60、第1王子・アルシャイン
数日後。城で旅行の話を少しだけ前進させたオクルスはエストレージャと共に歩いていた。
「オクルス。このあと、アルシャイン兄上のところだよな」
「……うん」
気は重いが、少し話をして帰れば良い。そう自分に言い聞かせながら心を落ち着けた。アルシャインはエストレージャの兄だ。アルシャインが血縁上の兄、カエルムと仲の良い人物じゃなければ、もう少し緊張をしなかっただろうに。
「取って食われるわけではないんだから」
「まあ、うん」
全く気乗りをしないオクルスに、エストレージャが笑いながら言った。
「それに、さっきまでよりは気楽だろう」
「それは確かに」
旅行をしたいと言うと、国王陛下など上層部を交えて散々理由を聞かれた。オクルスが亡命しないかを相当気にしていたようだ。それなら、悪評をばら撒いていた人間をどうにかしてくれ、と言いたくなるが。
面倒であるとともに、仕方がない、と諦めてはいた。大魔法使いという絶対的な身分と地位を与えられている以上、制約がかかるのは理解できる。
聖女の浄化した地に興味があると繰り返し主張をし、とりあえず納得はしてもらった。さらにこの前の申請書を細部まで確認して、最終的に許可が出る見込みだ。呆れるほど時間と手間がかかる。
先ほどの、細かい考えまで詰められる地獄のような時間に比べれば、アルシャインと話す方が楽だろう。
アルシャインに指定された部屋の前まで連れてきてくれたエストレージャだったが、オクルスに部屋を示したあとは、一歩下がった。
「じゃあ、俺は仕事に戻る」
「忙しいのに、ここまでありがとう」
軽く手を上げて歩き出したエストレージャを見送ってから、オクルスは部屋のドアを叩いた。
◆
オクルスはアルシャインと向き合って座っていた。アルシャインの動作は優美なはずなのに、その動きに緊張が含まれていて、どこかぎこちなかった。
しばらく2人とも口を開かなかった。何を言われるか分からないのだから、オクルスは墓穴を掘りたくないため、口火を切ることはしなかった。
どれくらいの時間が経ったか。数十分過ぎたように感じたが、一分も経っていないのかもしれない。アルシャインがゆっくりと口を開いた。
「……オクルス様とお呼びしても?」
「はい」
オクルスの返事に頷いたアルシャインが立ち上がった。オクルスに向かって、丁寧な礼をする。
「オクルス・インフィニティ様。多大なる無礼をお詫び申し上げます」
「構いません。謝罪の必要もありません」
いきなり謝罪をされるのは想定外だった。条件反射的に、謝罪は不要だと伝える。困ったように一度目を伏せたアルシャインだったが、再びこちらに向き直った。
「加えて、最大限の感謝を。毒のことを教えてくださり、ありがとうございました」
「……いえ」
なんと答えれば良いか分からず、オクルスは軽く返事をしたあとに下を向いた。やはり沈黙が流れる。
「提案、というか。お願いがあるのですが」
「なんですか?」
やはり緊張した面持ちのアルシャインが、慎重に口を開いた。
「オクルス様。私の部下になってくださいませんか?」
すぐには理解できなくて、オクルスは黙り込んだ。アルシャインの要求を理解した瞬間、すぐに首を振った。
「申し訳ありません。誰かに仕えることは考えていません」
オクルスが断ることは予想していたのだろう。驚くこともなく、アルシャインは頷いた。
「かしこまりました。唐突な提案を失礼しました。それとは別に、何か御礼をさせていただきたいのですが」
「いりません」
アルシャインからの提案を、検討もせずにオクルスは断った。しかし、アルシャインはそれで引き下がろうとしない。
「何でも、いいのですが」
アルシャインに眉尻を下げながらそう言われ、オクルスも困ってしまう。何か適当なことを言っておいた方が、アルシャインは気を遣わないだろうか。
しばらく考えた末、1つ提案をしてみることにした。
「それでは、アルシャイン殿下。情報をください」
「……情報によりますが、可能な範囲でならもちろん」
慎重な人だ。安請け合いはしてくれない。
だからこそ、オクルスはどのように聞くかを考える。心理戦をしてこの人に勝てるとは思わないが、少しでも情報を得る確率を上げたい。少し、遠回しに聞いてみることにした。
「その……。ネクサス王国の国王陛下はどのような方ですか?」
優しいのか。家族思いなのか。あるいは厳格なのか。
駆け落ちしようとした王弟を、生かす慈悲があるほどの人間なのか。それを知るための質問。
しかし、そんなオクルスの考えは見透かされたようだ。アルシャインが金の目を細めてオクルスのことを見つめる。
「……オクルス様が知りたいのは、そのことではないですよね? はっきり聞いてください。恩人にはできる限りお教えしますので」
アルシャインがそう言うのなら、言葉に甘えよう。オクルスははっきりと尋ねることにした。
「ネクサス王国の王弟殿下は今、どうなさっているのですか?」
「王弟殿下、ですか……」
ちらりとオクルスを見たアルシャインだったが、すぐに目を伏せた。言葉にしなくても、彼が迷っているのが伝わってくる。
「生きてはいますよ」
「……え?」
口を開いたアルシャインからの含みのある言葉に、オクルスは呆けた声を零すことしかできなかった。そんなオクルスを見て、少し頬を緩めたアルシャインだったが、すぐに表情を暗くして話を続ける。
「もっとも、王弟殿下は死んだように生きていますが」
「それは、詳しく伺ってもいい話ですか?」
口外をすると不味い話にしか思えない。オクルスの焦りを見て、アルシャインは表情を変えずに頷いた。
「オクルス様がネクサス王国に行くのなら、王家の方とお目にかかる機会もあるかもしれません。むしろ知っておいた方がいい話でしょう。エストレージャも知らないことなので、私から説明をします」
確かに、挨拶くらいはしないといけないはずだ。大魔法使い、という身分であるからには仕方がない。
それにしても、オクルスの情報源がエストレージャしかないというのはとっくに気づかれているようだ。
「分かりました。アルシャイン殿下。ぜひ教えてください」
オクルスの返事に頷き、アルシャインが再び口を開いた。
「王弟殿下が駆け落ちをした、という話はご存じなんですよね?」
「はい」
そこでアルシャインは顔を伏せた。彼から発されたのは、僅かに震える声だった。
「そのとき、王弟殿下の駆け落ち相手の方は亡くなりました」
「え」
「時期までは知りません。駆け落ち中追っ手が実行したのか。あるいは捕まって国へ帰ったあとに当時の国王の命で処分されたのか。そこまでの情報はないです」
「……」
アルシャインの言う通り、様々な可能性が考えられる。どの時点で亡くなったかは分からないが、ヴァランの両親ではないのかもしれない。自分の仮説が間違っているかも、ということを念頭に置きながら、オクルスはアルシャインの話を邪魔あせずに聞く。
「そして、お相手の方が亡くなったあと、王弟殿下は憔悴なさって、部屋へと閉じこもりました。今も、なお」
「……」
今もなお、か。王弟が負った心の傷は重かったようだ。それだけ相手のことを愛していたのだろう。
「現在の国王陛下との関係はどうですか?」
ネクサス王国に行ったときに、王弟の話をしても良いかどうか。もし仲が悪いのなら、王弟のことについて触れない方が良いだろうから。
「現在の国王陛下は、前王陛下とは違い、王弟殿下と仲の良かったようです。だから大層気をもんでいるようですね。お二方の父君、前王陛下は結婚に反対をしてお怒りだったようですが、現在の国王陛下はそのような感情をお持ちではないかと。むしろ、不憫がっていますね」
「なるほど……」
兄弟の仲が良い、というのもまた、行動には気をつけた方がよさそうだ。仮にオクルスが王弟について探っていることに気づかれると、王の怒りを買うかもしれない。
どうにかして、調べる方法はないか。ヴァランと関係がない、と判断ができれば深入りせずにすむのに。
そこではっと顔を上げた。アルシャインを前にして考えこんでしまった。恐る恐る彼の顔を見るが、その表情は穏やかなものだった。
「あなたの必要な情報でしたか?」
「……ありがとうございます」
なぜか知らないが、見透かされている感覚がずっとする。アルシャインの金の瞳を見ていられずに、目を伏せた。
そんななか、アルシャインの不思議そうな声が届いた。
「それにしても、なぜオクルス様は、わざわざ正規の道筋で許可をとって出国を?」
「……え?」
質問の意図が分からない。旅行をするのなら、出国の許可を得て当然だと思う。
アルシャインの方をみると、彼は戸惑ったようにこちらをみていた。
「私を救ってくださったのだから、その対価とすればさっさと出国の許可をとれたと思うので」
「……考えも、しなかったです」
オクルスは正直に告げた。そもそも、そんな方法は一度も頭の中に浮かんでいない。
それは対価となるほどの話だろうか。オクルスは頼まれたわけでもなく、勝手にグラスを奪ったのだから不敬と思われている可能性もあったのに。
だから、オクルスにはそんな交渉の発想はなかった。
そんなオクルスを見て、アルシャインが優しげに笑った。前にあったときの棘を含んだ表情が嘘のように柔らかい。
「僭越ながら、オクルス様はあまり政治に関わらない方が良いでしょうね」
「……存じてます」
政治と関わりたいと思ったことはない。国に任される仕事はするが、それくらいの距離感がちょうどいいだろう、と自分でも思う。仮に国政の中枢に関われば、すぐに足をすくわれるだろう。
オクルスの返事に、アルシャインは困ったように首を振った。
「悪口ではなく、お優しいので、オクルス様を利用しようとする人が出てくるのではないか、と」
「……はい」
アルシャインは頑張ってフォローをしようとしてくれているが、自分が単純な人間であることは承知している。
「それでは先ほどの提案とは逆に。私をあなたの部下にするというのはどうですか?」
「……は」
さきほど、アルシャインは自分の部下にならないか、と提案をした。その反対など、あり得るのか。王家の人間が大魔法使いの部下になりたがるなど聞いたこともない。
困惑するオクルスの方に、アルシャインは身を乗り出して説明を続ける。
「これでも一応、国の中枢を見ていますから。まあ、継承争いには負けましたが。それでもあなたの力にはなれると思います」
王位継承争いの決着はついていたのか。それでルーナディアは結婚をしたようだ。関係ないことに思考を逸らして、どうにか心を落ち着けた。
「折角のご提案ですが、申し訳ありません」
「そうですか。理由を伺っても?」
アルシャインは誠意をもって接してくれている気がする。だからこそ、オクルスも正直に理由を答えることにした。
「……あなたは、あの1回で私を信用したのかもしれませんが、私はあなたのことを信用できると断言できません。材料が、ないので」
「そう、ですか」
オクルスは、アルシャインと1番話したのは今日だ。そんな数十分ごときで人格を判断できると思えない。
アルシャインにしても、たった一度の出来事で、オクルスを信頼し始めたのだろう。それは本当の信頼といえるのか。今後も命を救ってほしいという計算もあるのか、など余計なことを考えてしまう。まだ信頼は、できない。
綺麗に拭かれた机へと視線を落とす。しばらくして、オクルスは顔を上げた。アルシャインの金の瞳を見つめながら尋ねる。
「仮にですが。アルシャイン殿下が学生の頃から友人だというシュティレ侯爵と手を切れ、とでも言ったらどうしますか」
「それ、は」
アルシャインは顔を強張らせたあとに俯いた。それに、オクルスはこっそり頬を緩めた。
エストレージャの言う通り、本当に真面目な人だ。アルシャインの様子を見ながら思った。簡単に口で言うことならできる。しかし、彼は適当な真剣に考えているからこそ、断言ができない。
長年の友人と、命の恩人を天秤にかけられて、選択に苦悩しているアルシャインを見て、オクルスの心が荒れることもなかった。
むしろ、断言するより信頼ができる気がする。
それでも、オクルスにとってアルシャインは「手札」になり得ない。少し信頼できる程度じゃ足りない。
ヴァランのために行動をすることが多くなるのだ。関わる人間は「完全に」信用できる人間ではなくてはならない。
間違っても、オクルスを本気で貶めにかかった血縁上の兄、カエルム・シュティレと関わりが深い人間の手を借りるというリスクを冒したくはない。
情報をもらったものは有り難く利用するが、それ以上のことで彼の手を借りようとは思えない。
「アルシャイン殿下。あなたは誠実な方なのでしょう。それでも、申し訳ありません」
「謝らないでください。オクルス様。申し訳、ありません」
アルシャインの声は僅かに震えていた。アルシャインの謝罪は、何についてなのだろうか。オクルスの部下になりたいと提案したことか。オクルスを選べないことか。あるいはそのどちらもか。
重い空気に耐えられなくなり、オクルスはアルシャインの前を辞した。




