バターを使わずにケーキを作るには
この世界のお菓子は有塩発酵バターで作られている。
それもそのはずで、中世ヨーロッパと同程度の文化水準であるこの国では、冷蔵保存の方法が非常に限られているのである。
そのため、一般庶民が口にするお菓子の風味は現代日本のものと比べて大きく劣っていた。
そこでディーネは、冷蔵保存抜きでも一定の品質でおいしいお菓子を提供する方法を模索中だった。
一番手っ取り早いのは、模造品の製作だ。
すなわち――油の真珠。
マーガリンである。
ディーネは作り立てのそれに手を伸ばした。
スコーンに試作品のマーガリンを塗りつけて、口に運ぶ。実験に付き合ってくれている研究員もディーネに倣った。
味は何とも言えない。油の風味そのままだ。固形のオリーブオイルを食べているような感じである。
「……どうかな?」
研究員・ガニメデは微妙な顔をした。
「まずくはないですよ。でも、バターの味はしませんね」
「そうなんだよねえ……」
マーガリンの作り方はさほど難しくない。日本で流通しているようなものは工業製品なので手づくりでは再現不可能だが、要は油を乳化させてしまえばいいだけである。
マヨネーズと同じだ。
油脂を乳化剤で泡立てればマーガリンができあがる。
地球史でマーガリンが初めて作られたのもたしかマヨネーズと同時期ぐらいであったはずだ。
しかし乳化の作用自体は古代ローマあたりから知られていたはずなので、これも典型的な、『技術としては難しくないのに誰も思いつかなかった』発明品である。生クリームの開発も同様に遅く、中世期には存在しなかった。
作り方は無数に考えられるので、ディーネたちは総当たりでよさそうな組み合わせを探している。理想は保存が利くもので構成することだ。
「これは少しいいかなと思いましたが」
彼が指さしたのは、試作品第十二番の、ココナッツオイルから作られているマーガリン。
「でもこれ、ココナッツの匂いがちょっときつくて……」
「バターの風味をつけたいところではありますね」
「やっぱり牛脂も入れるべきかしら……」
使用するものは油であれば何でもよい。牛脂の割合を増やすと風味が若干マシになるが、それでも本物には及ばない。
「乳化剤が悪いのかな? うーん……私が知っている範囲ではこれが一番強力な乳化剤なんだけど」
乳化剤とは、水と油を混ぜる基材だ。卵や牛乳も天然の乳化剤の役割を果たす。
工業的には、牛乳を酸とアルカリで処理するとカゼインナトリウムが精製できる。保水力抜群の優秀な乳化剤だ。
「作るときに少し本物の牛乳を混ぜるというのは?」
「風味はよくなるけど、そうすると各店舗に牛乳を常備しておかないとならなくなるわね」
ディーネが想定しているのは、各店舗に油と乳化剤を送って、現地で毎日手作りマーガリンを作ってもらう、という方法だった。
植物性の油は保存が利くものであるから、乳化剤さえ工夫すればいつでも好きなときに安価な代用バターが用意できる。
それだけではなく、生クリームやコーヒー用のフレッシュだって牛乳なしで調達可能だ。
牛乳の常温保存はせいぜい三日が限界なので、これが可能であればお菓子製作の幅がぐっと広がる。
ホイップクリームはマーガリンよりも油の割合を減らして泡立てれば同じような手順で取り出せる。
植物性のホイップクリームとバターで作ったケーキの味はというと――
「悪くはないんですけどねえ……」
「なーんかこれじゃないんだよねえ……」
牛やヤギの脂肪や乳酸菌が持つ、あの味わいが足りないのだ。
「そういう意味ではココナッツの香りがついているものは食べやすいですよ。お菓子にもぴったりです」
「でもこのココナッツの香りは好き嫌いわかれると思うんだよねえ……」
「バニラエッセンスで香りづけしたものもいいと思いましたが」
「でもバニラエッセンスは原価がすっごく高くつくのよ……」
試しにココナッツオイルと牛脂、オリーブオイルの混合に、お菓子向きの香料を足して、生クリームの作成時には少量の牛乳を混ぜてみると、それなりの味になった。
「でもこれ、牛脂の保存も難しいですよね」
「それもそうね……」
――打開策が見つからない日々が続いたが、ふとあるとき、斎日用のレシピにヒントを得てチーズを混ぜてみたことにより状況は一気に変わった。
バターに似た香りがつけられるのである。
チーズは保存が利くので、かなり正解に近い配合といえた。
その後、チーズやヨーグルトなどの各種酪農製品から香り成分を抽出するべく、煮たり焼いたり薬品で処理したり乾燥させたりとなんやかんや試行錯誤するうちに、ひとつの正解にたどり着いた。
「……っていうか、発酵バターをちょっとだけ混ぜればよくない? 普通のバターは保存が利くんだし、香りづけ程度の使用なら塩分も気にならないわよね……」
「名案ですね」
「今までの実験全部台無しだけどね!」
バターを火にかけて上澄みをすくうとバターオイルが取れる。これを有塩発酵バターから毎度少量ずつ作って添加することにより、驚くほどバター風味のマーガリンが完成したのであった。
さっそく試食してみる。
「……まあ……悪くないんじゃないかしら?」
「バターっぽいですね」
香りがあるとだいぶマシだ。脳がこれをバターと錯覚している。
「これならいけるかも? ケーキにしてみましょう」
そしていよいよケーキの試作段階に入った。
まず用意したのはごく普通のショートケーキ。今までは塩味が邪魔をして、かなり濃厚な味がしていた。しかし――
研究員の試食を見守る。彼は八分の一カットを半分ほど味わってから、間の抜けた声をあげた。
「ああー……これは。確かにちょっと味が違うかもしれません。全然しょっぱくないです」
「おいしい?」
「俺は好きですね。これはお嬢様がいつも作ってくださる味に近いと思います」
ディーネの家は設備が揃っているので、無塩バターを一から手づくりするという贅沢をやっている。それに近いというのなら、かなり出来がいいと言ってもいいのではないだろうか。
ディーネはおそるおそる聞いてみた。
「……ジークも納得する味だと思う?」
研究員はウザそうにしっしっと手を振った。失礼なやつだ。
「殿下なら、お嬢様の作ったものはなんでも喜ぶんじゃないですか?」
「あいつはうるさいよ? 庶民向けのケーキがマズいってねじ込んできたのもあいつだもん」
「殿下がどうして庶民向けの味をご存じなんです?」
「皇妃さまと一緒に食べたんだって」
「へえ……」
研究員はわざとらしく興味なさそうな声を出した。勝手にやってろよと言わんばかりである。
「なによ」
「いえいえ。仲良しでまことに結構ですね」
「はあ? どこが? 喧嘩売られたからこうなってるんですけど!」
「ええもう、お嬢様がそう思ってらっしゃるんなら、そうなんじゃないですかね……」
ぶつくさ文句を言っている研究員に手伝わせてお菓子をいくつか作り、その日はおしまいにした。
あとはこのケーキをジークラインにお見舞いしてやるだけである。
まもなく十月の第一週の日曜日となり、領民を招いての収穫感謝祭が開催される予定なので、ゲストの彼にも試食してもらう予定だった。




