2.5.地底の太陽
石の階段を、30分以上は降りただろうか?
最後にたどり着いたのは、岸壁のくぼみだった。
それなりに大きく、人が2人並んで通れる程度の幅がある。
ホウセが、岩の小さな裂け目に手をひっかけて引くと、そこに隠されていた扉が動いた。
開いていく裂け目から、強い光が漏れてくる。
扉の向こうには、巨大な円柱状の空間が広がっていた。
魔術の照明を消しながら、ホウセが告げる。
「ここがアウソニアだよ」
「なんじゃこりゃあ……」
「すごいな。地下なんだよね?」
ディゼムとアケウも、既に意識を取り戻して歩いていた。
ホウセを除く一行は少しの間、その景色を唖然と眺めていた。
彼らは円柱状の空間の、根本の付近にいるようだった。
不可解な点としては、30分ほども階段を降り続けた先にあるにも関わらず、地上と同様の強さの照明が、真上から差し込んでいる。
アケウの言う通り、ここは地下空間のはずなのだ。
だが、なにか太陽めいたものが、円柱状の空間の天井付近に浮かんでいるように見える。
端の部分ではむき出しの岩の天井が見えているので、地上に吹き抜けているわけではないのだろう。
その光は、彼らが地上で浴びていた太陽のそれと、同じに感じられるほどの眩しさだった。
一方、ディゼムたちのいる場所から下は、同心円の階段状になっていた。
1段あたり、幅は20メートルほどか。その段のほとんどが、畑になっているようだ。
畑には、作物の収穫や手入れをしているらしき人影も、いくつかうかがえた。
「地上に置いとくわけにもいかないから、まずは案内しちゃったけど、これからどうする? ここに住む?」
ホウセの質問に、ファリーハが答えた。
「まずは、インヘリト王国に帰還する方法を考えますが……そのための拠点になる場所をお借りしたいですね。そのためにも、どなたかこの国で立場のある方に断らなければ」
「アウソニアなら、理事会だね。理事会長っていう人がいるから、その人に会って事情を話すのがいいかな」
「……こんな身なりなのは、少し困りましたけど」
鎧に包まれているディゼムとアケウはともかく、ファリーハは先程の戦闘によって、衣服が大きく損傷していた。
ホウセの魔術で目立つ裂け目は縫い合わされていたが、左肩の部分を染めた血や、そこかしこに染み付いた泥やほこりは落とせないということだった。
「……しょうがない。ちょっと小さいかも知れないけど、私のを貸してあげる。まずは私の家に行こう」
ホウセは槍にまたがって飛ぶのではなく、歩くつもりのようだった。
アウソニアを見渡せる足場から彼女の後を追い、ファリーハたちはさらに階段を下りた。
そこで、足元がはっきりと見えることが気になって、ディゼムが訊いた。
「なぁ、ホウセ、あの明るいのは何なんだ? ここって、地下なんだろ? あれも魔術の明かりなのか?」
「あれは人工太陽。魔術で動いてるらしいけど、昔の人が作ったものだって」
「ずっとあんな風に明るいのか?」
「夜には暗くなるっていうか……あの人工太陽が明るくなるのと暗くなるのを繰り返すようにできてて、その暗い時間を夜って呼んでる。ここの人たちは」
「すげえ世界に来ちまったな……」
ホウセの答えを聞いて、ディゼムは驚嘆しつつ、手でひさしを作りながら人工太陽なるものを見上げた。
『目を傷める光度です。視界を補正します』
プルイナがそうアナウンスすると、ディゼムの視界が暗くなった。
「……何か、すげえ形してんだな」
鎧越しに輪郭がはっきり見えるようになった人工太陽は、うねる触手を多数生やした、やや不気味な外観をしていた。
天井から梁や索などといった、物理的な手段で吊るされているわけではないようだった。
アケウも同様にして、白い鎧の内部から同じ物を見ていたらしい。
「ちょっと、不安になる形だね……」
「あとで私にも見せてください」
「ええ、殿下。エクレル、構わないだろ?」
王女の要請を、アケウは請け負った。
鎧の兜だけを貸し出し、ファリーハにも同様の補正が施された視界を見せることは可能だった。
エクレルが、やや不機嫌そうな声音で返答する。
『構わないが、あまり便利な道具扱いしてくれるなよ。当機は戦闘兵器だ』
階段を下りると、農道に出た。
一行は人工の日差しの中、踏み固められた土の道を歩きはじめた。
彼らは、地下の世界の、更に地下となる部分へと入って行った。
地下1階に当たる大きな区画の中に、理事長の執務室があった。
部下に通されて入室すると、そこには総白髪の老年の男がいた。
がっしりした机を前に、がちゃがちゃと古いタイプライターを叩いている。
「お邪魔します、理事会長」
ホウセが扉を開けて声をかけると、彼は顔を上げて
「ご苦労だったねホウセ。後ろの人たちは……? 見ない顔だが」
「港で悪魔に襲われていた異邦人たちです。助けてきました」
「何…………!?」
ホウセの衣服を借りて着替えたファリーハが、理事会長と呼ばれた男に一礼する。
「はじめまして、ファリーハ・クレイリークと申します。事情を話すと長いのですが……」
彼女たちの来訪は、物議を醸した。
アウソニア国民理事会は、その日集まれる全員を招集し、緊急の会議を開いた。
だが、
「これは大変な事態ですよあなた。我々の知らない生き残りの人間がやってくるとは」
「インヘリトといえば、先の戦いの最後に船で、未知の島へと逃げた国でしょう。なぜ今更戻ってくるのか」
「魔王に対抗しうる異世界の鎧というが、悪魔の軍に敗北してホウセに助けられたのだろう。そんなものが――」
彼らの扱いをめぐって、理事会は紛糾した。
ファリーハは事情を説明するのに精一杯で、意見を差し挟むことができなかった。
彼女たちは、ホウセの家に間借りして、処遇が決まるまで待つこととなった。
アウソニアには外からの来客がほぼあり得ないので、そうした人々に貸すための宿が存在しないというのが理由だった。
ファリーハが、見解を口にする。
「まぁ、表向きはそうでしょうが……私たちが“逃げた国”の末裔だからというのも、あるかも知れませんね」
「この国の先祖だって、地下に逃げたんじゃないんスかね……」
ディゼムは毒づくと、部屋を見回した。
理事会の区画からやや離れたところに、ホウセがアウソニアで借りている家があった。
ここはその、空き部屋だという。
「まぁ、そう言わないであげてよ。この国の人たちが苦労して、頑張ってここで生きてるのは確かなんだから」
「そりゃ否定はしねぇけど……」
ホウセの言葉に、ディゼムはあいまいに答えた。
彼女の家も、人工太陽で直接照らされることのない、更なる地下に設けられていた。
アウソニアで人工太陽の恩恵を受けることができるのは、作物とそれを育てる人間だけなのだという。
『着装解除』
プルイナとエクレルが、それぞれの機体を着装者から引きはがし、独立して人型を取った。
ディゼムは違和感に気づき、少しだけ驚いた。
「あれ……俺の服」
鎧の下で着ていた彼の衣服は、陸軍の兵士の物だったが、今は異なっていた。
首から腰までが、肌にぴったり張り付くような、薄手の奇妙な衣服に変わっている。
「何だこの服」
『腫瘍の魔術の治療の際に邪魔だったので、あなたの陸軍服は分解してしまいました。それは代わりの衣服です』
「…………そうか。わりぃな」
『どういたしまして』
ディゼムは何と反応すればいいのか迷いつつ、礼を言った。
アケウの方はそうした処置が不要だったのか、彼は上下ともに陸軍服のままだった。
そこに、ホウセが戸を叩いて入ってきた。
「ところであなたたち、食事は?」
「……まだだ」
ディゼムが答える。
ビョーザ回廊跡地に集合した時間が正午、旧世界に到着して4時間ほどが経過していた。
ディゼムたちは第2陣として交代で向かう予定だったため、昼食などは取っていない。
ホウセはそれを聞いて、懸念を言う。
「配給回してもらえるかどうか分からないから、理事会に聞いてみないと」
「配給……?」
「アウソニアの食料は、国が決めた分だけ国民に配られるようになってるの。私はともかく、さっきこの国に来たばかりのあなた達は、配給計画に入ってない」
と、ホウセが説明する。
『それについては、ある程度対策があります』
内部にディゼムがいない状態の黒い鎧を動かして、プルイナが言う。
『ホウセ、食器を借りたいのですが、よろしいですか?』
「いいけど、しばらく使ってなかったからちょっと洗うよ」
一行は食卓のある台所に移動した。
プルイナはホウセの皿を借りてテーブルに置き、その真上に、黒い鎧の兜を取り外して掲げた。
すると兜の内部から灰色の、笛の吹口を思わせる細長い物体が垂れ下がってくる。
更にその先端から、暗い褐色をした、粘度の高い液状の物質が皿へとひねり出されてきた。
甘い香りが漂ってくるが、ホウセは不気味そうに尋ねる。
「何それ」
『歯ごたえはありませんが、栄養素とエネルギーを十分に備えた食品です。短期間なら、これで凌ぐことができます』
「……食べられるやつ?」
『どうぞ』
「…………」
指先にわずかにすくって舐めると、ホウセは意外そうに目を丸くした。
「あれ、悪くないんじゃない……?」
『今回はアース・チョコレート・ブランドを再現しました』
「あ、私も……前から興味がありましたので! ちょっと行儀が悪いですが、失礼します!」
ファリーハは好奇心を隠しきれないようで、足早にテーブルに駆け寄り、指でペーストをすくった。
口に含み、
「あまい!」
『とはいえ、通常の食品も摂取できればそれに越したことはない。今回はこれで済ますとしても、配給品を分けてもらいたいのだが』
彼女の感想は無視して、エクレルが白い鎧からホウセに要請した。
「理事会での話し合いが落ち着いたら、頼みに行こう。皿は不揃いだけど、全員分あるから……」
そう言うと、ホウセは別のことに気づいたようだった。
「あ、鎧のあなたたちは? 研磨剤とか食べたりするの?」
『いらん』
『そうしたものは不要です』
そこへ、扉を叩く者がいた。
「異国の人たち、臨時配給ですよ」
壮年の男が、台車に載った木箱を届けに来ていた。
「あ、ちょうどよかった」
ホウセは玄関に歩いて、男から木箱を受け取る。
「ホウセ、お疲れさん。異邦人だって、みんな興味津々だよ。野菜は食べられるのかね?」
「大丈夫だと思うけど……」
「3人って聞いてたけど5人いる。大丈夫かい?」
「あぁ、鎧を脱いで飾ってあるだけだから、心配しないで」
「鎧か。ずいぶん古めかしいもの使うんだねえ。まぁ、ゆっくりしていきなさい。お客さんがた」
「ありがとう、おつかれさまでーす」
配達人の男を見送って、ホウセは扉を閉めた。
彼女は鍵をかけると、一行を見渡して提案する。
「じゃあ、ちょっと早いけど食事にしよう。準備、手伝ってね」
『古めかしいといわれたぞ』
『抗議の必要がありますね』
配達人の表現に思うところがあるのか、エクレルとプルイナは不満を言った。
着装者たちが、それぞれの鎧をたしなめた。
「おじさんの何気ない感想じゃないか……」
「そもそもどこに抗議する気だよ」
「いいから、食事の支度! 手伝って!!」
ホウセが声を荒らげると、彼らは椅子を立ち、支度の手伝いに移った。




