聖女祭の夜(12/13)
公爵令嬢が引き起こした婚約解消騒動のペナルティとして、皇帝が息子にほのめかしたのは、別の娘をあてがうことだった。
ジークラインには応じるつもりがなかったが、あまり反論してやり込めすぎては、反抗の意思ありと思われて、事態が悪化しかねない。自然と、にらみ合いは無言になった。
先に目をそらしたのは皇帝だった。
「……そなたがここまで折れぬも珍しいな」
「陛下のご意見は最大限に取り入れるように心がけております」
「そなたさえその気であれば、もっと飼いならしやすい娘を見繕ってやってもよいのだが……なんなら、ひとりと言わず、二人、三人……」
ジークラインが女遊びに興味を示したことは一度たりとてない。皇帝もそれは承知しているだろう。
皇帝がとうとうあきらめ気味の空気を発しはじめたのを敏感に察知して、ジークラインは駄目押しをすることにした。
「……彼女は婚約破棄が決まったときに、私にこう言いました。『義務で結婚するのは間違っている。いつかこの人と結婚したいと思えるような誰かと会えたときにすべきだ』と」
皇帝は嫌悪を催したとでもいうように、口をゆがめた。
「いかにも甘やかされた馬鹿娘の意見だね。女の仕事は結婚と出産だろうに」
「いえ、彼女は、私にそうすべきだと進言したんです。私が結婚したいと思える相手を見つけるべきだと」
「またずいぶんと余計な口利きをしよる。丈夫な子どもさえ産めれば、妻などどれでも同じであろうに」
十分な資産を持つ貴族にとって、妃とは、子どもを産ませるための母体に他ならない。
神が定めたもうた人間とは男のことであり、女は知性なきケモノである。無駄吠えをしない従順な家畜でありさえすればいい。
「……おそらく彼女は、どれでも同じだと言われることに耐えられなかったのだと思います。私はずっと彼女を丁重に扱ってきたつもりでしたから、あれだけ親切にしてやっていたのに、何が気に入らないのかと腹を立てていたのですが、気づいてみれば兆候はいくつもありました」
彼女はずっとひとつのことにこだわっていた。
――私を愛しているから、結婚しようと思った?
問われたジークラインは、単純に、くだらない、と思っていた。
いつだってこれ以上ないくらいの待遇で親切を施してやっているというのに、今更そんなことを口に出す必要があるのだろうか、と。
「陛下が彼女を危険視する理由には一理あると思っています。彼女にはどこか、捨て身になりがちな危うさがある。今後も、耐えがたい侮辱をされたと感じれば、周りを巻き込んで破滅する危険はあるでしょう。しかしそれは、愛や誇りにかこつけて命をかけたがる騎士の無謀とどれほど違うというのでしょうか」
愛する女性のために無謀な戦いに身を投じた男の話など、この国にはいくらでも転がっている。
「騎士の蛮勇が褒めたたえられる一方で、彼女の行動が勇敢だったと見なされないのはなぜでしょうか。貴族の娘など、嫁ぎ先を失えば浮浪者も同然です。彼女は婚約の破棄を宣言することで、正しく命をかけて、耐えがたい侮辱を撤回させるために戦いました。それを陛下が、生まれつきの性の劣等ゆえの愚行だと断じるのであれば――」
これは何も皇帝だけの意見ではない。この世の誰もが彼女を愚かだと笑うだろう。
ジークラインとてずっと彼女のことを憐れんでいたのだから、人のことは言えない。
「――誰も彼女の勇気に理解を示さないのであれば、私だけは、彼女を誇り高い騎士として扱ってやりたいと思います。彼女は騎士になりたかったわけではないでしょうが、人間として扱われたかったのです。ただそれだけです」
彼女は宴会場を去るとき、皇族特権の手袋を、あろうことか皇帝本人に突っ返していった。こんな無謀をやらかす娘は、確かに欠陥があるとみなされても仕方ない。
しかし、後ろを振り返りもせず、まっすぐに宴会場をあとにした彼女の後ろ姿を、ジークラインは、美しいと思った。
弱く、愚かで、誇り高い娘。
だからこそ美しく、愛さずにはいられない。
皇帝はしばらく難しい顏でジークラインをにらんでいたが、やがて大きなため息をついた。
勝った、と密かに思ったことは、さすがに顔には出さない。
「……あい分かった。もうよい。あの娘のことは好きにせい。わしの邪魔だけはさせるなよ」
「心得ております」
「まったく、度し難い強情さだね……」
皇帝はぼやきながら、ふと宴会場の喧騒に耳をすませた。
聞きなれない、物悲しい弦楽器の調べが流れてくる。
チェルリクの姫の演奏をたたえる声が廊下にも漏れ聞こえてきていた。
「……チェルリクの姫御、刺客顔負けの動きをしておったな。おそらく狙いはそなたであろう。そなた、よもや討ち取られはすまいな?」
「その心配はありませんが……」
「篭絡もされぬであろうな?」
「当然」
「ならばよい。貴重なチェルリクの情報源だ。今しばらくは婚約の意思ありと見せかけて泳がせておけ」
「はい」
「チェルリク攻略の計画も疾く献上せよ。最低条件は領土すべてを取り返して和平締結、次が大皇帝のいる首都の占領、最上は皇帝を討って主要なチェルリク貴族を降伏させる」
指折り数えて、皇帝はうんざりした顔をした。
「……やっぱりミルザちゃんをもらうのが一番はやくね?」
「おそれながら、それも罠の可能性が高いかと」
「まあね。うちはお前さんさえなんとかすればあとは何とかなっちゃう国だからねえ。手紙でもそんなようなこと書いてきてたし、見抜かれてんだろうね。やだね、まったく」
皇帝はため息を残して、これで話は終わりだとでもいうように、来た道を戻り始めた。ジークラインはその場に留まる。ディーネの後を追うつもりだった。
「敵はチェルリク、騎竜の民。最大で万騎の騎竜兵。相手にとって不足なし」
遠ざかりつつ、皇帝が声を張る。廊下に反響するその声は、どこかやけになっているようにも聞こえた。
「勝てりゃいいけどねえ……」
皇帝のぼやきは、ジークライン以外に聞くものもないまま、夜の闇に溶けて消えた。




