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バームベルク公爵領の転生令嬢は婚約を破棄したい  作者: くまだ乙夜
書籍発売記念番外編

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ショコラと貴婦人(4/13)


 公爵令嬢のディーネは領地の経営をしているが、ライバルの女性から新商品のよくないうわさを流されてしまった。

 撤回させようとしてやってきたのが伯爵夫人のヨハンナの家である。


 ヨハンナの邸宅は可愛らしい植木と座り心地のよさそうな芝生を備えた庭の奥に建っていた。

 白い外壁の大きな宮殿で、青いとんがり屋根の丸い塔が四隅に建っている。

 玄関からこじんまりしたホールを抜けて、美術品と小部屋のドアが並ぶ廊下を行き、案内されたのは広間だった。


 食堂を少し大きくしたような、ごく普通の居室だ。ディーネの部屋とつくりは変わらない。違いと言えば、大きな窓が壁の一面に取り付けられていて、庭が一望できるようになっている。

 部屋の一番いいところに伯爵家の紋章と花綱を彫刻した大きな暖炉があり、同じ彫刻の豪華な調度品が置いてある。よその邸宅であれば絵画かタペストリが飾ってありそうな壁には椅子に使われているのと同じ青のベルベットの布がドレープを作ってかけてあった。お金がなくてそうしているのか、それとも新しいインテリアのモードを作ろうとしてわざとやっているのか。いずれにしてもさっぱりとして趣味のいい内装だ。


 そこに二十人か三十人か、たくさんの人がひしめきあっている。


 派手に着飾った男女が行儀よくスツールに並んで座っている姿はなんとなくテレビのバラエティ番組で見るひな壇を思い出させた。


 この世界では聖餐、晩餐、軽食や紅茶を伴う会合はあちこちで行われているので、今回も食事のついでに集まった人たちが居残ってダラダラしていたのだろう。


 これが皇宮であれば王が中心にいて、政治が行われる。地方の中小規模のお城でも同様。


 女性中心のグループですることといえばやっぱりおしゃべりだ。


 広間ではすでに雑談が始まっていたが、ジークラインが困惑気味のディーネを引っ張るようにして現れたとき、わざとらしい口笛があがった。


「これはこれは……」

「皇太子殿下……!」

「どうして殿下が……?」


 ざわざわしまくっている会場の一同に、ジークラインはいっそめんどくさそうでさえある口調でぞんざいに答えた。


「名乗りは必要ねえよな? 俺だ。来てやったぞ。光栄に思いな」


 ――偉そう!


 常人なら頭がおかしいとしか思えない発言だが、しかし帝国最強の男ともなるとこのぐらい不遜なほうがふさわしくなってくるのであった。いややっぱりおかしい。


 彼がディーネの手を引いているのに、幾人かの貴婦人が気づいた。


「まあ、おふたりでダンスでもお始めになるんですの?」

「ちょっと、誰か一曲楽器でも弾いておやりなさいよ」


 野次が四方八方から飛んでくるので、ディーネはすでに腰が引けている。

 やっぱり来るんじゃなかったかもしれないとまで思い始めていた。


 しかしジークラインは余裕の表情でディーネを抱き寄せて、隣のスツールに座らせた。

 手は相変わらずつないでいる。


 不安でたまらないディーネがぎゅっと手を握りしめると、さっそくジークラインがやさしい目つきでちょっと首をかしげて、ディーネの顔色をうかがってくれた。そうやって見つめ合っていると、まるでここがよく見知ったジークラインの部屋であるかのような気がしてくるから不思議だ。


 よし、とディーネは思う。


 彼がそばについていてくれるのなら、いつもよりは気が楽だ。何を質問されたって怖くない。


「皆さま、何のお話をなさっていたんですの?」


 野次の一切を無視してディーネがそう切り出すと、彼女らは戸惑ったような表情で顔を見合わせた。


「いえ、まあ、ちょっとしたジョークというやつで」


 含み笑いがどこかいやらしい。


「ちょっと、あの話の続きはどうなったの?」

「でも、殿下がたがいらしては続きというわけにも参りませんわ」

「可憐なお嬢さんのお耳に入れられるようなものでは……」

「淫らな話なんて、おぞましいですわよねえ、ねえ、公姫殿下?」


 ――あぁ、下ネタかぁ……


 実のところ、ワルキューレの宮廷の話題は下ネタが八割を占めている。これは地球史でも同じことで、中世ぐらいの文明だとセクハラなんて概念はないに等しく、性愛の話題についてもタブー色はない。


 もちろん慎み深さは美徳だが、守られないからこその美徳なのである。


 それでもワルキューレはまだ文明的なほうだ。地球史では中世の牧歌的な貴族たちが寄り集まり、エッチなお話をして盛り上がってハイおしまい、なんてことはない。男女入り乱れてのただれた宴会になることもしばしばあったようだ。


 もう少し時代が進んで、活版印刷が普及し、文学が人々の身近なものになると、ようやく下ネタなどとは無縁のアカデミックな会合がちらほら出現するようになる。いわゆる『サロン』というやつだ。


 ワルキューレがその域に達するのは、おそらくもう少し先だろうとディーネは見ている。


「でも気になるわ。ねえ、オチだけこそっと教えてちょうだいよ」

「そうよ、私も聞きたいわ」


 貴婦人らはディーネを無視して、集団で丸くなり、ひそひそとやりだした。


「……ちょっと、うそでしょ!?」

「しーっ、声が高いわよ」

「ほんとあなたって下品ね」


 いないものとして扱うのはイジメの基本だ。


 ワルキューレの宮廷は基本的に未婚女子お断りの大人の世界。

 ディーネはたったひとりの子どもとして、アウェーで、いつも見えない子扱いされていた。


 さっそく来たかと、いつも通りの展開に憂鬱になっていると、ジークラインが反応した。


「そいつは俺にも聞かせられない話か?」


 内輪でがやがや盛り上がっていた集団がようやくこちらを振り返る。


「あらいやだ、殿下もご興味がおありですの?」

「そうよねえ、殿下も立派な殿方ですものねえ」

「あらあ、そうだったかしらあ?」

「そうだったわ、殿下はまだご婚姻前でしたでしょう、ねえ?」

「殿下はまだコドモでいらっしゃるから」


 ひそひそ、ざわざわと失礼きわまりない下卑た笑いが巻き起こる。が、これがワルキューレ基準で失礼かというと微妙なところだ。

 宮廷は大人の世界。これまでのジークラインは婚約中の身分であることを理由に大半の宮廷行事を蹴っており、社交界からはまだ半人前の扱いを受けていた。


 現皇帝が女性好きなのもあり、帝国の男性貴族は女性に対しても皇帝に払うのと同程度の敬意を示す規則になっている。いわゆる『騎士道』というやつだ。


 つまり、たとえ皇太子といえども、女性の冗談をたしなめたりすることは原則としてできないのである。そんなことをしたが最後、冗談の分からない朴念仁としてこの先十年はからかわれつづけることだろう。




ディーネの部屋とつくりは変わらない


14世紀であれば主寝室兼広間ソーラーが広く設けてあり、そこに人が集まっている、とするのが妥当ですが、プライバシーがなく、使用人がベッドの上、床の区別なくおおぜい雑魚寝している状況は現代日本人の感覚として耐え難いだろうという理由で近代建築を採用しています。

主人の寝室が大広間で社交の場、という感覚は近世に入っても続き、フランス王はベッドの上から会議に参加することが多かったようです。


◆参考

”サロンの間は同時に庭園付寝室であり、「ルエル」と呼ばれる通路によって壁を隔てておかれたベッドに、女主人公は掛けて客を応対するしきたりになっていた。(中略)侯爵夫人も「シャンブル・ブルウ」の華麗なベッドに掛けて、客人たちと会話を楽しんだのである。”

文芸サロン 菊盛英夫 P59

※フランス文芸サロンの創始者、ランブイエ侯爵夫人はベッドの上からサロンの客をもてなしました。



豪華な調度品が置いてある


当時の王侯貴族は数ヵ月単位ですぐに引っ越しをするので、家具などもほとんど持ち運び移動できるぐらい小さく粗末なものしかないのですが、この世界には転移魔法があるので頻繁な移転や持ち運びの苦労がなく、豪華な家具なども存在しています。


”ブルゴーニュ公国は領地が南北に分断されていたため、その領国経営のために君主は移動を余儀なくされた。宮廷もブルゴーニュ公に付き従って移動した。”

世界史リブレット 宮廷文化と民衆文化 二宮素子 P10


”領主がひとつの領地から別の場所へと移動するのに合わせて旅をした。引っ越しはおどろくほど短い期間に、おそらくは数か月ごとにおこなわれた。そのたびに長い荷物が列をなし、主人の寝台さえも運んだという!”図説イングランドのお屋敷~カントリーハウス~ トレヴァー・ヨーク 村上リコ P9


移動宮廷の文化はドイツ・イギリス・フランス・イタリア各国に存在し、神聖ローマ帝国(中世ドイツ)に首都はありませんでした。この世界は中世ドイツがモデルではありますが、魔法によるユニーク設定で、日本人に馴染み深いドラクエ的中央集権国家体制に修正してあります。詳細は本編をお読みください。



宮廷の話題は下ネタが八割


デカメロン…14世紀半ばの対談風の創作作品。

猥談が非常に多いことで有名です。

完全な創作ではなく、そのときに流行していたうわさ話や古典などを集めて書き記したものらしいので、おそらくこれが14世紀の西欧宮廷でかわされていた会話にもっとも近い本だと思われます。


エプタメロン…デカメロンを下敷きにして16世紀フランスの王女が記した創作作品。

こちらもやはり猥談が多いようです。(未読)


男女入り乱れてのただれた宴会


”祝宴に連なる快楽は風紀の乱れを引き起こすことがあった。一四○○年ごろにシャルル六世と宮廷の貴族たちが参加したいくつかの饗宴は、たびたび脱線してあらゆる感覚の興奮を引き起こし、最後には乱交パーティーになってしまうことがあった。”快楽の中世史 ジャン・ヴェルドン P178


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