第三十二話 枯渇・飽和
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八月も終わりに差し掛かった頃、俺たちは一つの難題にぶつかっていた。というのも。
「いませんね」
「いない」
「いないな」
居ないのである、魔物が。
「まさかこんなことになるとはね……」
ゴブリン一匹見当たらない河川敷を見渡しながら思わずぼやく。
「いいこと、なんですけどね」
「修行にならない」
そう、世間の平穏的にはいいことに違いない。だが修行の的が無いのも困りものである。もちろん俺が魔法で疑似敵を作り出すことも可能だが、構造的にどうしても機械的な動きになってしまうのでできれば魔物の方が望ましいのだ。
「仕方がない、戻ろうか」
そんな俺の言葉に頷き、歩き出す澪と璃良。その表情は少し残念そうにしているようにも見える。そんな二人の隣を歩きつつ、そもそもなんでこんなことになっているのかを思い返してみる。
発端は、一件のツイートからだった。曰く、
「ユニコーンからドロップされた血を飲んだら若返った」
とのこと。それ自体は既にネット掲示板でまことしやかに囁かれていた噂ではあった。しかし具体的な証拠が上げられていなかったために信じられていなかったのだ。
だが、件のツイートにはその血を飲む様子から、みるみる若返る所まで鮮明に記録した動画が付属していたことで事態は大きく変わる。つまり“効果は本物”で“大きな金になる”と。
情報の発信元が有名なハリウッド女優だったことも手伝って、その流れは瞬く間に世界に飛び火した。権力者や資産家は若さを求め、報酬に釣られた世の魔法使いたちはユニコーン探しに奔走した。
しかしユニコーン自体があまり見ることのない魔物だ。いくらかは供給されただろうが、到底市場を満足させる量ではない。そして不満はくすぶり、やがてある結論に至る。つまり、
「他の素材でも効果が得られるのではないか」
と。
ある者はコボルトからドロップされる爪や牙を貪り、またある者はオークから採れる白い液体――のちに油と判明――を啜ることを試した。そうして様々な素材の食用が試された結果、かなりの割合で滋養強壮や筋力強化、脂肪燃焼、肌年齢の回復といった効果が確認できたのだ。
こうなると最早魔物なら何でもいいから狩ってしまえというムードになり、全世界で魔物狩りが活発化した。今までは安全のためにしかたなく危険を冒していたのが、金というリターンが約束されたのだからその熱意の差は比べるまでもない。世界から急激に姿を消していく魔物についてどこぞの国の動物愛護団体が絶滅を危惧しているという声明を出して失笑を買ったほどだ。
かくして、世界には現在魔物が非常に少なく、奪い合いの様相を呈しているのである。
「まあ、魔物の数が少なかっただけかもしれないけどね」
「どういうこと?」
現状までの経緯を振り返って思わず出た一言に、澪が反応する。
「世界は一度危機的状況になる程に追い詰められたはずですよね?」
「そうなんだけどね」
加えて璃良も興味を示してきたため、あくまで予想だけどと付け加えて考えを話すことにする。
「確かに一度は魔物に溢れたけど、それはかなりの数減らされた。それが可能だったのは魔物側の供給量が少なかったからだと思うんだよね」
もし、魔物を倒したそばから復活されていたのでは、まず数を減らすことはできない。つまり、あの時既に魔法使いたちが魔物を倒す速度が魔物の供給速度を上回っていたことになる。
「さらに数を大幅に、それこそ人が生活出来るくらいに減らした後も街中に湧く魔物は優先的に片付けられてた」
国によってはどうかわからないが、日本に限っていうのならば五十人に一人の割合で魔法使いなのだからすぐに対処される。要するに、魔物は増えていなかった可能性が大きいのだ。さらに言うのなら、依頼や資金稼ぎ目的で狩られるものもいたのでむしろ徐々に減っていた可能性すらある。
「だから魔法使いが本気で狩りだしたらあっという間に枯渇したんじゃないかなって」
「……なるほど」
つまり現状は街の安全が確保できるほど狩り尽くされていたところに、数少ない隠れている個体も湧いてくる個体もことごとく潰されたんだからいるわけがないという話だ。
「まあ、居ないものはどうしようもないし増えるまで待つしかない」
「えっと、増えるんですか?」
璃良が不思議そうな顔で尋ねてくる。なうほど、確かに先の想像では増えることはありえない。だが、俺には一つの懸念事項があった。
「懸念事項?」
「うん」
それは現在確認されている魔物の種類が少ない、ということだ。
「今まで見つかった魔物はゴブリン・コボルト・オーク・ワーム・リザードマン・サハギン、まれにオーガ・クラーケン・ユニコーンくらいだったはず」
これはこの県で、ではなく世界中を捜してこれだけの種類なのだ。
「これらの魔物がいるのにドラゴンとかグリフォンを始めとしたほかの有名どころの魔物がいないのは不自然過ぎる」
もちろんこれらがいない可能性はあるだろうが、種類が先に挙げただけとも考えにくい。なにより、二人には言わないが、今のところ現れているのは夢の異世界と同じ魔物たちなのだ。まだ出現していないのがいずれ出てくるかもしれないと考えるのも当然だろう。
「だからいずれまた大量発生するんじゃないかな」
そして俺の予想は五日後に現実のものとなる。
「澪と璃良は二人で死角に注意しながら確実に処理を」
「はい!」
「ん」
二人に指示を出した俺は、彼女たちに数が行き過ぎないように気を付けつつ魔物の群れを削り取る。建物が密集している地域なので大規模な魔法は使わず、代わりに小規模の魔法を多重かつ高速で展開することで、だ。
「凄いです……」
「強すぎ」
そんな声が聞こえて思わず苦笑が漏れる。確かに目の前の光景だけ見ればリボルバー式の拳銃と重機関銃くらいの差があるから仕方のないことではあるのだが。ただ、俺が使っているのは魔法陣魔法であり、根本的に別物なのだから当然とも言える。もっとも、才能がある者ならこれくらい魔法陣魔法を使わずとも再現できてしまうのだが。
「……またいつこんなことがあるとも分からないし、二人にもそろそろ教えておくか」
たった一晩――厳密にいうのなら深夜の数時間――で溢れるように出現した魔物たちは初出現の時を彷彿とさせる密度で世の中を埋め尽くした。我が家の周囲はかつて張った四種結界で問題ない。だが、まだ備えていない澪と璃良の家が気になった。さらに言うなら、二人が先走って戦闘を始めてやしないかと。幸いにも二人の家は無傷だったし無謀な独断専行もしていなかったが、もうあんな思いはごめんである。
「二人とも俺の弟子だし、それに――」
嫁さんにするつもりだし。
「今、なんて!?」
「もう一回お願いします!!」
聞こえるような声は出していないはずなのだが。それとも都合のいい地獄耳か、女の勘というやつなのだろうか。
「いや、なんでもないよ」
「絶対何か言いました!」
「うん、言った!」
とりあえず誤魔化すものの、二人は食い下がってくる。これは長くなりそうだ。そんなことを思いながら、辺りの魔物の処理を終えた俺はドロップ素材の回収に手を付け始めた。
「今のところ確認できた新しい敵はピクシー・トレント・スケルトン・ガーゴイル・ゴーレム、まれにミノタウロス・キメラってところか」
「……」
「……」
一回目に出てきた魔物たちよりも全体的に難易度が高めな印象だ。
「この中で優先して倒すべきはゴーレム・ミノタウロス・キメラかな」
「……」
「……」
なぜなら中型以上だから。確実ではないが、おおよその小型の魔物は知能が低く、徘徊するか生き物を襲うことしか能がない。逆に中型以上は生き物を襲うために人工物を破壊する習性を持つ。したがって、まずは建物の中という安全地帯を確保するために先に述べた敵を優先的に処理する方が良いのだ。
「まあ、今回に関してはほとんど殲滅する必要があるからあんまり関係ないけどね」
「……」
「……」
駄目だ、返事が返ってこない。はぐらかし続けたのが悪かったのか、二人は少し前からこの調子だ。夏の青空に響く俺一人の声はいっそ寒々しい。……やむをえまい。
「あー、その。さっきは――」
瞬間こちらを捕える四つの眼光。あまりに強い期待を湛えたそれは、いっそ自身が被捕食者であるかのような錯覚さえ感じさせる。
「新しい、魔法の技術を教えようかなって言ったんだ」
瞬間、期待のまなざしはジト目に変わる。
「俺の秘密にも関与する重要なものだけど、二人とも俺の弟子だしね」
今度は少し琴線に触れるものがあったのか、いくらか険しさが和らぐ。
「……それだけ?」
「……まあ」
しかし今度の答えはお気に召さなかったようで、頬を膨らましてしまった。
「あとは『二人とも大事だし』的なことも、かな?」
うっかり独白した時と違い、流石に嫁宣言は恥ずかしいので何とか抵抗を試みる。
「……」
「……」
「……」
それから暫し見つめ合いが続いた後、
「まあ、今はそれでいい」
「そうですね」
なんとか許されたらしい。こっそりと、しかし大きな息を吐く。しかしどうして反応されたのだろうか。
「次回に期待」
「待ってます!」
だが、そんなことを考えるより先に度胸を付ける必要がありそうだ。




