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70、優先順位の問題

『助けてもらったことに礼を言ったが、本当に生きたかったのか』


 そんなヴァランの質問にオクルスは面食らった。オクルスは顔が勝手に強張るのを自覚しながら、ヴァランに尋ねる。


「何を言っているの?」


 オクルスが戸惑いをこめて返事をすると、ヴァランがすうっと目を細めた。どこかほの暗さすら感じる色。その目に居心地の悪さを感じていると、ヴァランが軽く息を吐いた。


「……普通なら、生きるためにどうするかを考えると思います。それなのに、オクルス様は。自分が死ぬ前提だった」

「……」


 その低い声に、オクルスは目を逸らした。しかし、ヴァランが顔を覗き込んできた。青の瞳がきらりと光る。


「僕は的はずれなことを言っていますか?」

「……」


 何と答えれば良いかわからず、オクルスは黙り込んだ。


 死にたいわけではなかった。それでも、自分の優先順位が大して高くなかったのは事実。些細なこと、とまではいかないが、それでも気にしている余裕はなかった。


 しかし、それを伝えることが良いか分からず、言葉をのみ込んだ。ヴァランがじっとこちらを見たまま、ふっと苦しそうに笑った。


「……オクルス様」

「……」


 なんとも言えない暗い空気になったとき、扉が開いた。ふわりと舞い込んだ紅色の髪を見て、オクルスは少し安堵した。


「あ、王子様」

「……オクルス」


 まるで幽霊でも見たかのように、エストレージャが目を見開いた。星がこぼれ落ちそうな金の瞳を見ながら、オクルスは彼に手を軽く振った。


「おい、ヴァラン。オクルスが起きたら、俺を起こせって言っただろう」

「だってエストレージャ殿下がぐっすり寝ていたから」

「お前……」


 エストレージャが苛立たしげにヴァランを睨み付けているのを見て、意外に思う。いつの間にこんな仲良くなったのか。


 オクルスはエストレージャの顔色がいつもより悪い気がして、素直に言葉に出した。


「王子様、顔色悪いね」

「……誰のせいだと思っている?」

「ん?」


 エストレージャの若干疲労した声に、オクルスは首を傾げた。顔を引きつらせたエストレージャだったが、目が合うと諦めたように微笑んだ。仕方がないな、と言いたげな表情。エストレージャのこの表情はたまに見かける。まるで弟を見るような表情だ。同い年なのに。


 そんなエストレージャがオクルスの髪に手を伸ばした。壊れ物に触れるような丁寧な手つきに、オクルスは黙ったままエストレージャを見上げる。


 エストレージャが口を開きかけたところで、ヴァランがその手を振り払った。オクルスの髪から手を離したエストレージャが、ヴァランのことを睨んだ。


「おい、ヴァラン」


 しかし、ヴァランはそれに答えなかった。彼はオクルスだけをじいっと見つめてくる。


「オクルス様。まだ、答えを聞いてませんよ」

「なんの?」

「なんで、あんなに、捨て身だったんですか?」


 エストレージャが来たことで終わったと思っていた話は、ヴァランによって引き戻された。流石にこれ以上は躱せなさそうだ。


「別に自分の優先順位がそんなに高くなかったし……」

「優先順位? なんで高くないんですか?」


 ヴァランに問われて、オクルスは考えてみることにした。改めて聞かれると、すぐには思いつかない。それでもしばらく考えてみると、その理由の輪郭がぼんやりと見えてきた。


 目を伏せたオクルスは、そのままぼそりと呟いた。


「……未練が、ないからかなあ」

「未練?」


 怪訝そうな声を出したヴァランに、オクルスは向き直った。納得のいかなさそうな彼に微笑んで見せる。


「だって、特にやりたいこともないし、ヴァランは私がいなくても大丈夫でしょう? 君は学園で学んで成長したし、それに君を守れる人は私以外にもいる」

「……」


 手帳を読んだのなら、ネクサス王国の王弟、シレノルが父親だということも把握しているのだろう。それは、オクルスの庇護下にヴァランをおく必要がなくなったのことを意味する。仮にオクルスが死ねば、すぐにシレノルが保護者を引き受けていただろう。


 黙ったままのヴァランを見ていたが、別方向から視線を感じた。そちらを見ると、何か言いたげなエストレージャがこちらを見つめてきていた。

 

「まあ、君は私がいてもいなくても変わらないでしょう」

「……」


 オクルスが軽く流すと、エストレージャから呆れたように睨まれた。気づかないふりをしながら、オクルスはヴァランに向き直る。そしてヴァランの銀の髪にそっと触れた。


「ヴァラン。君が無事なら、それで良かったのだから」


 オクルスにとって、ヴァランと出会う前も生きがいなどなかったが、それがやっと見つかったのだ。ヴァランの闇堕ちを防ぐという目標。


 オクルスがそれをするのは、誰かに望まれていたことではない。むしろ、自分自身の生きる意味として掲げることで、「生」を実感していた。


 ただの自己満足。そこには崇高な考えなんてなく、ただの自分勝手な事情なのだ。


 呆然としたヴァランから、空気の混ざった声が転がり落ちた。


「……なん、で」

「え?」

「み、れん……」

「ヴァラン?」


 声は消え入りそうなほどで、ほとんど聞き取れない。俯いて自分の世界に入ってしまったヴァランを見ながら、オクルスは彼の名を呼んだ。しかし、ヴァランは聞こえていないようで顔を上げすらしない。


 そのまま何かを考え込んだまま、ヴァランは部屋から出て行ってしまった。


「ヴァラン、どうしたんだろう」

「お前は……」

「え?」


 何かを言いかけたエストレージャを見上げる。しかし、彼はそれ以上何も言わず、ゆるゆると首を振った。


「なんでもない」

「そう?」


 エストレージャの言いたいことは見当がつかなかったが、追求することもしなかった。エストレージャは言いたければ、濁さないだろう。


 何気なく部屋を見渡して、オクルスはあることに気がついた。


「そういえば、部屋が綺麗になってるね」


 暗殺者を倒したあと、部屋は血だらけで、物も散乱していたはずだった。しかし、それは綺麗になっている。もしかしたら、以前よりも綺麗になっているかもしれない。


「ああ。レーデンボークが水魔法や風魔法で掃除していた」

「え? レーデンボーク殿下が? そんな気遣い、できる子だった?」


 オクルスのことを嫌っているレーデンボークが、治癒の魔法を使ってくれただけでなく、部屋まで綺麗にしてくれたようだ。しかし、普段のレーデンボークの態度からは全く考えられない。そんな細やかな気遣いをしてくれる人間だろうか。

 

 あまりにも王族への遠慮のない言葉だったが、エストレージャは苦笑しながらも咎めなかった。


「あいつも何度かお前の様子を見に来ていた。思うところがあったんだろう」

「そうなんだ」


 レーデンボークが何度も来たというのは信じがたいが、エストレージャが言うのならそうなのだろう。興味がそこまであるわけではないので、頷くに留めた。


 襲撃の話になったところで、いくつか気になりだした。結局、あの襲撃は何だったのか。


「そういえば、どこの差し金だったか、なんのためだったとか知ってる?」


 エストレージャが調査をする義理はない。しかし、彼なら何らかの調査をしてくれている可能性が高い。


 その予想通り、嫌な顔をすることなくエストレージャは頷いた。


「ああ。ネクサス王国の王弟が力を持つことを良く思っていない貴族の差し金らしい」

「……王弟殿下のこと、知っているんだ」


 ヴァランの血筋については、エストレージャは知らなかったはずだ。勘の良い彼が気づいていたとしても、対外的には知らないことになっていた。


 それなのに、エストレージャはわざわざ言及した。つまり、状況が変わったのだろう。


「ああ。シレノル殿下がベルダー王国(うち)の王族には公表をした」

「そう」


 それなら話は早い。オクルスがさらに問いただそうとしたところで、エストレージャがオクルスの肩に触れた。


「また説明するから、今は休んだらどうだ? 治癒の魔法で完治できるわけでもないのだから、まだそんなに起き上がらない方が良い」

「そうだけど……」


 確かに治癒の魔法は回復を促進させるのであって、綺麗さっぱり治るわけではない。だからエストレージャの言っていることは正しい。それでも、オクルスの知らない間に起こったことは気になる。


 オクルスがエストレージャを見上げると、彼はオクルスの気持ちをどう解釈したのか。口元に少しだけ笑みを浮かべて言う。


「しばらくはこの塔にいるから」

「……もしかして、ずっといるの?」

「ああ」


 この優しい友人は、オクルスのことを心配して塔で寝泊まりしているらしい。申し訳ない気持ちでオクルスは俯いた。


「ありがとう」


 礼を言うと、頷いたエストレージャはオクルスの髪を軽く撫でて、部屋から出て行った。その行動に固まったオクルスは、エストレージャの出て行った扉をしばらく見つめていた。


 子どものように扱われている気がする。不服に感じたが、それと同時に少し安心したのは事実。


 ゆっくりと横になり、オクルスは再び眠りについた。

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