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ミカエレは捨てられた街らしく寂れていたが、千年の古都の気品を決して失ってはいなかった。驟雨のような北方部族連合の侵攻にさらされる中、ここが堕ちてはソガ国のアイデンティティーに関わるため、守備隊には相応の兵力が裂かれていた。また、古都の城壁を洗うシカ川の上流は、ガル山まで遡れる。ここはトゥエル・バイスンとの国境に深々と食い入り、兵員や物資を乗せた船が絶えず行き交っていた。当時の古都は、補給の中継基地としても重要な役割を担っていたのだ。
「ニレ族の首長か。よもや、手ぶらで帰るつもりはあるまい」
年代記によれば、ガントン将軍の異名をとるラソップ・ドルネリオは、ジガ虫を噛みつぶしたような顔をしたと伝えられる。
ミカエレの守備隊長を七年も務めてきたが、その間、一歩たりとも敵を土足で城中へ踏み込ませなかった。猪首で隻眼。まだ五十に満たないが、右眼の鋭い一瞥は百戦の老兵をも震え上がらせた。先王の伯父の第三子で、取り決めどおりの聖職に就くことを嫌い、神殿から脱走して乱世のどさくさに私兵を挙げた。侵入する高地族を多く野に討って手柄をたて、正規軍の将軍に任命された。ちなみにガントンとは、高地におけるイノシシの呼び名である。
「デスベルトとかいうやつ、暴れてはいなだろうな」
「はっ、連れている兵も三百人ほどで、今のところ、城門の外でおとなしくしておるようです」
参謀の一人が答え、またガントンはジガ虫を噛んだ。
おとなしく、ねえ。
おとなしく整列している姿など、夢にも想像できない。塔の上から確かめるまでもなく、獣肉をまるごと炙り、濁り酒を頭から浴び、遊芸人どもと戯れている頃だろう。なるほど、部族ごとソガ国に身売りしようとは殊勝ではある。蛮族どもの懐柔には近年、王国が力こぶを入れており、こちらには投降した部族を指揮下におく権限が与えられている。一旦武装解除させて宮廷料理で「おもてなし」、骨が溶けるまで酔っ払ったところで、最前戦に送りこめば、王から感謝状が届く。これまでもそうやって、兵力の供給に貢献してきた。
しかし、相手がニレ族のデスベルトとなると話が違ってくる。
「やつは実の父親を毒殺したのだったか」
ガントン将軍の問いに、末席の博士が答えた。
「いいえ、刃渡り七十五サンタマールの戦斧で頭蓋骨を叩き割りまして。そのあと漆と金粉で塗り固め、髑髏杯にして旨そうに酒を飲んだと聞き及びます」
口の中のジガ虫が百倍に増えた気がした。
狂人だ。
カラニガニの甲羅に地酒を入れて啜るという高山地帯の郷土料理を食したことがあるが、以降二度とあれは食えまい。
こっちだって永いこと蛮人どもとわたり合ってきたのだから、かれらの兇暴さは知り尽くしているつもりだ。が、反面、正直で義理人情にもろく、交渉次第で容易に手懐けられた。むろん、年代記を紐解けば歴代のソガ王とて、あらゆる親族を、あらゆる方法で葬ってきたのだし、凄惨な、眼を覆うばかりの、血で血を洗う権力闘争について書かれていないページを探すほうが難しい。が、それこそ文明であり、文化ではないか。ゲマルゲマリ大トカゲの丸焼きに平気でかぶりつくような蛮族の預かりうる芸当ではない。実際、博士たちに問い合わせたところ、デスベルトのような怪物が高山地帯にあらわれた例など、年代記にも書いてなければ、吟遊詩人の歌にもないという。
召使いに命じてガントン将軍は直径五サンタマール、長さ九十サンタマールもある煙管を用意させ、深々と吸いこんだ。怪物の浮き彫りで埋め尽くされた天井のはるかな高みへ、紫の煙が上ってゆくさまを見つめながら、呆けたようにつぶやいた。
「敵は三百……か」
「まさか、投降してきた相手を攻撃なさるおつもりで?」
「迷わずそうしていたさ、ほんとうに三百ぽっちで来ているのならば。ここは少々、山から駆け下りて来るには遠すぎるが、オリザの実が色づくこの頃だ。千や二千の兵の隠し場所には事欠くまい」
城内の守備兵は千五百を数えないが、いざ戦闘となれば、周囲の要塞に分散させた味方が狼煙を合図に突入してくる。最大で二万は集まる。敵の伏兵が躍り出たとしても、城壁で押しとどめている間に背後から急襲し、殲滅するには充分な数だ。野蛮人を騙し討ちにしたからといって、誰も文句は言うまい。
「だが、しかし」
眉根を寄せたまま、将軍は彫刻のほどこされた煙管の表面を撫でた。狂人・デスベルトを兵ごと城外で葬り去る。それが最良・最善の策と信じながらも、ガントン将軍ことラソップ・ドルネリオはどうしても命令を下せずにいた。
もちろん、ニレ族は飛龍を使うというわらべ歌を真に受けたわけではない。もしも騎龍と同じように、飛龍を乗りこなせたら無敵ではないか。天突く城も、峨々たる要塞も、空から襲いかかれば難なく陥とせる。けれどもいまだかつて飛龍を飼い慣らした人間など、見たことも聞いたこともない。八つ裂きにされ胃袋に収まった命知らずなら、何人か知っているが。
煙管を召使いに渡し、意を決したように将軍はマントをひるがえした。
「デスベルトをこれへ通せ。従者をしたがえることは許されぬ」
「承知しますかな」
「さすがに厭がるか。では、親族に限り、五名までは従えてもよいと伝えよ」
簡単なことだ。ほぼ裸同然のやつを宮殿に招いて供応し、毒を呑ませてめった刺し。首は塩漬けの鯡と一緒にシンミカエレへ送り、身体はゲロウどもの餌。大将暗殺の報に触れたとたん野蛮人の兵どもは浮き足立ち、放っておいても壊走するに決まっている。
「簡単なことだ」
ガントン将軍は独り、そうつぶやき、誰にも見られない方角へ顔をしかめた。
デスベルトは、なんと単独であらわれた。
「親戚ならいいって話だったが、生きてる親戚なんか一人も残っちゃいねえ」
蛟竜の牙を四つ、まるで四本の角のように打ちつけた兜。真っ黒い髭が顔のほとんどを覆い、三白眼の白眼の部分は、野獣じみて金色に輝いている。目つきの恐ろしさにかけては負けていないつもりのガントン将軍の背筋を、ゾッとさせたほどに。
「あっちで分捕ったものは、なんでも自分のものになるって聞いたんだ。陥とした街はぜんぶ、おれのものになるんだってな。じゃあ訊くが、あっちの王様をぶちのめせば、おれが王様ってことになるのかい? そうなんだろう」
ぞろりと長い熊皮の羽織の下に、異様に太い鎖帷子を着込んでいて、身動きするたび、がちがちと不吉な音を鳴らした。ずだ袋同然のズボンの裾を毛皮の脛当てで絞って、素足に針金で編んだゾウリを履いていた。見たところ所持している武器は、背中の巨大な戦斧一本だが、これこそが父親の頭すら叩き割り、かれをニレの族長まで押し上げた「力」なのだろう。




