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59、『旅行』の申請

 オクルスが出国の許可証のための文書を書いていると、扉の開く音がした。見覚えのある紅色の髪を持つ男が入ってきた。口調などからは荒々しい印象をもたれることもあるようだが、その動きは非常に気品のある。


 やはり王子様だ、と思いながらオクルスはエストレージャに満面の笑みを浮かべた。


「王子様、すごく良いところに!」

「……なんだ?」


 面食らったように、エストレージャが一歩下がった。それを見たオクルスは笑みをおさえ、首を傾げる。


「なんでそんなに警戒しているの? まだ何も言っていないのに」

「なんとなくだ。お前こそ何を企んでいる?」


 エストレージャとの付き合いは、テリーよりは短くともそこそこ長い。エストレージャの表情が一瞬で強張ったのは、何かを察したのだろう。


 勘の良いことだ。オクルスは今からエストレージャを面倒事に巻き込むのだから。


「ちょっと旅行したいんだよね」

「……は?」


 オクルスはできるだけ口調が軽くなるように心がけたのだが、エストレージャの声は呆然としたものだった。


 エストレージャが口を挟む前に、オクルスは続けざまに言った。


「行き先は、ネクサス王国」

「……」


 黙ったまま、表情はどこか険しくなったエストレージャを見ながら、オクルスはその金の瞳を覗き込んだ。

 

「許可、下りるかな?」


 許可を得るためには、まずエストレージャに仲介を頼まなくてはならない。本当に、エストレージャは損な立ち位置だ。オクルスが何かをしようとすれば、それに巻き込まれてしまうのだから。


 ため息をついたエストレージャが、細めた金の瞳でこちらを見据える。


「……冗談じゃないんだな」

「うん。本気だよ」


 そう答えると、エストレージャは頷いたあとに自身の紅色の髪に手を当てた。


「申請をすれば、許可は下りるはずだ」

「それなら良かった」


 これでネクサス王国には合法的に入ることができそうだ。オクルスは安堵したが、エストレージャの表情は険しいままだった。


「ただ、お前が城に申請へ行く必要はあるし、ネクサス王国への連絡……。日数を要するだろうな」 

「覚悟はしているよ」


 それくらいはやらなくては。思ったよりもすんなりと許可が貰えそうで驚いたくらいだ。


「面倒くさがりなお前がそこまでするとは……」


 途中で言葉を止めたエストレージャが、何かに気づいたのか驚いたように目を見開いた。


「ん? なに?」

「……お前、ネクサス王国で何をするつもりなんだ?」


 あまりにも察しが良い。しかし、王族であるエストレージャが知ったら問題だと彼が口にしていたのを覚えているため、オクルスは口元に笑みを浮かべた。


「聞かない方が良いと思うよ」

「それなら聞かない」


 素早い判断だ。エストレージャに降りかかるだろう面倒を減らすことになるかは微妙だが、オクルスは付け加えた。


「建前としては、そうだね。聖女様が浄化した魔の森を見てみたいなあ」

「とってつけたように言うなよ……」


 エストレージャはより苦々しい表情になったため、あまり効果はなかったらしい。


「これでも半分くらいは本音だよ」

「半分は嘘じゃないか」


 すぐさま突っ込まれ、オクルスはまた笑みを浮かべた。誤魔化すときは笑うに限る。


「嘘にも本当のことを混ぜると、本当らしくなるでしょう?」

「全部言ってるじゃないか」


 それは確かに。それでも、エストレージャなら大丈夫なのだ。エストレージャを見ながら、オクルスは小首を傾けた。


「君になら言ってもいいかなって。そうでしょう? 王子様」

「……」


 黙ったエストレージャは、髪をかきあげた。その表情は少し強張っていたが、それでもどこか明るく見えた。


「分かった。全てはお前の望むがままに」

「ありがとう」


 流石はエストレージャ。面倒ごとを不満を漏らすことなく引き受ける約束をしてくれるなんて。オクルスはにっこりと笑った。


「やっぱり、君は王子様だね」

「褒め言葉として受け取っておこう」

「もちろんだよ」


 互いに軽い口調で話していると、エストレージャがふと気づいたように手紙を取り出した。


「お前がいきなり旅行というから忘れていた」

「誰から?」

「アルシャイン兄上からだ」

「また?」


 エストレージャが来るときは、高頻度で手紙を渡してくる。面倒だが放置もできないためしぶしぶ開いた。


「忙しくて来られないのなら、自分から行こうかって……。何これ。諦めてくれないの?」

「まあ、アルシャイン兄上は粘り強い人だからな」

「困るなあ」


 何通来たか分からない。あのパーティーからしばらくは上質な紙をわざわざ使って手紙が来るが、そろそろ断るのに罪悪感をおぼえる量だ。


「えー、怒られたくないのに」


 オクルスがそう言うと、エストレージャが驚いたように目を見張った。

 

「……お前、怒られると思ってたのか?」

「他に何があるの?」


 オクルスがきょとんとしていると、エストレージャが不思議そうに尋ねた。


「普通、毒を教えた感謝とか、報酬とかを期待するもんじゃないのか?」


 毒、とエストレージャが断言したことで、初めてその正体を知った。しかし、それを知っても何も変わらない。


「あ、毒って分かったんだ。良かったね。でも、頼まれていないことを勝手にやっただけだし」

「お前な……」


 エストレージャが呆れた声をこぼす。

 少し思案したあと、エストレージャがオクルスの前でいきなり跪いた。


「……え?」

「オクルス・インフィニティ様。兄を守って下さり、ありがとうございました。遅れながら感謝を」


 そう言って、エストレージャはオクルスの左手をとり、手の甲に口づけた。その恭しくもあり、厳かにも感じる動作に、ぶわりと頬の体温が上がった。


 オクルスの前世よりも、圧倒的に距離感が近い。その照れを誤魔化しながらオクルスは一歩後ろへと下がった。


「なんで? 大袈裟だよ」


 わざわざ跪き、敬語を使い、口づけまで。突然のエストレージャの行動に、オクルスは戸惑うばかりだ。

 エストレージャがオクルスの手を離して立ち上がった。彼は呆れたように笑う。


「お前には言わないと伝わらない。いや、言っても伝わらないかもしれないが」

「そんなことないよ。多分」

「信用のならない返事だな」


 くつくつと笑いながら、エストレージャがオクルスの顔を覗き込んだ。


「怒られないから。旅行の前にアルシャイン兄上と会ったらどうだ?」

「……まあ、君が言うなら」


 エストレージャがそこまで言うのなら。あの兄の友人のアルシャインとはできるだけ、関わりたくないが、仕方がない。


 オクルスの返事に頷きながら、エストレージャはオクルスの机から旅行の申請書を取った。


「これは持っていこう」

「ありがとう」


 オクルスはアルシャインへの返事の手紙を書きながら礼を言う。アルシャインには、今度城に行く日でよければ、と返事を書いた。はっきり了承しなかったのは、最後の足掻きだ。それを確認したエストレージャは苦笑していたが、オクルスは修正しなかった。

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