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バームベルク公爵領の転生令嬢は婚約を破棄したい  作者: くまだ乙夜
書籍発売記念番外編

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ショコラと貴婦人(7/13)


 公爵令嬢のディーネは新作のチョコレートを売り出したいが、チョコレートは体に悪いと主張する貴婦人の妨害に遭っていた。そこで貴婦人のサロンに押しかけてみたが、場の空気は思わしくない。


 そもそも、ショコラはこの世界において滋養強壮によい興奮剤とされている。


 しかし、実はこの学説にもかなりの異論反論が存在するのだ。


「ショコラは健康にいいって言いますもの、わたくしもせっせと飲んでおりましたけれど、それが間違いだとしたらとても恐ろしいことだと思いまして……」


 ヨハンナはすっと瞳を細めた。警戒心を抱かれてしまったのか、急にその場に沈黙が訪れる。


「……ねえ、どうしてショコラが健康に悪いということがお分かりになったんですの? よろしければわたくしにもご教授いただけませんこと?」


 黙ってしまったヨハンナの代わりに、別の女性が声を上げる。


「それがね、飲み始めてしばらくは調子がいいのだけれど、あんまりたくさん取りすぎると熱が出て、ついには死んでしまうらしいのよ」


 ――死ぬとまで。


 大げさだとディーネは思うが、「実はどこそこの伯爵の奥方が」と、具体例まで出てきてしまい、聞き役に回ることになった。


「ショコラの取りすぎで、赤ちゃんの肌が褐色になってしまったらしいのよ。その子はすぐに死んでしまったみたい」


 ――ただの浮気じゃん。


 ショコラの取りすぎで肌が黒くなることなど万にひとつもあり得ないが、これがこの世界の医療の常識なのだった。


「特に女性はショコラを敬遠するべきね。ショコラの実は『冷』たくて、『乾』いているから、『憂鬱症』を引き起こすのよ」

「憂鬱症……?」

「深い嘆きにとらわれてしまう心の病よ」


 ――さっきと言ってること違うんですけど。


「ショコラを取りすぎると発熱して死ぬのではなかったのでしょうか……?」

「それは……」


 貴婦人が困ったように言い淀む。


 この世界の医療では、食べ物は四つの性質に分類される。熱い、冷たい、乾燥、湿潤である。

 漢方薬やガレノス医術の四体液説、あるいはインドのアーユルヴェーダのトリ・ドーシャ説のようなものだと思ってもらうと理解が早い。


 この世界の医療の常識に照らし合わせてみると、熱の性質と冷温の性質は真逆ということになる。なので、発熱と憂鬱症では症状が正反対だ。


 今の話をたとえていうのなら『解熱剤の飲みすぎで熱が出た』ぐらいおかしい。


「ショコラは『冷』たい食べ物ですもの、取りすぎたら怠惰になるのは間違いないわ」

「では、発熱というのは……?」

「それは、含まれているスパイスのせいではない? 冷たいショコラに熱い香辛料をたくさん入れすぎると、今度は刺激が強くなりすぎるのよ」

「あら、私が聞いた話だと、ショコラが冷たいって考えが間違いだと分かったそうなのだけれど」


 違う説が引き合いに出されてはすぐに否定され、延々ととりとめもない話が続く。


 なぜショコラの効能が諸説入り混じるのか?


 それはショコラを使った飲料がさまざまなスパイスを混ぜて作られるからなのである。使うスパイスによって効能が変わるとする医者もいれば、変わらないとする者もいる。


 ショコラの薬効も人によって主張はまちまちで、非常に身体を「熱」くする豆だと言う人もいれば、それ自体に滋養強壮の効果はないと言う人もいる。ショコラの豆そのものは人を憂鬱にする、「冷」たく「乾」いた性質だから、「熱」いスパイスと一緒に採るのが望ましいのだとする学説も存在するようだ。


 はっきり言って全部トンデモで、医学的な根拠はまるでない。


 ショコラをめぐるトンデモ学説の理解については、ディーネもあきらめたところである。


 公爵家お抱えの錬金術師によると、「ショコラは冷たい『土』の性質を持つ」らしい。こちらは地水火風の四元素説に似ているが、理屈を聞けば聞くほど頭痛がするのでやはり理解はあきらめた。


 ここワルキューレでも同様に、ショコラをめぐる学説は二転三転している。


 要するに、誰も本当のところはよく分かっていないのである。


「ショコラが健康に悪いというお話はいったいどちらから出たものなのでございますか?」


 ディーネが何気なく質問を重ねると、さらにもういくつか証言があった。


 いわく、どこそこの伯爵はショコラを飲んだ数時間後に彼のショコラ職人ともども亡くなった。

 いわく、ショコラを拾い食いした飼い犬がショックを起こして死んでしまった。


「タマネギだって犬には毒でございましょう?」


 犬は人間よりも肝臓の働きが弱いので、タマネギやチョコレートは毒となる。


 そこを指摘すると、もうひとつ意見があがった。


「ノールのところの司教主さまがお亡くなりになったのも、ショコラの飲みすぎだと言われているようですわよ」


 その話ならばディーネも知っていた。母親がいつかの折にうわさしていたのを聞いたことがある。そして、背景に複雑な人間関係があったらしいとも。


「それって、ショコラのせいではないといううわさも聞きましたけれど……」


 ディーネの発言に、誰もがさりげなくヨハンナのほうをうかがった。

 そう、司教主は毒殺の疑いがあるのである。毒殺未遂経験のあるヨハンナの前では気を遣う話題であったろう。


 ヨハンナは泰然としているが、口を開かない。


「結局、ショコラの何が体に悪いのでございますか? ショコラの豆? それともスパイス? それとも――混入された毒?」


 ずばりと切り込むと、ヨハンナはかすかに見下すように笑った。


「……いずれかはわたくしたちには判断できませんけれど」


 ようやく口を開いたヨハンナの声は、どこか甘ったるくて、艶めいていた。


「ショコラにスパイスをたっぷり混ぜた食べ物が体に悪いことは間違いありませんわ。とくに固形のものは百害あって一利なし……ということでございます」


 そうか、とようやくディーネは腑に落ちた。ずっと目的が分からないと思っていたのだ。


 ――固形のチョコ自体が狙いだったのね。


 成型可能な固形のチョコレートを大々的に売り出そうとしていたのは他でもないディーネだ。

 ディーネの商売を狙っての犯行に間違いない。




参考

チョコレートの歴史 ソフィー・D.コウ

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