1.1.召喚の儀式
西暦2591年3月16日。
その日、カリストの軌道上施設で、2着のパワードスーツが消失した。
厳重に管理されたメンテナンスポッドから、忽然と。
担当者たちは可能なあらゆる手段で、それを探した。
だが、事情が重なり、捜索は打ち切られた。
盗まれたのではない。
ならば、どこに消えてしまったというのか?
王都の中心に位置する、大聖堂。
花崗岩のタイルに覆われた外壁に、正面に配された彫像などの装飾が目を引く、大型建築だ。
普段なら信徒や関係者が途切れることなく正門を出入りしているのだが、今日は違った。
今、大聖堂は封鎖され、一種の実験場となっていた。
人や物の出入りは制限されており、一般人どころか、施設関係者も無許可で入ることはできない。
「はいはい、危ないからそれ以上本堂に近づかないでー。近づくなっつの!」
大聖堂の警備に従事する兵士の一人が、通行人を誘導しつつ、ぼやいた。
「あー……かったりぃな」
簡素な鉄兜をかぶった、黒髪の若者だ。
兵士の軍服に身を包み、腰には拳銃。
そして右手に警棒を持っていた。
「ディゼム!」
彼は横から名を呼ばれて、そちらを振り向いた。
「?」
歩いてきたのは、同じような背格好の、赤毛の若者だった。
彼と同じ、警備の兵士だ。
ディゼムは警棒を肩に載せ、相手の名を呼ぶ。
「アケウ。もう交代の時間か?」
「そろそろだよ。儀式はまだみたいだけど……ちょうど君と交代する時間のあたりで、大聖堂に描かれたあの紋様が光るんだって聞いたから」
アケウの言う通り、大聖堂の外壁には無数の紋様が描かれていた。
平素はこのような紋様など、描かれていなかったのだが。
ディゼムはうなづき、ぼやいた。
「ふーん。どんな暇な任務かと思ってたが、お偉いさんのラクガキごっこをお外で見張ってれば、見世物まで付けてくれるってか」
「また処罰されるよ、ディゼム」
真面目で温和なアケウが口を尖らせる。
ディゼムも一応は、周囲に聞き耳を立てる者がいないことを確認してから大口を叩いていた。
そんなことをするのは、初等学校からの親友であるアケウの前でだけだが。
彼は周囲を見回しつつ、なおも続けた。
「ホントのことだろ。大聖堂の坊さんたちもよく賛成したよ、あんなの」
今、大聖堂では救世主の召喚が行われようとしている。
悪魔に支配された外の世界を取り戻してくれる、救世主。
そんなものを召喚するつもりらしい。
外から見てもびっしりと紋様が描かれているが、内部も同様だと聞いていた。
このために教会から建物全てを借り切って、建物全体を使った巨大な召喚の紋様を描いたのだという。
もっとも――身も蓋もなく言えば、盛大な落書きをされた状態にも見えた。
ディゼムは横目に大聖堂を見やりながら、
「……あんな寝言みてぇな実験、俺だったら絶対に許可しないね」
すると、その時。
城の外壁に描かれていた紋様が、明るく、青白く輝きだした。
光はすぐに強さを増し、直視できないほどに眩しくなる。
「う……!」
「すごい光だ……!」
まばゆさに、二人は思わず腕で顔を覆う。
間もなく、大聖堂の発光は頂点に達して、不意に止んだ。
焼けた視界でまばたきをしながら大聖堂を見ると、外壁に描かれていた青黒い模様はほとんど消えていた。
いや、かすれて消えかかった様子というべきだろうか。
全てしっかり消すのであれば、かなりの手間がかかりそうだ。
「何か、すげえもん見たって気がするな……」
大聖堂が発光を終えて、何秒経ったか。
不意に、大聖堂の鐘が鳴った。
「っ!」
正午を告げる、王都の名物。
近くで聞くと、雷のように大きく聞こえた。
はっきりいえば、うるさい。
それを受けて、アケウが鐘に負けないように、大声で口にする。
「鐘が鳴ったし、交代だ!」
「あぁ! それじゃあな!」
鐘が鳴り終わって、ディゼムが再び兵舎に戻ろうとした、その時。
大聖堂の中核である大きなドームの頂上付近で、何かが光った。
同時に、轟音が鳴り響く。
見れば、ドームの頂上からは煙が上がっていた。
内部からは、悲鳴も聴こえてくる。
道行く市民たちも、小さく声を上げながらそれを眺めていた。
「やべえな!」
「行こう!」
ディゼムとアケウは、どちらが先んじるでもなく、大聖堂に向かって走りだした。
ほかの持ち場についていた兵士たちも、同様に向かっていく。
王都の中心に位置する、大聖堂
その広々とした、礼拝の広間。
今やそこには、至るところに魔術の紋様が描かれていた。
見事に磨かれた大理石の床だけではない。
広間に立ち並ぶ太い柱、小高くなった中央の祭壇。
青黒い塗料で描かれた紋様は、その全て――天井にまでおよんでいる。
紋様を構成するのは、図形、文字、注釈。
王国最大の宗教施設を借り切った、立体型の魔術紋様だ。
紋様は特別な塗料で描かれており、描かれた線だけを見れば、複雑な立体として成立している。
王族や有力者などの来場者たちは、安全地帯に設けられた席に着いて集まっていた。
床の紋様に、意図的に設けられた空白の部分だ。
ファリーハはその最前列で、儀式の進行を見守っていた。
「…………」
ほかの臨席者は、ほとんどが彼女の、父親か祖父に近い年齢の男たちだ。
その中で1人、18歳という年齢のファリーハの姿は目立っていた。
銀髪を後頭部で編み上げ、眼鏡をかけた碧眼の娘。
落ち着いた色調の、式典用のドレスを身に着けていた。
彼女は王国の王女であり、魔術師でもあり、同時にこの儀式の責任者ということにもなっている。
当然、召喚の魔術の成否を、この場の誰よりも強く案じていた。
(これで失敗したら、魔術省の今年度予算の半分が水の泡なわけですが……)
不安もあったが、期待も大きかった。
できることは全てやって、あとは運に任せるほかない。
そして、時間が来た。
すでに紋様に間違いがないか、最終確認も完了している。
あとは最後の1画を描き入れることで、この巨大な魔術紋様が起動するのだ。
魔術師の1人が手振りで、王女に合図を送った。
それを受けて、彼女は立ち上がり、宣言する。
「ではこれより、召喚式を起動します。皆さま、眩しくなりますので、ご注意ください」
彼女は言い終えると同時、やはり手振りで、部下たちに合図を送った。
描画担当の魔術師が、紋様に最後の1画を描き入れる。
すると、紋様が発光をはじめた。
「……!」
ぼんやりと、はっきりと、輝かしく、まぶしく。
光は、ますます強まってゆく。
その明るさはついには、誰も目を開けていられないまでになり――
「――――っ!!」
そして、何秒が経ったか。
光が収まると、祭壇の上に、鎧姿の戦士が出現していた。
漆黒の全身甲冑が1人。
純白の全身甲冑が1人。
姿勢も正しく、たたずんでいる。
対照的なその色合いは、その“2人”が対になるものだという特別さを予感させた。
会場が、どよめいた。
同時、大聖堂の鐘が鳴る。
「――!」
礼拝の広間では音響の関係で、鐘は大聖堂の外で聞こえるような爆音を上げることがない。
音量はむしろ控えめで、その空間に厳粛な印象さえ与えていた。
意図して時間を合わせた演出だったが、うまく決まった。
救世主の召喚は、無事成功したのだ。
当初は儀式をうさんくさげに見ていた陸軍大臣と内務大臣が、小さく声を上げる。
「本当に来るとは……」「しかも、2人……!」
王女が、ざわめき始めた来客たちを手振りで制止しつつ、宣言する。
「最初の関門は突破しました……まずは、皆さまのご協力に感謝いたします」
広間の壁や床、天井に描かれていた魔術紋様は、消えかけていた。
魔術の塗料は程度の差こそあれ、魔術紋様を発動した代償に気化してしまう。
魔術師の中でも熟練らしき老年の男が、王女に呼びかけた。
「それでは、ファリーハ第2王女殿下。ご客人にごあいさつをお願いいたします」
客人とは、召喚で現れた、黒と白の鎧のことだ。
「はい」
眼鏡の位置を直しつつ、王女は椅子から立ち上がった。
官服の上にまとった儀礼用のマントを揺らして、異世界からの客人に向かって歩く。
祭壇までの緩やかな階段を、やや足早に登って。
そして人々の見守る中、“2人”の前に立つと、彼女は標準語で語りかけた。
「はじめまして、異世界よりの方々。こちらの言葉はわかりますか? わたしは、ファリーハ・クレイリークと申します」
返答か、何らかの反応を待つ。
「………………」
しかし、黒と白、2人の鎧の戦士たちは、身動き一つしない。
ファリーハは、気落ちすることもなく次の言葉を口にした。
「……やはり必要と思われますので、翻訳の魔術を使用します。失礼」
彼女の役割は、召喚の儀式の責任者というだけではない。
王族として、異世界から呼ばれた客人に対し、礼儀を示すこと。
この日のために、翻訳の魔術の訓練を抜かりなく重ねてきたのだ。
「…………!」
王女が念じると、その体内を循環する血液が活性化する。
翻訳の魔術が、彼女の身体を通してこの世界に顕れているのだ。
「言の葉の橋よ、橋渡る言の葉よ」
血液から取り出された魔力が、彼女の言葉を、相手に分かる形に変える。
「いかがでしょう、異世界よりの方々?」
だが、やはり相手は微動だにしない。
「今度は、あなたがたに私の言葉が伝わっているはず……」
そもそも、動く様子がない。
「なのですが…………えーと……」
手応えは間違いがない。
翻訳の魔術は、正しく作用している。
しかし、さすがに相手が無反応では、不安が募った。
(まさか……)
召喚されたのは、鎧だけだった――ということだろうか?
彼女がその疑問をいだいたその時、天井から爆音がとどろいた。
「へ?」
王女が上を見上げると、ドームの天井が崩れ、落ちてくるのが目に入る。
「――!?」
幸い、崩れた箇所は彼女の真上ではなかった。
鎧の戦士たちを挟んだその反対側、距離にして10メートルは離れているか。
声すら出せず、ファリーハは慌てて祭壇から離れた。
崩れ落ちた石材や鉄骨が床を破壊し、粉塵がまたたく間、礼拝の広間全体に広がった。
「何だ!?」「悪魔の攻撃か……!」
召喚の儀式の臨席者たちは混乱に陥り、警備の兵士たちがそれを静め、誘導する。
そして、警備隊長の指示が飛んだ。
「皆さま、慌てずに大廊下をお戻りください! 大聖堂の外へ!」
警備の兵士たちは王族や政治家、有力者たちを導いて、避難させようと動く。
そして隊長は兵士たちの中から2人を見繕い、別命を与えた。
「そこ、いま来た2人! お前たちは祭壇にいらっしゃる王女殿下をお連れしろ!」
「了解」「はい!」
2人は粉塵に包まれた祭壇に向かい、王女を連れ戻すべく走った。
「殿下!」
「げっほ……」
彼らが呼ぶと、粉塵の中から、銀髪の王女がよたよたと小走りに現れる。
美しかった銀髪は粉塵にまみれ、眼鏡も細かい微粒子に覆われていた。
「ご無事で!」
「ぇほっ……わ、私は大丈夫です……! でも、異世界の人たちが……!」
彼女は眼鏡を外してレンズの塵を払いつつ、天井の崩れた背後を振り返って答える。
ただよう粉塵の向こう、祭壇の上には、召喚された戦士たちが佇んだままだ。
「…………!」
黒髪の兵士が意を決して、もう一方の赤毛の兵士に告げる。
「アケウ、殿下を頼む! 俺はあいつらを連れてくる!」
「分かった。殿下、こちらです!」
同僚に王女を預け、黒髪の兵士――ディゼムはたちこめる粉塵に向かって走り出した。
祭壇の上の人影を、連れ出さなくてはならない。
(何なんだあいつら……何ぼーっと突っ立ってんだ……!?)
その時、走る彼の視界に、光が差し込んだ。
礼拝の広間の天井に空いた穴からの、日差しだった。
「何だ……!?」
そしてそこから、何かが降りてくるのが見えた。
落ちてくる、ではない。
ゆっくりと、降下してくる。
それは、女に見えた。
そして、美しい。
この世のものとは思えない美しい女が、足場もない場所を、ゆっくりと降りてくる。
身長よりも長く伸びた髪を虚空にたゆたわせ、女は壮麗な装束をまとい、黄金に輝いていた。
女自身が緩やかに光を放っており、まばゆい。
それはディゼムの目に、神聖なものにすら感じられた。
(女神さまって……やつなのか……!?)
彼女は音もなく、ひび割れた大理石の床に降り立った。
それまで舞い上がり続けていた粉塵も、いつの間にか収まる。
まるで、その金色の女の美しさにひれ伏したかのように。
女はそのまま、音もなく、無言で歩きはじめた。
「………………」
異世界の戦士がたたずむ、祭壇の頂上に向かって。
黒の鎧の戦士と、白の鎧の戦士。
“2人”は、天井の崩壊にも、歩み寄ろうとする金色の女に対しても、微動だにしない。
(何で動かねえ、あいつら。召喚された、世界を救う戦士とか、そういうのなんじゃねぇのか……!?)
このような状況で、指一つ動かさない。
それは、さすがにおかしかった。
ディゼムも、ファリーハの抱きかけた疑念と同じものを感じつつあった。
(まさか、鎧だけが召喚されてきたってことなのか……!? それとも、彫像か何かなのか……!)
胸中でそう毒づきながらも、彼は祭壇を駆け上がった。
そして、動かない鎧の戦士たちと金色の女との間に割り込み、彼女に声をかける。
「おいあんた、何者だ!」
「……………………」
彼女は、祭壇の上に向かって歩き続けた。
ディゼムの呼びかけに対して、何の反応もせずに。
彼の声が耳に入っていないのか、無視しているのか。
いずれにせよ、この金色の美女は、ドームの一部が崩れて生じた大きな穴から降りてきたのだ。
(あいつが、ドームを壊して入ってきた……?)
ディゼムはそう見当をつけていた。
そんな真似ができるのならば、危険な存在に違いない。
礼拝の広間が静まりつつある中、彼は歩く金色の女を観察した。
「…………」
つややかな黄金の髪の上に、華美な装飾を施された冠を載せている。
多数の装飾をあしらわれた、壮麗な衣をまとっている。
よく見れば、背後から足元へと垂れているのは、尻尾ではないのか?
しかしそれすらも、美しい。
それは女神か妖精か、はたまた人心を惑わす魔性の存在か。
「っ……!」
ディゼムは、意を決して腰の銃を抜き、撃鉄を起こした。
弾倉が回転して、カチリと音が鳴る。
引き金を引けば弾丸が飛び出す状態の銃を、女に向けて警告する。
「今すぐ立ち止まって、所属と姓名を言え! 無視して進むなら、撃つ!」
警邏の訓練で覚えた、手順通りの警告だ。
その時、金色の女が初めて立ち止まった。
唇が動き、声を発する。
「その兵」
「――!?」
幼くも麗しく、宝石のように透き通った、美しい声だ。
そして青白く光る視線が、祭壇の上にいるディゼムを見上げている。
「答えよ。お前たちがその戦士どもを喚んだのは、余を殺すためだな」
「…………?」
彼はその言葉を、確かに聞き取った。意味を、理解することもできた。
だが、
(何言ってんだ……“殺すため”……?)
だが、それにどう答えるべきかは、分からなかった。
何も知らないのだから、答えようがない。
銃を構えたまま、ディゼムは無言で金色の女を睨むことしかできなかった。
彼女は小さく鼻でため息を付いて、ディゼムを睨み返した。
「聞こえなかったか、雑兵め。余の問いに答えよ。
余は魔術師の王にして、お前たち人間をかつて滅ぼした者の王。
魔王である。
魔王――ワーウヤードだ!」
だがそこまで言われても、彼は今ひとつ、要領を得なかった。
(魔王……?)
いきなり、そんなことを言われても。
魔王はなおも困惑するディゼムに対し、憤慨したらしかった。
「無視か? いい度胸だ――」
すると、空気にふわふわと揺れていた豊かな黄金の髪が、不意に、伸びた。
「――!?」
一瞬にして突き出された、鋭い一撃。
それは雷光のように、ディゼムを襲った。
王女を避難させていたアケウが、叫ぶ。
「ディゼム!?」
まさに、その瞬間――
ディゼムの背後にたたずんでいた黒い鎧が、破裂した。
(何だ――!?)
兜、胴、手足――鎧の全身が一瞬でばらばらになり、弾け飛ぶ。
そして間一髪、すぐ側のディゼムの体を覆いつくし、無数の金色の刃から防御した。
彼が元々被っていた鉄兜と、所持していた警棒、拳銃。
全てが黒い鎧に弾き飛ばされて、祭壇へと落ちる。
黒い鎧の装甲に弾かれた、魔王の黄金の髪が、祭壇の大理石の床とそれらを、砂糖細工のように切り崩した。
だが、黒い鎧は無傷。
鎧が、ディゼムを守ったのだ。
彼は今や、完全に黒い鎧の中にいた。
鎧もディゼムの姿勢に合わせ、顔をかばうように両腕を交差させている。
再び瓦礫と粉塵が飛び散る中、黒い鎧の赤い両目が、鋭く眼光を発した。
ディゼムの耳に、落ち着き払った女の声が聞こえてくる。
『これより、人命保護を実施します』




