第3章 「天の川に誓った永久の愛」
南海本線の春木駅から、徒歩で十五分弱。
岸和田市の文化的拠点として建設されたマドカホールが、私達の次なる目的地だった。
会話が長時間出来なくなるプラネタリウムは、初デートの行き先には向いていないが、園里香上級大尉のたっての希望を退ける訳にもいかない。
七夕伝説と夏の星座を盛り込んだプラネタリウムを一時間鑑賞し終えた頃には、夏の太陽も西に傾き、岸和田の街には夜の帳が降りようとしていた。
「町中では御座いますが、今日は晴れているので星がよく見えますね。善兵衛ランドの望遠鏡なら、琴座の織姫と鷲座の彦星もハッキリ観測出来そうです!」
首を伸ばして夜空を眺める園里香上級大尉の口調は、実に屈託が無い。
そのまま貝塚市の天文台に、ふらっと足を伸ばしそうな気楽さだ。
「年に一度しか会えなくても、織姫と彦星は幸福だと思います。一年前の逢瀬で瞼に焼き付けた面影を縁に、想い人を待つ楽しみがあるのですからね…」
快活な女子士官の独白に混ざった、妙にセンチメンタルな響き。
それは、例の第二問に向けた彼女なりのヒントに違いない。
逢瀬の機会が限られた織姫と彦星。
そして軍服姿と私服姿を天秤にかける第一問。
この二つが意味する物は、そして第二問の望まれる回答は…
「大正五十年式軍衣を御召の貴官も、私服姿に負けず劣らず御美しい。どちらも貴官の大切な一面ですから、小職の口から甲乙を御付けするのは畏れ多い事です。」
先程までの地方人的な緩みを廃した、厳格な軍人言葉。
このような趣旨の回答をするなら、口調も改めるのが筋という物だろう。
「ありがとう御座います、北中振善光大尉。その御答えこそ、小職が最も望んでいた回答であります。」
本心からの応答だろう。
彼女の口調もまた、帝国軍人に相応しい厳格な物に改まっていた。
「小職が結婚後も軍務の継続を希望している事は、自己紹介カードを御覧になっているので、御承知の事と存じ上げます。しかしながら、入籍後に予備役入りや退役を促されては、小職と致しましても承りかねますので…」
だからこそ、彼女は見極めたかったのだ。
夫となった私が、軍服を着続ける妻を許容出来るかどうかを。
「貴官にとっての軍務は…いえ、帝国軍人であり続ける事は、貴官を貴官たらしめるに必要不可欠な事なのですね、園里香上級大尉?」
「仰る通りです、北中振善光大尉。大日本帝国陸軍女子特務戦隊は、自分にとって青春その物でありますからね…」
キリッと引き締まった表情を崩さず、園里香上級大尉は自身の人生観を語り始めた。
園里香上級大尉が帝国軍人である事にこだわるようになったのは、先の戦争で沢山の戦友を失った事に起因するらしい。
「同じ軍服に袖を通した彼女達と共に過ごしたあの日々は、私の青春でした…」
過ぎた日々を懐かしんでも、亡くなった人々は帰って来ない。
園里香上級大尉も、それは分かっていた。
だからこそ、彼女は故人を偲べる思い出に着目したのだ。
戦友達と共に過ごした自分が軍に留まり、その思い出を守り続ける限りは、彼女達と共に在り続けられるのではないかと。
しかしながら、軍人として軍務を続ける限り、自分自身が戦死する可能性がある事も、人生設計の勘定に入れなくてはならない。
そこで目を付けたのが、防衛省主催の青年士官向け集団御見合い会だった。
「私が万一戦死したとしても家庭を築いていれば、誰かが必ず身内として私の墓前に手を合わせてくれますからね。首尾良く子供を授かる事が出来たら、残された実家の両親にも『孫を育てる』という新たな張り合いが出来ますから。」
私よりも年下なのに、何と達観した人生観なのだろう。
陸軍女子特務戦隊としてユーラシア大陸の戦場を生き延びた者の風格が、否応なしに伝わってくる。
主計士官として内地で気楽に事務仕事をしている自分が、恥ずかしくなってくる程だ。
「北中振大尉と連絡先を交換する決意をしたのは、貴官が誉理ちゃんのお兄さんと同級生だったからです。英霊になった誉理ちゃんが、『自分達の分まで幸せになって欲しい。』と縁結びをしてくれたように感じられたから…」
デート先を岸和田に選んだのも、戦死した友呂岐誉理を偲んでの事らしい。
そこまで義理立てをして貰えるなら、戦死した友人達も本望だろう。
「私、思うんです…たとえ私が死んでも、生きていた頃の私を思い出せる人達がいる限り、その思い出の中で私は生きられるって。」
死に別れた戦友達も、彼女達と同じ時を過ごした園里香上級大尉の思い出の中では、今も在りし日の姿でいるように。
「だから私の結婚相手になる人には、私の軍服姿も好きになって頂かないと困るんです。プライベートの写真よりも、公務の記録写真の方が絶対量が必然的に多くなるんですから。」
現役の軍人同士で結婚した場合、一緒にいられる時間は決して多くはない。
広報目的の記録写真や記録映像で、互いの近況を確認する事もあるだろう。
七夕伝説の織姫と彦星になぞらえた比喩は、言い得て妙だった。
「最後までお聞き下さって、感謝の言葉も御座いません。結婚相手に求める条件が高望み過ぎて、きっと幻滅された事でしょうね…」
照れ臭そうに髪を弄う右手を、私はそっと包み込むように掴んだ。
今までリードされ続けていた私だが、何故だか「そうしなければならない!」と感じられたのだ。
「幻滅など、そんな…縁と絆を重んじて、友と家族を思い遣る…そんな御優しき貴女を悪く言う資格のある者など、この世に居ようはずが御座いません!園里香上級大尉…いや、里香さん…」
「始めて名前で呼んで下さったんですね、善光さん…」
ギュッと握り返してくる白魚のような手は、柔らかくて温かい。
織姫と彦星のように、逢瀬の機会の限られた愛でも構わない。
会う事の叶わぬ時であっても、同じ空の下にいるのだから。
岸和田の夜空の彼方に輝いている天の川を仰ぎながら、私は誓った。
たとえ一方が先立ったとしても、語り継いだ思い出の中に故人は生きていると、固く信じて生きていこうと。
そして、その通りになった。
産まれたばかりの第一子を残して、妻は異国の戦場で帰らぬ人になった。
葬儀を終えて以降、生き残った妻の戦友達が弔問参りに訪れ、生前の人となりを事細かに話してくれたため、妻の思い出の補強は決して難しい事ではなかった。
幼くして母を亡くした息子へ、在りし日の姿を語って聞かせる度に、その記憶を鮮明にし直す事も出来た。
そして、今だって…
「お祖父ちゃん、今年もお祖母ちゃんの軍服を飾る時が来たのね。」
仏間に響く黄色い声に、私はサッと振り返った。
「おお、樟葉…さあ、こっちにおいで!」
七歳になる孫娘の樟葉は、在りし日の妻にまるで生き写しだ。
ついつい甘やかしてしまうため、息子のカズヤからは「俺も樟葉の弟に産まれたかったよ。」と愚痴をこぼされている始末だ。
「ねえ、お祖父ちゃん!私のお祖母ちゃんって、そんなに立派な人だったの?」
「勿論だよ、樟葉。あの軍服を着ていた頃の祖母さんは、それは立派な軍人さんで…」
ハンガーに掛けられた軍服を孫娘に指し示していると、つい頬が綻んでしまう。
何故なら、祖母の顔を遺影でしか見た事のない孫娘にも、妻の思い出は確実に受け継がれていくからだ。




