65、そうしてその日は訪れる
ヴァランが学園に入学してから3年が経った。ヴァランは結局、休暇中はいつも帰ってきている。今回の休暇も、当然のように帰ってきて、オクルスの塔で過ごしている。
穏やかな日だった。特に忙しい用事はなく、エストレージャから渡された仕事も終わっている。
オクルスは本を読みながらのんびりと過ごした。ヴァランも暇だったのか、気がつけば隣で本を読んでいた。ヴァランが来たことを認識してからも、オクルスは会話をすることなく、頁をめくる手を止めなかった。ヴァランも、オクルスに声をかけることなく、本を読んでいた。
静かで、ゆったりとした時間。何にも急かされることも、心を圧迫することのない時間は、あっという間に終わった。
気がついたら夜になり、そのまま今日が終わるのだと疑うこともなかった。
異変があったのは、夜も深まっていた時間だった。塔の敷地内に、侵入者がいる。それも複数人。それに気がついたオクルスは、庭に埋めてある縄をつかって捕縛をしようとした。しかし、何となく嫌な予感が拭えない。
オクルスはヴァランの部屋へと向かった。扉をノックすることもなく開く。
「ヴァラン」
「……? はい」
急に扉を開いたことで、驚いたのかヴァランはびくっと肩を揺らした。青の瞳を見開いている彼に、オクルスは短く告げる。
「来て」
「……え?」
やはり驚いた様子のヴァランだったが、それでもオクルスの言う通りついてきた。オクルスはヴァランを窓のない部屋へと連れていく。窓がない部屋にしたのは、外からの襲撃ができないようにするためだ。
「ヴァラン。しばらくの間、絶対にこの部屋から出ないでね」
「しばらくって……」
「お願いだから。じっとしていてね」
「……はい」
もう学園に通っている彼へ、まるで幼い子に言い聞かせるような言葉は間違っているかもしれないが、深く考えている余裕はない。
オクルスの鬼気迫る懇願に、ヴァランは首を縦に振った。
そのとき、とことこと足下を何かがよぎった。猫のぬいぐるみ、テリーだ。オクルスはテリーの首根っこをつかんで、ヴァランと同じ部屋の中に放り投げた。
「テリー。ヴァランといてね」
「はい」
ふわりと着地したテリーは、まるで全てを分かっているかのように頷く。
ヴァランがテリーを抱き上げたのを確認し、オクルスはその部屋から出ようとした。そのとき、テリーから声をかけられる。
「ご主人様、分かっていますね?」
テリーの方を向くと、真っ黒の無機質な瞳がこちらを見据えていた。言葉にしなくても、その目が訴えたいことは十分に理解した。
「……うん」
オクルスが死ねば、テリーも消える。そうすれば、ヴァランはこの場で1人になってしまう。オクルスがここで死んだとすれば、その対処をヴァランにぶん投げることとなってしまう。
それは避けたいが。どうなるか分からない。
「最善は尽くす。でも、ごめんね、テリー」
「……本当に、頼みますよ」
もしかしたら、テリーのことも消滅させてしまうかもしれない。その意味をこめたオクルスからの謝罪に、テリーが呆れたようだ。言葉にしなくても感情が分かる。
それだけの時を過ごしてきた。反対に、テリーだってオクルスのことを理解しているのだ。オクルスが持つ覚悟も、意地も、きっと知っている。
オクルスはそれ以上何も言わず、部屋の扉を閉めた。バタン、という音が妙に大きく聞こえた。
◆
ふう、と息を吐いたオクルスは目を閉じた。明かりをいつもより明るくしながら外を睨む。
夜。オクルスの嫌いな時間。しかし、敵はこちらの事情なんて慮ってくれない。
自室から窓の外を見下ろす。敷地の土に埋めている紐により、捕縛はできたのだろうか。あまり手応えがない。
それにより、オクルスは敷地内全体に、自身の固有魔法を広げた。絶対に人間が身につけるもの。それは衣服だ。服を着ていれば、大体の人間の数は分かる。
「……10人、かな」
それなりの大がかりの人数だ。暗殺目的なのだろうか。まるで絶対に失敗できない襲撃であるかのようだ。
「狙いは、なに?」
オクルスだろうか。それともヴァランだろうか。
オクルスを消すメリットはない。たいした影響力ももたないのだから。そう考えると、王弟の息子を狙う方が理解できるが。
「いや、王弟に裏切られた可能性もあるか……」
オクルスはネクサス王国の王弟、シレノルを味方につけたと思っていたが。そもそも、あそこで話したことが、全部嘘で、シレノルに騙されていた可能性だってあるのだ。簡単に信じすぎただろうか。
しかし、オクルスとの約束通り、シレノルは表舞台に姿を見せ、少しずつ力をつけている。彼によるものだと決めつけることもできない。
シレノルではない場合は、王弟であるシレノルの秘密を知った者かシレノルが目立っては困ると考える者による差し金だろう。この可能性が1番高い。
一応、オクルスを狙っている可能性もまだ残っている。オクルスへの恨みをもつ人間。たとえば、オクルスの兄、カエルム・シュティレとか。
いろいろな疑念を持ちながら、オクルスは部屋から動かなかった。
可能ならば、この場から動かずに捕縛したい。庭からの侵入は、誘導かもしれないのだから。あまりヴァランの隠れている部屋から離れたくはない。
塔の中には立ち入らせないのが最善だが、嫌な予感は消えない。オクルスは扉を開かないようにしていたはずなのだが、何か違和感がある。
「……は? 侵入してきている?」
人の居場所を探っていた中で、塔の中に入ってきている気がする。扉を開かれた感覚は魔法では分からなかった。
暑くもないのに、額に汗がつたる。
自身の魔法を無効化されているのだろうか。焦りが胸中をじわりと生まれる中、がん、と大きな音を立てて扉が開かれた。




