56、虚しさ
エストレージャが帰ったあと、オクルスは椅子に座って窓の外を眺めていた。何かを見ているわけではない。ただ、静かに考えたかった。
「……」
あのパーティーでアルシャインのグラスを飲んだとき。確かにオクルスは死を意識した。ヴァランの目の前ではないから、別に毒で死んでも問題はないと思っていた。
しかし、ヴァランの出自に隣国の王族が関わっている可能性があると知ってからは、死ななくてよかったと思う。そのような身分だと、命を狙われかねない。ヴァランの盾になることくらいはできるはずだ。できないと困る。
それなら、これからどのように調べればいいのだろうか。
ぼんやりとしていると、テリーが勝手に膝の上に乗ってきた。それを適当に撫でる。
「何を考えているんですか?」
「んー、そうだねー、いろいろ」
生返事をしながらテリーのぬいぐるみのふわふわに触れる手を止めない。テリーは逃げることなく、大人しくしている。
そんな中、エストレージャが置いていった手紙の山が目に入った。
オクルスは空いている手で、手紙を適当に1つだけ手に取る。情報集めのために、何かの誘いには応じた方が良いか。
しかし、触れることにも不快感がして、それをすぐに机の上へと戻した。失望に近い感覚を抱えながら、オクルスは呟いた。
「ねえ、テリー」
「なんですか?」
「私は、人から好かれれば満たされると思っていたんだよ」
「……」
ずっと、孤独が嫌だった。自分が誰にも必要とされないことが、惨めで苦しくてしかたがなかった。
「愛されれば、愛されるだけ、幸せになれると思っていたんだ」
愛されないことに、絶望をしていた。愛されれば幸福に包まれるのだろうと思っていた。この世界から自分の存在を認められている感覚がするのだと信じていた。
しかし。今はどうか。オクルスは手で顔を覆って呟いた。
「なんで、こんなに虚しいんだろう」
オクルスが少し分かりやすい「善」を行っただけで、一斉に手のひらを返した。今までオクルスのことを嫌っていた人や、悪口を言っていた人が、こぞってオクルスに好意的な反応をしている。
それは、オクルスの望んでいたことだったはずなのだ。
それなのに。全く嬉しくない。それだけではなく、むしろ虚しい気持ちになった。心の中にどす暗い塊を投げ込まれたかのように息がしにくい。
結局のところ、自分は何を求めていたのか。こんな取るに足らないものを求めていたということが、酷く愚かに思える。
「はあ……」
目の前に広がる、意味を持たない紙から目を背けた。
そんな中、どこかに光が見えた気がした。本物の光ではない。それは、机の上に置いているリボンだった。
それはヴァランから貰った物だ。普段は使うことなく、ポケットに入れていることが多い。ヴァランがいるときは、彼に冷たくしているため、リボンを大切にしていることを気づかれないようにするためだ。
今は、ヴァランがいないため、目に見えるところにおいても構わない。そう考えて、机の上に置いていた。
オクルスはそのリボンを手にした。丁寧に持ち歩いているため、ぼろぼろにはなっていない。それでも、少しだけすり減っているかもしれない。
思わず言葉がこぼれ落ちた。
「ああ。ヴァランに、会いたいな」
あの、温かい好意が、恋しい。打算などなく、無条件に笑みを向けてくれる彼を思い出し、オクルスは目を閉じた。
冷たく接しているオクルスにそれを求める権利などはないが、欲しくて仕方がなくなってしまうのだ。
なんて身勝手なのだろうか。
「……ヴァラン」
絶対に聞こえるはずはない。今はこの塔にいないのだから。それを分かっていながらも、オクルスは静かに呟いた。
「君は、私が守るから。絶対に」
オクルスにとって、ヴァランは暗闇の中でも輝きを失わない存在だ。彼がいたおかげで、オクルスの孤独は癒やされた。
だから、ヴァランのことをオクルスは守りたいし、闇堕ちをしてほしくないのだ。
それでは、ここからどう動くべきなのだろう。
オクルスはヴァランから嫌われることができたはずだ。それでも、念のため保険をかけておきたい。
その手札となり得るのが、ヴァランの出自なのだ。しかし、これは諸刃の剣。
仮にヴァランがネクサス王国の王弟の子どもだと仮定して、ネクサス王国は彼を守ってくれるのだろうか。それとも命を狙うのだろうか。
どちらも可能性としてあるのだ。ネクサス王国の情勢が分からない以上、下手に情報を集めることもできない。
そしてもう1つ。この世界となっているはずの小説の主人公、聖女をどうするか。しかし、関わっても良いことはなさそうな気がするし、彼女がネクサス王国の王家の庇護下にある以上、簡単に会うこともできないはずだ。関わらない方向で良いだろう。
オクルスが考えていると、膝に乗っているテリーが前足で突いてきた。
「また変なことを考えているんですか?」
「心外だねえ。私はいつも本気だよ」
オクルスがそう答えると、テリーは呆れたような声色で言う。
「それが厄介です」
「そうかな?」
テリーに文句を言われようと、自分の考えを変える気はない。宥めるようにテリーを撫でると、テリーは何も言わずにオクルスの膝の上で丸くなった。




