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71、ヴァランにとってのオクルスは

 オクルスの前から逃げ出し、自分の部屋へと戻ったヴァランは、ぎゅっと拳を握った。その手を振り上げ、ベッドにたたきつけようとした。しかし、振り上げた手は下ろすことなく、どうにか堪えた。このベッドも、布団も、シーツも。全てオクルスが用意してくれたものだ。それを、すこしでも傷めるようなことはできなかった。


 行き場のない感情の捨て方が分からない。ギリっと奥歯を噛みしめたヴァランは、邪魔な感情を捨てるために荒々しく息を吐いた。


「……未練、未練がないって言った」


 オクルスの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。それは、未練がないと言う彼の返答が的確だというのに他ならなかった。


 ヴァランは床を背にしてずるずるとしゃがみ込んだ。くしゃりと前髪をかき上げながら、つぶやく。


「オクルス様の、未練を作らないと」


 ◆


 ヴァランにとって、オクルス・インフィニティはこの世の全てだ。何よりも崇高で、神よりも信ずべきものだった。


 ヴァランは生まれた時から1人だった。ヴァランの記憶がない時から孤児院に捨てられたのだから、親のぬくもりも知らない。親がいる、ということがどんな気持ちなのかも知らなかった。


 孤児院は良い場所だったのだと思う。食事はしっかりもらえて、綺麗な服を着ることができて、僅かながらも教育を受けることができる。恵まれた環境なのは知っていた。それでも、どうしても寂しさを拭いきれなかった。


 ヴァランは、孤児院の子どもたちと友達だった。しかし、決定的な差異が見え隠れするのに気がついていた。彼らは、「家族」という存在を知っている。それを知った上で、孤児院にいるのだ。ヴァランと同じように親に捨てられた人もいたが、事情があって家にいられなくなった子どもや、親を病気や事故で亡くした子どもなど、境遇はそれぞれだった。


 知らなかったのは、ヴァランだけだった。子どもたちが孤児院の先生を「お母さんみたい」と言っても、分からなかった。「こんなお母さんなら良かった」と言っても分からない。


 どこか空虚さを抱えたまま、ヴァランは成長していった。とにかく、人に必要とされたかった。


 周りの人を観察した。朝起きてから、夜に寝るまで、人の様子や顔入をを窺って、どんなときに人が嬉しそうなのか、かわいがられるのかを考えた。


 そうしてヴァランは気がついた。優しくしたら、好かれるということを。


 だから、ヴァランは優しくした。相手の求めることを考えて、それを行った。すると、ヴァランは「友達」が増えた。周囲に人がいるときには、その空虚さを僅かながらも埋めることができていた。


 しかし、その歯車がかみ合わないこともある。


 ヴァランが8歳のときだ。孤児院の先生に手を引かれて来たのは、小柄な女の子だった。先生たちの話をこっそり聞いていたところ、彼女は両親を亡くしてしまったらしい。その子どもは酷く泣いていた。


 何日経っても泣いている女の子が、心配になってきて、ヴァランはその子に近寄った。もっとも、それは優しさだけではない。


 ――その子どもを慰めたら、自分は彼女から必要とされるだろうか。


 彼女への気遣いだけではなく、そんな打算が混じってしまったのは事実。そしていくつかの慰めの言葉を紡いだが、その薄っぺらさはすぐに気づかれてしまったようだ。


 少女は、泣きながらヴァランを睨み付けた。涙が止めどなく溢れる目を鋭く尖らせて、怒りのこもった声をぶつけてきた。


「あなたは、親を知らないくせに! 愛されたことなんて、ないでしょう? 私の気持ちなんて、きっと分からない!」


 彼女は泣いてばかりいるが、ヴァランの身の上については誰から聞いていたらしい。

 

 「親を知らないくせに」という言葉。「愛されたことがない」という言葉。それはヴァランが一番気にしている部分で。


 触れられたくない部分に触られたような絶望。自分ではどうにもできない虚しさ。それらで感情がぐちゃぐちゃになった。


 ――自分だって、知りたかった。親から、愛されたかった。


 ずるい。それを知っているのも羨ましくて妬ましかった。ぐちゃぐちゃになった感情は、収まらなかった。


 そして、それは起こった。


 急にぶわりと周囲に風が巻き上がり、凄まじい音を立てる。


 ヴァランは呆然とすることしかできなかった。それが魔法であることは知っている。魔力が勝手にあふれ出しているのも分かる。


 しかし、それをどうしたら良いのか分からない。これを魔力暴走と言うのだ、ということは後になって知ったことだ。


 それは凄まじく勢いを持ち、うるさい音を立てていた。ヴァランはただ、その魔力で荒れていく部屋を見ながら呆然とすることしかできなかった。


 きっと、罰が当たったんだ。自分が愛されるために、人と関わろうとしたから。愛が目標であり、そのために人を利用していたから。


 嫌われたくない。それゆえ、誰も傷つけたくない。そう考えたこと自体が罪だったのだろうか。


 このまま、この風に呑まれて消え去るのもいいかもしれない。どうせ、誰もヴァランを唯一にしてくれないのだから。そう諦めかけたとき、目の前に人がいた。


 呼吸を忘れそうになるほど、美しい人だった。後ろで三つ編みに結われた髪は、風が舞う部屋でも乱れていなかった。薄桃色の瞳を緩やかに細め、こちらに優しく声をかけてくれた。


 人を傷つけたくないと懇願したヴァランに、オクルスは手を差し伸べてくれた。自分なら、ヴァランの望むものを与えることができる、と。


 この人と会ったのは運命だったのだろうか。そんな夢見心地なことを考えることもある。


 今までに見た中で、一番美しかったその人は、見た目だけではなく内面も素晴らしい人だった。


 オクルスはヴァランに何でも与えてくれた。物も、知識も、生きるための術も。そして、ヴァランのことだけを庇護してくれた。


 全部、全部。初めてだった。オクルスと一緒にいると、世界が美しいものに見えてきた。


 オクルスは、ヴァランにとっての全てになっていった。この人さえいればそれでいいと思っていた。


 オクルスがいるから、生きることに価値はあった。この人が笑ってくれるなら、何でもできる気がした。


 次第にヴァランは考えるようになっていった。何をしたら、この人は喜んでくれるのか。ヴァランのことを1番に考えてくれるのか。どうしたらこの人に愛されるのか。


 そう考えるヴァランとは裏腹に、オクルスはあまりにも掴めない人だった。ふわふわとしていて自由だ。自分のペースを持っていて、急に変なことを思いつき、それを実行する。


 そんな風に何も考えていないのかと思えば、ヴァランに教えてくれることはしっかりと意味のあることだった。今後の生活に必要なことを最初に教えてくれた。それからは、知らなくても良いであろうことまで教えてくれた。オクルスの興味範囲に偏っていただろうが、それでもヴァランには全部新鮮だった。


 いろいろと教えてくれるオクルスだったが、オクルス自身のことはあまり喋らなかった。初めてレーデンボークの話を聞いたときに、オクルスは自分の話を教えてくれると約束をしたはずだ。それなのに、結局ほとんど教えてくれない。


 教えてくれる内容から、貴族として生活していたんだろうな、とはなんとなくわかっていた。俯瞰的な視点を持った話も多かったし、内容も孤児院で教わったことより専門的だったから。それだけではなく、動きには気品があり、丁寧な作法が身に付いているのは見て取れた。


 しかし、それと同時に、その美しい所作をわざと壊そうとしているようにも見えた。


 それが分かったからこそ、そこに触れることはしなかった。そしてもう1つ。ヴァランが触れてはいけないと直感的に思ったのは、家族の話。


 街を歩いたときに、オクルスは無意識だったのかもしれないが、仲の良さそうな兄弟を見つめていた。手をつないで走っている兄と弟。それをどこか虚ろな眼差しで見つめていた。その薄桃色の瞳に宿るのは羨望。


 何となく。ヴァランは、オクルスが自分と似ているのではないかと気がついた。烏滸がましいことかもしれない。それでも、その感覚は薄らとヴァランの心の残り続けた。

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