元皇族の伯爵夫人(4/5)
ジークラインが少し目を離したすきに、ディーネを取り巻いたのがヨハンナたちだった。含み笑いの彼女たちが目くばせで示したのは今上皇帝。ディーネが敬愛してやまない皇妃さまを差し置き、美女をはべらせる皇帝の姿は、昼餐にしか参加したことのないディーネにとって初めて目の当たりにする、皇宮の現実だった。
――あちらの方はね、カナミアの元王女さまよ。
――陛下ったらいやね、親子ほども年が違うのに。
――あら、陛下のお好みはいつもあのくらいの娘さんじゃない。
敗戦国の王女が敵国の皇帝に逆らえる道理もない。
皇帝陛下が召し抱える愛人について、ディーネはその日初めて詳しく聞かされた。悪意たっぷりのヨハンナたちから吹き込まれたことだから、多少は話が盛られていたのかもしれない。それでも世間知らずのお嬢様には衝撃的なことだった。
――それにしても、ジークライン殿下のご結婚はいつ頃なのかしらねえ?
――ジークライン様だって、早くご結婚なさりたいでしょうにねえ。
――皇帝陛下のようにお楽しみが増えますものねえ。
ディーネはその後の記憶がほとんどない。
戻ってきたジークラインに、とにかく早く帰りたい、と再三頼んだことは覚えている。
いつの間にか自分の部屋にいた。
手にしていたのはとっておきの魔導書だった。禁書指定されているその本は、教会が禁止する、人の魂に関する魔術が記されていた。
この世界では地水火風のどんな魔法でも自由に使っていいが、唯一の例外とされているのは魂に関するものだ。人の魂は神から与えられた崇高なものなので、人間が手を加えるのは涜神行為だと考えられている。
記憶をのぞいたり、相手の気持ちを変えてしまったり、といったような精神系の魔術を用いていいのは聖職者だけで、それゆえにその魔導書は禁書指定されていた。
ディーネが願ったのは――
そのときの悲しい、やりきれない気持ちが、まるで今起こっているかのように感じられ、ディーネは唇を強く引き結んだ。
ヨハンナたちが、今にも泣きだしそうなディーネを意地悪く見つめている。
いけない。
こんなところで泣いてしまってはますます彼女たちの思うつぼなのに。
愚かで、悩んでばかりで、人のあしらいもうまくなくて。
不器用で気が利かなくて、女性としての魅力にも乏しいから、長い付き合いの婚約者の気持ちひとつ引き留めておくことができない娘。
それがウィンディーネ・フォン・クラッセンだった。
だって、ジークラインはただの一度も『愛している』と言ってくれたことがないのだ。
クラッセン嬢がどんなに期待を込めてジークラインに対する恋心を訴えても、それだけは一度も叶えてくれたことがなかった。
――きっと、心の底では面倒だと感じているのね。
期待はいつしか失望に変わり、心の内側で、不満と不安と猜疑心が少しずつ水位を高くしていった。
だからディーネが今にも泣きそうになっているのは、ヨハンナの仕打ちが堪えたからというよりも、ままならない自分自身に対するかんしゃくなのだと思う。
必死に感情を整理しようとしてみたが、みるみるうちに涙があふれてきて、何も見えなくなった。
うつむいていると、部屋の戸口が急に騒がしくなった。
視界は悪いものの、ばたばたと大勢の人間がやってくる物音がして、ヨハンナが声にならないうめきを発したのが分かった。
「あら、ディーネ様。なかなかお戻りにならないから、お迎えにあがってみれば」
「こんなところにいらしたの?」
「探しましたわぁ」
――聞き覚えのある声が飛んできた。
驚いて目をこすってみれば、そこにはディーネの侍女が四人とも勢ぞろいしていた。
ディーネはとっさに返事ができなかったが、いち早く状況を理解したヨハンナが先制するかのように声をはりあげた。
「あらあら、ディーネちゃんちの侍女じゃない。まあまあレージョちゃん、懐かしいわねえ、私を覚えている?」
レージョは伯爵家の三女だが、そんじょそこらの伯爵家ではない。宮中伯を祖とする古い家柄で、大公爵家のクラッセン家と比肩しうる名門である。その彼女がヨハンナに顔を知られているのも無理のないことであった。
「本日のディーネ様のお召し物も素敵ね。あなたがお作りになったんでしょ?」
彼女たちはディーネのほうを見ながら、くすくすと笑う。馬鹿にしたようなニュアンスだった。
「斬新よねえ」
「見たこともないわ」
レージョは突然話題にされてびっくりしている。確かに彼女の作る服は相当個性的だが、この女執事風ファッションはディーネも納得の動きやすく良いデザインなのだ。
それがこの時代の価値観にそぐわないというだけで、他人にとやかく言われたくはなかった。
ふいにジージョがつかつかとこちらに向かって歩いてきた。
「あらぁ、姫の服は個性的でないと困りますわ!」
ディーネの肩に手を置くジージョに、注目が集まる。
「なにしろうちの姫さまはたいそうな器量よしでいらっしゃいますからね。お召しになるものも特別なものでなくては!」
ジージョの話に一番早く反応したのはナリキだった。
「そうですわね。ディーネ様と同じものを着るのは恥ずかしいですわ。これで同じ型のドレスを着て隣に立たれでもした日には、露骨に中身の差が出てしまいますものねえ?」
ヨハンナはさっと赤くなった。
彼女はもと皇族なので、ディーネと同じく、魔法蜘蛛のドレスを無理やり着させられていたひとりだ。
幼年時代のヨハンナがまるまると太っていたのは周知の事実である。皇女時代はいつもわざわざ上に衣を羽織って体型が出ないようにガードしていた彼女には耳が痛い話題であることだろう。
――さすがはナリキさん、嫌味はお手のもの。
ディーネが変なところで感心していると、シスがディーネに飛びついた。
「ディーネ様と比べられたらきっついですわぁ~。このすらりとしたお美しいおからだ! ディーネ様と比べたらどんな女性だって子豚ちゃんにしか見えませんわよねぇ」
腰のあたりをさわさわと撫でられて、鳥肌が立つ。やめて、そのセクハラみたいな手つきやめて。
レージョもその頃になるとショックから立ち直ったようだ。
「分かりますわぁ~。羨ましくってついつい意地悪したくなるんですのよねぇ~」
まさに嫉妬に狂ってディーネをイジメていたヨハンナは、こまっしゃくれた伯爵家の娘風情に自分が馬鹿にされていると知って、般若のような顔つきになった。それにビビりつつ、ディーネはぐっとこぶしを握る。
――しっかりしなくちゃ。
ディーネが一人のところを狙って意地悪をしたいだけなら、聞き流しておけばいい。しかし彼女たちはディーネのことを侮って、侍女にも攻撃をしてきているのだ。彼女たちを守ってあげるのも女主人としての務めなのだから、ここで黙っていてはいけない。
ディーネは勇気を振り絞って、ヨハンナをまっすぐ見た。
「……わたくし、先日ジーク様が別の女性と一緒に歩いているところを目撃してしまったんですの」
突然のカミングアウトに、侍女たちも含めて、みんながざわついた。




