2.10.魔術の手ほどき
ディゼムたちに、魔術の稽古をつけると宣言したホウセ。
彼女は説教でもするように、彼らに要求した。
「昨日はたまたま上手く悪魔を倒せたけど、また腫瘍まみれにされたり小さくされたりするのが嫌なら、私の指導に従って」
「それはその通りだけど……どうすりゃいいんだ」
それに答えて、ホウセは鎧の着装者たちに指示を出した。
ぱんぱんと手を叩き、起立を促す。
「ほら立って。まずは、ディゼム、アケウ。2人で間を開けてそこに並んで」
「おう……」
「こんなものでいいのかな」
人1人分の背丈ほどの広さをあけて、2人が並び立った。
「これから私が、あなたたちを宙に浮かせるから、それを拒絶してみて」
「拒絶?」
ホウセが静かに呪文を唱え、魔術を行使した。
「小さく、揚がれ」
ディゼムの足首に、重い液体の中に沈んだかのような感触が走り、彼の体がわずかに宙に浮く。
「うぉ!?」
のけぞり、尻餅をつくディゼム。
「今のが、全く無抵抗で魔術をかけられた状態。でも――」
ホウセは後ろを振り返り、額を手で覆ったままの王女に声をかけた。
「ファリーハ。悪いけど、ちょっとお手本に協力して」
「……そうでした。協力すると言いましたね」
立ち上がるファリーハの表情は、やや憔悴が和らいでいるようだった。
練習に取り組む彼らの姿が、いい方向に作用したのかもしれない。
2人の間に立った彼女をターゲットに、ホウセは再び浮揚の魔術を使った。
「小さく、揚がれ」
「…………!」
ファリーハは何事もなかったかのように、その場に立っていた。
ホウセが、説明する。
「見ただけじゃ分かりにくいけど、これが抵抗に成功した状態。魔術が効果を発揮する直前に、魔力で抵抗してその発動を妨げたってことね。呪いが確立する前なら、術者を倒せば呪いが解ける。ただこれは――」
彼女はそこまで言うと、別の魔術を使い、呪文を唱えた。
「優しく、吹け」
室内でそよ風が起こり、ファリーハの束ねた銀髪をさらりと揺らした。
「見た通り。魔術への抵抗っていうのは、呪いをかけたり、いきなり体を炎上させたりっていう直接型の魔術にしか使えない。衝撃波とか火球みたいな、物理現象を発生させて間接的に相手にぶつける様式だと全く意味がないから気を付けて」
『それは我々が防ぎます』
解説を続けるホウセに、プルイナが補足する。
「では、私はこれで」
ファリーハはそう言って、再び椅子に戻った。
ホウセが、再び手を叩く。
「じゃ、できるまでやってみようか。自分の足元をしっかり見て、見えない手が、自分の足を掴んで掴み上げようとしている様を思い浮かべて……それを全力で断る! って感じで、念じてみて」
2人はそれぞれ、言われた通りに心で構えた。
「行くよ? 小さく、揚がれ!」
「だ……!」
「ぅおっ……と!」
再び転ぶディゼム、バランスを取って空中に浮かぶアケウ。
「どっちもダメ! もう1回!」
床に突いた手をさすりながら、ディゼムが弁解する。
「いや、だってよ……自分の意思でもないのに空中に浮かぶと、どうしても驚いちまって」
「自分の体に異常が起きた時にそうなるのは自然な反応だけど……それだけに気を取られちゃったら、魔術をかけた相手の思うつぼだよ? そこを克服して、そんな押し付けはいらないって、言い返すくらいの気合が必要になってくる。最初はね」
「うーん……」
「それじゃ、もう1回」
「うぉぉぉ!」
唸るディゼムに対し、ホウセが半眼で告げた。
「……気合が必要とは言ったけど、あんまり踏ん張りすぎると集中の焦点がぶれるから気を付けて」
「おぉ……」
そうして30回ほど繰り返した時、兆候が見えた。
ホウセの言葉に、嬉しさがにじむ。
「今ちょっと、打ち消された手応えがあった!」
「マジで!?」
「アケウの方ね」
「マジで……」
ディゼムがこうべを垂れ、アケウは驚きつつも顔に疑問を浮かべた。
「本当かい……?」
「個人差はあるから、ディゼムもがんばって」
「あぁ、まだまだ……!」
1時間以上経ち、100回ほども繰り返すと、アケウの方は完全な抵抗ができるようになった。
「小さく、揚がれ!」
ホウセの魔術が発動しても、床を踏みしめる姿勢のアケウは微動だにしない。
ディゼムも、浮かばされてもバランスを取る程度には慣れてきていた。
ただ、こちらは魔術に抵抗し、拒絶するところにまでは至っていない。
それでもホウセは、彼らの上達を評価した。
「うん。魔術を使う要領に近くなってきたね。でもまだ初歩で、本格的な悪魔の魔術に対抗するきっかけみたいなものだから、油断はしないでね」
浮いたままのディゼムが、ホウセに尋ねる。
「俺は……どう?」
「これだけやってめげる気配のない根性は買う」
『ディゼム、褒められていますよ』
「やかましい!」
ディゼムは横から茶々を入れるプルイナにうめいた。
そうこうしているうちに夜が明け、昼になった。
理事会の長老たちと会う時間だ。
一行は朝食の後、理事会が会議などに使用する一室に招かれ、長老たちと対面して席についていた。
ディゼムとアケウは鎧を着装しておらず、黒と白の鎧は1領にまとまって別の席にいる。
また、ホウセは本来彼らの一行ではないはずだが、同じ側に同席していた。
一方で、理事会は7名全員が出席していた。
全員が着席してから最初に口を開いたのは、理事会長だった。
「早速だが、まずは、不意の災害を退けてくれたこと。そしてそれに見舞われた我が国民の救助を手伝っていただいたことに感謝したい。どうもありがとう」
それに対して、ファリーハが答える。
「過分なお言葉ですが、嬉しく思います。死者が出ることを防げなかったことは無念でなりませんが……」
「それについて、遺憾ながら指摘しなければならないことだが……」
理事会長とは別の長老が、発言した。
「あの巨大な悪魔は君たちのやってきた直後に現れたものだ。故意にではなかったとしても、君たちの来訪が、悪魔の侵入に利用された可能性は、排除しきれない」
「過失だとしたら、責任は私にもありますよね」
口を挟んだのは、ホウセだ。
長老は腕組みをしながら答える。
「それはそうだ。だが君には役割がある。我々が裁くことはしない」
「役割?」
尋ねるファリーハに、長老の一人が視線を逸らした。
「……すまないが、話せないこともある」
「それより、悪魔を倒した君たちに要請したいことがあってね」
再び、理事会長が話し始めた。
「やはり悪魔についてだ。我々の頭上に集まり、今も君たちを探しているであろう悪魔たちがいる。これを他所へとおびき寄せて、ここから遠ざけてほしい」
「このままでは、ここへの入り口も見つかるかもしれないからな」
「悪魔たちを我が国の上から引き離したそのあと、見つからずに戻ってくる。できるだろうか」
長老たちに、ホウセが質問する。
「遠ざけるだけでいいんですか?」
「君の力でも、軍勢を討ち滅ぼせるとは思っていない。それに、もし万一それが出来てしまったとしたら、魔王はより多くの軍勢をここに差し向けるかもしれないからな。あまり派手な戦果を出されても困るんだ」
「私も協力していいですか?」
「……あまり危険な真似はしないでほしいが、いいだろう」
「だって。いいよね?」
ファリーハの目を見て、ホウセが訊く。
「私たちとしてはありがたい申し出ですが……エクレル、プルイナ。可能でしょうか?」
問われる鎧たち。
エクレルが、白い鎧の眼窩を点滅させながら説明した。
『呪いとやらへの対抗手段が不十分な状態だから、離れて戦いたいな。今回は武器が使えるから、遠距離から攻撃しておびき寄せ、アウソニアから引き離す。そして十分引き離したところでそのまま姿を消して、悪魔に見つからずにアウソニアに戻る』
次いで、プルイナが補足する。
『懸念としては、悪魔の魔術の射程と、探知力です。これが我々を上回っているとしたら、不利ですが……実戦である以上はある程度、不確実要素があるのは致し方ないところ。周囲の地理データを取得しつつ、悪魔を遠ざける距離も算出しましょう』
「150年前のものでよければ、文書館に地図がある。必要なら君たちに解放しよう」
分厚い眼鏡をした別の長老が、エクレルの要望に回答した。
次に音声を発したのは、プルイナだった。
『それに加えて、お詫びとするには不十分ですが、我々からアウソニアに提供したいものがあります』
プルイナは、彼女たちの背後に待機させていた機械を作動させ、理事会の長老たちの前まで歩かせた。
長老たちが尋ねる。
「さっきから気になってはいたのだが……」「何かね、これは?」
『自己複製プリンター。建材や武器、食料品など、生物以外のあらゆるものを製造可能です。自身を複製しながら増えていくので、食糧問題が解決します』
「………………?」
理事会の全員が、その機械に注目しつつも、怪訝な表情を浮かべていた。
プルイナが内容を説明して、すでに作成済みだった腕時計などを見せる。
さらにその自己複製プリンターを実際に作動させて小さな彫像などを製造し、理事会を納得させるのに2時間ほどかかった。
「なるほど……」
(だいぶかかったな……)
ディゼムは口の中でぼやいた。
完全な理解にはやや遠かったかも知れないが、概要は把握されたようで、長老たちは喝采した。
「説明通りだとすれば素晴らしいな。まずは……」
「待ちなさい、その前に」
1人の長老が、他の長老たちを制止して、一行を見回した。
「これがあれば、我がアウソニアの抱える多くの問題が解決する。賠償とはいえ、これほどの品を渡すにしては、あまりに気軽すぎはしないか? 何が要望があるのではないかね」
「…………」
訊かれて、ファリーハは率直に答えた。
「実は、転移の魔術紋様で、このアウソニアから、我々のインヘリトまでを繋いでいただきたいのです」
「転移……それで故郷に帰りたいと?」
「それもありますが、アウソニアとインヘリトは、先の悪魔による蹂躙から生き延びた、同じ人類の国です。同盟を結ぶなどして、共に悪魔に立ち向かう手段を模索できないかと考えています」
長老たちが、口ごもりつつ答える。
「…………それは、実はすでに理事会で話していてね。我々は懸念している。協力関係を結ぶのはいいが、そうすることで、アウソニアがインヘリトに吸収されてしまうのではないかということを」
「我が国は決して、そのようなことはいたしません。両国は対等な関係で――」
「それは言葉だよ、王女殿下」
反論しようとしたファリーハをさえぎって、長老の一人が言う。
「聞くところによれば、そちらの人口は450万人もいるそうではないか。我が国といえば、1万いるかいないかを維持するのがやっとだ。国力も比較になるまい」
他の長老たちの言葉が、あとに続いた。
「そちらにその気がなくとも、小国は大国を、恐ろしいと思うものでね。機嫌を損ねまいとしてしまう」
「その上、そちらの国は青空の下にあるのだろう。本物の太陽がある世界。150年地下に閉じこもってきた我が国の、特に若い世代は、そのような国があると知れば憧れる」
「ならば向こうに住みたい、となっても不思議はない。そんなところに触れを出して移住を禁止すれば――あるいはインヘリトから禁止されれば、不満が溜まるだろう」
「そんな……」
話は、よからぬ方向へ流れていくかに見えた。
だが、
「……とはいえ、このままここで生き続ける限界が近いこともまた、確かだ」
そう発言したのは、理事会長だ。
長老たちも、再び後に続く。
「食料も住居も、今の体制のままでいいとは思っていない」
「ホウセのような魔術師がいなければ、外界について知ることすらままならない状態だ」
「可能ならば繋いで見せてくれ。我がアウソニアと、そちらのインヘリトとを。それから考えるべきこともまた、多いだろう」
彼らが二国間の協力について、前向きに考えてくれているとみていいだろう。
ファリーハは意気込んで、うなづいた。
「ならば早速、文書館をお借りして、転移の紋様の構築を始めます」
「わが国ではもはや、転移の紋様に通じた者はいないが……人工太陽の維持補修をする者たちを派遣する。彼らなら、専門外の紋様でもある程度理解して、ものにできるだろう」
「ありがたいことです。私も専門外ですが……きっと転移の紋様で自由に移動する技術を復活できることでしょう」
『この近郊に転移してくる時に使用した紋様の図形データを保存してありますので、ある程度は応用可能かと思われます』
「そういうことはもっと早く言ってください!」
出発時に、プルイナとエクレルが画像として記録したものだ。
それを聞いて、長老たちはどよめいた。
「しかし、何年かかることやら」「反対はしないが、無謀ではないかね」
ファリーハは机に両手を突き、訴えた。
「まずやってみないことには、無謀かどうかもわかりません。試させてください、是非とも!」
果たして、交渉は成立した。
ファリーハは、アウソニアの魔術師たちと協力して転移の魔術紋様を習得し、アウソニアからインヘリトへと直通可能な魔術紋様を構築する。
ディゼム、アケウは鎧をまとい、ホウセと共に、アウソニアの頭上の地域を徘徊する悪魔たちを北へと誘導し、遠ざける。
同時作戦の準備が始まった。




