#003 : 魔王の願い。──血のかわりにココアを。
──光の中で、ココアの香りがした。
甘い。寂しい。──それでも、温かい。
(ムダ様……私、笑ってるよ)
(……あれ? 風? 待って、これ落下してない!?)
(……てか、ココアの匂い!?)
◇◇◇
【現在地】パンジャ大陸南東部・常闇のダンジョン最深部
【視点】語り部(世界)
【状況】幼き魔王、ひとりで家族を呼ぼうとしている夜
◇◇◇
──そのころ、異世界では。
空のどこかで、誰かが笑った。
地下のどこかで、誰かが泣いた。
世界はまだ、笑い方を知らない。
小さな魔王が、ひとりきりで「家族」を呼ぶ。
──これは、その夜の物語。
その日、空から一陣の風が吹く。
(……その風に乗って、私、めっちゃ落下してるんですけど!?)
(第二の人生いきなりクライマックス!?)
◇◇◇
──パンジャ大陸の南東、タマイサ地方。
空気からして濃い。魔力ドリンクの原液みたいだ。
その最奥に、常闇のダンジョンが口を開けている。
紫光が苔壁を舐める。息を吸うだけで肺が焼ける。
普通なら誰一人として近づけない、危険極まりない場所。
……なのに。
場違いにぽつんと、ホットココアの甘い匂いが漂っていた。
その足元にマグカップを置き、銀髪の少女が魔導書を広げている。
──魔王家最後の末裔、エスト。
『もう、一人はいや……』
三年前、父も家臣も──皆いなくなった。
『泣いてる場合じゃない!私が世界を征服すれば……』
(拳を握りしめる)
『きっと父様も戻ってきてくれる!……うん!たぶん!きっと!』
そして、魔導書を手に取った。
『でも……一人じゃ戦えない。誰か……家族が欲しい!』
深呼吸をして、魔導書を開く。
『えと、なになに?……術者の血を一滴、魔導書に垂らすこと……ひぇッ……』
読み上げると、指先にナイフを近づける。
『…………痛いのはいやっ!!』(バッとナイフを遠ざける)
視線が横のマグカップに向いた。
温かいココアが湯気を立てている。
(マグカップを見つめる)
『……いけるよね?ココアって血っぽいし……ミルク入ってるけど、なんか成分多い方が良いよね』(ドキドキ)
マグカップに手を伸ばした。
『血は、熱くて痛いでしょ?』
『ココアは甘くて──寂しさをちょっと溶かしてくれるんだよ☆』
(カップを胸に抱えて、一呼吸)
……痛いより、甘い方がいい。
それは魔法でも呪文でもない。
幼い魔王の祈りだった。
彼女は、痛みよりも優しさを信じた。
『甘い方が、誰かと分けられるから。』
(首を傾げて少し考える)
(笑って)『……それにさ、いつか体の中で血になるでしょ──“未来の血”。天才かも☆』
(首を大きく傾ける)
『……よし、砂糖増やしとこ!』(ざらっ)
たらり──ココアが魔導書に落ちる。
『あ、マシュマロ忘れた……ま、いっか☆』
甘い匂いが漂う。
『ほら!全然バレない!セーフセーフ☆』
「……父様、見ててね。私、ちゃんとできるから。」
……その直後、魔法陣がバチバチと明滅。
バチバチバチッ!!
『ぎゃあ!?未来どころか即アウト!?』
ココアの染みが広がり、不吉な形に変わっていく。
『バレた!? やっぱバレるの!?』
──でももう遅い。
魔法陣は既に起動し始めていた。
『や、やばっ!でももう止まらない!やるしかない!』
エストは慌てて呪文を唱え始めた。
『異界より来たりし魂……我に忠誓を誓わん!』
(挿絵:血の代わりにココアを垂らし、家族を呼び出そうとする魔王エスト)
床に刻まれた古い魔法陣が青白い光を強め、複雑な模様が脈打ち始めた。
空間に亀裂が走る。
『来て……お願い!私のそばに……!』
エストは両手を天に向けて広げた。
魔法陣が光り輝く。
──その瞬間。
(息を呑む)
(空気が、止まった)
バシュウゥゥンッ!!
『っ……!』(目を見開く)
……沈黙。
魔法陣は、ただピカピカ光っているだけだった。
『……え?……何も、出てこない?』
エストは眉を寄せる。
(小声で)『あれぇ……?』
魔法陣は光るだけ。エストは首を傾げ、身を乗り出す。
ピシ。
ピシピシピシ……。
頭上の──石の天井が砕け──
ドサァァァァン!!!
…ポヨン。
サクラの魂が、上から落ちてきた。
『うわぁああ!?なんで上からぁぁ!?コントかよぉ!?』
驚き、手をバンザイ。慌てて受け止めようとしたが──
ドンッ!
『いたいっ!!』
半透明の魂なのでスルーして尻もちをついた。
そしてサクラの魂が床に激突──
ボヨーン! ポヨン……魂が床で跳ねた。
エストは息を呑んだ。
『え、バウンドした!? 魂って跳ねるの!? 待って! 止まって!』
エストは必死に魂を追いかけ回す。
『この魂、ワガママで卑怯で友達いないけど、生命力はあるタイプだ。』
《天の声:やめてあげなさい》
『だ、だれ!?』
──その瞬間。
ゴツン!
足元のマグカップを蹴飛ばしてしまった。
ガシャン!!
マグカップが魔法陣の中心に転がり──
ドバァッ!!
ココアが魔法陣にぶちまけられた。
『うわぁああああ!?』
茶色い液体が、神聖な魔法陣を侵食していく。
── そして。
跳ね回っていた魂が、ココアの染みの上に着地した。
ピタッ。
『……あ、止まった……』
魂がココアに吸い付いて、動かなくなった。
『……ココアで……くっついた……?』
魂は静かに揺れている。
(ふわ、と甘い香りが広がる)
── 光の渦の中心に、黒髪の女性の魂が浮かび上がった。
魂の輪郭が、ゆらゆらと揺れている。
『わぁ……綺麗……』
エストは一瞬、見惚れた。
『……でも……なんだか寂しそうな色……私と、同じだ……』
──しかし。
『あれ……?なんで二色……?』
白い光と深い闇が、うずまきみたいに混ざる、不思議な魂。
『白は……愛した痕。闇は……孤独。』
胸がきゅっと締め付けられる。
(あ……私も、こんなだ。父様を失った闇と、父様に帰ってきて欲しいという光が……混ざってる……)
『──私も。』
(この人と……同じだ……)
そして、魂が不安定になっていることに気づく。
ココアまみれで、形が歪み始めていた。
『え?ダメッ!このままじゃ消えちゃう!ココアのせいで!』
エストは慌てて自分の魔力を魂に流し込んだ。
『ご、ごめんなさい!今、魔力で洗います!』
ココアの染みを落とすように、丁寧に、でも必死に。
『私の魔力をあげる!だから消えないで!』
魔力を流すたび、魂の輪郭がクッキリしていく。
慌てて魔力を増やす。
足がふらつく。
『やば……魔力切れる……でもココアが……!』
『と、とにかく洗えぇぇ!!』
肌に赤みが差し、額からツノが現れる。
『も!もっと……もっと強くッ!』
叫びながら、ただ必死に魔力を注ぎ込んだ。
もう立っていることもできず、膝をついて両手を魔法陣に向けている。
女性の肌は少し赤みを帯び、ツノが成長していく。
『ううう……』
魔法陣の光がピークに達し、部屋全体が真昼のように明るくなった。
──そして。
バシュゥゥン!!
閃光が走り、すべての光が一点に集約された。
…………
ドサッ。
長い黒髪の女性が石床に倒れた。
彼女の体は完全に実体化し、浅い呼吸が生をそっと示している。
『やった……成功だよね!?』
ふらつきながら近寄り、その手を握る。
『あなたは……私が呼んだ"家族"。』
そう呟いて、エストは女性の隣に座る。
『ココアで召喚なんてバカって思われるかな?』
『昔ね?みんな、「エストはバカだ」って笑ったんだよ。』
(少し、はにかむ)
『でもね、バカって言われたら「ありがとう」って返すの。恥ずかしいってことは──ひとりじゃないってことだから。』
(微笑む)
『だから……あなたも、私を見つけてね。隣で笑って。』
召喚陣の光がまだ消え残っていた。
かすかな明かりが石の天井に反射して、ココアみたいな色に揺れる。
『甘い方が、孤独が溶けるの。だから、あなたを呼んだんだよ。似てたんだよ。私たち。』
『だから、今度は私が溶かしに行くよ。あなたの寂しさを。』
『……ココアの匂い、届いたよね?』
甘い香りが、冷たい空気をやさしく満たしていた。
──エストの呼吸が、浅くなっていく。
魔力を使い切って、まぶたが重そうに揺れた。
その幼い横顔を、語り部だけが見つめている。
彼女はずっと「家族がほしい」と言っていた。
けれど、その奥にある願いは、ひとつだけだ。
父が消えて──三年。
泣きながら夜をやり過ごしたあとで、彼女はひとり、決意した。
──世界を征服する。
てっぺんまで行く。
そうすれば、どこにいても父様が気づいてくれるはずだ、と。
だから召喚に挑んだ。
だから“姉”を呼んだ。
サクラの手を握ったまま、エストは眠る直前、息みたいな声でつぶやく。
『……父様……見つける……』
その声は涙より小さく、それでも祈りより、ずっと強かった。
世界征服は、まだ誰も知らないところで、ちいさく息をしただけ。
小さな魔王は、世界の果てまで行くつもりだった。
その隣に、姉がいる未来を信じながら。
──エストは、ココアの匂いと“姉”のぬくもりに挟まれたまま、静かに気を失った。
◇◇◇
光が消えたあとも、二人の呼吸だけが小さく続いていた。
召喚陣には、ココア色の染みと、微かな熱が残っている。
《天の声:ココア召喚は前代未聞だな》
エスト『……Zzz』
《天の声:どうなるんだ……楽しみだ、この反応》
──こうして、世界征服を目指す「魔王軍」は、ココアの香りとともに始まった。
彼女はまだ知らない。
この夜に溶けた甘さが、世界征服のはじまりの味になることを。
世界はまだ眠っている。
けれど──確かに、笑いの種が撒かれた。
◇◇◇
夢の中で、誰かが言った。
『恥ずかしいことって、きっと……甘いんだよ。』
甘い。寂しい。──それでも、温かい。
サクラは息を呑んだまま、
ココアの香りの中へ、静かに溶けていった。
(つづく)
◇◇◇
──これは、ひとりを終わらせる物語。
世界征服という名の“家族探し”に挑む、恥ずか死した女と、孤独な魔王の話だ。
笑いながら、泣きながら、恥ずかしがりながら──
二人は、もう一人じゃなくなる。
やがて、道すがら出会うのは──
レベル1固定の天然勇者。
目からビームの中二病聖女。
主より騒がしい暴走侍女。
レアリティがノーマルレア(NR)の竜王。
恋の炎が虹色の火竜。
電波を受信するS級冒険者。
……そして、千年前から何かを待ち続けている“誰かたち”。
……世界はまともじゃない。
まともじゃないからこそ、寂しさは救える。
この旅のどこかで、世界が少しずつ、動き出そうとしているとも知らず──。
ひとりぼっちの者たちが、笑って転んで恥をかきながら──
ゆっくり、家族になっていく。
◇◇◇
──【エスト理論:バカの相対性】──
『バカって言われたら、ありがとうって返すの。
だってそれ、私を見つけた証拠だから。』
解説:
世界は、気づかれた瞬間に輪郭を持つ。
誰かに「バカ」と呼ばれるのは、バカだと分かるくらい見てもらえたということ。
無視よりずっとましだ。
恥ずかしさは、生きている証明書。
──
【あとがき】*少しだけ制作の裏話を。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
今回は、サクラが召喚される“少し前”──
魔王エストの、小さな勇気の物語でした。
彼女は寂しさを抱えながらも、笑おうとする子。
血の代わりにココアを選んだのは、
「痛いより、甘い方がいい」と信じたから。
その瞬間、世界はちょっとだけ変わったんです。
だって──恥ずかしいほど真剣な気持ちは、いつだって笑いと隣り合わせだから。
サクラが落っこちてきたのも、偶然なんかじゃない。
壊すために。笑わせるために。
そして何より──“笑って生きる”を思い出させるために。
この物語は、恥ずかしさと笑いの間で呼吸している。
人は、笑うたびに少しだけ生き返る。
だから、バカみたいに笑っていい。
それは、生きようとしてる証だから。
──だから、私は笑う。
バカだって笑われても、笑うんだ。
だって、人は笑うたびに少しだけ生き返るから。
次回、いよいよ二人が出会います。
ツノと拳と、ちょっとの涙を忘れずに。
そして、今日も“恥ずかしく笑える勇気”を。
世界が笑うまで、物語は続きます。
──さくらんぼん




