1.12.事変の終結
手詰まりだった。
甘く見ていた。
兄である王は、脅迫に屈しなかった。
マストリヒトに、もはや次の手はない。
眼前の兄は、石板を前に彼の様子を睨むでもなく、見つめている。
「どうした……? 撃たないのか?」
その時マストリヒトの耳に、悲鳴のような、鋭く甲高い音が聞こえてきた。
「!?」
執務室に吹き込んでくる、強い風。
窓が揺れ、上等な生地のカーテンがばたばたと暴れる。
国王も手で顔をかばいながら、外を見た。
風は、上から来ていた。
「何だ……!?」
「おじいさまっ!!」
国王の疑問に、女の声が返ってきた。
マストリヒトにも、馴染み深い声。
次の瞬間、ベランダの窓の上方から、声の主が姿を現した。
「大叔父さま、そこまでです!」
「ファリーハ……!?」
国王の孫娘、ファリーハだった。
白い鎧に抱きかかえられたまま、鋭くマストリヒトを睨んでいる。
今は官服を着ているが、まさに姫君のように抱えられ、銀髪を風にたなびかせていた。
白い鎧がベランダに両足をついて着地すると、ファリーハが叫ぶ。
「陛下! 御身の救出に、王女ファリーハ、馳せ参じました!」
そう宣言して、彼女は白い鎧の手の中から、執務室の床へと降り立った。
国王が、その名を呼び返す。
「おぉ、ファリーハ……!」
彼女は国王と海将に向かって歩き、海将――自らの大叔父を指さした。
「大叔父さま! 海軍を動かしておじいさまのお命を狙ったこと、看過できません。海防砲は、異世界の鎧と、その加護を得た戦士が無力化しました。あなたも抵抗なさるならば、異世界の鎧とそれを駆る戦士が、相手となりましょう!」
既に風は収まり、白い全身鎧の戦士が、机の上の石板を片手で持ち上げる。
「失礼」
そして、もう一方の手刀で割り砕いた。
彼はそのまま、マストリヒトに近づいて告げる。
「閣下。念のため、お身柄を拘束させていただきます」
顔は以前、謁見の間で見ていた。
今は顔を兜で覆い、聞こえるのは声だけだ。
が、その声はやはり、若かった。
異世界の鎧は召喚され、若い力を選んだ。
そして今また、彼を糺すことを選んだようだった。
彼は本当に、観念して告げた。
「それには及ばんよ、白い鎧の戦士……私の、完全な敗北だな。軍を率いて王に手向かいながら、何の覚悟もできていなかった……」
うつむいて、続ける。
「このまま、裁きを受ける。警察を連れてきてくれ」
いかめしい顔付きをした軍人の、寂しげな表情だ。
ただ、アケウの主観にすぎないが、それはどこか安堵しているようにも見えた。
一方でディゼムとプルイナの黒いパワードスーツは、宮殿前の広場に到着していた。
そして、暴れていた。
彼を取り囲むように、海軍の兵士たちはバリケードを築いてその陰から撃ってくる。
「必ず物陰から撃て!」「了解!」
彼の役目は、アケウとファリーハを援護して、周辺の兵士たちの目を引きつけること。
広場中央の噴水は、海軍の反乱の影響なのか、水が止まっている。
そこに陣取ったまま、彼らは群がる海兵たちを無力化し続けていた。
装甲で銃弾を弾きながら、狙いをつけて武器の名を唱える。
「バインド・シルク!」
「ぐぇっ」「ほぐぁ!」「ぬわ!」
バリケードから飛び出してきた海兵が3人、粘着性の白い繊維で無力化された。
「もう一丁!」
新たに背後に回り込んだ2人に、飛びかかられる前に同様に粘着繊維弾を当てる。
直撃を受けた兵士は、またも広場の床石に倒れ、貼り付けられる形になった。
プルイナの計上では、それが既に56人。
広場は粘着繊維に絡め取られた海兵たちの身体で、足の踏み場が減少しつつあった。
全員生きてはいるが、移動の際に誤って顔面などを蹴らないように注意が必要だ。
(まさか、これでこっちの動きを封じようってつもりか……?)
ディゼムは鎧の内部でぼやきつつも、更に敵を無力化し続けた。
プルイナが、柔らかな女性音声で彼に尋ねる。
『どうですかディゼム。鎧を全て自分での意思で操作する感触は』
「悪くねえ……けど何か、こっちは一切傷つく危険がねえってのが、悪い気がする」
『健全な罪悪感です。とはいえ、ここまで圧倒的な差があるからこそ、殺傷せずに勝つことが可能なのです』
「まぁ悪い気はするんだけど、悪い気はしねぇっていうか……おいアケウ! まだか!」
罵声に答えるかのように、声がした。
「お待たせ、ディゼム!」
宮殿の屋根の向こうから、白い鎧が飛来する。
今度は王女ではなく、髭を生やしたいかつい男に肩を貸していた。
「あのオッサンが……」
『王弟、マストリヒト海将ですね。謁見の際に記録した人相と一致します』
アケウはそのまま推力を弱めて屋根の上に降り立ち、将軍に貸していた肩を離す。
「どうぞ、海将閣下」
「感謝する」
水兵たちはすでに銃撃を止め、自分たちの総大将の姿を見上げていた。
無力化された兵士たちも、可能な限り首を回し、同じ相手を見ようとしている。
集まる視線の先のマストリヒトは姿勢を正し、声を発した。
その上空に対空していた鎧のドローンが、彼の声を拡大して広場に届ける。
「海の戦士諸君、よくわたくしに付き従い、立ち上がってくれた。申し訳ない限りだが、計画は失敗した。海将、マストリヒト・クレイリークの名において、作戦の終了を宣言する。総員、撃ち方、やめ!」
兵士たちは呆気にとられつつも、一人、また一人と銃を降ろし始めた。
それを見てうつむきつつも、将軍は続ける。
「私は、国王陛下の裁きを受ける。諸君らは原隊に戻り、通達を待ってもらいたい。この度は、私を信頼してくれた諸君に迷惑をかけた……以上だ」
プルイナが、内部のディゼムに声をかける。
『ディゼム、そういうことのようです。制圧した兵士たちに水をかけて、繊維の拘束を解きましょう』
「え……そんなんで解けちゃうのかよこれ……」
将軍は、再びアケウに肩を借りて、広場まで降りていった。
階段を降りてきたのだろう、国王とファリーハも広場に姿を現した。
ディゼムは、鎧の指先から水を噴射する。
水をかけられた兵士たちの拘束があっという間に緩んでいった。
繊維は急速に分解されて、広場の排水溝へ、水とともに流れていく。
その間、鎧たちは、またも短い密談を交わしていた。
『プルイナ、これで事態は収束すると思うか?』
『海将は、クーデターで政府を転覆する意図まではなかったようです。他の王族や閣僚たちの態度次第ですが、恐らく事態はすぐに収束するでしょう。無駄な時間を使わされてしまいましたね』
『全く同意見だ。早急にこの世界の人類を救い、帰還を実現させるべきだな』
『悪魔という種族についても、懸念事項です。情報があまりに不足しています』
『全ては、旧世界とやらの様子次第か――』
王都で起きた異変は、こうして不発に終わり、事後処理が始まろうとしていた。
この事態に異世界から来た鎧たちが関わっていたことは、王家が公表したため、のちに国中の知るところとなった。
その、翌日。
時刻は正午近く。
ディゼムとアケウは、ファリーハの私邸の地下室で待機していた。
黒と白の鎧たちは単独で起立姿勢のまま、壁際にたたずんでいる。
そこに、王女が護衛の魔術師たちを伴って訪れた。
「おはようございます、2人とも」
「はよぅございまーす」
「おはようございます、殿下」
ぞんざいなディゼム、折り目正しいアケウ。
ファリーハが2人に、笑顔で告げる。
「今日は朗報を持ってきました」
「朗報、ですか……?」
「あなたたちは今日から、この地下室ではなく、地上にある魔術省の官舎で生活してもらうことになりました。もう爆弾を送り付けられる危険もなくなりましたからね」
「マジすか!」
「やはり、海軍の手による事件だったのですか?」
アケウの質問に、ファリーハが答える。
「そうです。大叔父さまの証言ですが、国民に極力危害は加えない方針ではあるものの、計画を頓挫させるために、あなたたちだけには……その、死んでもらうつもりだったようで……」
「それちょっとひどくないスか……ひどくない?」
ディゼムは真相を聞かされ、うなだれた。
『あの場には尋問官もいましたね。その後同様の手段を諦めてくれたのは幸いでした』
黒い鎧の中からプルイナが、ディゼムをなだめるように言う。
アケウが再度、王女に尋ねた。
「では、ビョーザ回廊を爆破したのも?」
「そうです。警備の目を盗んで、大型の印章で爆破の魔術紋様を大量に押印していったそうで……そちらの爆破は人のいない隙を見計らったと」
「人命重視の反乱で俺らだけ殺される予定だったのひどくない……?」
『わかりましたから、話の腰を折らないでください』
不満げなディゼムを、プルイナがまたなだめる。
そこで、エクレルが白い鎧から発言を挟んだ。
『爆破といえば、宮殿でもそうだったな。大砲はただの空砲で、宮殿が破損したのは、おそらく魔術紋様などによる爆破だったのではないか?』
ファリーハはそれに反応して、
「あ、それも言おうと思っていたのに……知っていたのですか、エクレルは? プルイナも?」
『ドローンのカメラには弾体が一切映っていなかったからな。空砲にタイミングを合わせた爆破だというのは、あの時すでに分かっていた』
「あの時いえよ!?」
白い鎧を、ディゼムが非難した。
代わってプルイナが、説明を返す。
『あの場では、念のために砲台を破壊しておくのが最善だと判断しました。説明する時間も惜しかった上、そのあとすぐに海将が降伏したので……説明の機会を逸したままでした。ごめんなさい』
「まぁ仕方ないよ。空砲だと分かったからって、次に本物を撃たれない確証はなかったわけだしね。あの時は」
彼女たちを擁護するアケウ。
ディゼムは毒づいた。
「クソ、怖い思いしてすっ飛んで損した気分だ」
「そんなに怖かった?」
「あ、いや。怖くなかったわ。やっぱ怖くなかった」
アケウに問われて、訂正する。
その発言の矛盾を、プルイナが指摘した。
『ディゼム。あなたは飛行中、死ぬ、とか無理、とかと言っていませんでしたか』
「言ってねえし」
『言ってました』
「言ってねえし」
どうでもいい局面だからか、互いに譲らない。
彼女が業を煮やしたかどうかは分からないが、プルイナは黒い鎧から、自身のものではない音声を再生した。
『死ぬ……マジで死ぬ……! いやこれ無理――高すぎじゃん……』
弾道飛行中にディゼムが発した言葉を、録音していたのだ。
声を再生された当人が、赤面しながらうろたえる。
「ふ、ふざけんなお前……そんなことまでできんのか!?」
『言ってたでしょう』
ディゼムと鎧たち以外の全員が、笑った。
ファリーハの護衛の魔術師たち――ジャンノとフェブも、顔を背けて小さく震えている。
ファリーハはといえば、腰を曲げて笑いを堪えきれなくなっていた。
「ぁははははは…………!」
後頭部でまとめた銀髪が、動きに合わせて揺れる。
「ごめんなさい、ディゼム……ぅっふふふふ……あなたを……ふぁ……辱めようとしているわけでは……!」
(充分辱められとるわ……!)
30秒ほど笑い死にそうになりつつ、王女は姿勢を正し、改まって陳謝した。
「極めて無礼なことをしてしまいました……本当にすみませっ……ご、ごめ……!」
「いやまぁ……いいんスけど」
やや自己嫌悪しているようだが、やはり笑いを堪えきれないらしい。
ディゼムは頭を掻きながら、王女を赦免した。
頭を上げてファリーハは一度、小さく咳払いをして言葉を再開する。
「話を戻すと、王宮の爆破については海将が、該当の区画から人払いをしていたとのことで……死者や怪我人は出ていませんでした。そうしたこともあって、裁判は……過去の例からすると、国王陛下が裁いて、形式上持ってはいた王位継承権の放棄と、海将免職。後に謹慎――くらいになると思います。
みんな、あらためてお疲れさまでした」
彼女はしみじみと報告を結ぶと、ぱん、と小さく手を叩いて告げた。
「では全員、魔術省の官舎に引っ越しをする準備を。もうすぐ旧世界に出発する準備も整いますが、そのあと帰ってくる場所が必要ですからね。あ、それとも実家から通います?」
「さすがにそれは……」
「顔を出すのはいいのですが、実家に鎧を持ち込むのはちょっと……」
難色を示すアケウに、今度はエクレルが絡んだ。
『何だ? 連れないじゃないかアケウ。クーデターを阻止するために共に戦った戦友だぞ当機は。外見もこんなにかっこいい。なのに親に見せるのが恥ずかしいか?』
「恥ずかしいよ! 王都中で話題になってるんだから! ていうか秘密なんだから、見せられないに決まってるだろ!?」
『そうかそうか』
小うるさく言い合いながら、黒い鎧と白い鎧はそれぞれの着装者にまとわりつき、着装を完了する。
彼らは元々多くなかった荷物をまとめ、地下室を出て行った。
後日、王弟にして海将であるマストリヒトは国王による裁判を正式に受けた。
ファリーハの予想通り、海将位を罷免され、形式上は保持していた王位継承権を正式に放棄し、半年の謹慎となった。
ただ、王室には籍が残っており、謹慎が解けた後の身の置き場として、海軍史編纂部への勤務を希望したという。
お疲れさまです。これにて第1章終了です。
クーデターを防ぎ、いよいよ出発する旧世界探査隊。
しかしそこに事件が起きて、彼らは悪魔の群れのど真ん中に転移してしまう。
26世紀の技術でも悪魔の使う呪いの魔術を防ぐことはできず、パワードスーツたちは重大な危機に陥る。
帰る手段すら失った一行を、待ち受けていたものとは――次章、『呪詛、襲来』。
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