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「面白かった!」
タケルは無意識に手を叩いていた。マツリが物語る間、まるで自身が幼い頃にかえって、多くの子供たちにと一緒にわくわくしながら、吟遊詩人の歌を聞いているような気がした。
これは記憶なのか?
茶色いぼろぼろのマントを纏い、胡弓を手に歌う詩人の姿が、ありありと浮かんだのだ。
詩人はちょっとした身振りと表情で、登場人物たちを巧みに演じ分けた。目の前に、隆々とした筋肉で、飛んでくる矢を次々と跳ね返す英雄アーノルがあらわれたかと思えば、次の瞬間、詩人は老いて狡猾な隣国の王に化身していた。ケネックの尾の毛を張った弓で胡弓が弾かれると、埃っぽい風にのって、切々と胸に染みる旋律が生じた。
しかしこれは決して実体験ではない。自分は吟遊詩人など存在しない世界から来たのだという思いは、むしろ確信の域にある。が、それでもこの「記憶」はあまりにも鮮明に、生々しく思い返された。
まるで……
かれが生まれるずっと以前の記憶が再生されたかのように。
「すこし、わたくしの話をしましょうか」
椅子にかけ直しながら、ぽつりと彼女が言う。
タケルの混乱を察知して、身の上話を始めるつもりになったのか。いずれにせよそれはかれにとって、願ってもない提案といえた。もともと他人のことを根掘り葉掘り尋ねるのが苦手な性分であり、まして一方的に保護されている立場では、彼女やデーコの身の上にこちらから触れるのも、何となくはばかられた。けれど、肉体のダメージから快復したあとも、いまだ記憶が戻らないかれにとって、「彼女の話」こそ咽から手が出るほど欲しい、第一の情報なのだった。
この世界がどうなっているのか知りたい。過去から切り離され、いきなり放りこまれたこの世界のことが……
そのためには、まずは最も身近なところから、知識を得るべきだろう。よちよち歩きの幼子が、手探りで世界を知覚してゆくように。
思いがけない沈黙に、かれは目を凝らした。心なしか、さっきより濃くなった闇を背景に、マツリは目を閉じて座っていた。膝の上で、右の握り拳を左手でぎゅっとつかんだまま。ちょっと眉間に皺を寄せた表情からは、英雄アーノル譚を語ったときの明るさが、すっかりぬぐい去られていた。
「ここへ来る途中、城館をご覧になりましたか」
意を決したように瞼を開き、彼女は言った。
「見ました」
いとも豪華なるという言葉を、かれは意識して呑みこんだ。あの城とも館とも、砦とも宮殿ともつかない建物に対し、マツリが佳い印象を抱いていないことが、口調からうかがえたから。
「巷では、『ニレ族の城』と申します。わたくしはあの城で生まれました」
マツリ・ニレ・ヤースタア。そう名乗ったときの歌うような声が、まだ耳に残っていた。
だとすると、マツリは王族の娘なのか。しかしそうであるならば、なぜこれほど貧しげな暮らしぶりなのか。なるほど言われてみれば、市のおカミさん連中と彼女とでは、印象の違いは歴然としていた。彼女の若さを差し引いても、言葉遣いや着こなし、身のこなしに至るまで、気品がまったく異なる。
かれの凝視に堪えられず、マツリはくすぐったそうにうつむいた。
「ゲマルゲマリ大トカゲにでも行き逢ったようなお顔ですわよ」
「そんなつもりは……」
「なぜかニレの一族には人望がございませんの。むかしから民衆に憎まれてまいりましたし、現在も蛇蝎のように嫌うかたは少なくありません」
少し話が性急すぎたと反省したのか、マツリは考えを整理するように、額に軽く指を当てた。
「何も知らないお方に順を追って話すことが、これほど難しいとは思いませんでした。考えてみれば、シュワルツさまは、この王国の名前すらご存じないのですものね」
ソガ、
と、たしかにマツリは言った。覚えず尋ね返していた。
「ここは、ソガ国というのですか?」
山の向こうが隣の国で、たしか「トゥエル・バイスン」というらしいから、それと比べても、いかにも洗練に欠く、原始的な響きがきわ立っていた。
「正確には、ソガ・エルデセン二重王国と申します。吟遊詩人の決まり文句に、ソガは土の国、エルデセンは水の国と謳われます。この辺りは、土の国ソガに属しているのです」
「ニレ族はソガ国の王なのですか」
唐突に、マツリの口から笑い声がもれた。即座に「ごめんなさい」と謝ったあとも、しばらくは背を向けて肩を揺すっていた。
「失礼しました。ほんとうに、わたくしの話は要領を得ませんことね。ニレの一族、ことにヤースタア家は、最も哀れむべき辺境の一領主に過ぎませんわ。ガル山の麓で、千年も昔の砦跡にゴナラ熊みたくへばりついて、細々と一命を保ってきたのですから」
「しかしあのいとも……いえ、立派な城館を見る限り、王侯の列にも加えられるべき勢力を持つのかと」
「あの城は、張りぼてなのです」
彼女に似つかわしくない憎々しげな響きが、「ハリボテ」の一言に籠められていた。自身もそれに気づいた様子で、「ごめんなさい」を繰り返して、言葉を継いだ。
「外見の偉容、ただそれだけのために作られた城と申しても、過言ではございませんわ」
ニレ・ヤースタア家は、三百年以上前から、この地に住みついているという。
当初は隣国との争いが絶えなかったため、辺境の最前線にはソガ王によって選りすぐりの猛者が置かれた。初代ヤースタア卿の肖像画を見れば、恐ろしい髭面に熊の毛皮を纏い、巨大な戦斧をたずさえた、野人そのものである。
百年間続いた戦争が終わると、広大なガル山が緩衝地帯に定められ、辺境の戦闘はほとんどなくなった。ニレの城が、古代の砦跡から平地へ移されたのもその頃だ。最初は平坦な館であったが、バイラン低地人の襲撃に遭うことがあり、城塞らしい構えに建て替えられた。七つの塔をもつ現在の「いとも豪華なる」城館が完成したのは、第十七代シーゲント・ニレ・ヤースタア卿の時代で、この人がマツリの祖父にあたる。




