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初代ヤースタア卿は名をデスベルトといった。多部族がひしめきあう北方高山地帯の出身であるという。
ソガ国とトゥエル・バイスンとの百年間戦争が最も熾烈を極めていた当時、ソガ王は兵力不足を補うために、高山地帯へ触手を伸ばしたといわれる。
古来、ソガは北方の騎龍民族による侵攻に悩まされ続けてきた。山岳地帯では騎龍を多く産するため、早くから龍を乗りこなす技術に長け、また苛烈な部族間闘争を勝ち抜いてきたかれらは、一人一人が一騎当千の戦士といえた。百龍川の支流、シカ川沿いにある旧都ミカエレを何度も包囲されたソガ王は、さらに南方のオムズ河畔へ都を移すことを余儀なくされた。これが現在の首都、シンミカエレであり、ソガ国のほぼ中央に位置する。
この消極的な遷都が、意外な功を奏した。もはや邪魔ものは何もなくなった高山人たちが、騎龍やドウドウ鳥に乗って意気揚々と平地へ駆け下りてきたところ、あるものは、見渡す限りの穀倉地帯。略奪すべき大都市などどこにもなく、農村を襲ったところで、倉庫にはオリザやガガ芋しかなく、肉を食わねば三日と保たないかれらを、途方に暮れさせた。大臣たちとの会議では、トゥエル・バイスンとの国境にあるような長城の建築も案にのぼっていたが、途方もない人員と費用を損失したであろう計画は、実行されずに済んだ。そもそも、長大な古代城壁がどのようにして作られたか、謎に包まれているのだ。
以降、長城の代わりに高山人たちの侵攻を抑止してきたのは、外交であり、貿易だった。代々のソガ王たちは、高山地帯の良質な騎龍を得るための費用を、惜しみなく放出し始めた。結果、騎龍をあつかう技術が急速に進んだ。整然と隊列が敷かれ、号令ひとつで様々な陣形へ変化し、敵を取り囲んでは殲滅する。もはや騎龍どうしが平原でぶつかり合う戦闘においては、かれらを山へ追い返すまでになっていた。
そうして、騎龍の術が発達した副産物として、ソガ国の人々の心を奪い、熱狂させるゲームが誕生した。
競龍である。
が、このことは後に詳しく語られるであろう。
百年間戦争に話を戻せば、東西南北、四方を異国に囲まれているソガ国としては、東のトゥエル・バイスンとの戦争に集中するためにも、周囲の国と和睦する必要に迫られていた。とくに「水の国」こと西のエルデセンは国土も人口もソガと拮抗していた。そのうえ高度に洗練された文明を持ち、兵法も武器も優れていたので、その気になればいつでもメナン川を越えて、最大の脅威と化したろう。
けれども、エルデセン人はもともと争いを好まない性質で、海と大河に囲まれた天然の要塞ともいうべき国土の中で、ぬくぬくと安逸を貪ることに忙しかった。また、南方の海岸線に沿って細長く伸びるバイラン低地、およびそこに住む低地人は、国はおろか部族すら形成しておらず、原始的な狩猟採集生活に甘んじながら、集合離散を繰り返していた。食料が欠乏すると北上する者も出てきたが、組織的な武装集団にはほど遠く、容易に退けられていた。
また、バイラン低地とエルデセンの南海岸が山型にえぐれて湾を成す中に、広大な島が横たわっていた。面積はエルデセンのほぼ三分の一に匹敵し、天気の好い日にはアフヴィオ山から吹き上げる噴煙が、ソガの新都シンミカエレからも眺めることができた。このマズダ島を事実上統治しているのがガゼンダル騎士団で、強大な富にしても武力にしても、ある意味、エルデセン以上の脅威となっていた。
ただ、かれらは決してよそ者を島に入れない代わりに、ごく限られた交易以外で島の外へ出ようとしなかった。ゆえにソガからもエルデセンからも目と鼻の先にありながら、マズダ島は深い謎の霧につつまれていた。様々な憶測が一人歩きし、やれ、ガゼンダル騎士団は精霊をあやつり、剣の代わりに魔法を用いるとか、無尽蔵に財宝を生み出す秘法に通じているとか、まことしやかに囁かれた。実際にかれらが武芸を旨とする騎士団でありながら、教義的な秘密結社の側面をもっていたことは間違いない。
やはり最大の憂患は北方の族長たちに尽きた。しかも困ったことに、戦争によってオムズ川より南方から、国境のあるガル山方面へ向かって兵站が伸びていたため、山岳人の略奪に見舞われた。たび重なる敗戦に知恵をつけたかれらは、平原の羊飼いを金塊で釣って、護衛が手薄とみれば狼煙をあげさせた。そこへ一気に駆け下りてきて、目的を果たすとすぐに山へ逃げ帰るのだ。神出鬼没すぎて救援が追いつかず、ほしいままに物資を強奪された。腹が減っては戦はできぬ。山賊に毛の生えたような襲撃も、たび重なれば前戦が維持できなくなる。やがてソガ国劣勢とみれば、大挙して平原を駆け抜け、次こそ一気にシンミカエレへ攻め込む算段であろう。
王はそこで、主だった族長にソガ国の将軍の地位を与えることを思いついた。莫大な褒美をちらつかせ、軍隊に編入してしまおうというのである。長引く戦争で戦死者が膨れあがり、兵も将も底を尽きかけてもいた。それに山岳人といえば一騎当千の強者揃い、味方につければ百万力、一石二鳥とはこのことではないか。
もちろんこれは決して飼い慣らせない暴龍を、私欲のために利用するようなものだから、細心の注意を要した。かれらのほとんどが文盲で、野獣のように粗野だとはいえ、頭のいい者はいるし、不思議と腕力よりも知力に優れた者のほうが、敬われていたりするものだ。しかしソガ王にとって必要なのは、自分の頭で考えて行動する人間ではなく、目の前にぶら下げられたエンカ鳥の腿肉に向かって突進してゆくだけの龍のような野人だ。暗殺、駆け引き、騙し討ち等、シンミカエレの宮廷で洗練された政治的手腕が用いられ、山岳人の多くが王国の傭兵に身を落とした。王のもくろみは図星を得たのである。
初代ニレ・ヤースタア卿であるデスベルトもまた、そのようにして王国軍に編入された族長の一人だった。ちなみにミドルネームの「ニレ」とは、出身部族に由来するらしい。恐るべき肖像画のイメージどおり、かれは野獣そのものであり、強大な腕力だけを頼りに、伯父の頸を刎ね、父の頭を砕き、兄を家族もろとも火炎に投じたあげく、族長の地位を勝ち得ていた。さすがにこんな男を飼い慣らす術はないかと危ぶまれたが、猛々しい男ほどアキレス腱は弱いもの。怪物デスベルトにとってのアキレス腱とは、「女」にほかならなかった。
腹さえ満たせれば食い物はどれも同じ。酒は浴びるほど飲むが、酔えば味など無関係。金が欲しければ、欲しいときに欲しいだけ略奪すればよい。女も同様……だったはずなのだが、旧都ミカエレで「後宮の女」を初めて眼前にしたとき、かれはズイイガの実ほどもある鉄球で、まともに頭蓋骨を打ち割られた思いがした。




