2.3.呪詛の恐怖
黒い鎧が踏みしめた反動で、古びた床板が破れる。
装甲を着込んでいる分、廊下は狭かった。
そこを一足で飛び抜け、ディゼムは悪魔に鉄拳を叩きこんだ。
強固な装甲による、強烈な一撃。
「ガカ――――!?」
悪魔の透明な胴体が、見た目に反して大きく陥没する。
玄関を通って家の門を抜け、道の反対側まで吹き飛ぶ悪魔。
そのまま向かいの壁にぶち当たり、透明な体液が飛び散った。
それを追って敷地の外に出ると、道のそこかしこに同じような悪魔が徘徊している。
悪魔たちは吹き飛ばされた仲間に気づいたようだ。
黒い鎧の方に、一斉にその単眼が向いた。
思わず、うめく。
「クソ、こんなにいるのか!?」
『図書館の書籍に、類似する記述と図像がありましたね。ダフニア、悪魔の軍の主力と思しき低級の兵。それでも少なくとも、150年前の歩兵の銃で正面から撃ち抜けない皮膚を持っているようです』
体の向きを変え、悪魔たちが駆け寄ってくる。
ディゼムは腕を振り上げながら、唱えた。
「え、エクスプローシヴ・バレット!」
黒い鎧の指先から射出された破砕弾が、ガラスの悪魔たちを直撃する。
破裂音と共に、悪魔たちの肉体が爆散した。
プルイナが、アナウンスした。
『敵と思しき11体を無力化しました。更に15体が接近。熱電・色覚迷彩モードを使用します』
「クソ、マジで悪魔がうようよいるのかよ……!」
プルイナが、黒い鎧を透明化させた。
悪魔に対する効果は不明だったが、彼らは動きを止めて周囲を見回し始める。
『迷彩は有効のようです。このまま戦闘を続行します、ディゼム!』
「あぁ、ちと卑怯な気はするが……しゃあねえ!」
そこへ、エクレルから通信が入った。
『プルイナ、ディゼム。連中が壁を壊そうとしている。玄関から脱出するから、援護してくれ』
『了解しました』
通信終了と同時、廃屋の玄関から人間が飛び出してきた。
先頭にファリーハ、その次に魔術師たち、銃を持った兵士たちと続き、白い鎧が最後だった。
「エクスプローシヴ・バレット!」
アケウが後ろから追ってきた悪魔たちに対し、破砕弾を放って攻撃する。
破砕弾がガラスの悪魔たちを破砕する――が、同じ姿の悪魔たちが続いて出てきた。
ディゼムは透明な状態のままの黒い鎧で、更に10体以上を撃破する。
『後方の探査隊にも悪魔が接近しています!』
「エクス、以下略ッ!」
探査隊に襲いかかる他のガラスの悪魔たちにも、破砕弾を見舞っていく。
プルイナが外部音声をオンにして、後続の探査隊を誘導する。
『こちらです! 急いで!』
隊全体が敵の少ない方へと移動していると、プルイナが警告した。
『ディゼム、既にドローンを放って周囲の映像を確認しましたが、ここは既に1万体以上の下級悪魔に包囲され、押し込まれつつあります』
「大軍勢じゃねえか……! どっちに進めばいいかわかるか?」
『既に展開したドローンの情報では、ここは港町だったようです。南の海側には敵は少ないですが、追いつめられる可能性が高い。次に敵の密度が薄いのは北の山側ですが……』
「何か問題があるのか」
ディゼムは破砕弾をばらまきつつ東に進み、プルイナに尋ねた。
『罠の危険があります。そもそも、悪魔たちには我々がここに転移してくることが事前に分かっていたのではないかと推測しますが』
「情報が筒抜けだってことか!?」
『経路は不明です。ですが、我々が偶然悪魔たちの大集落の中に姿を現してしまったとするには、悪魔たちの動きが速すぎるのです。王都の中心に魔王の“影”が出現した際も、即応できる人間の兵士はここまで大量にはいなかったでしょう』
「確かにそうだけどよ……!」
今や旧世界探査隊は、黒と白の鎧が前後を守り、王女と兵士、魔術師たちを挟んで東へ急いでいる状態だった。
すでに100体以上のダフニアを撃破してはいたが、敵の勢いは衰えない。
それぞれにそれなりの荷物を抱えた状態で、速度も落ちている。
鎧だけなら飛行できるが、まともに連れて行けるのは2人までだ。
その間も、ガラスの悪魔たちの集団は着実に包囲を狭めていた。
『緊急事態です、ディゼム。他に人間はいないようですから、高度を上げて、限局核レーザー砲で周囲を薙ぎ払います』
「それヤバいんじゃなかったっけ!?」
『味方に余波が及ばないように撃ちます! 姿勢を楽にしてください!』
プルイナが黒い鎧を操作し、スラスターを噴かせて上空へ飛び上がる。
そして空中で右腕を伸ばすと装甲が変形し、肩に砲を担いだような状態になった。
市街地に向かって射撃するので、照射地点にはごく小規模とはいえ放射化が起きる。
逃げる味方に余波が及ばぬよう、白い鎧と状況をやり取りしつつ、照準。
『限局核レーザー砲――』
すると発射直前、黒い鎧が下方へと引っ張られた。
自身の体も急激に重く感じられるようになり、ディゼムは困惑した。
「――――!?」
プルイナが報告する。
『本機に対し、下方へ90.6Gの加速度が生じています。原因不明。現在の推力では滞空を維持できません』
「何――」
異常な重力に負けて、黒い鎧は墜落した。
重力は内部のディゼムにも襲いかかっていたが、プルイナは鎧の機能を総動員して彼の肉体を保護した。
機体は透明なままなので、ディゼムのうめき声と小さな土煙だけが上がる。
「ぐぁッ……!」
限局核レーザー砲の発射体制も、解除されてしまった。
不都合は、それだけに留まらない。
黒と白の鎧のセンサーに、危険な物体が検出された。
プルイナとエクレルは、高速通信で状況を確認する。
『上空から極超音速で飛来する物体多数。危険です』
『検知した。だが、近すぎる。防ぎきれない――』
黒い鎧と、白い鎧。
隊長であるファリーハに、魔術師2人、兵士8人。
そしてそれを取り囲む、無数の悪魔たち。
それら全てを目がけ、小さな隕石が多数、突入してきた。
天変地異に等しい轟音が、廃墟となったかつての港町を襲う。
黒い鎧は、強烈な重力で立ち上がることができないまま、余波に巻き込まれた。
白い鎧は、隕石の一つの直撃を受けた。
離れて後ろにいたファリーハは、余波で吹き飛ばされて体のそこかしこを打った。
生身の人間である探査隊の隊員たちは、衝撃波と飛散する瓦礫で消滅した。
周囲の悪魔たちも多数、これに巻き込まれて散った。
まさに、災害だった。
残ったのは、廃墟ですらない瓦礫の山。
一方で、鎧は形を保っていた。
熱電・色覚迷彩はエネルギーが足りないため解除したが、内部の人員も生存している。
プルイナは内部のディゼムに、エクレルもアケウに対し呼びかけた。
『ディゼム、生きていますね。本機はまだ行動可能です。可能であれば、体を起こしてください』
「う……」
『アケウ、立てるか。隕石群らしきものの落下に巻き込まれた。目を覚ませ。装甲の相転移防御でエネルギーを使いすぎて、今の当機だけではお前を支えて駆動することができん』
「く……殿下……」
2領の鎧が、ダメージで性能の低下した駆動系を叱咤し、立ち上がる。
そこに、新たな影が姿を表した。
「生きているか。恐るべき鎧だ」
金属板を叩いた音が、たまたま人間の声に似ている。
鎧のセンサーを介してディゼムたちが聞いたのは、そんな声だった。
「何……だ……? 悪魔……?」
その背丈は2メートル以上あった。
手足や頭は、鞭のように細くなっている。
その上、その細長い部分の全てに、大小の刃が列を成して並んでいた。
奇妙なオブジェのような姿――刃の悪魔、とでも呼ぶべきか。
刃の悪魔は、もっとも近くに立っていた黒い鎧へとふらふらと近づき、右手らしき器官を振り上げた。
振り下ろして、切り裂こうというのだろう。
だが、鎧の装甲は刃を食い止めた。
攻撃を受けたディゼムは、駆動系が弱まり重く感じられる右腕を上げて、唱える。
「エクスプローシヴ、バレット……!」
指先から破砕弾を発射する機能は生きていた。
が、弾丸は刃の悪魔の細い胴体に当たって爆発したにもかかわらず、わずかな窪みを作るに留まった。
刃の悪魔はひょいと飛び退き、何事かを唱える。
「腫瘍よ、膨らめ」
「うっ!」
途端、ディゼムの両腕に激痛が走った。
プルイナが状況を、高速で分析する。
『線維芽細胞がありえない速度で増殖して、肉腫になっている……! まさか、魔術でこんなことが……!』
「うぁ……! 何だ……何が起きてんだ……プルイナ……!」
黒い鎧が、膝を突く。
『ディゼム、気を確かに持ってください。今のあなたの身体には、上半身を中心に何らかの異常が生じています……!』
外部からの原因不明の刺激による、強制的で猛烈な速度の細胞分裂。
つまりは、腫瘍だった。
彼の体の表面に、凄まじい勢いで腫瘍が増え、膨らみ続けている。
それによって体内の酸素と栄養素が奪われ、酸欠。
あるいは激痛によるショック死という危険が想定された。
プルイナは黒い鎧の装甲の結合を緩め、麻酔薬を投与することで緩和を試みた。
一方白い鎧は、拳の先端から2本の針を突出させ、刃の悪魔に突進した。
「ヴァリアブル・パラライザー!」
針が突き刺さり、鎧の内部から発生した高圧電流が刃の悪魔に流れ込む。
「……!」
だが刃の悪魔はそれに耐え、別の呪文を唱えた。
「四肢よ、萎えよ!」
今度は白い鎧の中の、アケウの肉体に異変が生じた。
「が……!?」
手足に激痛が走り、棒になったかのように関節が動かなくなる。
それを分析したエクレルは、人間でいえば驚愕に近い感覚を覚えていた。
『手足から急速に水分と脂質が失われている……気密されている当機の内部で、肉体の質量が減少するだと……!?』
「え、エクレル……何が……!?」
このままでは、頭部と胴体の血液が手足に流れ込もうとした結果、失血死に至る可能性がある。
エクレルは鎧の手足の内部圧力を大きくして、それを食い止めようとした。
これが、悪魔の使う魔術だというのか。
あり得ないことばかりだ。
まさか先ほど黒い鎧が墜落したのも、隕石群の落下も、魔術によるものか?
既に隊員は9名が死亡し、いずれファリーハも死ぬだろう。
着装者たちも、このままでは死は免れない。
「諦めないで!」
そう叫んだのは、立ち上がったファリーハだった。
官服はぼろぼろになり、体のあちこちに打撲や裂傷を負っているが、生きていた。
「仄めく光よ、確かな仄めきよ!」
彼女は角材を振りかぶり、刃の悪魔に向かってよろめきながら走って行く。
どこかに転がっていたらしい、古びた角材は、うっすらと光っていた。
王女の習得していた、初歩的な武器強化の魔術。
まさか、それで一太刀を浴びせることが可能なのか?
プルイナとエクレルは、その様子に、わずかな希望を見出しかけた。
だが、現実は無情だった。
「あっ!?」
刃の悪魔が無造作に腕を振り上げると、ファリーハが悲鳴を上げて転倒する。
魔術を施された角材は悪魔の左腕の一振りであっけなく切断され、彼女自身も負傷した。
元より隕石群の飛来から奇跡的に生き残っただけで、全身に怪我を負っている。
『危ない!』
彼女を守ろうと、プルイナとエクレルは降下させたドローンを突撃させた。
ドローンの大きさは、鎧の内部に格納できる程度のものだ。小型と言っていい。
プロペラから懸架された垂直に細長いボディは、いかにも頼りない。
これも全て、悪魔が腕を振っただけで撃墜された。もとより、戦闘用ではない。
黒い鎧は、腕と胸郭が腫瘍で膨れ上がりつつあるディゼムを保護している。
両腕は全く動かせず、装甲の結合も緩めたままだ。
内部のディゼムは、麻酔の作用で意識が混濁しつつある。
白い鎧は、着装者の手足を動かせないため、棒立ちの状態で倒れていた。
内部のアケウは、四肢が急速に萎びてゆく激痛で気絶しかけていた。
エクレルが白い鎧のスラスターを吹かせて強引に浮き上がり、悪魔に向かって突進するが、
「風よ、弾け」
刃の悪魔が放った衝撃波の魔術によって、撃墜される。
クーデターの時に海軍の魔術師から受けた魔術より、威力が高い。
「……!」
負傷した腕を押さえて立てずにいるファリーハ。
彼女に向かって、刃の悪魔が無言で近づいていく。
鋭い刃の並んだ腕が王女へと振り下ろされるのを、誰も防げない。
いや、防ぐ者がいた。
金属音が響く。
「!!?」
真紅。
それは真紅の色の――鎧だった。
頭のてっぺんから、つま先までを赤い装甲に包まれた、人間と思しい姿。
それが、刃の悪魔の、刃の並んだ腕を、両手で挟んで受け止めている。
刃の悪魔が、動揺を見せた。
「何だ……?」
同じく刃の並んだもう片方の手を振り下ろすも、それを今度は片手で受け止められた。
悪魔は、真紅の鎧に対し、腫瘍を発生させる魔術を行使した。
「腫瘍よ、膨らめ!」
「……」
真紅の鎧は何事もなかったかのように、刃の悪魔の両腕を受け止めたままだ。
それどころか、凄まじい力で、悪魔の両腕を外側へと弾いた。
悪魔の両腕が大きく左右に広がり、大きな隙ができる。
その細い胴体から、ごおん、と鈍く激しい金属音が響く。
真紅の鎧の正拳が激突したのだ。
大きく後ろに吹き飛ばされる、刃の悪魔。
「ぬぐぅ……!?」
悪魔が反撃の魔術を編み上げ、攻撃しようとした時――
どこからともなく、槍が飛んできた。
同時に、真紅の鎧が右手を掲げる。
槍はぴしゃりと、そこに収まり、握られた。
まるで、そこを目がけて飛んできたかのようだ。
真紅の鎧の表面と同じ色の、真紅の槍。
槍が、天を叩くように振り上げられた。
真紅の槍の穂先は、刃の悪魔の脇腹を捉え、反対側の首筋へと抜ける。
斜めに、真っ二つ。
「!?」
切り裂かれた刃の悪魔は絶命し、粘性の高い青黒い体液をまき散らしながら、廃墟の道に転がった。




