収穫感謝祭 4
「ご相談したいことは他にもありましてね? あなたがたの無茶な返還要求のおかげで、建築途中で放棄せざるを得ない修道院が現状で二千ほどありまして」
世は修道院の建設ブームである。
王侯貴族も騎士も農民も、こぞっておらが村に修道院や大聖堂を建てたがっている。それが神の救いにつながると信じているのだ。
それに伴い、聖堂や司教に寄進する人たちもあとを絶たない。実はつい先日、農奴(や隷農騎士などの、本来土地の所有権を持たないはずの民)から、不当に寄進された土地を公爵領に返還するように求めたのだが、結果として関税権を含めた土地は公爵のものでも大聖堂は建てた側のもの、というケースや、通行料やかまど税の徴収権などは公爵に返還するが土地は返さない、といったケースが多発し、複雑な賃貸契約を結ぶはめになった。
ディーネも契約内容すべてを把握しきれていないが、総括すると大金貨にして数百万相当の領邦高権および土地、および金貨が教会側から返還されることになったのである。
領邦高権というのは、要するに裁判権や水門の通行料など、土地の領主が持っている権利を全部ひっくるめたものである。
これは相当な額で、どの程度かというと、バームベルク公爵が領民に課している税金総額がおよそ年に三十六万ほどであるから、公爵領の年収十年分であると言える。
もちろん彼らに土地を奪われていた数百年間のことを思えば十年分などではとても足りない。それでもおいそれと払える金額でないことは間違いなかった。
「あちらにいらっしゃる騎士どのは、われわれが困っているのを見かねて、治水工事が完遂した暁には、宙に浮いている建築資材を引き受けてもいいと親切に申し出てくださったんですよ。もちろん建築資材の売上もまたどなたかへのお支払いに充当することになるんですが」
「ああ……なるほど。川がありますものね」
嫌味を無視して脳内に地図を思い浮かべる。
ソフィア川の上流はゼフィアにつながっている。ゼフィアはバームベルク領内の一地方だ。
ソフィア川のバームベルク側とアークブルム側を分断する浅瀬がなくなれば、バームベルクの山から川をくだって、大量の建築資材を卸すことが可能だ。
「いやあ、しかし助かりました。建築資材は荷運びの費用がとにかくかさみますからね。買い手が見つかってよかったです」
キラキラの宝石まみれの服で嬉しそうに言うエストーリオを見て、まずはその衣装から売ればいいのではないかという疑問が頭をよぎったが、さすがに口にするのはやめておいた。
「そういった事情ですから、ぜひとも治水工事だけは最優先で仕上げてほしいんですよね」
「なるほど……お話はよく分かりましたわ」
「水門の利権についてもぜひご相談を」
「うふふ。いやですわ、エスト様。わたくしにそんな難しいことをおっしゃるなんて」
ディーネは即答を避けた。この案件は慌てて返事をするわけにいかない。
水門はなんといっても、べらぼうに、儲かる、のである。
――治水工事、というと日本人はおもに洪水や津波などから街を守るための堤防づくりに意識が行ってしまうが、真価はもっと別のところにある。
水路が整うということは、陸路と比べ物にならないぐらいの物資が流通するということなのである。バームベルクの借金を何とかするための会議で、領地代官たちから、税収が増えたらやりたいこととして真っ先に『治水工事』があがったのも、災害に見舞われる民のことを思いやってのことではなく、利益を当て込んでのことだ。
日本で行う堤防メインの洪水防止工事を『高水工事』と呼ぶのに対して、西欧やバームベルクのように穏やかな流れの大河を運用するための工事を『低水工事』と呼んだりもする。
低水工事は経済の発展においてもっとも優先させるべきものなのである。
道路の整備や馬車の改良、架橋などよりも、水路の整備のほうがずっと経済効果が高い。
そもそも船と馬とでは積載量が大違いだ。
一般的な馬が運べる荷物の量を一とすると、小型の船は百ほどとなる。
そこで、塩一キログラムに対して銅貨一枚の関税をかけたとすると、全体でいくらになるか?
単純に計算して、船は馬の百倍である。
小型の河川渡航用の船でそれなのだから、巨大な外洋航海船ともなると、さらにおいしい。
そこからどれだけ値引きするかは状況次第だが、とにかく儲かることは間違いない。
なので日本でもヨーロッパでもアメリカでも、世界のあちこちで人類は運河を作ることに血道をあげていた。
バームベルクでも同じように水路の開発が進んでいる。
「またのちほど、お父上も交えてよーくお話をさせていただければと思います」
浅瀬の掘削工事は全員に利益をもたらすので続けるべきだとディーネも思うが、なんとも難しい話し合いになりそうだ。
――と、そこで急に空が暗くなった。
雨が来るのかと思い、上空に手をかざしてみると、はるか彼方に豆粒のような鳥の影が見えた。全部で五匹いる。ぐるぐると宙を旋回しながらどんどん降下し――
「え……あれ、なんか、おっきい……?」
ぐんぐん近寄ってくる影は次第に形が明確になり、蝙蝠に似た翼と蜥蜴のような胴体を持った何かの生き物となった。長い尾を翻して近づいてくる。
そこでようやく気がついた。
あれはドラゴンだ。
有翼の黒っぽいうろこを持つドラゴンは鉄竜と呼ばれ、頑丈で人間に慣れやすいことから戦闘用の騎獣として飼われることがある。ディーネの屋敷にも馬用の厩舎と並んでドラゴン用の厩舎があり、十五頭ほどの竜が飼われている。
どこかで誰かの悲鳴が上がった。下降してきたドラゴンが屋敷に張られた魔術結界にぶち当たったらしく、紫色の魔力をほとばしらせながら真上に弾き飛ぶ。
ディーネは戦慄した。ドラゴンの操る破壊用の火炎放射はすさまじく、ひと吹きで騎馬兵百騎をやすやすと蹂躙するという。
ドラゴンが五匹も集まったら普通に人間には手に負えず、死を覚悟するしかない。屋敷でたったの十五頭しかドラゴンが飼われていないのも、事故が起きたら危険だからなのだ。
通常はもっと人里離れたところに調教用のドラゴンファームが置かれている。
「下がっていてください」
たまたまそばにいたアークブルムの騎士たちがディーネとエストーリオを入れて防御結界を張ってくれた。ディーネも結界に手を貸そうかと思ったが、ひとまずは必要なさそうなのでありがたく守られておくことにする。
ドラゴンの再下降。防護用に張られた結界が火花を散らす。魔術師たちが出力をあげているようだが、はたしてどこまで保つやら。
――こうして見上げてみると大きいなぁ。
前世でこんな感じの恐竜のパニック映画を見たことがあるディーネは、本物はやっぱり迫力が違うなあなどとのんきなことを考えていたが、本邸のほうからはもう迎撃用の騎竜兵が出てくるところだった。圧倒的に早い。鎧兜を身に着けるだけで小一時間はかかるはずだが、そこはさすがによく訓練されているのか、全員が完全武装だった。
総指揮はバームベルク公爵、ジークラインは見学である。
ジークラインが出ていけばおそらく最速でことが片付くのだろうが、ゲストの彼に戦わせるなど武将の名折れだ。




