#032 : 違う、違う、私は † ──……聖女です……?
── 私の名前はツバキ。目を開けると、私の世界は崩壊していた。
ここはキューシューの国。
火山と火竜を信仰するこの地では、古くから「紅蓮の神竜の咆哮とともに聖女が降臨する」という伝承があった。
だがその神竜は──
数日後、パンジャ大陸タマイサ地方で鬼の女に敗れ、温泉掘り要員としてこき使われることになる。
もちろん、キューシューの民はそんなこと知る由もない。
◇◇◇
見知らぬ豪華な広間。
中世ヨーロッパを思わせる石造りの壁。
窓の外には、現代的な建物は一つもない。
「ここは……どこ……?」
声を絞り出すのがやっとだった。
喉は乾き、手足は震え、冷や汗が背中を伝う。
昨日まで自分の部屋にいた。
しかし今は知らない場所にいる。
パニックが押し寄せてくる。
呼吸が浅くなり、心臓が激しく鼓動を打つ。
「す、すみません……ここはどこですか?」
震える声で尋ねるが、誰も答えない。
代わりに、ざわめきが広場に広がる。
「聖女様だ!」
「聖女様が召喚された!」
理解できない言葉が飛び交う。
頭が混乱し、吐き気が込み上げてくる。
「え?聖女……?違います……」
私の言葉に、周囲の表情が変わる。
困惑、そして怒りの色が見える。
「聖女様、お戯れはよしてください」
「貴方様は我々をお救いくださるのです」
圧倒される声の数々。
後ずさりしようとするが、人垣に阻まれる。
「違う……私はただの人間よ!」
必死の叫びは届かない。
周囲の目が冷たく、鋭くなっていく。
「偽の聖女か?」「詐欺師を処刑せよ!」
『処刑』── その言葉で全身の血が凍りつく。
息ができないほどの恐怖が、喉元を締め上げる。
逃げ道はなかった。もう後戻りもできない。
一瞬で様々な可能性が頭をよぎる。処刑。拷問。奴隷。
私に残された道は、たった一つだった──
葛藤する心。しかし、生きるためには……
……震える唇を必死に動かす。
「も、申し訳ありません……
突然のことで……私は……私は……」
言葉につまる。喉が渇き、声が出ない。
周囲の期待に押し潰されそうになりながら、最後の決断を絞り出す。
「……聖女です……」
その瞬間、歓声が沸き起こる。
私の心は叫んでいた。
(嘘だ!違う!違うの!私はただの人間なんだ!)
しかし、その声は誰にも届かない。
◇◇◇
部屋のドアが開く音。
激しい動悸。逃げ出したい衝動。動けない現実。
「聖女様、王がお呼びです」
従者らしき男性の言葉に、私の恐怖は頂点に達した。
王座の間。
威厳に満ちた王の前で、震える膝をなんとか折り曲げた。
「聖女よ、我が国はモンスターの脅威にさらされている。恐らくは魔王が動き出したのだ。汝の力で魔王を倒し、我が国を救うのだ」
頭が真っ白になる。
耳鳴りがする。
視界が狭まる。
吐き気がする。
今にも気を失いそうだ。
「私には……そんなことできま……」
震える声で本当のことを言おうとした瞬間、側近たちの冷たい視線が突き刺さる。
「聖女様?今なんと?」
「きっと聖女様のご冗談かと?」
「すべては聖女様にかかっております。」
その言葉の裏に、脅しが見え隠れする。
断れば、私はどうなるのだろう?処刑?拷問?奴隷?
死にたくない。
苦しみたくない。
帰りたい。帰りたい。帰りたい。
「お、おうけいたしました……」
今なんて言った?
自分の声だった?
今のは私の声ではない!
きっと他人の声なんだ!
やっぱり誰にも私の声は届かない。
私にできることなど……何一つない。
これは……ただの時間稼ぎ。
生きるための最後のあがき。
「聖女様、魔王討伐の旅に必要な準備はすべて整えさせましょう」
私には彼らの言葉がわからない。わかりたくない。
頭の中は真っ白で、ただ一つの思いだけが渦巻く。
どうすれば生きられる?
この絶望的な状況から、どうすれば逃げられる?
でも答えは見つからない。
ただただ時間だけが過ぎていく。
そして私は、偽りの聖女として絶望的な旅路へと押し出されていった。
毎日が恐怖との戦い。
聖女ではないとバレる恐怖、無力さへの絶望、そして死への恐怖。
死にたくない。生きたい。生きなければ。
どんなに苦しくても、どんなに怖くても、生き抜かなければ。
それが、それだけが、今の私にできる唯一のこと。
心の中で、ただ祈る。
誰か……助けて。
誰か……この悪夢から私を救い出して。
しかし、誰も私を救ってはくれない。
私は神に使える聖女らしい。
── でもその聖女に神は居ない。
「私の名前はツバキ……私はここに居る。
誰か私を見つけて……誰か私を助けて……
誰か……サクラ……カエデ……」
── そしてこの5分後に左目からレーザー(ホーリービーム♡)が出た。
…
……
………
「神よ……その手が差し伸べるのなら、俺の影まで抱きしめてみせろ。──Contradiction.」
翌朝ツバキはカイ様(*)を思い出して呟いた──。
── 私は……焦げた縁の残るマグカップを、黙って見つめていた。
テーブルには、小さな焦げ跡と、うっすらと蒸気だけが残されていた。
(つづく)
── 遥か、世界の深層。
「……三つ目の鍵。……これで、揃ったか……」
声なき声が、冷たく微笑む。
世界は、知らぬ間に歯車を刻み始めていた。
◇◇◇
《征服ログ:番外編》
【征服度】:該当外(ただし聖女ツバキ、左目ビーム発射により世界観に風穴が開く)
【支配地域】:キューシュー王国(表向きは“聖女の加護”により民衆掌握中)
【主な進捗】:ツバキ、異世界にて“聖女”として誤召喚される。本人は否定するが即処刑の空気を察し、5秒で折れて受諾。
【特記事項】:本人に自覚も力も無いまま国の命運を背負わされるが、5分後に左目からホーリービームを放つ。ツバキの中で「カイ様」の語録が精神安定剤になりつつある。国民は狂信、神は不在。本人だけが正気。
◇◇◇
──【今週のカイ様語録】──
『神よ…その手が差し伸べるのなら、俺の影まで抱きしめてみせろ。──Contradiction.』
解説:
光は選び、影は捨てる。だがカイ様は言った。すべてを受け入れよと。
ツバキの中でその言葉は、信仰よりも深い鎖となった。
(*)カイ様はツバキが影響を受けた厨二アニメキャラ




