81、転生猫の悲劇と奇跡
残酷に感じられる描写があります。ご注意ください。
テリーの最初の生は、日本での猫だった。最初の飼い主から、捨てられたテリーはうろうろと街中を歩いていた。
大きくうなり声をあげる物体に踏み潰されそうになったとき、助けてくれたのが響――後のオクルスだった。
響は助けてくれただけではなく、テリーのことを家に連れて帰ってくれた。
響は、寂しそうな人だった。彼の家に訪ねてくる人間はいない。いつも暗い目をしているから、テリーはよく膝の上に乗りにいっていた。
そんなテリーを撫でながら少しだけ頬を緩める彼を見るのが好きだった。いつも疲れたような顔をしていて、家に帰ってくるのは遅かったし、毎日のように外に出かけていた。休む日はほとんどないようだった。それでも、テリーは響との時間が大好きだったし、彼に拾われたことに感謝していた。
ある日。彼は起きてこなかった。いつもならとっくに外に出ている時間だ。それを不思議に思いながら、テリーは響の側でみゃあみゃあと鳴き続けた。しかし、彼はその声に動く様子もない。
嫌な予感が心の中に広がり、テリーは扉の外に向かって鳴き声をあげた。外へ続く扉を引っ掻いた。それは誰にも気づかれることはなかった。
テリーは響のところへと戻り、彼の腕に身を寄せた。その感覚はいつもと違った。いつもの温かい腕の中は、温度がなくひんやりとしていた。
こちらを見て、笑いかけてくれる彼とはもう会えないのだと本能的に悟った。
テリーは、彼のことを救えなかった。
◆
そうしているうちに、テリーの命も尽きたらしい。目を覚ましたときに、別の世界が広がっていた。
そこの世界がよく分からないまま、テリーは餌を求めて歩き出した。適当に餌を見つけながら生き延びていたところ、貴族の屋敷に入り込んでしまったようだ。
やけに広い庭で、人間に追い回された。テリーは頑張って逃げた。そして追い詰められたとき、1人の少年が助けてくれた。
オクルス・シュティレ。金の髪と、薄桃色の瞳を持つ少年。前世で響という名前だった彼に、また救われることになったのだ。
オクルスは、テリーのことを飼ってくれた。彼自身が、シュティレ侯爵家で肩身が狭そうだったのに、それでも保護することを選んだ。
オクルスに頭を撫でられたり、テリーがオクルスの膝の上へと乗っかったり。それは前世とあまり変わらなかった。オクルスが夜に寝られていないときには、勝手に布団へ潜り込んで、一緒に寝ることもあった。
前世は救えなかった彼と、もう一度生きていきたい。テリーは、再びオクルスと巡り合わせてくれた神に感謝しながらも、オクルスとの生活を楽しんでいた。
しかし、その時間は長く続かなかった。
テリーは、殺されてしまったから。
◆
オクルスの兄、カエルム・シュティレはオクルスのことを異様に敵対視していた。テリーの知る限りでは、オクルスは何もしていないと思うのだが。それでも、カエルムはオクルスに明確な憎悪を抱いていた。
そのことを知りながらも、テリーに何かができるわけではない。基本的にはオクルスの部屋の中で過ごし、たまに外に散歩をしていた。
そうやって外に散歩をしていたとき、たまたまカエルムに捕まってしまった。そして怒りに身を任せたカエルムによって、オクルスの前へと連れていかれた。そのままカエルムのナイフにより、テリーは刺されてしまった。
カエルムからテリーを取り返したオクルスは、ずっとテリーに謝っていた。自分のせいで、ごめん、と。何度も、何度も。薄桃色の瞳を溶けそうなほどに涙を流しながら、ただテリーに謝っていた。自身がまだ光魔法を使えないことを恨みながら、謝罪だけを繰り返していた。
テリーが死にゆくときまで、彼はずっと泣いていた。
そのとき、オクルスは何を願ったのだろうか。テリーに知ることではないが、オクルスは「もう1つの固有魔法」を覚醒した。
通常、固有魔法を複数所有することはあり得ないらしい。しかし、なぜかオクルスはもう1つの固有魔法を手にした。
それは、「魂に干渉する」という固有魔法。それと元からの固有魔法を組み合わせることで、テリーを現世に留めた上で、ぬいぐるみの猫として動き回ることも、意識を保つことも、可能にした。
そんな異次元の固有魔法を、条件なしで使えるとは考えにくい。何らかの条件があるのだろうが、テリーは奇跡的にそれを満たしていたからできたのだろう。
こうして「猫のぬいぐるみであるテリー」は誕生した。
その一方で、オクルスは自身の目の前で飼い猫が殺されたことに相当な衝撃を負ったらしい。彼は物を操る固有魔法を使って、要らない記憶をテリーに預けた。オクルスは「響」としての記憶の大半と、テリーが殺されてから自身がもう1つの固有魔法を覚醒するまでの記憶を渡した。
そのおかげで、テリーは「日本」のことをそれなりに理解した。
テリーが響に助けられたとき、「車」に引かれそうになっていたのだと知った。響が「ブラック企業」に勤めており、土日など関係がなく仕事ばかりしていたことや、その中でテリーを飼ってくれていたことも知った。
響にとっての常識や、言語についても、知った。
テリーが知ることは増えた代わりに、オクルスはいろいろと忘れた。前世については、ぼんやりとしか覚えていないようだったし、自身のもう1つの固有魔法についても覚えていない。テリーのことも、「自身の固有魔法で作った、心ない存在」だと思っているのだ。
テリーは、別にそれで構わない。オクルスは、傷つきやすい人間だ。そんな彼が、テリーが「自分の飼っていた猫」だと気がついて苦しむのは望んでいない。
オクルスのことは愛している。だからこそ、彼には自由に生きてほしい。オクルスがヴァランのために死にたいのなら、それで良いと思っていた。テリーがこの世にいられるのは、オクルスが生きている間だろうが、オクルスが満足できる時間を送ることができたのなら、いつでも構わない。
それでも。テリーはオクルスに自覚してほしいのだ。「オクルス」は、孤独な人間ではない。孤独なまま、死にいった前世とは違うということを、彼がまだ生きているうちに認識してほしい。
何人もの人に好かれて、生を祈られているのだから。
その象徴が、ヴァランやエストレージャだ。だからテリーはエストレージャと手を組んだし、ヴァランには日本語を教えた。それがきっとテリーにできることだった。
テリーは、自分のことを何度も救ってくれたオクルスが笑っているなら、それで良い。「響」として生きていたときみたいな、疲れたような、しんどそうな顔をしていなければ、構わないのだ。
◆
テリーの話を聞き終わったヴァランは、思わずテリーのことを抱きしめた。温かくはないが、それでも無機物のようには思えなかった。
「テリーは、辛くないの? オクルス様に、忘れられて」
「辛くないですよ。だって、あの人はボクに1番心を許しているじゃないですか」
「……確かに」
テリーの言う通り。オクルスが心を許しているのは、テリーだ。
邪魔だと言いながら、ソファの方にぶん投げていることもある。それでもオクルスが魔法を使わずに自分の手でテリーを洗っているのをよく見ていたし、彼がテリーを膝の上にのせてぼんやりしている姿は何度も見た。
襲撃があったときにも、ヴァランと同じ安全な部屋へと放り込んでいた。自身が死ねば、テリーも死ぬというのに、傷つかないように守ろうとしていた。
オクルスがテリーのことを愛しているのは一目瞭然。少し嫉妬心を覚えるほどだ。ちょっと、いや、結構羨ましい。
そう思いながらも、ヴァランはテリーへの質問の答えを手にすることができ、頷いた。
「だから、テリーは日本語を知っていたんだね」
「まさか君が数日で習得するとは思いませんでしたが。やはり天才ですね」
テリーが褒めてくれたようだが、ヴァランは首を傾げた。天才だと言われることをしたつもりはない。
「……? でも、言語だから人が理解できるようにできているし。それに、天才は固有魔法を2つも持っているオクルス様の方じゃない?」
「まあ、ご主人様も天才ではありますが……。自覚がないなら別にそれでも良いです」
テリーはそう言ってくれるが、ヴァランはテリーの話を聞いたことで、オクルスの凄さを再認識した。
彼自身の魔法の力はもちろん素晴らしいものだが、それ以上に、彼は努力を重ねてきたのだろう。猫のテリーを救えなかったという後悔から、高難易度とされる光魔法の治癒魔法を使えるようにしたのではないか。
「僕も、オクルス様みたいになりたいなあ」
大切な物のために、生きられる。オクルスのような人になりたい。そして、オクルスを守る存在になりたい。ヴァランは、強く決意した。




