64、密約
「似た目を持つ子? 一体、何を仰っているのですか?」
王弟シレノルの表情は、本当に理解できていないものだった。彼の戸惑いが伝わってきて、オクルスは目を伏せた。
ヴァランを孤児院に預けたのは、シレノルの相手の独断。シレノルはヴァランの存在すら知らない。一気に背筋が凍る心地がした。
どうすればいい。どうしたら、この人を味方にできるだろうか。
「大魔法使い様?」
その呼び方にはっとする。ヴァランと同じような呼び方。そうだ。ヴァランのことだから、簡単に諦めてはいけない。
深く息を吸ったオクルスは、シレノルのことを見つめながら口を開く。
「時間はないので、単刀直入に申し上げます。私はとある子どもを預かっているのですが、その子どもが王弟殿下のご子息ではないかと考えているのです」
「私の?」
青の瞳を見開いたシレノルを見て、オクルスは頷いた。急にそんなことを言われても困るだろう。知っている。それでも、伝えなければ始まらない。
「王弟殿下のような青の瞳に、その絵画の女性のように銀の髪をもった男の子です」
「……」
シレノルは何も喋らない。オクルスの言うことを信じる理由もない。オクルスが提示できる証拠もない。
信じてもらうのは難しいか。オクルスが目を伏せたところで、シレノルの声がした。
「……質問をしてもよろしいですか?」
「はい」
オクルスが顔を上げると、感情が読めない表情でシレノルが問うてきた。
「その子の、名前は?」
名前は大事な情報だから、人に伝えない方が良い場合も多いだろう。それでも、伝えた方が信じてもらえるだろうか。
迷ったすえ、オクルスは口を開いた。
「……ヴァラン、です」
「ヴァラン?」
ヴァランの名を口にしたあと、しばらくシレノルは何も言わなかった。その表情は暗くない。しかし、彼が何を言うかわからなくて、オクルスはただ、シレノルを見つめていた。
「大魔法使い様」
「はい」
ようやく口を開いたシレノルに呼ばれ、オクルスは彼から視線を逸らすことなく返事をする。シレノルが目を細めるようにして笑った。
「恐らくその子は私の子でしょう」
「……え」
唐突に王弟がそれを受け入れたことに、驚きを隠せなかった。そんなオクルスを見て、王弟は口元を緩めた。彼が女性の絵に視線を向け、自身の手を伸ばす。
その絵に触れながら、彼は空気に溶けるような声を発した。
「彼女――ヴィオラが言っていたのです。もし子どもができたら、女の子だったらヴァレリー、男の子だったらヴァランがいいって」
愛おしそうに彼女の絵を見つめる王弟を、オクルスは黙って見つめていた。名前を考えるほど、母親は子のことを大切に思っていて、父親である彼もその顔を楽しみにしていたことは、王弟の愛おしげな様子から予想できる。
それならば、なぜ。ヴァランを孤児院に。不思議に思えたが、その事情はすぐに理解できた。
駆け落ちをしないと叶わない恋だったこと。それが全ての原因だろう。
しばらくして、シレノルがこちらを向いた。その表情は柔らかいものだった。
「……オクルス様とお呼びしても?」
「はい」
「ありがとうございます。オクルス様」
先ほどまでの固い表情はない。シレノルは優しげな瞳でオクルスに尋ねた。
「その子は――ヴァランは、今はあなたの家に?」
「いえ。学園に行っています」
「学園に……。もう、そんな年ですか」
目を見開いたあと、また表情を和らげた。愛おしげな表情だとはっきり伝わってくる。オクルスは大事なことを伝え忘れていたのを思い出し、口を開いた。
「あの子は、元々は孤児院にいました」
「孤児院に、ですか……」
シレノルの表情に陰りが帯びる。ヴァランの育った環境を考えているのだろうか。孤児院の環境としては悪くなかったと思うが、それはオクルスが判断すべきことではなく、環境の善し悪しはヴァランが決めることだ。だから伝えなかった。
シレノルの表情は暗いままだったが、それでもオクルスに問いかけた。
「ヴァランは、元気に過ごしていますか?」
「私の知るかぎりは、ずっと元気でした」
「そうですか」
ふわりと笑ったシレノルは、本当にヴァランのことを案じているようだった。それに安堵する。人の気持ちを見透かせるほどの才能は自分にないことは知っている。しかし、それでも信じたくなる雰囲気だった。
「オクルス様」
「はい」
名前を呼ばれ、オクルスはシレノルの目を見た。彼の表情は、いつのまにか引き締まった表情になっていた。
「あなたは、私にこれを教えて、何を望んでいるんですか?」
オクルスが息子を知っているということを理解してもらえたとしても、オクルス自身の目的などは不明瞭だろう。シレノルからは怪しまれてもおかしくはない。
それでも、オクルスは嘘をつく必要もない。思ったことを言うだけだ。
「ヴァランのことを守ってください」
すると、シレノルは目を見張った。おそるおそる、と言った様子で尋ねてくる。
「何かに狙われているのですか?」
確かに誤解させてしまう言い方だった。オクルスはすぐに首を振った。
「私の知る限り今はありませんが。それでも、あなたの息子だということが知れ渡れば、誰から命を狙われても不思議ではないですよね」
「……そう、ですね。確かに、そうです」
王弟の目に強い光が宿った。それを見て、オクルスは理解する。ここが踏み込むべきときだ。
オクルスは頭を下げた。
「王弟殿下。どうか、お願いします。力をつけてくださいませんか。ヴァランが学園を卒業するよりも前に」
シレノルに「力」と言ったが、はっきりいうと「権力」だ。部屋に閉じこもった王弟でいてもらっては困る。爵位を得られるのか、ネクサス王国の王家のことは知らないが、それでも軽んじられないほどの権力を持っていてほしい。
しばらくオクルスが頭を下げていると、シレノルの静かだが、強い意志のこもった返事が聞こえた。
「はい。もちろんです」
それを聞いて、オクルスは頭を上げた。上手くいった。それを頭で理解するまでに少し時間がかかった。
頬を緩ませたところで、シレノルがオクルスをまっすぐに見つめたまま言った。
「オクルス様。あなたに誓います。ヴァランが卒業するまでの5年以内に力をつけます。この国の王ですら、息子に手を出せないように。そして、息子に堂々と自分が父親だと伝えられるように」
「……お願いします」
これで、きっと大丈夫。ヴァランの卒業後、ヴァランは父である王弟からの庇護を受けられる。ヴァランが望めば、ネクサス王国に住むことも可能だろう。
彼は以前オクルスの所にいたいと言ったが、その必要はなくなる。彼の本当の居場所を取り戻すことができるのだから。
「それでは、ヴァランが卒業をする前の年くらいに、殿下のことを伝えます」
「はい。お願いします」
普段はヴァランが学園にいるため、オクルスの塔に来るのは休暇中だけだ。それなら、オクルスがそこまでいろいろ考える必要はない。
あとは、オクルスが死ぬのと、ヴァランが学園を卒業すること、どちらが先かということだ。それが分からないことだけが不安かもしれない。
オクルスがそう考えていると、シレノルがこちらを見つめていることに気がついた。
「それで、オクルス様。あなたが望むことは?」
「え? ヴァランが幸せに暮らすことですが」
シレノルの問いの意味が分からず、オクルスは考えていることをそのまま答えた。しかし、シレノルはそれで納得ができなかったようだ。ゆるゆると首を振った。
「そうではなく。あなた自身の望みは?」
「……?」
それがオクルス自身の望みだというのに。なぜ聞き返されているのか。何も答えられないオクルスに、シレノルは眉を上げた。
「え。本当にヴァランのためだけに、わざわざ入国して、しかも私の所まで来たのですか?」
「……? はい」
ぽかんとしてこちらを見つめてくるシレノルに、オクルスは首を傾げた。そんなに不思議なことだろうか。
そこでようやく気がついた。シレノルは、オクルスが何らかの交渉材料にヴァランを使ったのだと思っていたのだろう。例えば亡命の手助けをしてほしい、というように。
しかし、オクルスはそんなつもりはない。すると、シレノルは戸惑いを隠していなかったが、口を開いた。
「……私がもっと力をつけたときに、必ず何らかの礼をさせてください」
「いりません」
オクルスが今1番欲しいものは情報だが、それはヴァランのためのものだ。ヴァランの件が解決したら、何も要らなくなる。
オクルスの返事に、シレノルは困ったように笑った。
「私のために、受け取ってほしいのです」
「……そのときを、迎えることができましたら」
オクルスの曖昧な返事に、シレノルは不思議そうにしていた。しかし、オクルスはそれ以上伝えることはしなかった。
これで、目的は達成された。しかも想像以上の成果をもって。シレノルに挨拶したあと、オクルスはまたこっそりと部屋へと戻った。
次の日の魔の森だった地の見学は特に問題なく終え、オクルスはベルダー王国へと帰った。




