世界への再派遣については、まず実家には話を通しておくとして……魔術省では私も主席官として業務に携わっていましたので、長期間私がいなくてもよいように委任しておく必要があります。えーと、私の代理をあらためて指名して各種の審査と承認ができるようにして、それ以外の業務も引き継いで、それらを必要な関係各所に通達させて。アールヴたちの首脳に渡す書簡も準備して……あっ、外務省を再編しないといけませんね。準備だけでも進められるように内閣や議会とも打ち合わせをして……保安警察の関係者とも協議して……その……」
明るかった彼女の表情が、事項をあげる度に真顔に変わっていく。
少し間をおいて、
「……合計10日で終わらせます。がんばります」
王女はそう宣言した。
(無理じゃね)
ディゼムは胸中で、そう評した。
素人目に見ても、あまりに仕事の量が多い。
アケウが、ファリーハに問う。
「期間はともかく……ご家族に反対されたら、どうなさいますか」
「国王陛下も太子夫妻も私の意志は知っていますし、今さら反対はなさらないでしょう。あとは気にすることはありません。みなの気遣いを無下にするようで、心苦しくはありますが、それでも私がやらなくてはならないことです」
『まぁ、そういうことならいいだろう。同行者の安全は改めて、我々もできる限り守る』
エクレルが、諦めたように発言した。
そこでファリーハが、ディゼムとアケウを交互に見て、話題を変える。
「鎧たちはこう言ってくれてはいますが……着装者の2人は実家に挨拶をしてきたほうがいいでしょう」
「え、いいスよ……」
難色を示すディゼムを、アケウが説得する。
「だめだよディゼム。お祖父さんもお祖母さんも心配してるよ絶対に」
「いいんだよ! 兵隊になってからは年に2回くらいしか顔だしてねえんだから……」
抵抗するが、そこにファリーハが加わった。
「いえ、この際ですから、強く推奨します。鎧が召喚されてからというもの、1ヶ月も拘束してしまいましたしね。嫌な言い方になりますが、生きて帰れる保証のある旅ではないと、先日も言いましたよね? 鎧の加護があり、あなたがたも魔術の心得を知ったとはいえ、それでもです。あとで改めて、遺言状を書いてもらいますが」
「ゆ、遺言……」
「私も書きますよ」
困惑するディゼムに、彼女は言い切った。
しかし確かに、前回は腫瘍まみれになったり魚にされかけたりと、死ぬような思いをした。
次こそ本当に死ぬかもしれない、というのは妥当な懸念だった。
そこに、プルイナが畳み掛ける。
『本機とエクレルはバックアップを作成できますが、倫理上、我々がこの世界の人間のバックアップを勝手に作ることは出来ませんので……命は大事にするべきです』
「よくわからんが、なんか怖いことを言ってねえか」
『あなたを心配しているのです』
「そりゃあ……ありがとう」
ファリーハが手を叩き、話題を変える。
「さて、それでは、忙しくなります。アケウは早速で申し訳ないのですが、実家に顔を出してきたらすぐ、官舎に戻ってきてください。白い鎧を着て、エクレル、ホウセとともにに出席してもらいたいので」
「かしこまりました、殿下」
椅子から立って敬礼するアケウ。
ファリーハは2領の鎧を交互に見て、尋ねる。
「エクレル、プルイナ。旧世界で遭遇した、悪魔の記録は残っていますね?」
『記録? センサーのログか、映像データか?』
「悪魔の脅威が、素人目にもわかりやすいものを」
『でしたら、動画ファイルにしましょう。記録を抜き出して編集しておきます』
「任せます。やはり申し訳ないのですが、ディゼムは実家に顔を出したあとは、ここに戻って待機していてください」
彼が返事をする前に、プルイナが言葉を挟む。
『いえ、ファリーハ。我々は魔術の調査と、可能ならば習得を試みたいと思っています。魔術省の協力を得ることは出来ませんか?』
それを聞いて王女は、小さく首を傾げた。
「……ディゼムの魔術教練ということですか?」
『ディゼムには悪いですが、それは恐らく時間がかかりすぎます』
「やかましい」
短くプルイナを罵るディゼム。
彼女は彼を無視して、
『ですので、本機が魔術塗料を調合できないかと考えています。塗料の調合が可能なら、あとは紋様の理論を理解すれば、魔術紋様が描画できますね。それならば魔力を持たない本機やエクレルにも、間接的に魔術が扱えるようになるのではないかと推測しているのです。本機が習得すれば、データ共有によってエクレルも同じことが可能になります』
「なるほど……! それは是非とも試してみたいところですね。少し時間をください、3日以内に手配します」
『ありがとうございます』
ファリーハはプルイナの提案に刺激を受けたのか、そわそわした様子だった。
席を立ち、全員に告げる。
「では、私はこれにて失礼。何かあればこの通信機で、いつでも連絡してください」
鎧たちから借り受けた、首に巻く形式の通信機を見せて、ファリーハは扉へと向かった。
「お気をつけて!」
再度、アケウが敬礼して彼女を見送る。
「じゃあディゼム、僕たちもすぐに、実家に顔を出してこよう」
「あ、その前に!」
ディゼムは親友を呼び止め、指摘した。
「俺らが魔術省に出向して昇進してから、もう半月以上経ってるよな……!?」
「……給料日か!」
2人は急いで席を立ち、鎧を置いたまま外へ駆け出していった。
「ホウセ、悪ぃ、鍵たのむ!」
「……いってらっしゃーい」
残されたのは施錠を任されたホウセと、鎧たちだった。
ホウセが、彼女の前後に佇む鎧たちに尋ねる。
「ファリーハに話が伝わるんだよね? どっち?」
『どちらでも構わん。通話なら繋ぐぞ』
『直接話しかけてください』
「ありがと」
着信に気づいたファリーハが、首元の通信機で返答する。
『もしもし?』
「あ、ファリーハ? ホウセです。さっき言い忘れてたんだけど、私の入国手続とか、住む所を融通してもらえないかなー、なんて」




