2.14.魔拳の兆し
悪魔の右手は、アケウの狙撃で破壊されたままだ。
悪魔は左腕だけで、ディゼムと黒い鎧の首を締め上げている。
その上、笑っていた。
「はははは、人間め、甘く見ていた! 互いにな……!」
黒い鎧を通してディゼムの首筋にかかっているのは、途方も無い握力だ。
この力ならば、無垢の鉄柱であっても難なく捻じ切れるはずだ。
装甲の向こうから伝わってくる圧迫に、ディゼムはうめいた。
「ぐ……!」
『軌道戦闘級のガンマ線レーザーに耐えるとは……!』
プルイナの声に、焦りが滲んでいるようにも聞こえる。
黒い鎧は、全力で抵抗した。
スラスターの勢いを載せて手足を振り回し、可能な限りの打撃を加える。
あるいは近距離レーザー、破砕弾。
しかし火器も、この至近距離でなお効果が薄い。
狙撃体勢にあるアケウは、ディゼムと悪魔が射線上に重なって、すぐには撃てない。
しかし、彼が射点を移すより、ホウセが悪魔の背後に回り込むより、ディゼムの動きが速かった。
「……ッ!!」
力が、集中する。
首を絞められたまま、下から振り上げたディゼムの、左右の拳。
その破れかぶれの一撃が、悪魔の手首を粉砕した。
「ぬ……!?」
たじろぐ、悪魔。
黒い鎧はスラスターを噴かせて後退し、即座に反転、突撃する。
『最大加速』
そのまま悪魔へと、ディゼムは無心で拳を繰り出した。
そこには、何かが宿っていた。
XPIAS-6による筋力の強化、核爆発にも耐える装甲強度、スラスターの推力。
それだけではなかった。
――魔力!
彼の拳には、プルイナの知らない、未知の力による強化が加わっていた。
魔力が宿り、強度を更に増した鉄拳が、ペレグの胸郭を大きく破砕した。
胴体が砕け、繋がりを失った頭部と手足が飛散する。
「――――!!」
その勢いのまま、黒い鎧は悪魔の身体を突き抜けて、激しく転がっていった。
『ディゼム!』
「…………」
ディゼムは意識を失っていた。
彼を保護するため、プルイナは黒い鎧を制御し、スラスターを噴かせる。
糸の切れた人形のように転がりつづけていた鎧は、機体の各部からバシバシとスラスターの噴射光を明滅させ、勢いを減殺する。
そして無理なく、膝と手のひらを地面についた姿勢へと移行させた。
失意にうなだれているような姿勢にも見えるが、着装者は気絶したままだ。
「ちょっと、大丈夫……!?」
動かなくなった黒い鎧に近づき、気遣うホウセ。
射点を取るために移動を始めていたアケウは、望遠でそれらを見ていた。
長大なレール・ライフルの照準を下ろして、つぶやく。
「……やったみたいだね」
『あぁ。ディゼムも命に別条ない。集まってきている他の悪魔を牽制しよう』
白い鎧はそのまま斜面に座り、再びレール・スナイパー・ライフルを構えて遠方の悪魔たちに照準を合わせ始めた。
エクレルがアナウンスする。
『プルイナ、ホウセ。ディゼムを連れてこちらに合流してくれ。厄介なやつは片付いたようだから、警戒しつつ、当初の予定通り誘引を続行する』
追ってくる悪魔たちをひきつけながら、彼らは北上した。
アウソニアへの入口のある地域から、十分と思われる距離としてプルイナたちが推定したのが、およそ250キロメートル。
そこまで悪魔たちを引き離すのに、10日を要した。
鎧たちが姿を消してから、2日後。
アウソニアから北に100キロメートルほど離れた、街道の村の跡地。
150年ほど前に人間たちが放棄した――あるいは皆殺しにされた――村の1つだ。
その一角に、悪魔たちが集まっていた。
先日、半島の南端に集まっていた2万とは比べるべくもない、ごく少数。
働き悪魔の群れを含め、せいぜい500程度だ。
多くの働き悪魔たちは、死体集めに使役されていた。
廃港に現れた人間たちによって殺害された、魔の戦士たちの死体だ。
そこに新たに、呪いの匠、ペレグの死体の破片が加わる。
村の広場だった場所に積み上げられた、悪魔だったものの欠片。
それを前にして、幾重ものローブに覆われた謎めいた悪魔が、何事かをつぶやく。
「~~――~~」
呪文だ。
呪文によって、魔術が発動する。
するとそれぞれの死体から、煙か粉末のような、きらきらと輝く気体めいたものが放出される。
それは流れとなって、呪文を唱えた悪魔へと集まり、ローブの奥へと吸い込まれていった。
記憶。
死体から、記憶をたどる魔術。
金色の流体を通してローブの悪魔へと、死んだ悪魔たちの記憶が取り込まれているのだ。
「……!」
ローブの悪魔は、ペレグたちの末魔の有様を見た。
人間が生き残っており、彼らの目の前に現れたこと。
彼らに戦いを挑み、殺したこと。
そして何より、人間たちが使っていた鎧だ。
噂となっている赤い鎧だけではない。
「黒と、白……?」
これは、何をおいても報告しなければならないことだった。
ローブの悪魔は、懐から人皮紙でできた冊子を取り出し、遠話の魔術紋様のページを開いた。
そこに1画を書き足し、魔術紋様を起動する。
報告の相手が魔王ではなく、最側近を気取っているヌンハーであることだけが、やや惜しまれた。
廃港から残りの悪魔たちを北へ引き離すのに、10日を要した。
250キロメートルの行程なので、1日あたり25キロメートル。
これは徒歩で8時間歩いた距離よりも短いが、あまり早く後退すると悪魔たちを引き離してしまう。
適度な休息を挟みつつ、彼らは交代で悪魔たちに攻撃を仕掛け続けた。
また、武器弾薬・食料などを製造し、電源を兼ねられるほどに大型化した自己複製プリンターがあった。
自己複製プリンターは自分で歩行する能力を持ってはいるが、飛行などはできないため、速度は徒歩よりも多少早いといった程度だ。
そうした条件が重なって、前述の速度となった。
結果、彼らはアウソニアの近傍地域に集結していた悪魔たちの集団を、北へと誘導した。
彼らが姿を隠した後も、悪魔たちはそのまま北上し、アウソニアから離れていった。
目的は達成されたとみてよい。
3人の人間たちと2領の全身鎧は、アウソニアへと帰投した。
帰り道については、空を飛んだため1時間とかからなかった。
自己複製プリンタは大きいため、一部を分離して持ち帰り、残りは自壊させた。
――彼らがアウソニアに戻って最初にしたのは、そうした内容の報告だった。
理事会室でホウセが、集まった長老たちに説明し、締めくくる。
「なので、アウソニアはもう安全と見ていいかなと。以上です」
理事会長は軽く息を吐き、彼女に告げた。
「ありがとう、ホウセとインヘリトの戦士たち。礼を言う」
「どうも」
「我々にとっても必要なことでしたので」
理事会長の言葉に対し、ディゼムは曖昧に、アケウは謙遜するように応える。
隣席していたファリーハが、書類をまとめたファイルを手に、立ち上がって言った。
「では、私からも報告を」
『ファリーハ。申し訳ありませんが、少し待ってください』
「えー……」
黒い鎧からプルイナが、彼女をさえぎった。
今はどちらの鎧も、内部に着装者を抱えたまま臨席している。
『理事会の皆さんと、ホウセに。疑問があります』
プルイナは理事会室に集まった臨席者を見渡し、続けた。
『ホウセ。まず、あなた自身の人格などを疑っているわけではないことは、断っておきます。
しかし、本機はあなたがこのアウソニアにとって、どういった存在なのかについて知りたい。
今回の作戦は成功しましたが、部外者である我々が参加した戦いの成否について、あなたが報告しただけで、理事会の皆さんは受け入れた。
あなたがどういった経緯で、そこまでの信頼を得たのか?
あなたは大事な秘密だと言っていましたが……本機はまさに、それが知りたいのです』
「異世界の戦士よ、その話はまた別の機会に――」
「理事会長」
話題を変えようとする理事会長を、ホウセが止める。
彼女は長老たちの表情を見渡し、
「私は話してもいいと思います。彼らは悪魔を引き離すために10日間、粘り強く戦ってくれました。私一人じゃ無理だったろうし……共有してもいいかなって」
理事会長は少しだけ黙った後、口にした。
「…………君が構わないというなら、いいだろう。了解を取り付けて回るわけにもいかないしな」
「それじゃあ」
ホウセは立ち上がり、ディゼムたちの側を向いて告げる。
「薄々思い至ってたとは思うけど、生き残った人類の国っていうのは、ここだけじゃないの。
インヘリトやアウソニア以外に、そういう国がいくつかあって……私はそこを行き来して、お互いの近況なんかを書簡で交換する役目をやってる。
もうそれなりに長いことやってるから、それで信頼してもらえてる……のかな?」
ややきまり悪そうな彼女の説明を、長老たちが補足した。
「彼女は我々が、悪魔の闊歩する外の世界を知るために頼ることができる、ただ一人の情報源ということだ。いや、今は君たちという存在がいるのだから、“だった”としなくてはならないかな」
「我々はこの150年で貨幣経済というものを失ってしまったが……報酬も、できる限りのものを提供しているよ」
ディゼムにもアケウにも、鎧たちにも、うっすらと、思うところはあった。
人間が生き残っている地域はインヘリトだけではなく、アウソニアがあった。
ならば、他にも?
そう考えるのは不自然なことではない。
多少の驚きこそあったものの、全く信じがたい話というわけでもなかった。
だが、
「やってるのは連絡と、まぁあとは細々した配達くらいなんだけど――」
「その集団というもの! 数と、それぞれの規模は……!? 教えてください!!」
説明を続けようとするホウセに、飛びかかるようにファリーハが席を立ち、にじり寄る。
ホウセは慌てて、彼女を静止しようとするが、
「えーと、今は待って、落ち着いて……」
「落ち着いてはいられません! というか、ホウセ……あなた……」
ファリーハは語気を徐々に弱め、ホウセの肩からゆっくりと手を放した。
「10日間も外出していたせいですか……? ちょっと、臭いが……」
「だから待ってって言ったじゃん!?」
抗議するホウセから微妙に距離を取りつつ、ファリーハは陳謝した。
「すみません……話はあとで聞かせてもらうということで、今は風呂に入ってきましょう。アケウもディゼムも、入りたいでしょうし」
『XPIAS-6には自動で着装者の体を洗浄する機能もあるので、二人は衛生上問題ありません。精神的には別ですが』
『というか、ホウセにも鎧を貸して洗浄機能を使わせようとしたのだが、本人が嫌がってな』
補足するプルイナとエクレルに、ホウセが口を尖らせた。
「何度も言って悪いけど、得体の知れないもので体を洗いたくないの」
『これだからな……誰か早く、この薄汚れた子猫を洗ってやってくれ』
「だれが薄汚れた子猫だって!?」
「エクレル!」
エクレルに対して憤るホウセ、咎めるアケウ。
黒い鎧を着たままディゼムは、ホウセの肩を後ろから押した。
「ほれ、行くぞ。確かお前の家、風呂あったよな」
「すみません殿下、僕たちは先に、ホウセの家に戻っていますので」
「うがぁーーっ」
二人は暴れるホウセの腕を両脇から拘束して、理事会室から退出していった。




