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55、隣国の聖女と王弟の話

 数日経ったが、オクルスの体調が悪くなることはなかった。異物は本当に一口だったようだ。そして、エストレージャが訪ねてきた。


 エストレージャが来てくれたことに、オクルスは心の底からほっとした。何となく、彼に見限られたと思っていたからだ。しかし、彼との交流は特に途切れることはなかった。


 それでも。どこか踏み込みにくい感覚がした。まるで彼との間にガラスができたように。オクルスは少しだけ気まずさを覚えた。それが何かは分からないが、いつものような軽口が出てこなかった。


 エストレージャが、オクルスの机に大量の手紙を置きながら、オクルスの顔を見ずに言った。


「これがお前の望んでいたことか?」

「……え? 何それ」


 そんな大量の手紙が来るなんて、意味が分からない。疑問符を浮かべるオクルスを見て、エストレージャは拍子抜けしたように言った。

 

「ああ。お前の策じゃないのか」

「え? 私が異物を仕組んだと思っている?」


 エストレージャに疑われているのか、と彼の方を見るとエストレージャはすぐに首を振った。

 

「それは疑っていない。しかし、あの状況を利用しようとしたのかと思った」

「それなら、君にわざわざ『アルシャイン殿下が大切か』なんて聞かないよ」


 わざわざ、エストレージャに声をかけて覚悟することもなく、あの場に乗り込んだだろう。残念ながら、オクルスはそこまで上手い立ち回りができない。ただ、言葉を用いても伝わらないのが残念に思っただけ。


 目を見開いたエストレージャがぐしゃりと紅色の髪をかき上げた。

 

「ああ。そうだったな。確かに、そうだな」


 あの時のことを思い出したのか、苦々しい顔をしたエストレージャが大量の手紙を見ながら言う。


「これは、お前宛の手紙だ」

「……なんで?」


 適当に1つの手紙を持ち上げた。上質そうな封筒には、確かにオクルスの名前が宛先に書かれていた。


 その手紙を元の場所に戻し、エストレージャへと向き直った。


「一夜にして、お前の評判が変わった。良い方に」

「あれだけで? なんで?」


 状況が全く理解できない。むしろ勝手な騒ぎを起こしたのだから、疎まれてもおかしくなさそうだが。


「アルシャイン兄上の代わりに、毒を飲んだ。そのことで、国や王家への忠誠心が高い人間だと思われたわけだ」

「……は?」


 すんなりとのみ込むことができなかった。しばらく時間を要していると、エストレージャがにやっと笑った。


「良かったな。人気者だ」

「ええ? 気味が悪いんだけど」


 若干の気まずさを感じていたオクルスとは違い、エストレージャの態度はいつもと同じだ。それに引きずり出されるように本音が零れてしまった。


 それに苦笑しているエストレージャへ尋ねる。


「内容は確認した?」

「ああ。不審物はなかった」


 オクルスは今まで手紙などほとんど来たことがないが、稀にあった。そのときは念のためエストレージャの部下が中を確認してくれているらしい。だから大体の中身を把握しているはず。


 その予測は正しかったようで、エストレージャは当然のように頷いた。


「この手紙は、今までの謝罪の場合もあれば、家への招待も……。まあ、媚び売りだと思えばいい」

「……」


 そんなに変わることだったのだろうか。いや、オクルスへの感情は何も変わっていなくても、王家からの信頼が厚くなる可能性を考えての媚びを売っているのかもしれない。

 

「今、読むか?」

「ええ? 別にいいかな」

「そうか」


 ソファに座って長い足を組んだエストレージャが、オクルスに向かって尋ねた。


「それで、この前聞きたいことがあると言っていたな。ネクサス王国について聞きたいことはなんだ?」

「ああ。うん」

 

 まずは原作の状況を知りたい。どこから聞くか考えた結果、1番有名そうな話から聞くことにした。


「聖女様の功績は?」

「……お前、聖女のことを知っていたのか?」

「この前のパーティーで耳に入ってね」


 オクルスへの情報は、エストレージャが教えてくれたことか、大魔法使いの会議で聞いたことくらいだ。この前のパーティーではそれ以外の話も聞けたのが有益だった。


「聖女は、そうだな……。ネクサス王国から入ってきている情報だと、今まで困らされてきた魔の森を浄化したらしい」

「全部?」

「ああ」

「それは凄いね」


 ネクサス王国の中には、魔獣が出てくる森がある。そこで生まれた生命体は、闇の性質を持っていて、凶暴になってしまう。ネクサス王国はそれに困らされてきた。その森から街に出てきた魔獣が、被害を与えることもあるからだ。


 それを聖女は浄化したという。おそらくは光魔法を使った。


 光魔法の中にも種類がある。そもそも光魔法自体が難しいものだが、その中で浄化の魔法は使える人と使えない人がいる。


 オクルスは浄化魔法を一応使えるが、森を浄化するのは無理だろう。破壊して根幹から断つ方が簡単だと思ってしまう。


 それは「聖女」と呼ばれるのに相応しい業績だ。


「ネクサス王国では、英雄だろうねえ」

「ああ。民が熱狂的に支持しているようだ」

「へえ」


 原作を思い出すが、聖女が認定されたという状況はまだ序盤だろう。


 はやく、ヴァランの闇堕ちをするはずの出来事を通り過ぎて欲しい。そうすれば、安心できるから。どこまで原作通りに進んでいるかは知らないが。


 その日が、オクルスにとっての最期だとしても、早く過ぎてほしいのだ。


「他は何か知ってる?」

「ネクサス王国の王子が後見しているらしい」

「そうなんだ」


 やはり原作通り。それが幸か不幸か分からない。原作と乖離しない方が、オクルスは情報を持っているとは言えるが、ヴァランの闇堕ちを防げているか分からないのだ。


 そもそも、この国は「闇堕ちをするヴァランによって滅ぶ」くらいの情報しかない。


 オクルスが考え込んでいると、エストレージャが首を傾げながら問うてきた。


「オクルス、何か気になることがあるのか?」

「……いやー、まあこの国とはあまり関係がなさそうだね」

「そうだな。何があっても、国から手放さないだろうから」


 聖女と呼ばれるほどの実力と人気を持つ人を、国から出すはずがない。王子が後見になるのは当然だろう。


「ところで、ネクサス王国の王弟がどうのってパーティーで聞いたけれど、その話は?」

「ああ」


 渋い顔をしたエストレージャが、この塔に人がいないにも関わらず、潜めた声で話を始めた。


「あんまり公では話されない話だ」

「うん」


 機密情報のようだが、教えてくれるらしい。邪魔をしないように、静かに頷くだけで返事をした。


「王弟殿下には、結婚を約束した女性がいたようだ。しかし、父親である当時の国王――前王陛下から反対された。それで駆け落ちをしたらしい」

「うん」


 それはパーティーでも手に入れた情報だ。駆け落ちをしようとしたとして、その後に興味がある。


「その後は……」


 言いにくそうに、エストレージャが目を伏せた。一度開きかけた口を、すぐに閉じる。その迷うような仕草が、オクルスは意外に思う。

 

「言いにくいのなら、言わなくていいけど」


 オクルスはそう言ったが、エストレージャは考え込んでいるようだった。オクルスが待っていると、彼は立ち上がり、身を乗り出した。オクルスに顔を近づけ、そのままささやき声を出した。


「……この国に亡命をしようとしたらしい」

「え?」

「でも、父上が断った、という話を少し聞いたことがある。それで、ネクサス王国に居場所がバレて、国に連れ戻されたらしい」


 王として、正しい判断だろう。隣国の、王太子でもない人間の亡命を受け入れる道理も利益もない。むしろ、ネクサス王国との軋轢を生みかねない。


 もっとも、捕まって国に連れ戻された王弟にとっては、どうだったかなど、考えるまでもないが。


 そのどこまでも理性的ではあっても、優しくはない判断は、公表はしていないのだろう。その「正しい判断」は、自分も切り捨てられるのではないか、という不安を生みかねないから。


 その王についての評価を口にはしない。オクルスが考えるべきことではないからだ。ソファに戻ったエストレージャを見てから、話を戻すことにした。


「それで亡命は失敗したんだね」

「ああ」

「それで今、王弟殿下は?」

「分からない。少なくとも、表には出てきていない」

「そう」


 そのような事情があったのか。流石は小説の舞台。そこで、ふと引っかかった。ここの世界の舞台は、()()だ。


「……ねえ、王弟殿下の話なんだけど、子どもはいるの?」

「子ども?」


 驚いているエストレージャが落ち着くのを待つこともなく、オクルスは続けた。


「王弟殿下が連れ戻される前に、こっそりと子どもを孤児院に預けた可能性はない?」


 小説の舞台である、隣国が関わる王弟の事情。


 あの話に登場するヴァランが、関わっている可能性も十分にありえる。

 

「……孤児院? それ、は。まさか」

「ヴァランが、その子どもだったら、どう?」


 眉を顰めたエストレージャが、オクルスの目を見ながら尋ねてきた。


「どこからそう導き出した?」

「ただの勘だよ」

「……そうか」


 どこか納得はしていなさそうなエストレージャだったが頷いた。しかし、彼の顔から難しい表情が消えることはない。


「ただ、現状として知る手段はないだろうな」

「そうだよね」


 親子関係などを調べる方法があるかは知らない。少なくともこの国では見たことがない。DNA鑑定ができるわけはないし。方法がない以上、よっぽど似ているなどの事情がないと、はっきりしない。


 オクルスが考えこんでいると、エストレージャがゆっくりと首を振った。


「そもそも、王族の俺が知ってしまえば問題になる」

「そっか」


 この国の王子のエストレージャが把握したのにもみ消した、なんてことをすれば、ネクサス王国との関係が悪くなりかねない。知ること自体がリスクだ。

 これ以上はエストレージャに任せてもいられない。


「君は何もしなくていいよ。私が勝手に調べるから」

「……危ないことはするなよ」

「大丈夫だよ」


 心配そうなエストレージャに、オクルスは笑って見せた。

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