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74、恋

 ヴァランは変な時間にうとうとしていたせいか、夜には目が冴えてしまっていた。そこでオクルスへに渡そうとしていたリボンをまだ自分が持っていることに気がついた。


 渡しに行こう。そう決めたヴァランはオクルスの部屋まで行き、扉を叩いた。あっさりとオクルスは部屋の中にいれてくれたが、机の上には多くの物が置かれている。まだ忙しかっただろうか。


 そう心配するヴァランとは裏腹に、オクルスはこちらに向き合ってくれた。だからヴァランはオクルスにリボンを手渡した。


 オクルスが何を考えているのか分からなかった。しかし、オクルスの桃のような色の瞳から涙が流れ落ちるのを見て、ヴァランはどうしたら良いか分からなくなり、おろおろするしかできなかった。


「今までもらった物の中で、1番嬉しい」


 オクルスはそう言ったが、ヴァランはきょとんとしてから笑った。オクルスなりの気遣いだろう。こんなに素晴らしい人なのだから、このリボンよりも高価な物や美しい物を貰ったことはあるはずなのだから。


 それにしても、ヴァランが街に1人で出かけたいと言ったせいで、オクルスにまで迷惑をかけてしまったのは申し訳ない。そう思ったヴァランが俯くと、オクルスの優しい声が届いた。


「ヴァラン。眠れないなら、一緒に寝る?」

 

 オクルスの思考はどうなっているのか分からないことが多い。いつか覗いてみたいくらいだ。


 それでも、オクルスからそんな発想が出るということは、今までに誰かと親しい距離感で過ごしたことがあるのだろか。


 急に、もやもやとした感覚が広がった。オクルスとそこまで近づくことを許されたのは自分だけだと思ったのに。一体、誰と。


 苛立ちに近しい感情を押し殺しながらオクルスに問いかけたが、急にオクルスの表情が苦しげになった。


 猫と一緒に寝たことがある、とだけ教えてくれたオクルスだが、それ以上は言わなかった。その表情は過去を懐かしむような明るいものではなく、罪悪感を押し殺しているような、苦悶にあふれたものだった。ヴァランはそれ以上聞くことができず、オクルスに促されるまま、彼のベッドに潜り込むこととなった。


 そのあと、オクルスから「ヴァランが望むならずっとここにいても良い」という言葉を引き出し、ヴァランは安心したところで眠気がゆっくりとやってきた。


 寝よう。そう思ったところで、オクルスからぎゅうっと抱きしめられた。


 どくり、と心臓がはねる。ヴァランはゆっくりとオクルスを見上げた。


 彼はぐっすりと寝ているようだった。ヴァランを抱き枕のようにしているが、そこまで強い力ではない。それなのに、ヴァランは逃れられる気がしなかった。


 オクルスの方を見上げる。その美しく、寸分の汚れもなさそうな彼を見ていると、なぜか心臓が落ち着かなかった。どくり、どくりとうるさい自分の鼓動が、体温を上昇させる。顔がかあっと熱くなった。


 自分が、なぜ先ほどまで平気でいられたのか分からなかった。


 オクルスの腕が、手が、ヴァランに触れている。そう認識すると、脳の底からくらくらしてきておかしくなりそうだった。


 この気持ちは、きっと。


 恋。ヴァランは、オクルス・インフィニティに恋心を抱いているのだ。そうはっきりと認識した。


 照れくさいような、期待したくなるような。いくつもの感情が襲ってきて、ヴァランはオクルスに顔をうずめた。


 それでもオクルスは身じろぎもあまりせず、起きる様子はない。相当疲れていたのだろうか。


 オクルスから顔を離したヴァランが、ふと周りに視線を向けると、相変わらず明かりが付けっぱなしになっていることに気がついた。


『申し訳ないんだけど、明かりをつけたまま寝てもいい?』

『真っ暗だと眠れなくて。いい?』


 寝る前にオクルスは、少し気まずそうにそんなことを言っていた。しかし、流石に寝ている間は消した方が良いかもしれない。


 そう思ったヴァランは、名残惜しく思いながらも抱擁してくるオクルスから抜け出した。ベッドから降り、近くの明かりに手を伸ばすと、そのヴァランの手を柔らかい何かが押さえた。


「駄目です」

「テリー?」


 その柔らかい手の主は、テリーだ。テリーからの制止にヴァランは首を傾げた。


「どうして?」


 ヴァランが尋ねると、テリーは少し黙ってしまった。言葉を選んでいるのか、どこか慎重さを感じさせる声でテリーは言う。


「ご主人様は、その……。暗闇だと、体調が悪くなるので」

「体調が?」

「頭が痛くなったり、息が苦しくなったり、色々あるみたいです」


 ヴァランは息を呑む。そこまで深刻な話だと思ってもみなかった。火が弱まる様子のないランタンを見ながら、ヴァランはテリーに問いかけた。


「もしかして、この炎……」

「はい。魔法で維持を続けているので、消えることはないです」


 消し忘れたのではなく、意図的につけていたのだろう。僅かに開く窓から風が舞い込むが、それでも明かりが消える様子もない。


 あまりの徹底ぶりに、ヴァランは言葉を失った。


「テリー。なんで、大魔法使い様がそんなに暗闇が苦手か知ってる?」

「知ってます。でも、言えません」

「そっか」


 オクルスが自分の話をしないのと同様に、テリーも過去の話を全くしない。いつから一緒にいるのかもヴァランは知らないのだ。長い付き合いであることは、2人の関係を見ていれば予想はできるが。

 

「ボクが教えたことは、ご主人様には内緒ですよ」

「うん。テリー、ありがとう」


 オクルスにしてみれば、他人に知られたくない内容だろう。先ほどだって眠れない、としか聞いていない。


 このまま明かりは放置していれば良いと理解したため、ヴァランはまた寝台に戻ろうとしたが、そこでテリーに目をとめた。


「テリーも一緒に寝る?」


 テリーと一緒の方が、落ち着かなくなってきた心が穏やかになるだろうか。そう思ったが、テリーはくるりとこちらに背を向けて、ソファの方へと向かった。


「ボクはいいです」

「そう?」


 ヴァランはまた布団に戻った。眠っているオクルスを見つめる。


 いつもは結んでいる金の髪が寝台に広がっている。三つ編みをしているからか、緩やかに波打つその金の髪は、高価な糸のようだった。


 ヴァランはその髪に手を伸ばした。するりとすぐに手からすり抜けた髪を名残惜しく見つめていたが、それでも寝ているオクルスに勝手に触れた罪悪感から、もう一度触れることはしなかった。


「大魔法使い様……。オクルス、様」


 初めて名前を呼ぶ。寝ているオクルスから返事はない。


 恩人の名前で呼ぶのなんて無作法なことはできない。名前を呼ぶことすら、恐れ多い存在なのだから。

 それでも、エストレージャがオクルスのことを名前で呼ぶたび、自分も呼んでみたいなあと思ってしまう。


「オクルス様、大好きです」


 こっそりとそう呟いたヴァランはまた布団に戻った。軽く寝返りをうったオクルスが、無意識での行動だろうがヴァランをたぐり寄せる。


 ヴァランは頬を緩めたまま、オクルスに身を寄せた。この幸せが、ずっと続けばいいと思っていた。この温かさにずっと浸っていたかった。


 こんな気持ちを抱いてしまったから、罰が当たったのかもしれない。

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