68、どこで間違えたのか
身体の全てが鉛でできているかのようだ。酷く、重い。頭も、手も、足も。そして瞼も。
それでも瞼を無理矢理持ち上げた。ぼんやりとした光。目に入ったのは見知った天井だった。
思考が回らず、ただ天井を見あげていた。すると、扉が開くような音と、何かを落としたような音が聞こえる。
起き上がることもなく、目線だけを動かすと銀糸のような美しい髪が目に入った。その髪の持ち主、ヴァランが焦ったように近づいてくる。
「オクルス様! ぼくの声が聞こえますか?」
ヴァランの焦ったような声に、オクルスの頭が少しずつ動き始めた。
オクルス様? なぜ、その呼び方を。この前までは、『大魔法使い様』としか言われなかったのに。オクルスはそのことに気を取られつつ、なんとか声を発す。
「う、ん」
掠れた声が喉から零れる。ぼやけていた視界もだんだんとはっきりしてきて。こちらをじっと見つめる青の瞳が視界に入った。
「良かった……」
そう呟いたヴァランを見ながら、オクルスは違和感を覚える。この目の前の子は、ヴァランで間違いない。
それなのに、何かが違うような。何かが、決定的に。
すぐに分かった。その、青の瞳だ。
晴天時の空を詰め込んだような輝かしい青をしていたはずだ。なぜ、どす黒い海の底のような色だと思えるのだろうか。
光の加減? それにしては、あまりにも影を帯びている。
「オクルス様」
もう一度ヴァランがオクルスの名を呼ぶ。その瞳はまっすぐにオクルスを見ていた。
おかしい。この前までは違った。
オクルスがヴァランに嫌われるように行動をしていたせいで。それに彼は戸惑って、怯えて、困惑していた。オクルスにどのように接したらいいか迷っていた。明らかに期待することを諦めていた。
だから、オクルスは安堵していたのだ。自分の作戦が上手くいっていることに。
それなのに。なぜ、そんな。
陶酔しているような。恍惚とした、執着心に塗れた瞳を向けられているというのか。
ぞくりとした冷たい感覚が背を走る。
なんで、こんなことに。どこで、間違えた?
「オクルス様、どうしました? 顔色が悪いですよ」
オクルスのことを気遣う、優しいヴァランは、何も変わっていないようにも思える。気のせいだ、と思い込もうとした。しかし、やはり違和感が拭えない。
首を傾げてこちらを見ていたヴァランは、はっとした顔をした。
「お水、飲みますよね。コップを取ってきます」
「え、あ」
オクルスが止める間もなく、ヴァランは部屋の外へと駆けだしていった。ヴァランに伸ばしかけた手は彼を捕まえることもできず、ゆっくりと腕を下ろす。ズキッと左の脇腹が痛み、顔をしかめた。
ごそりと近くで音がした。オクルスがそちらに視線を向けるまでもなく、オクルスの視界に猫のぬいぐるみが入った。
テリーを認識したことで、少し緊張が緩み、オクルスは息を吐いた。起き上がらない状態のままテリーを自身の手元に抱き寄せながら、オクルスは口を開いた。
「テリー」
「なんですか、ご主人様」
「私は、生きてるの?」
「はい」
ヴァランを見て混乱していた頭が、少しずつ状況の理解を始めた。あの襲撃のあと、どうにか生き延びたらしい。あの状態で生きていたのか、と他人事のように思う。
黙ったままこちらを見ているテリーに向かって、オクルスは恐る恐る尋ねた。
「ねえ、何か間違えたのかな? ヴァランが……」
そこまで言って、何を問えばいいか逡巡する。ヴァランにもった違和感をどのように説明すればいいのか。
迷っているオクルスを見て、テリーは呆れたような声で言った。
「その質問をするのは大分遅いと思いますが」
「え?」
何が遅いのか。オクルスが戸惑っていると、その様子を漆黒の瞳がじっと見据えていた。
「どこで間違えたかというのなら。最初からあなたは思い違いをしていたのでは?」
「……は?」
言葉の意味は分かる。それでも、理解が追いつかない。
最初から? オクルスは何を間違えていたというのか。天井をしばらく見て考えるが、何も思い浮かばない。助けを求めるようにテリーに視線を戻した。
何も言えないオクルスを見て、テリーはふいと目を逸らした。
「……あなたは最初からあの子を甘く見ていたのでしょう」




