53、パーティー・毒
エストレージャはオクルスにしばらくいてほしいと言ったが、どれくらいだろうか。いつも引きこもっているため、少し疲れたが、エストレージャと話すのは気を遣わなくて良いから楽だ。
隣で飲み物を飲んでいるエストレージャに、オクルスは疑問をぶつけた。
「王子様は、毒味とかしてもらわなくて良いの?」
「……俺が誰かに毒味させているところ、見たことあるか?」
そう言われて、自身の記憶を辿る。学園時代も一緒に食事をする機会はあったが、学園は基本的に安全な場所だから問題ないとして。学園の卒業後はごくたまにしか共に食事をしていないが、毒味をさせていた記憶はない。
その場で適当に買ったものでも平気で口にするような男だ。オクルスは普通に受け入れていたが、もしかしたらエストレージャは、変わり者なのかもしれない。
「見たことないかも」
「俺を殺す問題点はあっても、利点はないからな」
どこか自嘲気味に呟いたエストレージャを見て、脳内に疑問符が広がる。人の死に問題点があっても、利点がないというのは、当たり前のことに聞こえる。
「どういうこと?」
「王族の人間が1人減る、というのが問題点だ。誰でもいいけれど、『王族』という箔を付けたいときに使えるからな」
その言葉が、何となく気に入らなかった。エストレージャを「王族」として以上に、彼自身に価値があるというのに。
「君の価値は、王族であることだけじゃないでしょう。私が毒味しようか?」
オクルスがそう言うと、エストレージャは楽しそうに笑った。先ほどまでは冷たくも見えた金の瞳にいつもの温かさが戻ってきた。
「はは。大魔法使い様に毒味をさせるほど、俺に敵はいないな」
「それもそっか」
エストレージャは人に悪感情をもたれることはなさそうだ。あるとしたら、エストレージャ個人ではなく、王家への恨みぐらい。
少し黙ったエストレージャだったが、空気に消えそうなほどの声で呟いた。
「それからもう1つの問題点は……」
エストレージャがふっと笑った。今度の笑みは、どこか誇らしげにも見えた。
エストレージャが何を考えているのか、全く分からない。オクルスは首を傾げた。
それを見て、笑みを深めたエストレージャが、光を詰め込んだような金の瞳を、どこか眩しそうに細めながらこちらを見てきた。
「ん? なに?」
「……お前のお陰で俺は殺されない」
その声は、やはり空気に溶けてしまってオクルスには届かなかった。周囲の人に聞かせたくないにしても、流石に聞き取れない。
「ごめん、よく聞こえない。なんて言った?」
「とにかく、俺を狙ったものはないはずだ。仮に毒が仕込まれていたとしたら、それは無差別攻撃くらいだろうな」
「それなら良かった」
オクルスがエストレージャに微笑みかけると、彼は目を伏せるように笑った。それどこか気まずげにも見えた。先ほどまで誇らしそうに見えていたのに。彼にとって、その2つ目の理由は、誇らしくて、気まずいのだろうか。
酔いが回ってきたのか、少しぼんやりとしてきた思考の中で、その疑問はどこかに消えていった。酒の飲み過ぎは良くないから、少し控えた方がいいかもしれない。次はアルコールの入っていない飲み物にすることに決めた。
エストレージャのグラスも空になっているようで、2人して新しい飲み物を貰う。そのとき、オクルスは思いついたことがあった。
「ねえ、王子様。飲む前に少しだけグラスを近づけて」
「……? ああ」
不思議そうにしながら、エストレージャがこちらにグラスを近づけた。
オクルスは、ふわりと自身の固有魔法を広げる。念のため、自身の飲み物とエストレージャの飲み物に毒がないかを調べるためだ。
オクルスを狙う人間がいるとは思えないし、政治的にエストレージャを殺すメリットなど何もない、と本人は言っていたが、安全だということを確認しておくに越しておくことはない。
自身とエストレージャのグラス、どちらも問題なさそうだ。
そのとき、たまたますれ違った人まで、自身の魔法の圏内に入ってしまった。オクルスはその結果に動きを止める。
グラス、酒。中に入っているものはそれくらいのはずだ。しかし、その人のグラスにはグラス、酒、そして何か別の物質が入っていた。
思わずそのグラスを目で追う。それは、第1王子、アルシャイン・スペランザの手に渡ったようだ。
エストレージャとアルシャインでは、政治的な意味合いが違う気がする。あくまで臣下として生きることをすでに決めているエストレージャと、王になることを望んでいたアルシャイン。現在の情勢は知らない。この結婚式をしたということは、どちらかに内定くらいは出たかもしれないし、この結婚式自体に何らかの思惑があるかもしれない。
そんな不安定な情勢にいるはずのアルシャインが疑う様子すら見せない。アルシャインにグラスを渡した人、或いはアルシャインの所までグラスを持ってくるように指示を出した人は、それほどまで信頼されているということだ。
アルシャインに警告をした方が良いだろうか。オクルスが疑われるかもしれないのに?
そこまで考えて、オクルスは現実逃避をしたくなってきた。もしかしたら、アルシャインが何かを酒に混ぜる趣味が……。いや、普通はないか。ああ、気づきたくなかった。
毒物、薬物。そのあたりの可能性が高い。正確に何かは分からないが、とんでもない物に気がついてしまった。オクルスは頭を抱えたくなる気持ちを堪えながら、エストレージャに声をかけた。
「ねえ、エストレージャ」
「……なんだ?」
先ほどまでは緩く会話をしていたオクルスの真剣な声色をどのように捉えたのか。エストレージャの口調も、しっかりとしたものになった。
オクルスはエストレージャだけに聞こえるぎりぎりまで落とした声で尋ねた。
「アルシャイン殿下のこと、大切?」
「それはもちろん」
「そう」
エストレージャがそう言うのなら、自分に対して悪感情を持っていそうなアルシャインに忠告をしよう。エストレージャの言葉を言い訳にして、ようやく腹をくくった。
静かに息を吐いたオクルスは、アルシャインの方へと歩いていった。心配そうなエストレージャもついてきている。
「失礼します、アルシャイン殿下」
「……物従の大魔法使い様。なんですか?」
アルシャインは敬語を使っているはずなのに、威圧感がある。怯みそうになりながらも、オクルスはグラスを指し示した。
「それは飲まない方がよろしいかと」
「なぜ?」
「異物が混入しているようなので」
オブラートに包んで「異物」と言ったが、毒物か薬物だ、と勝手に思っている。しかし、このパーティーをぶち壊さないために、できる限り曖昧な言い方をした。
すっとアルシャインの金の瞳が、鋭い色を帯びる。冷酷さも感じられる声色でアルシャインが尋ねてきた。
「その言葉に、どれほどの責任がとれるのですか?」
「私が何かの責任を負う必要が?」
オクルスが何かの責任を負う必要があるのか。仮に間違えていたとしても、この国の王子が死ぬよりはマシだろう。この会場の責任者でもなければ、酒を用意した人間でも、渡した人間でもない。
ただ、偶々気がついた通行人。部外者。
面倒事に巻き込まれたくはないため、黙っていることもできた。王族なのだから毒の耐性くらいならあるだろうし。それでもわざわざ伝えたのはこちらの善意に過ぎない。それを拒絶するなら、それまで。
アルシャインは何も言わない。オクルスも黙っていると、遠巻きに見ていた人の中から、こちらに近づいてくる人がいた。
「どうしましたか。アルシャイン殿下」
「カエルム」
「……」
オクルスは顔を引きつらせた。
その男は、カエルム・シュティレ。現在のシュティレ侯爵。
そして、オクルスの血縁上の兄。できれば関わりたくない人間。
オクルスと同じ金の髪を持つその男は、燃え盛る炎のように真っ赤な瞳をこちらに向け、驚いたように見開いた。
「……オクルス」
「……」
オクルスが来ていることは知っていただろうが、まさかアルシャインと話していると思わなかったのだろう。
オクルスが黙っていると、カエルムはわざとらしくため息をついた。
「また、問題起こしたのか……。アルシャイン殿下、愚弟が申し訳ありません」
オクルスは舌打ちをしたくなったのを必死に堪えた。
この男が発した、一滴の毒のような言葉は、じわじわとこの場を蝕んでいく。積極的に悪口を言っているのではない。ただ、想像の余地がある言葉をすとん、と場に落とすのだ。
周囲の人たちが、「また……?」と不思議そうにしていたり、「シュティレ侯爵も大変だ」とカエルムへ同情したりしているのが耳に入り、背筋が冷える感覚がした。
こうして、オクルスの悪評は広がっている。
オクルスはため息をのみ込んだ。オクルスは、もう力を持っている。誰かに、媚びる必要も、弱気になる必要もない。
「あなたの弟? シュティレ侯爵家の次男だった男はいません。私は、オクルス・インフィニティ。物従の大魔法使いです」
「なにを……」
オクルスが楯突くとは思わなかったのだろう。面食らっているカエルムから目を逸らし、アルシャインの方へと向き直った。
しかし、アルシャインはオクルスへの疑いの目を緩めない。
もう、面倒くさくなってきた。しかし、エストレージャがアルシャインを大切と言った以上、放置することもできない。
オクルスはアルシャインの手からグラスを奪い取った。それを自身の口に運ぶ。まだ内容が何かは分からないため、嫌な気持ちは大きいが。
飲み物の冷たい感覚が舌に触れる。ピリッとしびれるような感覚。
「う……」
明らかに変な味。一瞬立ちくらみがして、蹌踉けたところで後ろからエストレージャに身体を支えられた。
「オクルス!」
「ごほっ……」
ハンカチを取り出して咳き込み、吐き出せるものは吐き出した。それでも違和感は残っている。
呆然としているアルシャインに、オクルスはグラスを押しつけた。
「ご覧の通り、何らかの異物は入っていますね。残りはお好きに」
これでアルシャインは飲まないだろうし、周囲への目を厳しくするだろう。
これ以上何かをする義理もない。もう帰ろう。そう決意して、オクルスはエストレージャに目配せをした。
「エストレージャ。帰るね。手を貸してくれない?」
「……ああ」
人の声。ざわめき。気配。それらの全てがうるさく感じながら、オクルスはエストレージャと共に会場から退出をした。




