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騎龍転生  作者: 森野青果
12/15

3-3

「面白かった!」

タケルは無意識に手を叩いていた。マツリが物語る間、まるで自身が幼い頃にかえって、多くの子供たちにと一緒にわくわくしながら、吟遊詩人の歌を聞いているような気がした。

 これは記憶なのか?

 茶色いぼろぼろのマントを纏い、胡弓を手に歌う詩人の姿が、ありありと浮かんだのだ。

 詩人はちょっとした身振りと表情で、登場人物たちを巧みに演じ分けた。目の前に、隆々とした筋肉で、飛んでくる矢を次々と跳ね返す英雄アーノルがあらわれたかと思えば、次の瞬間、詩人は老いて狡猾な隣国の王に化身していた。ケネックの尾の毛を張った弓で胡弓が弾かれると、埃っぽい風にのって、切々と胸に染みる旋律が生じた。

 しかしこれは決して実体験ではない。自分は吟遊詩人など存在しない世界から来たのだという思いは、むしろ確信の域にある。が、それでもこの「記憶」はあまりにも鮮明に、生々しく思い返された。

 まるで……

 かれが生まれるずっと以前の記憶が再生されたかのように。

「すこし、わたくしの話をしましょうか」

 椅子にかけ直しながら、ぽつりと彼女が言う。

 タケルの混乱を察知して、身の上話を始めるつもりになったのか。いずれにせよそれはかれにとって、願ってもない提案といえた。もともと他人のことを根掘り葉掘り尋ねるのが苦手な性分であり、まして一方的に保護されている立場では、彼女やデーコの身の上にこちらから触れるのも、何となくはばかられた。けれど、肉体のダメージから快復したあとも、いまだ記憶が戻らないかれにとって、「彼女の話」こそ咽から手が出るほど欲しい、第一の情報なのだった。

 この世界がどうなっているのか知りたい。過去から切り離され、いきなり放りこまれたこの世界のことが……

 そのためには、まずは最も身近なところから、知識を得るべきだろう。よちよち歩きの幼子が、手探りで世界を知覚してゆくように。

 思いがけない沈黙に、かれは目を凝らした。心なしか、さっきより濃くなった闇を背景に、マツリは目を閉じて座っていた。膝の上で、右の握り拳を左手でぎゅっとつかんだまま。ちょっと眉間に皺を寄せた表情からは、英雄アーノル譚を語ったときの明るさが、すっかりぬぐい去られていた。

「ここへ来る途中、城館をご覧になりましたか」

 意を決したように瞼を開き、彼女は言った。

「見ました」

 いとも豪華なるという言葉を、かれは意識して呑みこんだ。あの城とも館とも、砦とも宮殿ともつかない建物に対し、マツリが佳い印象をいだいていないことが、口調からうかがえたから。

ちまたでは、『ニレ族の城』と申します。わたくしはあの城で生まれました」

 マツリ・ニレ・ヤースタア。そう名乗ったときの歌うような声が、まだ耳に残っていた。

 だとすると、マツリは王族の娘なのか。しかしそうであるならば、なぜこれほど貧しげな暮らしぶりなのか。なるほど言われてみれば、市のおカミさん連中と彼女とでは、印象の違いは歴然としていた。彼女の若さを差し引いても、言葉遣いや着こなし、身のこなしに至るまで、気品がまったく異なる。

 かれの凝視に堪えられず、マツリはくすぐったそうにうつむいた。

「ゲマルゲマリ大トカゲにでも行き逢ったようなお顔ですわよ」

「そんなつもりは……」

「なぜかニレの一族には人望がございませんの。むかしから民衆に憎まれてまいりましたし、現在も蛇蝎のように嫌うかたは少なくありません」

 少し話が性急すぎたと反省したのか、マツリは考えを整理するように、額に軽く指を当てた。

「何も知らないお方に順を追って話すことが、これほど難しいとは思いませんでした。考えてみれば、シュワルツさまは、この王国の名前すらご存じないのですものね」

 ソガ、

 と、たしかにマツリは言った。覚えず尋ね返していた。

「ここは、ソガ国というのですか?」

 山の向こうが隣の国で、たしか「トゥエル・バイスン」というらしいから、それと比べても、いかにも洗練に欠く、原始的な響きがきわ立っていた。

「正確には、ソガ・エルデセン二重王国と申します。吟遊詩人の決まり文句に、ソガは土の国、エルデセンは水の国と謳われます。この辺りは、土の国ソガに属しているのです」

「ニレ族はソガ国の王なのですか」

 唐突に、マツリの口から笑い声がもれた。即座に「ごめんなさい」と謝ったあとも、しばらくは背を向けて肩を揺すっていた。

「失礼しました。ほんとうに、わたくしの話は要領を得ませんことね。ニレの一族、ことにヤースタア家は、最も哀れむべき辺境の一領主に過ぎませんわ。ガル山のふもとで、千年も昔の砦跡にゴナラ熊みたくへばりついて、細々と一命を保ってきたのですから」

「しかしあのいとも……いえ、立派な城館を見る限り、王侯の列にも加えられるべき勢力を持つのかと」

「あの城は、張りぼてなのです」

 彼女に似つかわしくない憎々しげな響きが、「ハリボテ」の一言に籠められていた。自身もそれに気づいた様子で、「ごめんなさい」を繰り返して、言葉を継いだ。

「外見の偉容、ただそれだけのために作られた城と申しても、過言ではございませんわ」

 ニレ・ヤースタア家は、三百年以上前から、この地に住みついているという。

 当初は隣国との争いが絶えなかったため、辺境の最前線にはソガ王によって選りすぐりの猛者もさが置かれた。初代ヤースタア卿の肖像画を見れば、恐ろしい髭面に熊の毛皮を纏い、巨大な戦斧をたずさえた、野人そのものである。

 百年間続いた戦争が終わると、広大なガル山が緩衝地帯に定められ、辺境の戦闘はほとんどなくなった。ニレの城が、古代の砦跡から平地へ移されたのもその頃だ。最初は平坦な館であったが、バイラン低地人の襲撃に遭うことがあり、城塞らしい構えに建て替えられた。七つの塔をもつ現在の「いとも豪華なる」城館が完成したのは、第十七代シーゲント・ニレ・ヤースタア卿の時代で、この人がマツリの祖父にあたる。

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