76、この時間が続きますように
ヴァランの休暇中。いつものように、オクルスの塔へと戻ったヴァランは、本を読んだり、勉強をしたりしながら時間を過ごしていた。
久しぶりに会うオクルスは、あまり変わった様子はなかった。気になることがあるとすれば、オクルスに届いている手紙が増えていたことくらいか。
オクルスは素晴らしい人間であるから、手紙を書きたくなる人も多いだろう。前まではそんなに届いていなかった気がするが、最近は多いようだ。オクルスも慣れた手つきで燃やしている。
そんな中で、1つだけちゃんと読んでいる手紙があった。その手紙は明らかに上質な紙を使われているようだった。
それだけはきちんと読んでいたことが気になっていたが、オクルスはやっぱり何も教えてくれなかった。
手紙を読み終わったオクルスは、その手紙を自室へと持っていってしまった。ヴァランは結局手紙の送り主を問うこともできず、手持ち無沙汰になり、部屋へと戻った。
ヴァランは部屋へと戻って勉強を始めたが、全く捗らない。教材を読んでいた手は気がつけば止まり、思考はオクルスへ向いている。
オクルスは、今何をしているのだろうか。いつもは寮でどうせ会えないのだから気にならない。しかし、今は同じ建物にいるのだ。いつもより気になってしまう。
ヴァランは自室で勉強することを諦めて、居間へと向かった。オクルスは自室に戻ったままかと思ったが、居間で過ごしていたようだ。
ソファに座って、オクルスが本を読んでいる。ヴァランがこっそり表紙を覗き込むと難しそうなタイトルだ。どうせ聞いても理解できなさそうだから、わざわざ聞かなかった。ヴァランも、自分が読める本を持ってきて、オクルスの隣で読み始めた。
オクルスの本をめくる音が響く。オクルスが隣にいるという事実に、心がふわりと浮かび上がる。この時間がずっと続けばいいのに。ヴァランはそれを切に願った。
ずっとオクルスの隣にいるのは、どうしたら良いか。ヴァランも卒業をしたら働かなくことになるだろう。何をすればオクルスの近くにいられるか。どうすればオクルスが喜ぶか。
そんなことを考えて、ヴァランは全く本を読めていないまま、夜を迎えた。
◆
夜になっても、ヴァランは相変わらず未来のことを考えていた。学園の図書室で借りた、仕事に関する本を見ていると、いきなり扉が開いた。
そこには、切羽詰まった顔のオクルスがいた。
オクルスがヴァランの部屋に来ることは、彼が演技を始めた頃から滅多になくなっていた。それなのに、なぜ。
その理由を問う前に、オクルスがヴァランの手を引いた。何の説明をしないまま、オクルスはヴァランを普段は使っていない部屋へと連れてきた。
テリーのことも部屋に放り込んだオクルスは、「絶対にこの部屋から出るな」とだけ言って、扉を閉めてどこかに行ってしまった。
ヴァランはテリーを抱き上げたまま呆然としていたが、テリーに腕を叩かれ、はっと気がつく。
「どうしたの、テリー」
「ヴァラン。部屋の鍵を閉めて」
「……え」
「はやく」
ヴァランにはテリーの表情が分からない。それでも、テリーの声色は明らかに強張っていた。だからヴァランは、大人しく従うことにした。急いで部屋の鍵を閉める。
部屋にあった椅子に座り、テリーを膝にのせた。オクルスが何をしているのか分からないが、胸の中がざわざわする。
「何が起こっているの?」
「……」
「テリー」
「……」
ヴァランが問うても、テリーは教えてくれなかった。じっと固まっていて、聞こえているのかすら分からない。
「テリー」
ヴァランが先ほどよりも強めた口調で声をかけると、テリーがゆっくりとこちらを向いた。その漆黒の目は、どこか厳しさが含まれていた。
「……ご主人様の行動で、気になっていたことありますよね?」
「……それは、もちろん」
それは、冷たく振る舞いだしたこと。わざと演技をし出したこと。
ヴァランの目を見て、テリーは頷いた。ヴァランが察していることは当然と言わんばかりに。
「ご主人様の行動には、目的があった」
「目的? それは一体……」
ヴァランが聞こうとしたが、テリーは首を振った。それを教える気はない、ということか。それなら、なぜ。今この話を切り出したのだろう。
「ヴァラン。君の今からの行動で、全てが決まる」
「え……、僕、の?」
「君が冷静さを保てるかどうかで、全てが」
テリーの言葉に、引っかかりを覚えた。それでは、まるで。
「僕が冷静ではいられないことが起こっているの?」
どくどくと、心臓が速くなってくる。今、この場にいていいのだろうか。オクルスは、今何を。
分からないけれど、嫌な予感が重しのようにずっしりと心にのしかかる。焦燥感に駆られて、ヴァランは扉の方へと向かう。部屋の鍵を開けようとしたが、テリーの厳しい声が飛んできた。
「ヴァラン」
「なんで、止めるの?」
振り向いたヴァランが尋ねると、テリーはじっとこちらを見つめていた。その目にも、ヴァランと同じような焦燥感が宿っていることに気づく。
「君もボクも。ご主人様の足手纏いにしかならない。行ったところで、邪魔だ」
「でも……」
いつも丁寧な口調を使うテリーの、吐き捨てるような言葉。ヴァランは反論しようと思ったが、上手く言葉が見つからなかった。
テリーだって納得していないのだろう。それでも、自らが何の強さも持たないことを認識しているからこそ、何もしない。
そして、ヴァランも無力だ。魔法は少し使えるが、オクルスと戦えば確実に負けるレベル。オクルスが背を預けるのに値しないのは当然。
椅子に戻ったヴァランが下を向くと、先ほどよりは和らいだテリーの声がした。
「合図をするから、それまでは大人しくしていてください」
「……はい」
再びテリーを膝にのせたヴァランだが、やはり落ち着かない。そんな中、先ほどの会話を思いだし、テリーは何が起こっているか知っていることに気づいた。
「何が起きているかだけは、教えてくれる?」
先ほど、テリーは「足手纏い」と言った。そうなると、考えられる可能性は絞られてきたが、何の確証もない。
ヴァランが問いかけると、テリーはじとっとした目をこちらに向けてきた。
「行こうとしませんか?」
「テリーに従うから」
テリーはしばらく考えていたが、小声で教えてくれた。
「……侵入者です」
「え? 今まで、来たことないよね?」
オクルスが1人で過ごしているときのことは知らないが、少なくともヴァランがこの塔で生活しているときは誰にも侵入されていなかった。
「だからこそ、異常事態なんですよ。大魔法使いの塔に、わざわざ。そして、ご主人様が敷地内に足を踏み入れさせてしまったことも……」
「え?」
「……あ」
しまった、と言わんばかりに言葉を止めたテリーを見て、ヴァランは先ほどの会話を思い出す。
「侵入者が今まで来たことがない」ことに同意を求めたヴァランに、テリーは明確な答えを返してこなかった。
「……今までもあったんだね」
「はい。でも、この塔に足を踏み入れさせたことはありません」
「大魔法使い様が、対処してたからか」
オクルスなら、いくらでも対処する方法を持っているだろう。それは理解した。しかし、物を操れるオクルスが、自身のテリトリーであるこの塔で、侵入者を排除できないことがあるのだろうか。
この塔の全てを管理しているのがオクルスだ。それでも、大分時間が経っても対処し終わっていないのが気になる。
ヴァランが考え込んでいたところで、テリーが唐突に声を上げた。
「ヴァラン。今です」
「……! うん!」
テリーが言っていた合図。それを把握した瞬間、考えるよりも早くヴァランは鍵を開けて部屋から飛び出し、オクルスを探し始めた。




