86、初対面の親子
余計なことを言ってしまった。ヴァランは自室で机に突っ伏していた。
ヴァランは、シレノルに喧嘩を売るつもりは一切なかったのだ。むしろ、媚びを売って味方になってもらおうとしていた。それなのに。本人を前にしたら、複雑な気持ちになってしまった。
なぜ、ヴァランのことを迎えに来てくれなかったのか。なぜ、今になって急に。そんな暗い気持ちが渦巻いて、本当に父親なのか、と聞いてしまった。
その後もオクルスが、シレノルの所へ行けというから。つい、感情的になってしまった。
感情的になっても、昔みたいに魔力が暴走することはない。念のため、自分の魔力を確認するが、異常はないようだ。ヴァランは安堵の息を吐いた。
オクルスがいればそれで良い。そんな気持ちを、彼は知らないだろう。
突っ伏していた顔を上げたヴァランは、窓の近くに立ち寄った。ぼんやりと空を眺める。そうしていると、少し気持ちが落ち着いた。
そのとき、扉を叩く音がした。ヴァランの心に少しだけ期待が宿る。
以前、オクルスと喧嘩のようなものをしたとき、オクルスが部屋まで来てくれた。そのときのように、彼がヴァランの様子を見に来てくれたのではないか。
淡い期待を抱いたヴァランだったが、動きは慎重だった。ゆっくりと自室の扉を開く。
「ヴァラン」
そこにいたのはオクルスではなかった。ヴァランの父親だという、シレノル・オフテントだった。
「えっと……」
ヴァランの落胆は滲み出てしまっただろう。慌てて表情を取り繕うとするが、その前にシレノルがくすりと笑う。不快に思っていなさそうなのが不思議だった。
「なんの用事ですか?」
ヴァランはしぶしぶではあるが、シレノルを部屋へといれた。そんなヴァランの気持ちも伝わってしまったのか、苦笑いをしたシレノルが軽く礼をして中へと入る。
ヴァランの勧めた椅子に座ったシレノルは美しい所作で頭を下げた。
「改めて。ネクサス王国の王弟、シレノル・オフテントです」
「ヴァラン、です」
ヴァランも一応頭を下げる。オクルスに基本的な礼儀などは教わっているが、それでも目の前の人は高貴さが分かるくらい気品がある。
エストレージャやレーデンボークよりも「王族」という雰囲気だ。少し緊張して、ヴァランは下を向いた。
しばらくの間、沈黙が流れる。ヴァランは自分の足下に目を向けたまま固まっていた。シレノルが何を言いにきたか分からない。オクルスを無視して部屋に逃げ帰ったことを咎められるだろうか。
そのとき、空気に溶けるような声がした。
「私は君のことを息子だと思っているけれど、君が私を父親だと思う必要はないんだ」
ヴァランはぱっと顔を上げた。シレノルを見ると、穏やかな笑みを浮かべていた。先ほどまでずっと敬語だったのに、それを外したということは、彼は「王族」としてではなく、1人の人間としてだと言いたいのだろうか。
「僕、は。分かりません」
「……うん」
自分の両親と出会ったら、何か運命的なものを感じるのだと思っていた。しかし、現実では違う。他人と何も変わらなかった。愛情がわき上がってくることもなければ、憎悪がわきあがってくることもない。
シレノルの目を見る。自分と似ている青の目。顔はあまり似ていない気がするが、目だけは自分のものと錯覚してしまいそうになるほど近い色をしている。
だからといって、それが信頼に値するとは限らない。仮に自分の父親だとしても、無条件に信じられるほど素直な人間ではないのだから。
ヴァランは、シレノルから目を逸らさずに尋ねた。
「あなたは、僕のためにどこまでしてくれるんですか? オクルス様みたいに、死んでも助けようとしてくれるのですか?」
自分でも、意味が分からないことを言っているのは知っている。オクルスが覚悟が決まりすぎているだけで、普通ならそこまでのことはしないはずだ。実際、ヴァランは友人のためだとしても、死んでも助けようと思えないだろう。
それでも問いたかった。ヴァランの父親を名乗る彼が、どんな答えをするか知りたかった。
「君が望むのなら、なんでも」
「……え」
想像よりも、すぐに返事があった。その全面的にヴァランの力になってくれるという内容に、聞き間違いかと思ったほどだ。
シレノルは穏やかに微笑みながら、あっさりと言う。
「君の助けになるのなら、命を引き換えにしても構わない」
「……なんで、そこまで。初めて会ったのに」
ヴァランとシレノルは初対面だし、シレノルはヴァランの存在を認識していなかったようだ。それなのに、なぜ。
「君は、私の唯一だから。そして、君を保護し、私と引き合わせてくれたオクルス様は光のような存在。私は、ヴィオラを失って一度死んだのと一緒だ。だから、君とオクルス様のために、生きている」
脳がぐわっと揺れた気がした。じんわりと心の中が温かくなる。
オクルスのお陰で、この人と会うことができたが。それがなくても、この人はきっとヴァランと会うことさえできていれば、ヴァランのことを大切にしてくれたのだろう。
もし。父親と母親と暮らせていたら。ヴァランはどうなっていたのだろう。
そんなもしもを考えて、すぐに否定をする。そうすればきっと、オクルスとは会えなかった。ヴァランは、今持つ幸福を手にすることなんてできなかった。
しかし、そんな「もしも」を考えてしまうほど、シレノルの決意は伝わってきた。ヴァランは震えそうな声で問うた。
「あなたのことを利用しても、良いんですか?」
きょとんとしたシレノルがふわりと笑う。そこには、優しげな色だけが含まれていた。
「もちろん。私が今していることは全て、君の役に立つことだけが目的なのだから」
オクルスの手記を見て知ったこと。シレノルは、ヴァランのためにネクサス王国で地位を確立しようとしている。死んだように生きている、と言われていた彼が、周りを黙らせるように動いているのだ。
「シレノル様は……」
「ん?」
ヴァランが言葉を詰まらせると、柔らかい笑みを浮かべながらシレノルが促す。急かすようなことはされず、黙って待っていてくれているようだ。
「僕のこと、愛していますか?」
「もちろん」
即答だった。ヴァランは、頬を緩めた。
利用して良いとまで言ってくれたシレノル。彼の力を借りれば、オクルスのためにできることが見つかるかもしれない。ヴァランだけで動くのが理想だが、それでもやはりヴァランは無力だ。
オクルスのことを考えてぼんやりしていたヴァランに、唐突にシレノルが言う。
「ヴァラン。オクルス様のことが、好きなんだろう?」
目を見開いたヴァランは、シレノルを見つめる。彼は、ヴァランのこの気持ちを否定したいのだろか。そう怯えたが、彼はにこにこしているだけだった。むしろ、嬉しそうだった。
「……はい。オクルス様が、僕のためにしてくれたように。僕も、オクルス様のために何かをしたいんです。オクルス様に、愛してほしいんです」
ヴァランがそういうと、シレノルはやはり笑みを浮かべたままだった。その幸せを煮詰めたような顔を見て、ヴァランの方が戸惑ってしまう。
「応援しているよ。ヴァラン」
「……ありがとうございます」
人に恋心が知られるというのは妙に気恥ずかしい。ヴァランは、自身の頬が熱くなる感覚がしながら下を向いた。
そのとき、オクルスの部屋から声が聞こえた。オクルスとエストレージャが何かを会話しているのだろうが、普段ここまで声が聞こえることはない。
喧嘩だろうか。言い争いだろうか。しかし、あの2人が揉めているところも見たことがない。
ヴァランが不思議に思っていると、シレノルにも声が届いたようだ。
「行ってきても、いいですか?」
「もちろん」
シレノルの了承を得てすぐ、ヴァランは部屋を飛び出した。




