海辺でバーベキュー(4/4)
「手ぇ出せ」
左手を取られて、手の甲をまっすぐに突き出させられ、さらに指の先まで揃えさせられた。何だろうと思う間もなく、薬指の先端に何か冷たいものが触れた。
スルリと音もなく薬指の上をすべり、指の付け根にはまったのは、冷たい金属の輪だった。
ディーネは驚いて手元を凝視した。
握り合う手の意匠が彫られたシルバーのリングに、青の宝石が嵌まったハートのベゼル――
それは今流行りの、騎士道風の指輪だった。古来より握手は婚約成立の象徴で、ハートは愛情のモチーフ。青は貞淑と純潔の色とされている。おまけに銀は魔除けの素材だ。転じて愛する人の身を守る護符としての効能を持つ。
どこからどう見ても、百パーセント疑いなく、婚約指輪として作られたものに違いなかった。
ディーネがほしくてほしくて、夢にまで見た、愛の誓いの指輪だった。
「ジーク様、これ……!」
「遅くなった。遅すぎて、何をいまさらとも思ったが、こんなもんでお前が喜ぶなら安いもんだ。お前の希望通りのもんかどうかは知らねえが、これが俺の気持ちだ」
「ジーク様……!」
感激してしまったディーネがうっとりと彼を見つめていると、彼はいつもの人を食ったような不遜な笑みを見せた。
「どうだ? お前にも俺の愛の深さがよく分かっただろ? 泣いて喜べ。伏して拝領しろ」
「え……えらそう~~~~~!!」
ディーネは思わず突っ込んでしまったが、なんだかんだいってこの偉そうなところがとても好きなのであるからして、半分ぐらいは喜びの悲鳴と化していた。
「お前の望みは叶ったか?」
改めて問われて、ディーネはハッとした。
「は……はい! でも、あの、どうして……」
ディーネは確かに指輪が欲しいと思っていたが、これはあんまりにも理想通りだ。まるでディーネの妄想をそのまま叶えてもらったかのようなシチュエーション。ディーネにはひとつ、心当たりがあった。
「もしかしてヨハンナ様から……?」
先日喋ってしまった内容と一致しすぎているから、彼女が何か吹聴したのかもしれない。思い返せば今日の彼は態度がずっと不自然だった。ディーネのために一芝居打ってくれたのだとすれば、何もかも符丁が合う。
ジークラインはそうだとでもいうように、ややうんざりした調子で言う。
「そりゃ、あんだけうわさになってりゃなぁ……」
――何してくれちゃってんの!?
ヨハンナの仕打ちにディーネは震えた。
いくらディーネがジークライン絡みだと暴走しがちだとはいえ、指輪の妄想まではさすがに他人に話したことはない。それはそうだろう、どんな顔をして言えばいいのだ、『プロポーズされるなら嵐の夜の無人島がいいです』などと。もしもディーネがこの話を聞かされる側だったら正気を疑う。
だいたいジークラインもジークラインだ、何も馬鹿正直にそのまんま再現しなくてもいいではないか。先ほど指輪が彼の気持ちだとは言ってくれたが、内心ではどう思っていたやら。『また面倒なこと言い出したな』と辟易していたことは確実だろう。
――は、は、恥ずかしい……っ!
ディーネはおのれの浅はかな言動に消え入りたくなった。
「まったくお前は……金でも銀でも好きなもんを言えって、前にも言ってあったろうが。お前が小賢しく遠慮なんかしやがるから選ぶのに手間取ったじゃねえか」
呆れたような物言いに、ディーネはさらにダメージを受けた。面倒な女だと思われたくなかったから言わないでいたのに、かえって手間をかけさせてしまった。そんなつもりじゃなかったのに、と悲しくなる。
「で? 残りの指輪はどうしてほしいんだよ?」
「残り……って?」
「なんかまだ隠し玉があるんだろ? 五月祭だか年越しの祭だかでよ」
「そ、そんなことまで伝わってしまったんですの……?」
「なんもかんも聞かせてもらった」
うわああ、と頭を抱えるディーネに、ジークラインは面白がるように笑った。
「この際だから付き合ってやるよ。お前の指もまだあと九本ある」
「十個もくださるおつもりでしたの!?」
「なんだよ、遠慮すんなって。希望言わねーんなら適当に作らせるぞ。そうだな、次は鉄製なんかどうだ? いざってとき武器にもなる」
「重すぎますわ!」
「外したときに身軽に感じるだろ?」
「漫画の修業か!」
漫画ではないのだから、スポ根の養成ギプスみたいに言うのはやめてほしかった。
「とにかく、ほしいもんがあるなら、お前が満足するだけ用意するから、これからは妙な気を回さなくていい。お前に不自由をさせると俺の名誉にも関わる。ねだりごとも仕事のうちだと思えよ」
「は、はい……」
指輪をもらえない、だなんて不満を不用意に漏らせば、ディーネだけでなく、彼の評判にも影響する。
もちろんそんなことは先刻承知の上だったが、改めて言われると軽率だったと実感してしまう。
「だいたい、お前は俺が何をくれてやっても満足しねえんだろ?」
意外なことを指摘されて、ディーネは戸惑った。
「そんなことは……ジーク様が選んでくださったものなら、わたくしは……」
そう、品物自体は何でも構わないのだ。
義理だとか、名誉に関わるからだとかではなく、心からあげたいと思ってくれたものであれば何でもよかった。
「言っとくが、その指輪も、前から渡そうと思ってたってのは本当だぞ。でも、お前最初っから俺のこと信じてねえだろ? だから何をやったって満足できない。違うか?」
「前から……?」
この指輪は、ヨハンナに言われて仕方なく用意したものではなかったのか。彼の説明が取ってつけたもののように感じてしまうのは、そんなそぶりがなかったせいか、それともディーネが卑屈すぎるからなのか。
いずれにせよ、彼の言うとおり、信じていないことは確かだった。
「前から、いかにもお前が欲しがりそうだとは思ってたよ。そのうち自分から言い出すだろうとたかをくくってたが、甘かったな。先に手を打っておくべきだった」
やれやれと言わんばかりに苦笑するジークライン。その顔がなにより好きなディーネはドキリとした。
「お前が本当に欲しかったのは、指輪じゃなくてこっちだろ?」
ジークラインの伸ばした両腕が、ディーネを正面から包み込んだ。
驚き固まる体に、ジークラインが呆れるほどの礼儀正しさで触れる。優しくぎこちない抱擁は、彼からの贈り物や愛情に飢えた身に降り注ぐ慈雨のようだった。
キスはいつもより長かった。もしかしたらこのまま押し倒されてしまうのではないかという不安がじわじわとわいてきたころにようやく解放される。
「……満足したか?」
ぽーっとなってしまったディーネが、だいぶ遅れてからうなずくと、ジークラインは少し顔をしかめた。
「そうかよ。そりゃ残念だな」
「え……」
「お前がまだ飽き足らないってんなら、もう少し続けるが」
「しました! 満足! とっても!」
両手をつっぱって上半身をジークラインから遠ざけると、彼はディーネを安心させるように、ポンと肩を叩いてくれた。
「そうかよ。そんじゃ帰るか。そろそろ肉も焼けてきただろ」
***
嵐の遭難は一体どこまでがジークラインのでっちあげだったのやら、ディーネには見当もつかないが、雨はほどなくして止んだ。
帰還もボート込みで転移したので、一瞬だった。
ディーネはしばらくジークラインの顔が見られなかった。薄暗い洞窟で起きたことだったのもあって、全部夢だったような気がしてしまう。しかし薬指にはちゃんと指輪が嵌っていた。
食事中にも手元を見るたびに真夏の太陽でギラリと光るので、ディーネはずっと落ち着かなかった。
数ある給仕係の中でも肉の切り分け係は最上の名誉職なので、高位貴族の仕事とされる。宴会のホストの息子であるとか、王の信任が厚い貴族などが担当するものなのだ。そのせいか、ディーネに肉を給仕してくれたのは、ジークラインの小姓頭を務めている、顔見知りの少年だった。
緊張した面持ちの少年給仕が、珍しい水鳥の丸焼きから羽根と嘴を取り外し、骨から身を外してディーネに取り分けてくれた。
彼にとってはちょっとした晴れ舞台なのだろうが、ディーネははっきり言ってそれどころではなかった。だって指には、指輪が嵌まっているのだ。
「いつまで見てるんだよ」
「! ……だ、だってっ……!」
「そんなに嬉しいか? そうだろうとも。お前は世界で一番の果報者だからな。そうなるように俺が目をかけてやってる」
「お、恩着せがましい~……」
そうは言いつつ、その余計な口利きが、やっぱり好きなディーネなのだった。
――後日、目ざとく指輪に気づいたヨハンナからもさんざん恩着せがましくあれこれ言われたのだが、それはまた別の話である。
薬指に婚約指輪
結婚指輪をどの指にはめるかは国や宗派、あるいは年代によってかなり違うそうです。
詳細は「『図説 指輪の文化史 (ふくろうの本/世界の文化)』浜本隆志(河出書房新社)」に一覧表が載っていたので、ご興味のある方はそちらで確認してください。
フェデリング(握り合う手のシンボル)
”結婚にあたって十二世紀から十七世紀頃まで、フェデリングを贈る習慣がヨーロッパで流行した。”(同上 P26)




