67、『もしも』の話
オクルスは真っ暗な世界に立ち尽くしていた。ここはどこだろうか。よく分からないまま、辺りを見渡す。
その時、目の前に1人の少年がいた。
「この子、は……」
金の髪に薄桃色の瞳。それは、鏡でよく見た容姿だった。しかし、何かが違う気がする。
「……小説の中の、オクルス・インフィニティ? いや、というよりは前世の記憶を思い出さなかったときの『私』か」
小説の中だろうと、目の前の現実だろうとオクルスが自分自身であることは変わらない。
前世の記憶を持たなければ、さぞ生きづらかったことだろう。知識も少なく、見てる世界が狭いのだから。
オクルスは「オクルス」に手を伸ばそうとしたが、手に触れたのは冷たい板だった。
その時、目の前に見えているものが、映画のように動き始めた。いつの間にか背後には椅子があり、オクルスは首を傾げながらもそこに腰掛けた。
その子どもは、酷く苦しそうに俯いていた。表情はほとんど動かない。笑うことはなく、ただ暗い表情をしていた。
優しかった母はもうおらず、兄からは理由も分からず敵意を向けられていた状態。父はどう考えていたか知らないが、夜の山小屋に幼い子どもを放置する人間だ。オクルスのことを嫌っていたのだろう。
目の前の「オクルス」の自分と同じ境遇に、思わず目を逸らした。
その映像は勝手に進む。少しずつ「オクルス」は成長していった。
学園生活も上手くいっていなかった。エストレージャと話す様子もあったが、結局親しくはならなかったようだ。他の生徒とももちろん仲良くなるはずもなく、淡々と日々が過ぎていた。
そんな「オクルス」は、大魔法使いとなったあと、特に死んだような目をしていた。誰のことも信じておらず、何にも執着や未練がない。ふらふらと放浪生活をしていた。
そんな中、「オクルス」がたまたまベルダー王国にいたときだった。孤児院で子どもが魔力暴走を起こしている現場に遭遇した。そして、なんの気まぐれか、少年を引き取った。
その少年は、もちろんヴァランだ。
しかし、前世の記憶なんてない「オクルス」は、壊滅的に子どもを預かることに向いていなかった。常識もなく、子どもと会う経験もない。
それにしても、適当に生きすぎだ。自分のほうがマシだっただろう、といろいろやらかしていることは棚に上げて考える。
それでも、「オクルス」は変わっていった。ベルダー王国に定住し始めた。ヴァランと一緒に考えたり、険悪になったりしながらも、少しずつ馴染んでいくのが見て取れた。笑い方も忘れていた「オクルス」は、柔らかい表情を浮かべるようになっていった。ヴァランも眩しいほどの笑みを浮かべて、「オクルス」を慕っていた。
それは、あまりにも美しい光景に見えた。孤独の自覚もなかった2人が、互いの存在に助けられているのだ。
しかし、幸せには期限がある。その時が訪れた。
突然の襲撃。自分とは違い、その可能性すら知らない「オクルス」だったが、それでもどうにか対処したようだった。
自分の命を引き換えにして。
地面に倒れる「オクルス」に、ヴァランが縋り付いていた。激しい慟哭。見ているだけのオクルスだったが、あまりのその悲痛な様子を見ていられず、目を逸らしたくなった。それでも、ヴァランを見つめ続けた。
ヴァランは「オクルス」を助けるように、何かをしようとした。しかし、光魔法は使えないし、止血の方法も分からないのだろう。ヴァランはただ、オクルスが冷たくなっていくのを何もできずに見ていることしかできなかった。
ヴァランが「オクルス」を抱きしめたまま、顔を上げた。その目を見て、息を呑む。
その青の瞳は恐ろしいほどまでに闇に染まっていた。
「……ヴァラン」
しかし、そこで映像は終わったようで、続きの何かが映されることはなかった。
プツリと切れた画面を見据えながら、オクルスは呟いた。
「……私とは、違う」
オクルスは、ヴァランに嫌われているはずなのだ。そうなるように冷たく接してきた。
「だから、大丈夫。大丈夫」
ヴァランは優しい子だから、悲しむくらいはするかもしれない。それでも、あんなに絶望と悲痛に満ちた表情を浮かべることはないはず。そうでないと困る。
――本当に?
どこからか声がして、オクルスは立ち上がると同時に後ろを向いた。
「……私?」
そこにいたのは、先ほどまで画面に映し出されていた「オクルス」だった。その人は、感情の読めない目でこちらを見ていた。
――それなら、自分で確認すればいい。
そう言われたが、オクルスは首を傾げた。
「……え? また映像で見えるの?」
「オクルス」は呆れたような表情を浮かべた。なぜ呆れられないといけないのか。オクルスが不満に思ったとき、とん、と肩を押された。
「……え」
人は驚くと悲鳴すら出ないらしい。いつの間に地面はなくなっていたのか。その落下の浮遊感にのまれながら、自身の意識がだんだんと薄れていった。




