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バームベルク公爵領の転生令嬢は婚約を破棄したい  作者: くまだ乙夜
第三部

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陰謀は蜘蛛の巣のように


 人混みの間から、女性が現れる。


 『アルバ』と呼ばれる、真っ白な聖職者風のワンピースにキンキラの装飾が入った帯を締め、尼僧のように布を被きにして、しずしずと歩いてくるのはヨハンナだった。


 衣服のデザインは質素だが、素材が白く染めた高級な絹なので、つやつやテカテカしていてコスプレ感がすごい。

 羽織りにしている前開きのローブには細かな装飾が入っている。これでもかというほどたくさん縫い止められているのは、半円にしたピンクパールのボタンだ。


 さらに今回は特別にピンクパールのブローチ、ネックレス、イヤリング、指輪のパリュールも渡してある。

 ヨハンナが目の色変えて欲しがったのは、実はこのセットだった。


 この世界の真珠は天然に算出するものが主流だ。

 大きさは四ミリもあればいいほうで、まんまるの形をしているものはかなり少ない。

 そこに直径一センチ超の真珠が連綿と並ぶ美しいネックレスなどが登場するとどうなるか?


「まあ……なんて素敵な首飾りなのかしら」


 あんなに見事なネックレスは見たことがない――となる。


 ディーネは春から南の淡水湖で真珠の養殖実験をしていた。


 真珠は貝類の殻を形成する柔かい粘膜の層に核となる異物を挿入して作る。

『貝つき真珠』と呼ばれる、殻の内側に小さな木彫りの仏像を貼りつけて模様を浮かび上がらせる方法は八世紀ごろの中国に存在していたらしいので、精密機械などがなくてもなんとかなる技術だということは知っていたが、再現できるかどうかは賭けだった。


 実験に使ったのは魔物の貝だ。

 ヨロイ貝と呼ばれるその貝は、大きな殻を形成することで知られている。


 真珠の原料は貝だから、ひょっとしてこの貝なら真珠の促成栽培に向くのではないかと思ったのだ。


 真珠核としてまん丸の玉を入れると、その周りに真珠層が形成されて美しい真珠となる。アコヤ貝ならば二、三年といったところだろうか。


 ところがこの魔物貝は、魔物化しているがゆえに驚異的な殻の再生能力を持ち、ときにはツノ状の武器などを形成して大型の魚類を仕留めることもできる。


 その貝に真珠のコアを挿入して寝かせること三か月。

 夏頃にはすでに美しい真珠がいくつかできあがっていた。

 大粒で美しく、しかも魔物産だからほんのりと魔力を帯びている。魔力は無機物・鉱物に蓄積しやすい性質があるので、この真珠も魔法石の一種である。


 ヨロイ貝の紫色からは、ほんのりとピンク色の真珠がいくつも採れる。稀少性はさほどでもないが、魔力を帯びているので、実用的な装飾品としての需要があった。


「お召し物も素敵よ」

「なんてなめらかな絹地でしょう」


 ドレスはこの際だからと、機械で量産した絹糸を使用した。

 本来、ドレスは製作に何か月もかかるものである。職人がひと月に数十センチずつ複雑な模様を編み込みながら織りあげ、さらに刺繍や宝石飾りやレースを付け足すからだ。

 ところが今回使用したドレスは聖母の役ということもあり、質素な平織の白絹で間に合った。ごく単純な織りだったので、飛び杼の開発により一週間前後という驚異的な速度で一着分が仕上がったのである。


 仕上がりは上々だ。手つむぎ品よりも高品質、とまではいかないが、真珠のような光沢を帯びていて一目で高級品と分かる。


 さらにご本人様にはとっておきの化粧を施してあるので、それはもう目立っていた。


 ディーネ自身は化粧がそれほど得意ではないが、基本的なことぐらいは知っている。ベースの色からこだわり、コンシーラーとハイライト、アイメイク、薄紅の頬紅などを駆使して立体的に仕上げると、ベッタリとした白塗りと真っ赤な頬紅が基本の宮廷ではちょっと驚くほどの自然な仕上がりとなった。


「まあ、ヨハンナ、今日は格別にきれいね! わたくし嫉妬しちゃうわ!」


 皇妃さまが出てきてヨハンナをぎゅっと抱きしめた。


「ねえどうしたの、このお肌! あなたの素顔がこんなにきめ細やかで綺麗だったなんて知らなかったわ」

「いいえ、皇妃さま、こちらは化粧ですのよ」

「あら! 全然分からなかったわ!」


 お化粧をしている貴婦人はみんな真っ白なので、太陽光の下だと不自然極まりないが、ヨハンナだけは健康的な肌の色をしていた。


「どうやってお化粧なさったの?」

「いえ、それが……」


 そこにとことこと聖職者のエストーリオがやってきて、わざとらしい驚きの声をあげた。


「ザクサーノ伯爵夫人ですか? 見違えましたよ。やはり女性は本来の姿のほうが美しいですね」


 ――すごい大根!

 この辺はディーネが仕込んだやらせだが、あんなにヘボだと嫌味にも聞こえかねない。

 しかし、幸いにというかなんというか、ヨハンナは美人の坊主ににっこりと褒めそやされて、顔を赤くしていた。こんなあからさまな仕込みに気づかないとは、ヨハンナもなかなか操縦しやすいところがあるなと思う。


 ――ほどなくして演劇が始まり、何事もなく終わったが、みんなもう劇のことなど気にしていない。話題はヨハンナの装いでもちきりだ。


「まあまあ、こちらのネックレスはいったいいくつの真珠がついているの?」

「本当にお美しいこと、やっぱり伯爵夫人は違うわねえ……」

「へえ、お化粧をなさっていたんですか? おきれいなので全然気がつきませんでした」


 ヨハンナは取り囲まれて有頂天だった。さぞ自尊心が満たされたことだろう。

 これでディーネに対する嫉妬心も和らいでくれればいいのに、と思った。


 祭典が終わってディーネが後片付けの手伝いなどをしていると(今日の宴会もバームベルクで請け負っている)、ヨハンナがやってきた。


 ディーネはギクリとした。

 ここ最近は何度もヨハンナと話をしていたが、こちらから話しかける分には覚悟もできているし、会話の内容もあらかじめシミュレーションしてあるからまだ負担はない。しかし向こうからいきなりやってこられるとやはり身構えてしまう。

 一対一で話をしたい相手ではないが、この分だと逃げられそうにない。


 ――落ち着いて。大丈夫。


 内心ドキドキしているディーネに、ヨハンナはふんぞり返った。


「私、あなたのこといけ好かないと思ってたわ」


 ずいぶんな挨拶だ。ディーネは逃げたくなったが、いつまでも逃げ回っていたって事態は解決しない。ここが頑張りどきだ。

 ひとつ深呼吸して、にっこりと答える。


「あら奇遇ですわね。わたくしもそう思っておりました」


 彼女はむかっ腹を立てたのか、陰険そうな顔つきになった。余裕を取り繕っているだけのディーネは何を言われるのだろうと気が気ではない。


「……私、お礼なんか言わないわよ。いくらするのか分からないけど、こんなネックレスまで差し出しちゃって馬鹿みたい。あなたと仲良くしてあげるつもりもないわ。残念だったわね」

「あら、公爵領でいくらでも取れるものですから、お気になさらず。でも、次にお渡しするときはさすがにお代をいただきますわ。そうねえ、友情価格で相場の半値くらいでいかが?」


 ヨハンナはけげんそうな顔をする。


「誰と誰が友達ですって?」

「もちろんヨハンナお姉さまとわたくしですわ。ねえ、わたくし、ヨハンナ様にされたご無体な仕打ちの数々、今も忘れておりませんわ。それはもう悲しかったのですけれど……」


 ディーネがよよよと泣き真似をしてみせても、彼女は身じろぎもせず腕を組んでこちらをにらんでいる。


「でも、わたくし、本当はとってもあなたに憧れていたんですのよ。誰に対してもはっきりしてらして……いざとなると何にも言えなくなってしまうわたくしとは大違い」

「しゃらくさいわね」

「あら、本当のことなんですのよ。ですから、仲良くしていただけますとうれしいですわ。今日のヨハンナ様、本当にお綺麗でしたわね」

「……っ、バッカじゃないの!?」


 にっこりとするディーネに、ヨハンナは最後まで怖い顔を崩さなかった。

 彼女が遠ざかっていくのを見計らって、一緒に片づけをしていたセバスチャンが寄ってくる。


「お嬢様……」

「平気、会話をしていただけ」


 心配そうなセバスチャンに、ディーネは苦笑した。


「ちょっと怖かったけどね。私あの人はやっぱり苦手。持ち上げておいたらちょっとは敵視するのやめてもらえるかと思ったけど、見透かされちゃった」

「ご立派なお心がけでございます。真の貴族の方とは、つまらないことで争わないものです」


 セバスチャンが慰めてくれたので、ディーネはなんだか母親と会話している気分になった。彼なら何でも聞いてくれるというこの安心感。たまらないものがある。


「でも、よくよく考えたら私、あの人のこと、なんだか取り巻きがいっぱいいるってことしか知らなくて。褒めようにもハッキリしてるとしか言えなかったんだよね」


 性格が明るいだとかはっきりしてるなんてのは、他に取り柄がない人に向ける言葉でしかないと思う。


「あの人は私のことよく知ってて、微に入り細に入りケチをつけてくるのに……」


 興味の薄さはそのまま、ディーネが彼女をないがしろにしてきたということでもある。

 相手が言われたいことを察してやらなければ、おだてても効果は薄い。敵を知りおのれを知れば百戦危うからずというが、ディーネは最初の情報戦の段階で負けていたのだと思う。


 そういう意味では今日のお祭りにはある程度の収穫があった。ヨハンナは注目を浴びていればそこそこ満足するのだ。ある程度の仕込みを用意しておけば、操縦できないこともない。事実として今日のディーネは最後の一度しかヨハンナから絡まれなかった。これまでの彼女なら、皇太子のお供もなしにひとりで参加しているディーネを見たが最後、嫌味のひとつやふたつやみっつやよっつ言っていたところだ。


「……やっぱりあの女ろくでもないなぁ……」


 いっそ排除してしまったほうがいいのではないか。

 ちらりとそんな考えも浮かんだが、それは最後の手段だと思い直した。


「とにかく、もうちょっと、色んな人に関心を向けないとダメだね」


 宮廷社会をうまく渡っていきたいのなら、お勉強ばかりしていてもいけないということなのだろう。


 適当に反省をしたところで片づけを再開したら、セバスチャンも手伝ってくれた。


「お嬢様はお強くおなりですね。私も自分のことのようにうれしく思います」


 この圧倒的なセバスチャンのママみ。

 ヨハンナのことで疲れた心も癒され、片付けは予定より早く終わった。




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