89、昔話
寝る支度まで済ませたあと、本当にヴァランはオクルスの部屋まで来た。冗談にしてくれても全然構わなかったのだが。
オクルスの布団におそるおそる入ってきたヴァランに、オクルスは苦笑した。それを見て、ヴァランが不安そうな顔をする。
「嫌でした?」
「私は嫌じゃないけれど……。君は嫌じゃないの?」
「嫌じゃないですよ」
ヴァランにしてみれば、オクルスはおじさんだろう。それなのに嫌ではないのか。そのうち洗濯物を一緒に洗わないでと言われそうだ。
ベッドの上でヴァランと並んで座りながら、オクルスがそんなことを考えていると、ヴァランがオクルスの服の裾を引いた。
「オクルス様」
「ん?」
ヴァランが魔法を維持するという負担を考え、いつもより明かりを少なくしている部屋だ。光がありながらも薄暗い部屋で、ヴァランの銀の瞳がオクルスを捕らえる。
「オクルス様のお話、教えてください。昔、教えてくれるって言いましたよね?」
「言ったっけ?」
「言いました」
言ったのは覚えている。ヴァランがこの塔に来たばかりの頃だ。オクルスは誤魔化そうとしたが、ヴァランの見透かすような目に、逃げるのを諦めた。
「……日記、読んだんでしょう? それならわざわざ聞かなくても……」
「僕はオクルス様の口から聞きたいです」
日記はオクルスの内面の汚いところをそのまま映していると思うが。それでもヴァランがじっと見つめてきたため、オクルスは静かに息を吐いた。
「何が聞きたい?」
「ご家族の、お話とか。シレノル様にどう接したらいいのか分からなくて」
急に親だと言って会わせられても困っただろう。ヴァランはずっと「家族」を知らなかったのだから。
それでも、オクルスにそれを尋ねたことは間違いだ。
「それは人選ミスだね。王子様に聞いた方が良いんじゃない?」
「……」
「まあ、王子様もいろいろあるか……」
エストレージャからたまに家族の話は出てくるものの、圧倒的に兄弟の話が多い。両親の話はあまりしない気がする。
あまり「家族だった人達」の話は思い出したくない。それでも、ヴァランが必要としているのなら。オクルスはゆっくりと話を始めた。
「母上は良い人だったよ。優しくて、温かかった。穏やかに笑いかけてくれて、名前を呼んでくれた」
名字を捨てたオクルスが、自身の名前まで変えなかったのはその記憶があるからだ。母に名前を呼ばれていなければ、名前までも捨てていたに違いない。
「父上は、そうだね。私に興味はほとんどなかったけれど、そこそこの魔法の才があると知られてからは変った。急に干渉を始めて」
あの人が何をしたかったかはいまいち分からない。魔法の才を磨くように命じたが、大魔法使いになった時点で、その人間は家から独立が可能だというのに。家のためにもならないのに、鍛えさせた意味が分からない。オクルスが家から独立せずに家門のために尽くすとでも思っていたのだろうか。
そんなことは絶対にしない。なぜなら。
「父上は、私が暗闇を苦手になった原因を作ったんだよ」
オクルスの言葉に、銀の目を見開いたヴァランが、戸惑ったように瞳を揺らしながら言った。
「……それは、詳しく聞いてもいいですか?」
頷いたオクルスはぽつぽつと話し始めた。
「私が子どもの頃。あの人の命令で、夜中に魔獣がでる山奥の小屋に閉じ込められた」
「……」
「私の力でも壊せそうなくらいの脆い山小屋。外に人の血か何か、魔獣をおびき寄せる原因となるものをまいたらしくて、魔物はどんどん集まってきた。外から魔獣が扉を引っ掻いたり、扉を叩いたりして」
「……」
あれはオクルスにとっての地獄だった。二度と経験したくはない。もちろん、魔法さえあれば、大魔法使いのオクルスは魔獣に勝てるだろうが、当時の気持ちは消えることがない。
「炎をつけると居場所がバレちゃうし、そもそも当時はそこまでコントロールの力もなかったし。怖くて、恐ろしくて」
あのときの暗闇を、忘れることはないだろう。
「それで感情的になったせいで本当に魔法を制御できなくなって。山、壊しちゃったんだよね」
ぐらっと一瞬視界が揺れた。軽く目を閉じる。いつになっても、トラウマは解消されないのだ。上手く笑えない。何十年も経ったはずなのに、笑い話にできるまでまだ時間がかかりそうだ。
ぎゅうっとヴァランが抱きついてきたようで、温かさが身体を包む。オクルスは目を開けると、まだヴァランは抱きついていた。その状態のまま、ヴァランは静かな声で言った。
「今日は、大丈夫です。僕が、オクルス様のことを守ります」
「あはは。ありがとう。でも、そこまで気負わないで」
少し話すだけのつもりだったのに、言葉が止まらない。誰かに、愚痴を言いたかったのかもしれない。
「兄だった人――カエルム・シュティレは。死ぬまで許さない」
名前を言った瞬間、自分の中でぶわりと感情が舞い上がった。まるで炎のように。オクルス自身の心を焦がすくらいの勢いで。
「私の大切な物を奪った。絶対に、あの男だけは……」
カエルム・シュティレは、オクルスの可愛がっていた猫を殺した。オクルスの目の前で。
そのあと、どうしたんだったか。記憶がぼんやりとしている。埋葬したのだろうか。どこに? 記憶が曖昧だ。
「オクルス様」
ヴァランに名を呼ばれて、はっと目の前に意識を戻した。ぐるぐると心の中を渦巻いていた怒りもしぼんでいく。
「ああ、ごめん。なんでもない」
オクルスはどんな表情をしていたのだろうか。相当酷い顔をしていたようで、ヴァランが申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。嫌なことを思い出させて」
「いいよ」
残念ながらヴァランの参考には全くならなかっただろう。オクルスの家族は、オクルスに優しくなかったし、オクルスも同様。ヴァランを大切に思っているシレノルと一緒にしたら失礼だ。
「君は? シレノル殿下と上手くやれそう?」
「まだ、わかりません」
「そっか。そうだよね」
まだ、会話も時間も足りないはずだ。それもあって、ヴァランがシレノルの元で過ごせば良いと思っていたのだが、ヴァランが嫌がったのだから仕方がない。
シレノルとヴァランが仲良くなるために、何かをした方が良いだろうか。いや、ヴァランにしてみれば余計なお世話かもしれない。オクルスは深く息を吐いた。
「……寝ようか」
「はい」
考えるのを諦めたオクルスは、そろそろ寝ることにした。オクルスの提案に、ヴァランも頷く。
ヴァランはもう小さくないが、それでもまだベッドに余裕はある。広めのベッドで良かったと思いながら、オクルスの意識は次第に薄れていった。
隣に人のぬくもりがある状態の夜。やはりオクルスはいつもよりぐっすり眠れた。




