2.6.自己の複製
ホウセの家はそれなりに上等なものらしく、広い台所があった。
インヘリトにあったガス管こそないものの、水道が整備されており、蛇口まである。
ディゼムとアケウはナイフで野菜の皮をむき、切り刻む係。
ホウセとファリーハは食器や鍋などの準備をしていた。
長らく使われていなかったらしく、ほとんどは埃が付着していたのだ。
袖をまくり、前がけをして、2人で蛇口の水を使う。
ホウセが小さく、舌を出した。
「ごめんね、基本的にお客を呼ぶことがなかったもんだから」
「よく食器の用意がありましたね……あなた一人の家なのですか?」
「正確には、私の家じゃなくて、借りてる家」
「では、この食器も?」
「そうだよ。全部借りてる」
「空き部屋が二つもあるなんて、一人で住むには広すぎませんか……?」
「まあね。だから男子たちを泊めてあげることもできるってわけ」
出会った当初はややそっけなく思えたが、そうとも言い切れないらしい。
石鹸の粉をブラシにつけながら、ファリーハはさらに質問した。
「私物はないのですか?」
「全然ないよ。管理はアウソニアの人がやってくれてるし」
「……そうですか」
まるで、ホウセ自身がここの出身者ではないような表現だ。
それ以上は恐らくは、この場で軽率に訊くべき事情ではないのだろう。
ファリーハはそれ以上踏み入るのをやめて、ブラシで鍋を磨いた。
埃を落とし切った鍋を確認して、野菜を切っていたディゼムに渡す。
「ディゼム、この鍋に麦を入れておいてください。計量カップで3杯」
「了解ス」
彼は麦を計って鍋に入れると、王女に返した。
空になった木箱を眺めて、ディゼムはホウセに訊ねた。
「ていうか、肉はねえの? いや、無いのは見りゃわかんだけどさ」
「ないよ。作物だけ。家畜もいるにはいるけど、それ用の飼料を育てる畑も必要になっちゃうから、細々と維持してるだけって感じみたいだね」
「大変なんだな……」
真顔でつぶやく、ディゼム。
麦と水の入った鍋、切ったばかりの野菜を入れた深皿を見て、ホウセが言った。
「それじゃ、あとは煮るだけね」
彼女は足元の引き出しから大きなスタンプと平たい缶を取り出して、缶のふたを開けた。
缶の中は印肉になっており、暗い青色の塗料の色が見えた。
そしてスタンプを印肉に乗せ、厨房の何もない石の台の上に押印した。
すると鮮やかな青色の紋様が描かれて、そこからすぐに熱が発し始めた。
ホウセはそこに麦の鍋を置き、更にもう一つの鍋を置くであろう場所に、発熱の魔術紋様を押印した。
その様子を見たファリーハが、感嘆する。
「ガスもかまどもないのにどうするのかと思ったら、魔術紋様で熱を起こしているのですね」
「石炭なんかが出なかったし、薪にするような木を育てる面積はないからね。魔術塗料の原料だけは鉱石が取れたから、こうやって割と自由に使えるみたい」
「熱を発しつつ、調理の間も消えずに作用し続ける塗料……インヘリトにはない技術でした。あとで配合を教えていただけますか?」
「私は知らないよ? 理事会の魔術関係の部署の人に訊いて」
「訊けるといいのですが」
粥が煮えるまでの間、4人はテーブルに就いて話し合うことにした。
まずはファリーハが、家の借り主に尋ねる。
「ホウセは私たちの処遇が、どう決まると思いますか」
「わからない。アウソニアにお客なんて、私が知ってる範囲では初めてだし」
「……追放されちゃったりするのか、俺ら?」
これは、ディゼムの質問だった。
「だから、わからないって。追加の配給をくれたくらいだし、3人くらいなら入れてくれるかもしれないけど、私は理事会の人間じゃないから断言はできない」
「……そうか」
ディゼムに続いて、今度はアケウが訊ねた。
「そういえば、一番偉いっていう理事会長さんのところまで平然と通してもらえたけど、ホウセ、君って、どういう立場なの?」
「それは私も気になっていたのですが……教えてもらえないのですか、ホウセ」
ファリーハもそれに乗り、問いただす。
ホウセは驚いたように瞬きをして目をそらし、口にした。
「ごめん、教えられない。悪いけど、大事なことだから……」
窓の外は、薄暗くなってきていた。
そこに、テーブルから離れて直立していた黒い鎧から、プルイナが声を挟む。
『話題を変えましょう』
プルイナは、黒い鎧の兜の角度を変えてテーブルの一同を見回し、続けた。
『ホウセの助けもあり、我々は何とか悪魔の襲撃から生き残りました。まずは我々から、提案があります』
そこに、エクレルが加わる。
『我々は、同型機だ。機体色と人工人格を除けば、白い鎧と黒い鎧はまったく同一の構造をしている。正式名称は、XPIAS-6、ディグニティ。木星開発機構軍が開発した、汎用装甲歩兵服のプロトタイプだ』
「え、どうしたの、いきなり」
戸惑うアケウに、プルイナが補足する。
『我々は元来機械であり、単独での性能に限界があるということです。今回、悪魔が本当に軍勢でやってきた時、我々はその魔術に対抗できず、着装者や同行者を守れなかった。これが限界だと、明らかになりました。看過できない事態です』
『有体に言えば、屈辱ということだな。なので、切り札を使いたい』
「切り札?」
異世界の鎧たちの表現を、ディゼムが怪訝そうに繰り返した。
『これです。ホウセ、皿を1枚借ります』
「いいけど」
プルイナがテーブルに乗せた空の皿の上に、黒い鎧の指先から、黒い粉状のものを生成して広げた。
サラサラとした、粉末といっていい質感をしている。
更にその上に、彼女は兜の下あごのパーツから取り出した、四角い豆粒のようなものを置く。
色は光沢のない灰色をしていた。
「これは……」
ファリーハのつぶやいた疑問に、エクレルが回答する。
『自己複製プリンター。自分で自分の複製を作れる機械だ』
「……この角ばった豆が、機械?」
「自分で、自分を?」
アケウ、ディゼムが疑問を呈するも、プルイナが観察を促した。
『まぁ、見ていてください』
音もなく展開する、自己増殖プリンター。
「っ!」
四隅の4本のアームを伸ばし、皿の上を小さな虫のように歩いていく。
自己増殖プリンターが歩いた跡からは黒い粉がなくなっており、皿の白い地が筋になって見えた。
自己増殖プリンターの後部をよく見ると、そこから何かが飛び出している。
アケウが口にした。
「足が増えた……?」
5本足になったようにも見えるが、正確にはそうではなかった。
1本目のアームの複製が完了したのだ。
そこから30秒もすると、その近くからもう一本の足――アームが生えてくる。
全体として見ると、小さな虫の体から、もう一匹の虫が生えてきているようだ。
テーブルを囲む4人が固唾を飲んで見守る中、プルイナが、解説を始めた。
『ホウセ以外は、我々が物質を吸収し、様々に変換して利用しているのは既に見ていますね。ビョーザ回廊の岩肌を掘削した時、岩石のいくらかを吸収させてもらいました。普段は空気でそれを行っています。そして吸蔵した物質は元素変換して推進剤として使ったり、弾丸として指先から射出したり……あるいは食料として出力可能です』
「そうだったんだ」
うなづくアケウ。
エクレルが解説を交代し、続けた。
『そしてこの、自己複製プリンターにも同じ機能が備わっている。我々からの指示で、物質のある場所ならどこでも、自分の複製の部品を生み出す。そして数が揃えば今度は合体して、より大きな自己複製プリンターとなることもできる』
自己複製プリンターはすでに6本の足で歩いており、皿の上の黒い粉は、歩いた分だけ減り続けていた。
『今はまだこのサイズですが、周囲の物質を吸収し、もっと大きくなります。大きさが十分になったら、今度は武器を製造させます。エクスプローシヴ・バレットより強力で、ガンマ・ガンより余波が少なく、扱いやすい武器です』
補足するプルイナに、ディゼムが真剣な表情で問う。
「それが完成したら、悪魔の大群にも勝てるってことか?」
『魔術にも射程の限界があるはずです。その外側から敵を破砕できれば、勝てます』
「何か、すごそうな話になってるけど……」
ホウセが、皿の上の自己複製プリンターの背中を指で撫でながら、話に加わる。
「私としては、強い武器だけじゃダメだと思う」
指を離したはずみで、自己複製プリンタが皿の上で転倒した。
『それはどのような意味なのですか、ホウセ?』
プルイナの質問に、ホウセが訪ね返す。
「あなたたち鎧は、魔術を使わないわけでしょう?」
『その通りだ』
今度は、エクレルが答える。
「だったら、悪魔の魔術には対抗できない。悪魔は遠く、見えない場所から標的を変異させるような魔術も使うことがあるから……遠くから撃つだけじゃ、ダメなこともある」
『隠れながら行使できるということか?』
「そうだね。姿を消したり、相手をネズミに変えるような魔術もある」
ホウセの見解に、プルイナが再度質問する。
『では、どのような方法で対抗するべきですか?』
ホウセはそれを受けて、ディゼムとアケウに視線を向けた。
「中の人が魔術を使えるようになればいい」
「俺らが……!?」
特にディゼムが、自身を指さして驚く。
「正確には、使えなくてもいい。でも魔術を使えないまでも、かけられた魔術に抵抗することができれば、だいぶ違うはずでしょ? 悪魔に――例えば、あなたたちが受けた腫瘍の魔術とか、足萎えの魔術とかを使われても、心得があればある程度は抵抗して、うまく行けば無効化できる。相手の魔術が強くて無効にならなくても、進行を遅らせて反撃や撤退に繋げられる」
「僕も、魔術の練習をするってこと?」
尋ねるアケウを、ファリーハが肯定した。
「そうですね……私自身素人なので考え至っていませんでしたが、このような事態になったのなら、あなたがたが魔術の心得を学ぶというのは十分に意義のあることだと思います。確か、ホウセは悪魔の呪いの魔術を受けても跳ね返していましたね」
「マジで……? やれっかな」
ディゼムは腕を組んで、急な話に思案した。
インヘリト王国では、魔術師といえば専門教育を受けたエリートというイメージが強い。
軍には魔術兵もいるが、通常は魔術の教育課程を経た者でないと任命されることはない。
プルイナが、ホウセに尋ねる。
『それはどのくらいで習得可能なのですか?』
「早ければ1日かな」
出てきた数字に疑問を持ったか、アケウが質問した。
「そんなに早く?」
「私が魔術の師匠からコツを授けられたときのことだけどね。どんな人間でも魔力を持ってる。あんなの見ちゃった後だし、教えるよ」
あんなの、とは、腫瘍や足萎えの魔術で無力化された着装者たちの有様のことを言っているのだろう。
悔しくもあり、ディゼムはホウセに尋ねた。
「いいのか、そんなにあっさり」
「ありがたくはあるけど……お礼できるものが」
アケウまでもが、何やら遠慮がちだ。
せっかく魔術の心得のある者が教えてくれるというのだから、断ることはない。
「あ、魔術の指導なら、私も微力ではありますが、お手伝いします」
ファリーハは二人を制止しようと声を上げる。
一方ホウセは椅子から立ち上がり、鍋の様子を見てからそれに答えた。
「さっきのアース……なんだっけ? あれを分けてくれたらいいよ。冷やしたらおいしそうだし」
『アース・チョコレートですね。次はより高級なものを再現しましょう』
とは、プルイナ。
「……それでいいなら、いいか」
それ以上拒むような理由も思いつかず、ディゼムは再び腕を組んで黙った。
代わり、というわけでもないだろうが、プルイナが幾度目か、ホウセへと質問する。
『あなたのいう魔術の練習を行うことで、副作用などはありますか?』
「ないよ。まーあんまり失敗続きだといい気分にはならないだろうけど」
『ならばいいだろう。魔術とやらは今のところ、お手上げだ。専門家に任せるとしよう』
エクレルが、半ば投げ出したような口調でそう言った。
「じゃあ、それでいいね。ちょうど料理もできたみたいだし、食べよ?」
ホウセが話の流れを区切ると、4人はいそいそと配膳に取り掛かった。
鎧たちは特に手出しをすることもなく、見守っている。
「あ、その機械の虫はしまっておいてね。目に見えないとこならいいから」
『わかりました。本格的な使用の許可は、また後ほど理事会に問い合わせることとしましょう』
プルイナはホウセの言いつけに従い、黒い鎧を動かし、皿と自己複製プリンタを別室へと持って行った。
地下の地下であるホウセの家からでは見えないが、アウソニアを照らす人工太陽は大きく光度を落とし、夜に差し掛かりつつあった。




