75、その『演技』に
ある日を境に、オクルスは変わった。いや、変わったように振る舞い出した。
ヴァランはその前後に何があったかを思い出そうとしたが、その日はあまりにも「いつも通りの日」とはかけ離れていたため、心当たりは多い。
それはヴァランが誘拐されそうになったときから数日後だ。オクルスはその件で城に呼ばれ、ヴァランもそれについていった。
ヴァランは別室で待っていたが、オクルスが会議室にいる時間はそれほど長くなかったと思う。エストレージャとルーナディアと共にヴァランの待つ所に来たオクルスは、変化はなかったはず。
そして、ルーナディアがオクルスへと求婚をした。
ヴァランは、嫌だった。オクルスの笑顔が他の人に向けられるのが。自分だけが彼のテリトリーで過ごすことができ、自分だけが優しい瞳を向けられるのが嬉しかったのに。
嫌だ、とヴァランが言うと、オクルスはそれを受け入れてくれた。困ったような顔をしながらも、ヴァランに文句の1つを言うことなく頷いてくれた。
しかし、ルーナディアと会ってから、オクルスは明らかにおかしかった。頭が痛そうにしていたり、ルーナディアが渡した小瓶を開けたあと急にしゃがみこんでいた。
何があったかは分からない。オクルスが教えてくれることはなかった。
ヴァランが分かるのは、次の日から彼が冷たく振る舞い始めたということだけ。それもヴァランにだけ。
自分が何かをしてしまったのか。何度も聞こうとしたけれど、聞けない日が続いた。だって、「君が嫌いになった」と嘘でも言われればヴァランの世界は終わったのと同然だ。
オクルスの世界から拒絶されたとしたら、ヴァランに生きる意味はあるのか。そう何度も考えた。
しかし。それがオクルスの本意であるとは思えなかった。オクルスのところに来てから、ずっとずーっとオクルスだけを見てきたのだ。
あの甘やかに見える薄桃色の瞳。表情は取り繕えても、瞳は嘘をつけていなかった。どこか悲しそうに。どこか苦しそうに。
なんで。なんでオクルスが冷たくしているはずなのに、そんなに悲痛そうな目をしているのか。
何度も何度も考えていた。しかし、ヴァランにオクルスの考えを知る方法なんてなかった。たまたま会ったエストレージャやテリーに探りをいれたが、どちらからも情報を得られなかった。エストレージャは本当に知らないようだった。テリーは何か思うところがあるようだったが、それでも何も言わなかった。
どこかもやもやとしながらも、ヴァランはオクルスから好かれることを諦められなかった。しかし。何がオクルスをこのようにさせているかは分からない。だから、ひたすら待つことしかできなかった。
後で思った。結局、あの人は悪人にはなりきれなかったのだ。
◆
オクルスがその演技を始めてから、数年が経った。それでも彼は止めない。
何度か、不安に思った。これは演技ではなく、オクルスが本当にヴァランのことを嫌いになったのではないか、と。
それでも、オクルスの表情は作り上げたものだった。ヴァランが誘拐されたときの冷たい表情とは質が全く違う。疑うのが馬鹿らしくなるほど、嘘くさかった。
オクルスの決意は固すぎた。ヴァランが学園に行く前の日まで、ほとんど本音をこぼさなかった。
しかし、ヴァランが学園に行く前日は違った。
涙ながらに、「自分が何かしたか」と問い詰めたヴァランにオクルスは何も教えてくれなかった。それでも、いつもより表情は雄弁だった。
辛そうに、気まずそうに目を逸らしたオクルスだったが、それでもヴァランへの申し訳なさがにじみ出ていた。
その後で、頭が痛そうにしながら呟いたオクルスの言葉。
「……お願いだから。私のことを、嫌ったままでいてね」
その言葉に、ヴァランは確信した。
やっぱり、オクルスはヴァランのことを嫌いになんてなっていない。
しかし、理解はできなかった。ヴァランはオクルスを嫌ったことなど一度もないのに。なぜ、こんなことを言うのだろう。
◆
ヴァランの学園生活は、可もなく不可もないものだった。授業の内容自体はオクルスに教わった内容だ。たいして苦労はしなかった。
日常の生活についても基本的に問題なかった。ヴァランは大魔法使い、オクルス・インフィニティの弟子であることを隠していなかったし、勝手に噂は回っていた。
そのことで遠巻きにされることもあったが、特段不便はなかった。ヴァランの世界にオクルスさえいれば息ができたのだから。ヴァランの持ち物はオクルスに与えられた物だ。この学園にいることも、オクルスに与えられたものの1つ。だからこそ有意義に過ごしたいとさえ思っていた。
淡々と日々を過ごしていると、少なくはあるが友達もできた。その子たちに、オクルスへ持つのと同程度の感情を持つことはできなかったが、情を少しは持つくらいにはなった。
休暇中は、オクルスの住む塔へと戻った。
オクルスは変わらずに冷たく接しようとしていたが、気にならなかった。オクルスはヴァランのことを嫌ってなどいないのだから。それよりも、なぜオクルスがこんなことをするのかを考えるほうが重要だった。
オクルスは何を思っているのか。それはヴァランにとって、どんなテストよりも難しい問いだった。
まるで雪のように、彼の思考を捕まえようとしてもするりと抜け出してしまう。見つけた、と思っても溶け出したかのように見えなくなってしまう。
ヴァランが学園を卒業するとき。そのときまでオクルスの様子が変わらなかったらどうしようか、とヴァランは考え始めた。
オクルスの近くからは離れたくない。そのようなヴァランの感情だけではなく、別の理由もある。根拠がない話だが、何となくオクルスを1人にしてはいけない気がするのだ。なぜ自分がそんなことを思うのか、それはヴァランにも説明できないけれど。
ヴァランが考えているのは、どのようにしてオクルスの隠し事を探るか。
オクルスに庇護して貰っている立場として、犯罪になることはやりたくない。オクルスが相手でなければ多少の脅しくらいはしたかもしれないが、オクルスにそんなことをするわけにはいかない。オクルスにとって「家族」のテリーにも同様だ。
それでは、どんな手段がとれるか。
「泣き落とせる、かなあ?」
真剣に考えてみたが、それくらいでオクルスの決意が緩みそうもない。その前に、オクルスに泣きついたけれど無理だったことを思い出して、ヴァランは息を吐いた。
ヴァランに甘いオクルスが、そのときに何も教えてくれなかったのだから難しいだろう。回数を重ねていないから分からないが、望みは薄い。
「様子見で、いいのかな……?」
現状のヴァランには何もできそうにない。できるとすれば、オクルスのすることを黙って見つめ、どうにか情報を見つけることくらいだ。
「強く、ならないと。大魔法使い様に頼っても良いと認められるように」
ヴァランがオクルスにとって「頼れる存在」にさえなれば、オクルスは打ち明けてくれるかもしれない。そこに希望を見いだして、ヴァランは強くなると決めた。
――それすら、裏目に出た。オクルスの「心残り」を消してしまう結果になるとは、ヴァランは思ってもみなかったのだから。




